10
有馬の部屋に入ると、主じゃない子に迎えられた。
顔を見て、確か柴田の友人だったと思い出す。
「それでは潤、後は色々と頼みますよ」
「へいへい。高杉先輩、こっちです」
鞄は柳君が譲り受け、こっちこっちと手招きされる。
有馬はリビングのソファに座るやいなや、紙の束を乱暴に仕分け始めた。
「あの…」
ベッドを整えている柳君に声をかける。
なにがどうなっているのだ。有馬と二人きりだとしても、放っておいてくれると思ったのだが。
「はい?」
「あの、君はなぜここに?」
「ああ、有馬先輩に言われたので。自分は仕事もしなきゃいけないからって」
「…あの、僕の面倒をみるように言われたなら大丈夫だぞ」
「いやー。それが、有馬先輩も結構心配してるみたいなんで。高杉先輩が長期間倒れて戦線離脱したら本当に困るって言ってましたし」
「ああ。なるほど」
心配なのは僕の身体ではなく、生徒会の仕事、もとい自分に降りかかる不幸だ。
そうでなければ気味悪いし、逆にそちらの方がこちらも気を遣わずにいられるけれど。
「有馬先輩のベッドですけど我慢して下さいね。ものすごい嫌でしょうけど」
「いや…。君にまで、申し訳ないな」
いそいそとベッドに入りながら言うと、柳君は驚いた表情で固まった。
「あの…?」
「すいません。なんか、思ってたのと違ったんで」
「思ってたの…?」
「はい。有馬先輩が、高杉先輩はいつもいつも小言ばかりで目が吊り上がって可愛げがないと言っていたんで」
「…有馬…」
あの野郎。
似た者同士だからこそ、同族嫌悪というものがあるだろう。
僕だって有馬にいい印象はないし、ボロクソに言うので有馬ばかりを責められないが。
「ま、僕のことは気にせず。いつもこの部屋にいますし、いてもどうせ暇だし、なにかあったら言って下さい。有馬先輩集中すると音が全然耳に入らないから」
「…ああ。じゃあそうさせてもらう。君も、あまり僕のことは気にせずにいてくれ。寝ていれば治ると思うんだ…」
「大丈夫ですよ。僕、人の世話とか得意じゃないんで、そんな熱心にしませんから」
その言葉にカクっと肩を落とした。
一見冷酷な言葉に聞こえるが、自分にはこの程度が丁度いい。
ゆっくり寝て下さいと柳君が言い残し、寝室の扉を開けると地響きのような音が部屋に広がった。
「なんだなんだ」
どうやらそれは入口からきていて、柳君が向かうより先に有馬が対応したようだった。
「茜は!」
聞えた声に身体が硬直する。柴田だ。
どんな顔をして会えばいいのだろうとか、なにを話せばいいのだろうとか、そんなことを考える以前に、慌てた様子で僕の名前を呼ぶ声に嬉しさを感じた。
懐かしい。以前はよくこんな風に茜、茜と呼んでくれた。
もういいからとこちらが突き放すくらいに構ってきた。
そしてまた同じことを考える。
いつから呼ばれなくなったんだっけ。いつから構ってくれなくなったんだっけ。
紐を辿ると同じ答えが待っている。藤崎先生に会ってからだ。
答えを見つけて、またがっくりと落ち込むくせに。
「漸く来ましたか」
「茜は…」
「そっちですよ」
勢いよく寝室の扉が開き、その近くにいた柳君がわあ!と奇声を上げた。
「…茜」
肩で息をしている。
ここまで走ってきたのだろうか。まだ僕に必死になってくれているのだろうか。
眉間の皺が徐々に濃くなり、柴田はくるっと振り返った。
そして後ろにいた有馬の襟首を掴んだ。
「なんでさっき渡してくれたなかったんだよ!」
「ちょ、皇矢!」
柳君が慌てて止めに入るが、柴田は柳君も突き飛ばした。
これはいけないと思い、自分も慌てて身体を起こす。
なぜ有馬に怒っているのかは知らないが。
「…賢明な判断だと思いますが」
有馬の冷ややかな瞳に柴田は唇を噛んだ。
赤く燃える柴田と、青く冷静な有馬は対照的で、一触即発とはこのことだ。
「くそ。茜が調子悪そうだって気付いてたなら、なんでもっと早くに休ませなかったんだよ!」
「し、柴田。有馬はなにも悪くな――」
「うるせえ!お前は黙ってろ!」
久しぶりに怒鳴られてしまった。しゅんとしたいところだが、そんな場合ではない。
柳君もこれは仲裁に入っても無駄と悟ったのか、ズボンのポケットに両手を突っ込んで傍観している。
有馬はしばらく黙り、柴田の腕を払いのけた。
「クソガキ」
「あ?」
「クソガキと言ったんですよ。自分の責任を人に押し付けて逆ギレですか」
「なんだと…」
もう一度有馬に掴みかかった柴田に、今度は有馬も柴田をぐいと引き寄せた。
「いい加減にしろよ!」
有馬の怒鳴り声に心臓がひゅっと縮んだ。
だめだ。これは本気で怒った。有馬から敬語がなくなるのはとてもまずい状況だ。
