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有馬の部屋で休日を過ごし、薬と休養で体力は回復した。
日曜日の午後自室に戻り、ランドリールームで回る洗濯物をぼんやり眺めた。
なんだかんだと悪態をつきながら世話をしてくれた柳君を思い出して笑みが零れる。
自分が影でどんな風に言われているか知っている。堅物すぎて面倒くさいとか、冗談も通じないつまらない奴とか。進んで自分と接してくれるのはごく一部の人間だけで、後輩からの評判は更に悪い。なのに柳君はそんな自分にずけずけと言葉を飾らず文句を言うのだ。これほどまでに正直な人間に初めて会ったので、唖然として怒る気にもなれなかったし、柴田が友人でいる気持ちもわかった。
乾燥が終了した機械音を聞きはっと意識を戻した。ふっくらとしたタオルやシャツをカゴに放り込み自室へ戻る。
部屋に戻ってもくれぐれも動き回らず休むようにと有馬に厳しく言われたので、退屈だがベッドに横になった。
有馬の部屋で過ごした数日もゆっくりと睡眠をとれたわけではない。柴田のことが気になったし、何度も携帯に手を伸ばした。
柴田は激情型なので頭が冷えるまでは放っておいた方がいい。自分が口を出しても余計ややこしくするだけだと律したが、もう逃げるのはやめにするから何でも話してくれと懇願したかった。
自分たちはどうなるのだろう。白い天井をぼんやり眺める。
次に会ったときが別れのときなのだろうか。彼は心変わりしたのだろうか。それともずっと彼女が忘れられず、再会してその気持ちが再熱したのだろうか。
誰かが誰かを好きになって、その人もまた誰かを好きになって、そうやって世界は回っている。沢山の人に好かれたいわけじゃない。柴田だけでいいのに、それがとてつもなく難しい。
考えたところで真実は柴田しか知らないし、自分は黙って判決を待つしかない。
歯痒いけれど一方が強く想っても成立しないのが恋愛だ。つきあうという行為が最終地点だと思っていたがそれは大きな勘違いで、互いの心のバランスを上手に保たないと呆気なく終焉を迎える。
つきあうだけでも苦労したのに、それを維持するのはもっと大変だ。色事に無関心だったのでそんなことも知らなかった。
世の中の人はこんな大変な思いをして、更に結婚まで漕ぎ着けるなんて想像できない。
今彼はなにをしているのだろう。

「…会いたいな」

するりと口から出た言葉にぎょっとした。誰にも聞かれていないのに慌てて首を振る。違う違う。今のは違います。言い訳をしながらあたふたすると枕元の携帯が鳴った。
もしかしたら柴田かもしれないと期待したが、表示されていた名前は妹のものだった。

『お兄ちゃん?私。今日時間あるならまた葵お兄ちゃんとご飯行かない?』

「…ああ、誘ってくれたのは嬉しいのだが…」

『なにか用事でもあった?デート?』

「デ、デートなどではない。ちょっと胃の調子が悪くてな」

『え!体調崩してるの?』

「いや、今はもう平気だが出歩くと友人に叱られるのでな」

『…そう。お見舞いに行けないけどゆっくり休んでね。元気になったらご飯行こうね』

「ああ。すぐに元気になるから」

『うん。また連絡ちょうだいね』

「わかったよ」

心細そうな声色の妹をあやすように極力優しく言った。
藍には心配をかけてばかりだ。もう少し兄としてしっかりしなくては。ちょっとしたストレスでいちいち倒れていたらこの先やっていけない。
昔より随分弱くなった気がする。自分でも気付かぬうちに彼に入れ込みすぎて自身の半分を預けていたようだ。これではだめだ。
恋愛などで左右される弱い心などいらない。心を鈍くしてそのまま錆びてしまいたい。鈍感と笑われようと、機械のような人間だと蔑まれようと。

