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彼はこちらへ戻って来た途端、落ち着きなく首に手を当てたり視線を泳がせたりと忙しない。

「…柴田」

「はい」

「座れ」

先に着いていたソファの隣をぽんぽんと叩く。すぐに言う通りにした彼をじろりと睨み上げた。

「説明してもらいたいのだが」

「説明って言ってもさっき言ったことがすべてで…」

ごもごもと言い訳をする彼の太腿をぎゅっと抓った。

「はい、なんでも話します!」

「なぜ藤崎先生に冷たく当たった」

「だって俺あいつ苦手だし。昔は優しかったのにすっかり性悪女になって」

「…街で藤崎先生と一緒にいたのは?」

「偶然会ったから口止めしてました」

「なぜ僕に連絡を寄越さなくなった」

「口止めしたけど美香が色々話してたらと思うと怖く、て…」

「怖い?」

「お前超がつくほど真面目なのに色々聞いたら失望したとか、嫌いになったとか言いそうだろ」

予想の斜め上の返事に今日何度目かの頭痛が襲う。
脱力して座面に深く腰掛けた。焦点の合わない瞳で空を見詰め、馬鹿馬鹿しいとぶった切る。

「…やっぱ怒った?」

「怒りを通り越して呆れている」

「過去のはなしじゃん?みんな言いたくないことの一つや二つあったり、秘密があったりするもんじゃん?」

「その様子だともっとやばい話しがあるんだな」

「ない!ないです…!」

なぜか背筋を伸ばした彼の肩にことんと頭を乗せた。

「お前の過去などどうでもいい」

「…じゃあなんで怒ってんの?」

「…そんなくだらない理由だったのかと思うと力が抜けた。僕はなんのために悩んでいたのか…」

胃が痛くなるほど苦しんだ日々を返してほしい。
自分がはっきりしなかったのも悪い。男らしく、潔く散る意志を持って問い質せばよかった。でもそんな面倒な女のようなことをしたらうんざりされると思った。結果、もっと女々しく悩んで体調まで崩してしまったのだけれど。

「…悪かったよ。お前は俺のことなんかで悩まないと思ったし、連絡なくても気にしないと思ったし、美香がいなくなるまでなるべく当たり障りなくいこうと…」

「…まったくお前という男は。格好つけも大概にしろよ」

「お前に格好つけなくて誰に格好つけんの?」

「開き直るな!」

肘鉄を喰らわせるとぐえ、と潰れた蛙のような声が降ってきた。

「…まあ、僕も悪かった。勝手に悪い方に考えてお前に直接聞く勇気もなかった」

「……茜ってもしかして俺のこと結構好き?」

顔を覗き込まれ、調子に乗るなと押し返した。なのに倍の力で抱え込むように抱き締められ、久しぶりに感じる体温に鎖でぐるぐる巻きにしていた心が解れていった。
心を平穏に、平穏に。念じすぎて擦り切れた言葉が木端微塵になる。
恐る恐る彼の制服を掴みぎゅうっと握った。
柴田といる限り平穏でいるのは無理なようだ。彼の香水の香りもすっかり覚えたし、鋭利な眼差しも、自分に吐く甘ったるい言葉も、すべて空気のように自分には必要なものだ。一つでも欠けたら息が苦しくなる。
だめだなあ。己一人で立って歩くと決めたのに。

