12




自分からきっかけを渡してあげろ。藍にそう言われたし、自分でもそれが一番正しいやり方だとわかっている。
携帯を見てむしゃくしゃしたり、彼の心を勝手に想像して胸を痛めたり、そんなの馬鹿馬鹿しい。わかっているのに一歩が踏み出せず、週末も別々に過ごした。
月曜日からは生徒会に顔を出す許可をもらい、扉を開けると有馬が退屈そうに椅子に踏ん反り返って窓の向こうを眺めていた。

「…一週間も休んで悪かったな」

席に着きながら言うと彼は憎たらしい笑みを浮かべた。

「まったくです。私がどれほど骨を折ったか」

「骨を折ったのはお前ではなく柳君だ」

「潤なんて大したことしてないじゃないですか」

「お前よりはしていた」

過度な干渉や気遣いは苦しいだけなので、放っておいてくれる二人の態度はありがたかったが、誇らしげに言われれば反発したくなる。
その日は藤崎先生は顔を出さず、どうせ有馬がちくちく虐めたのだろうと予想した。上手に言葉を操ればいいものを、こいつはわざわざ相手の心を抉る言い方をする。そんなやり方ばかりだから敵が多いのだ。今更根性曲りが直るとは思わないので助言はしない。
有馬が帰ると言い出したので、鍵を受け取って自分も切り上げた。後片付けをすべてこちらに押し付け、さっさと部屋を出た背中を蹴り上げたくなったがここ最近の恩を思い出し堪えた。
鍵を職員室に戻し、階段を降りながら眼精疲労を嘆くように目頭を摘む。寮に戻ったら放っておいた進路調査票の記入をしよう。そろそろ段階的に教師と一対一の進路相談がある。柴田以外のことで頭をいっぱいにしたいという意識は、結果的に逃げに繋がっている。
昇降口へ続く最後の階段を降り始めると、一番下の段に腰をかける柴田の後ろ姿があった。
驚いて一瞬動きを止めてしまう。すぐに普通でいようと言い聞かせ、音に気付いてこちらを振り返る顔を真っ直ぐ見詰めた。

「よお。やっと来たか」

「…待っているのならそう言え」

思ったよりつっけんどんな言い方に自分でも驚いた。
階段を降り切ると柴田が後ろからついて歩く。彼と顔を合わせるのは有馬の部屋で一悶着して以来で、どんな会話をすればいいのかわからない。以前自分たちはどうやって時間を過ごしていただろう。そんなことも思い出せないほど、彼との関係が薄くなっている。

「…身体、もう平気なのか」

「ああ」

振り返らず、前を見ながら答えた。

「茜、あのさ…」

「なんだ」

「…あの…」

待ってもそれ以上言葉が続かず、歯切れの悪さに嫌な予感がした。
もしかして別れ話をしようとしているのではないか。
一度胸が大きく鳴ったが、大丈夫大丈夫と言い聞かせる。彼がいない生活には随分慣れてきた。心穏やかに過ごす方法も見つけた。
くるならこい。罪悪感で迷っているのかもしれないが、好かれていないのに関係を続けるほど惨めなことはない。悪いなんて思うな。自分たちはまだ未熟な高校生だ。心変わりなどよくあること。永遠の愛を誓った間柄でもあるまいし、結婚と違って言葉一つで終わらせられる。
自分は大丈夫。彼がいなくとも立ってられる。以前はそうやって生きてきたのだ。
すうっと息を吸いこんでから後ろを振り返った。

「言いたいことがあるならはっきり言え」

「…ああ」

彼は首の後ろに手を当て俯くようにした。しかし口を開かない。

「…用がないなら行くぞ。僕も暇じゃない」

踵を返し寮までの道を足早に歩いた。柴田は追い駆けてこない。
なんなんだ。別れ話の一つもまともにできないのか。女たらしが聞いて呆れる。悲しみを怒りにすり替えた。
年上として、本当は自分から引導を渡すべきなのだろう。なのにできない。寂しいとか、苦しいとか、恋しいとか、鋭利なナイフを刺されているように辛いのに、それでもいいから別れたくないと心の端で思っている。これが女々しいということか。自嘲的な笑みを浮かべ部屋の扉を閉めた。
物語の中で煮え切らない主人公に対して悪態をついてきた。なぜはっきりとしない。考えるより行動に移した方が早い。そんな風に。
外野に回ると正しいことが言えるのに、自分の身に降りかかると途端に膝を抱えて項垂れたくなる。
ネクタイを解きブレザーをソファに放り投げた。室内を見渡し、そろそろ掃除をしなければと思う。面倒なので結局後回しで、思い立ったが吉日は掃除には適用されない。
キッチンでコーヒーを淹れ、ソファの座面に深く腰かけながら息を吐く。
現実から目を逸らしても良い方向へ物事は進まない。ややこしくさせ、ダメージが倍になって返ってくる。だけど問題に真正面から立ち向かえる人がこの世にどれほどいるだろう。悲しいかな、自分は臆病者の一人で、壁を眺めて回れ右してしまう。
だめだなあ。
漠然とした自己否定感に暫く浸り、進路調査票をテーブルに広げる。
第一希望から第五希望まで記入しなければいけない。以前は私立から国立まで幅広く見ていたが、今は国立しか選択肢がない。自分の学力では不安な面もあるが、国立なら別にどの県だって構わない。
なるべく安定した仕事に就きたいが、曖昧すぎて入学したい学部を聞かれても困ってしまう。
安定とか、将来性という意味ではやはり公務員がいいだろうか、それとも士業か。うーんと腕を組んで唸った。
そのとき、扉の向こうから小さく言い争うような声が聞こえ、その一つは寮には似つかわしくない女性のものだと気付く。また香坂あたりが女を招き入れたか。青筋を立てながら注意をしうようと立ち上がった。
扉に近付くと、声と足音がすぐ傍にあり、レバーに手を掛けた瞬間あちら側から勢いよく開いた。驚いて一瞬動きを止めながら突然の訪問者を眺める。