目を開けると室内に朝の光りが燦々と降り注いでいた。
昨日あのまま朝までぶっ通しで眠っていたようだ。カーテンもひかずに眠るなんて不用心だと思い、こんな男子校に強盗に入る愚か者はいないと思い直す。
思い切り天に腕を伸ばし暫くぼんやりとした。眠り過ぎて脳が上手に働かない。何事にも適度というものがある。今までの睡眠不足を補うように長時間眠ったって身体はありがたがるどこか迷惑しているらしい。機械ではないので数値化の上最適化なんて器用にはできない。
のろのろとベッドから起き上がり、リビングのソファでコーヒーを飲んだ。天気予報を見て今日は一日気持ちの良い快晴だと知る。
一限はなんだっけ。体育はあったっけ。運動着の洗濯は終わってたっけ。
どうでもいいことで頭をいっぱいにして柴田を考える隙間を埋めた。
何でもいい。くだらないことでも、何かを考え続けよう。そうすればいつしか彼を想う領域が少なくなっていって、彼の言葉や態度に左右されないようになる。細く息を吐き制服に着替えてから学食へ向かった。


心を平坦に維持するのは楽な作業ではない。
柴田からはぽつりぽつりと連絡がきた。飯食ってる?体調よくなった?何かあったら言えよ。簡素なメールの一つ一つに大丈夫とだけ打って返した。
一週間は生徒会室への出入り禁止と有馬に言われ、学校が終わったら真っ直ぐ寮へ帰る生活が続いた。
こんなの中学以来だ。趣味などない退屈な人間なので勉強くらいしかすることがない。進路を決めろと急かす教師に曖昧な返事をしていたが、そろそろきちんと考えなければ。
柴田のことばかりに現を抜かしている暇はない。自分は最終学年で分水嶺に立っている。考えなければいけないことが山ほどあって、問題も山積みだ。
当然のように大学進学を目指し、自分が進みたい大学の偏差値を調べては努力してきた。でも今は親に勘当された身で、そんな贅沢は言ってられないと思う。母からは進学するようにとしつこく言われているが、国立を受験したって初年度は入学料と授業料で百万ほど飛んでいく。
来年は藍も大学受験をするだろう。葵兄さんだってあと二年は在学するし、大学院へ進むかもしれない。氷室会長に金銭面での心配は無用と言われたが彼に甘えるのも最低限にしたい。うちの家族の問題を肩代わりさせているし、恋人に甘える範疇を超えている。
葵兄さんもそれには納得できず、氷室会長と何度もぶつかっているようだ。それでも話し合いは平行線で、喧嘩するのが疲れたとぼやいているのを聞いた。
だからせめて自分くらいは母に負担をかけたくない。生憎夢なんてものもないので、それなら働いた方が賢明だと思う。母ともう一度きちんと話そう。携帯を開きメールを打った。


次の休日、実家と接している区の繁華街で母と待ち合わせをした。藍が行きたいと言うが構わないかと問われ、勿論と返事をした。
時間ぴったりに母と藍がやってきて、藍はするりと僕の腕に自分の腕を絡ませた。
甘えん坊がすぎると母に咎められていたが、たまにしか会えないのだからこれくらい許してと妹は顔を背ける。
妹が友人の話しを聞いて行きたかったカフェがあるというので黙ってついて歩いた。
彼氏と行ったけどすごく美味しかった、店内も可愛かった、そんな風に言われたのだとか。

「僕や母さんより男の子と一緒のが楽しいんじゃないか?」

「いいの。そんな人いないし。今は氷室さんが一番だから」

「またお前はそんなことを言って…」

「大丈夫。氷室さんも葵お兄ちゃんも笑ってくれるもの」

「…まさか本気ではないよな」

「まさか。ただの憧れ」

「そうか」

兄弟は好きになる人の趣味まで似るのだろうか。
だが柴田のようにチャラついた男よりかは氷室会長のような人とおつきあいしてくれた方が自分も安心できる。どうか男の趣味がそのまま氷室会長でありますように。念じるようにしたが、隣の妹はあっけらかんと今日もふわふわ笑っている。
店内に入りきょろきょろと辺りを見渡した。天井から吊るされた真っ白なリネンで半個室のように区切られている。こういう女性が好みそうな店は慣れない分落ち着かない。
メニューを見てもよくわからず、藍と同じものを注文し、先に運ばれてきた冷たい烏龍茶を一口飲んだ。
母と妹は空間にテンションが上がりきゃっきゃと喜んでいる。
普通のファミレスとかの方がよかった。そわそわと落ち着かず、膝の上で組んでいた手を無意味に動かした。
そのうち運ばれてきたこじんまりとしたパスタを食し、進路について母と話し合った。
母曰く、学資保険にきっちり入っていたから金銭面の心配はするなと。いやしかし、と何度も食らいついたが、子どもはそんな心配しなくていいだとか、親の役目だとか、こちらの思いは全て否定された。母に苦労をかけたくないと願うのはいけないことなのだろうか。プレゼントを突き返されたような寂しさに俯いた。