「俺も聞いていい?」

「…なんだ」

「なんで冷たい態度ばっかだったんだ」

「それは…」

構ってくれずに拗ねていたなど口が裂けても言えない。

「冷たくされればされるほど本当のこと言えなかった。やっぱ美香に色々聞いたんだってびびっただろ」

でかい図体をしているくせに、こいつもそんなことで悩むのかと思うとおかしくてくすくす笑った。大型犬が主人に叱られ怯えながら耳を垂らしているようだ。

「笑いごとじゃない。俺だって色々考えた」

「お前が隠し事しようとするからこじれたんだ」

「そりゃそうだけど、俺も気遣ったつもりだったし。美香に俺らの関係知られないようにしないととか。鏡子がばらしてたけど」

「…もういい。誰に知られても」

言うと、柴田は身体を勢いよく離し正気かと顔を覗き込んだ。

「わざわざ吹聴はしないが、必要に迫られたときは話していい」

「マジ?お前絶対知られたくないって言ってたのに?」

「…いいんだ。僕は悪いことはしていないらしいから」

「なにそれ?」

母に言われたとは告げず笑って誤魔化した。

「ごく一部の人間にしか理解されないだろうが、どちらにせよ僕は嫌われ者だからな」

「まあ…」

そこはそんなことないとか言えよと思ったが、二年の間でもひどい言われようをしているのだろう。下手したら教師より口煩い自覚はある。
大事な関係を他人に知られたら器の中身が減ってしまう気がした。
大切に、大切に抱え込んで秘密にしてこそ成り立つ関係だと。その考えは今でも変わらないし、彼が後ろ指を指されるのは辛い。理解できないものを人間は排除したがる。自分たちも社会の輪の中からぽいと放り投げられたり、肩身を狭くして生きていかなければいけないのだろう。そのとき彼に後悔してほしくなかった。後ろ暗い過去にならぬよう、日向の道を歩んでほしかった。だから口外するなと口酸っぱく言っていた。知られなければなかったと同じにできる。自分との関係を白く塗り潰せる。
逃げ道を用意していたつもりが足元を掬われ、物事を器用に操れない自分に呆れたし、彼はそんな逃げ道は最初から必要としていなかったのだろう。

「……柴田」

顔をこちらに向けた彼に触れるだけのキスをした。

「…うわ」

「うわとはなんだ。うわとは」

「違う違う。嬉しくて。キスしてくれるときは前もって言ってくれよ」

「なぜだ」

「不意打ちばっかりで悔しいから。ほら、もう一回」

ぽんと背中を叩かれ彼の方に視線を移すと怖いくらいの勢いでこちらを見ていた。急に気恥ずかしくなって顔を背ける。

「こ、こういうことはしたいと思ったときにするもので、強制されるものではない」

「強制じゃなくてお願い」

「お願い…?」

「そう。可愛い年下の後輩が言ってんだ。いいだろ」

「可愛くなんてないのだが?」

「よく言う」

じわじわと距離をあけると、その分彼もこちらに近付く。

「近いぞ」

「もう一回。もう一回だけ」

懇願する表情はまさに大型犬で、一瞬だけ可愛いかも、と思ったが慌てて眉間に皺を寄せた。

「お前は褒美をもらえる立場ではない」

ソファから立ち上がり、かけていたブレザーを拾い上げそのまま寝室へ向かった。背後から情けない声で名前を呼ばれたが無視をした。
部屋着に着替え、リビングの方へひょっこりと顔を出すと、彼はソファの上で膝を抱えて口を尖らせていた。
大きな身体に涼やかな顔の彼を可愛いと形容するのはおかしいと思う。けど、自分の前で歳より随分幼い表情や仕草をする彼は可愛いと思う。思い切り胸に抱いてわしゃわしゃと頭を撫でたくなる。

「柴田」

呼んで、こちらに来いと手招きをした。ベッドに入り、掛布団を胸の辺りで捲った。

「僕は誰かさんのおかげでものすごい睡眠不足だ」

「はい…」

「だから寝るまでここにいろ」

彼はぱっと表情を明るくし、隣にころんと横臥した。

「えっちはなし?」

ストレートな言葉にぽかっと頭を叩く。
再びいじけた様子の彼の頭を胸に懐かせるようにして、短い髪の毛に鼻を擦りつける。
彼がいる。腕の中に。確かめるように背中をさすり、大きく息を吸った。

「…茜だ」

同じことを考えていたのか、彼がぽつりと呟いた。返事の代わりに背中に置いていた手でぽんぽんと叩いた。

「……僕は案外どうしようもない人間らしい」

「…なんだよ、急に」

彼が笑った気配があり、瞳を閉じてここ最近の自分を第三者目線で見てみた。

「やっぱりどうしようもない人間だ」

「お前がどうしようもなかったら俺はなに?クズ?ゴミ?」

「そうだな」

「きつ」

柴田は甘えるように鎖骨に額をすりすりと擦り付けた。

「茜がどうしようもなくなるのは俺が絡んでいるときだけだから大丈夫」

「自意識過剰」

「そう思わないとお前と一緒にいる自信がなくなるんだよ。全然デレてくれないし。こいつ俺のこと本当に好きなのか?塩対応すぎない?って不安になんの」

「…馬鹿だな」

彼が想像する以上に自分の内は彼に支配されているのに。
感情が目に見えたらお互い安心できるのかもしれない。だけど見せたくないとも思う。
掌で転がしたいなんて思わないが、彼が強引に追い駆けてきてくれないと、自分はあっさり姿を消す努力をしてしまう。
彼が離れるなら自分から去ろうなんて、傲慢で小賢しい方法を選んでしまうのだろう。
だからもう少しだけ好きだと追い駆けてほしい。
我慢したり、虚勢を張ったり、そういうくだらないプライドを守るための鎧を少しずつ剥がしていくから。


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