「茜!」

「そんな引っ張らなくても高杉君は逃げないよ」

「逃げんだよこいつは!」

言い争っていたのは柴田と藤崎先生だったようだ。
二人揃ってのご登場に胸がざわりと気持ち悪く騒ぐ。

「な、なんだ一体…」

寮と言えども教師が気軽に生徒の部屋を訪ねていいわけはなく、女性なら尚更で、こんなところを誰かに見られたら問題になると判断し、二人を急いで室内に招き入れた。
扉を閉めると柴田に両腕をがっちり掴まれた。

「お前、誤解してる!」

「…は?」

「さっき藍から電話きて聞いた。お前が胃痛くしたの俺とこいつのせいだって」

「急になにを言いだすんだ!先生の前で…」

ちらりと藤崎先生を見ると柔和に微笑んでいた。その笑顔の意味がわからずぐっと喉を詰まらせる。

「藍にちゃんと話したかって聞かれて、まだだって言ったら早くしないと振られるって脅かされた」

「ちょ、ちょっと待て!」

藤崎先生の存在を無視して話し続ける柴田の口を片手で塞いだ。
教師の前で痴話喧嘩を繰り広げるわけにいかない。しかも自分は藤崎先生に妹と柴田がつきあっていると仄めかした。これでは辻褄が合わない。

「俺とこいつは、本当になんでもない!」

柴田は抑えていた手を力ずくで剥がしながら叫んだ。呆気にとられ目を丸くすると藤崎先生がくすくすと笑った。

「なんでもないなんてひどいなあ。裸のつきあいだってした仲なのに」

「だから!そういう言い方すんなって言ってんだろ!こいつは鏡子の友だちの娘で、俺がちっせーときから知ってるってだけ!」

「…はあ」

とりあえず間抜けな返事をしてから噛み砕いて考えた。
それだけの関係ならあんな風に邪険にする必要はないし、むしろ久しぶりの再会なら喜ぶべきところではないか。
もしかして適当な言葉で煙に巻き、二股を望んでいるのかも。
そんな男ではないと思うけど、それは自分の惚れた欲目で、彼は元々色好みが激しい性格だ。自分一人と真面目におつきあいという形に飽きがきたのかもしれないし、ふんわり優しい女性が恋しくなったのかも。
ぐるぐると考えていると、お前もちゃんと説明しろと柴田が藤崎先生に言った。

「皇矢君の言葉は本当だよ」

ぐっと両手で拳を作って訴えられたがいまいち信頼に欠ける。胡乱な目で二人を交互に見た。

「ごめんね高杉君。虐めようとしたわけじゃなくて、ちょっとかま掛けただけで…。皇矢君とばったり会ったあとお母さんに電話したら皇矢君には茜ちゃんっていう恩人のような恋人がいるって聞いていて、じゃあ高杉君の妹さんが茜って名前なのかなって思ったけど違うし、高杉君の名前が茜だし、確かめようと思ってちょっと意地悪しちゃったっていうか…」

悪びれもなさそうに上目遣いで言われ、額に手を当てながら長く息を吐いた。

「こいつはこういう女なんだよ。しかも茜みたいな男が大好きだし、なるべく接触させないようにと思ってたのに」

「いくらなんでも生徒には手出さないよ!」

「どうだか。茜の副担が戻ったら連絡先くらい聞こうと思ってただろ!」

「そりゃ、生徒と先生じゃなければチャンスはみんな平等にあっていいと思うし…」

藤崎先生はもじもじと指をいじりながら俯いた。
教師の顔しか知らない自分には、一個人として目の前にいる彼女と普段のギャップに頭が痛い。

「でたよ肉食系女子」

「そんな言い方しなくてもいいのに。約束破るからね」

「いいよもう。変な誤解されたりして茜とぎくしゃくする方が嫌だし」

「あっそう。高杉君聞いて、皇矢君ね、過去の話しは一切するなって脅迫してきたの。大きくなったら美香ちゃんと結婚するーって大泣きしたくせに生意気になって」

藤崎先生は笑いながら言うが、柴田はぱたりと耳を塞いだ。

「おねしょしては泣きながらお布団隠したこととか、坂道を走ってたら止まらなくなって電柱に激突したこととか、プールに行って水着なくした挙句綺麗なお姉さんについて行って迷子になったこととか…」

「あー!はいはい、もう終わり!」

柴田は頭を抱えて左右に振った。
ぽかんと口を開けて聞いていたが、ふっと笑ってしまった。

「もっと逸話はあるのよ?なのに理由も言わず茜には絶対話すな、だもん」

「だからそれはー…」

柴田はぐしゃぐしゃと頭を掻き回しながら溜め息を吐いた。

「高杉君、誤解させるようなことしてごめんなさい」

今度は小さく頭を下げられ、教師に畏まられると気持ちの置き場に困って慌てて顔を上げてくださいと言った。

「僕が勝手にもやもやしていただけで、柴田も藤崎先生も悪くないと思いますし…」

「高杉君は悪くないよ。悪いのは皇矢君よ。隠し事しないで最初から話していればよかったのに、変に格好つけようとするから…」

「わかったっつーの。俺が悪かったから」

だからもう勘弁してくれと、彼は藤崎先生の背中をぐいぐいと押し部屋の外へ放り出した。


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