「茜がやりたいことがあって就職を希望するなら応援する。でもそうじゃないでしょ?今まで茜はよく頑張ってきたわ。親のせいであなたが願う進路に進ませてあげられないなんて母親として落ち込んでしまうもの」

「…親のせいじゃなくて自分のせいだし…」

「そんなことない。母さんたくさん本を読んだりインターネットで調べて勉強したわ。同じような問題にぶつかった色んな国の親子の話しもたくさん聞いた」

母の言葉にはっと顔を上げた。

「あなたは悪くないのよ。なにも悪くない。でも父さんも悪くないと思ったの。悲しいことだけど、親子でもわかり合えないことはたくさんある。でもあなたは許しを請う必要なんてないし、堂々と胸を張っていいの」

真摯な瞳を見つめると、母がふっと笑った。

「なんて、偉そうなこと言ってるけど、そう思えたのはあなたたちが家を出て、色んな世界を勉強したからよ」

照れ臭そうに笑う姿を見て、母はこんなに皺が濃かっただろうかと思った。家事を完璧に熟す荒れた手、昔よりも細くなった身体、飾り気のない洋服。いつの間にか見上げていた母がこんなに小さく感じる。
出来の悪い息子でごめん。心の中で謝罪をした。

「……うん。わかったよ」

「そう」

「なんか空気重くていやー」

藍がティラミスをスプーンで掬いながらぼやいた。ごめんごめんと頭をぽんと撫でてやる。

「じゃあ私先に帰るわね」

腕時計で時間を確認し、母が席を立った。

「お夕飯の支度があるから。藍も夕飯までにはちゃんと帰るのよ」

「はーい」

母は会計は済ませておくからと言い、小さく手を振った。後姿を眺めていると、大丈夫だよと妹が言った。

「私がいるもん」

「…ああ、そうだな。藍が一緒なら母さんの心配はいらないな」

「そうよ。女同士の方が絆は強いんだから」

「そうか。頼もしい妹で助かったよ」

もう一度頭を撫でると、妹は気持ちよさそうに瞳を閉じた。

「お兄ちゃん体調はよくなった?ママを心配させるといけないから黙ってたけど」

「ああ、もう大丈夫だ」

本当はたまにしくりと痛むこともあるが、身体は痛みに対応し、痛くとも平気な顔をできるようになった。
心を平坦に、平坦に、凪いだ海のように穏やかに。毎日意識しているおかげかもしれない。

「…私がこの前学校まで会いに行ったあと皇矢となにか話した?」

窺うように聞かれ、小さく首を振った。

「体調崩してしまったから、あいつとはあまり会っていない」

「…そっか。あの、余計なお世話かもしれないけど、皇矢お兄ちゃんに黙っていることがあるの」

一瞬瞠目し、心穏やかであれと言い聞かせて笑った。

「そうか」

「…うん。私が話すことじゃないから皇矢に聞いて。お節介だと思ったけど、お兄ちゃんから聞かないと皇矢黙ったままだと思う…」

「…そうだな。大方予想はついているが。藤崎先生のことだろ」

口に出すと案外平気だった。

「そう、だけど…たぶんその予想外れだと思う…私も最初勘違いしたけど…」

「外れ?」

「ううん、なんでもない。私も首突っ込んじゃったけど、この先は皇矢と話した方がいいと思う」

「…そうか」

わかったと頷いてみせたが、今更どんな顔で柴田と会えばいいのかわからない。

「ねえ、まだ時間あるよね?少し遊んで行こうよ」

「そうだな。今日は藍につきあう。でも夕飯の時間までには――」

「わかってるって。お兄ちゃんは本当に言うことがパパそっくり」

妹はアイスティーが入ったグラスを掻き回しながら唇を尖らせた。
反発し合っていくせに自分が一番父に似ているから困ったものだ。

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