「……皇矢、少し頭冷やせよ」
沈黙を破ったのは柳君だ。言いながら二人を引き剥がす。
「僕はあんまり状況がわかんないし、当人同士の話しだから口は挟みたくないけど。放っておいた挙句に有馬先輩に八つ当たりって、お前相当頭悪いよ」
「…お前には関係ねえだろ」
「関係ないよ。でも、有馬先輩も無関係なのに最初に突っかかってきたのはお前じゃん。うぜえんだよ!はっきりしないでぐちぐちと…!」
今度は柳君と柴田が取っ組み合いを始めそうで、はらはらとしながらそちらに歩いた。
「落ち着け、二人とも…。僕は大丈夫だから。喧嘩はするな」
間に入って柳君を庇うようにした。
彼はなにも悪くない。有馬に言われて僕を世話しようとしてくれた、むしろ恩人だ。
それなのに、なぜ友人の二人が僕のことで喧嘩をしなければいけない。
柴田は僕と一瞬目を合わせ、すぐに俯いた。
無言の時間が流れ、空気がぴりぴりと緊張して痛い。
「…お前、帰れよ。高杉先輩具合悪いって言ってんのに、なにさせてんの。今のお前、全然皇矢らしくない。冷静になって高杉先輩に百回土下座しろバーカ!」
ガルルル…。と聞こえてきそうなほど、柳君は柴田を睨む。
けれど傍からみていると、百獣の王ライオンと気位の高い猫がやりあっているようで、勝敗は一目でわかる。
最近は柴田も大人しいとはいえ、元々短気な性格だ。
暴力だけはやめてくれ。暴力だけは…。願っていると、柴田は柳君から視線を逸らして扉横の壁を思い切り殴ってから乱暴に部屋を出て行った。
なんともいえない、もやもやとした空気が取り残された三人を包み、どうしようと焦った。
ただでさえ、余計な迷惑を散々かけているのに、挙句の果てには痴話喧嘩に等しいものに巻き込んでしまった。
「えっと…」
「あー!クッソ!皇矢クソむかつくー!」
柳君が髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら叫び、びくりと肩を揺らした。
さっきから思っていたが、綺麗な顔に似合わず言葉遣いが汚い。
「なんだあいつ!有馬先輩にキレるくらいの勇気あるならもっと他のことに生かせよ!」
そこかよ。
拍子抜けした。
柳君はくるりとこちらに身体を向け、気まずそうに視線を泳がせた。
「なんか、余計な口挟みましたよね。あまりにも皇矢にむかついて…」
「い、いや。こちらこそすまなかった。有馬も…。悪かったな」
「高杉が謝る必要はありません。あの馬鹿が悪いんです。氷水にでも浸かって風邪をこじらせて頭冷やしながら私に楯突いたことを後悔しつつ、石抱しながら土下座すれば許して差し上げます」
石抱って…。
目が本気なのが余計怖い。
柴田も、普段から有馬が嫌だ、関わりたくないと散々言っていたくせに、なぜ突っかかるのか。
しかも見当違いも甚だしい。
柳君ではなくとも、自分だって腹が立つ。
別に、誰も悪くないし、僕がしっかりしないのが問題で、有馬に非はない。
ストレスの一部は有馬の存在だけれども。
「今回ばかりは有馬先輩に同意だわ。玉無しの腑抜け野郎。ヘタレ。根性なし。租チン。早漏。筋肉馬鹿。脳味噌まで筋肉になった筋肉馬鹿。目つき悪い。背高くてむかつく」
綺麗な形の唇からとんでもない言葉が飛び出すと驚いてぎょっとする。
「最後ただの僻みになってますよ」
「あ。まあ、あの馬鹿はしばらく経たないと冷静になれないだろうし、高杉先輩はその間ゆっくり休めばいいじゃないですか」
「…でも。また君たちを巻き込んでしまうかもしれないし」
「これ以上アホみたいなこと言ったら僕マジで友達やめるんで。そこまで馬鹿じゃないと思いますけど」
「そう願いますね。とりあえず高杉の仕事は自分の身体をよくすることです。決して柴田に連絡してはいけませんよ。馬鹿は鎮火するまで周りに災厄を撒き散らしますから。放っておきなさい」
「…わかった」
再び横になり、有馬にはああ言ったが、それでいいのだろうかと悩んだ。
リビングの方からはまだ柳君が文句を言っている声が聞こえる。それを宥める有馬の声も。
なにを苛立っているのかは知らないが、柴田がああなったのは自分が原因だろうか。
彼の気持ちがまったく読めない。
心は誰に向かっているのだろう。自分だろうか。それとも――。
たぶん、僕たちは話し合わなければいけないことが山ほどある。
真実から目を逸らした結果がこれだ。
先延ばしにしても現実は変わらない。
柴田の口からすべてを聞いて、自分は納得しなければいけない。
それこそ、彼が周りに災厄を撒き散らす前に。
そう思うのに、携帯をひらいても柴田に電話をかける気になれなかった。
ただ普通に毎日生活していただけなのに、なにがいけなくて拗れたのだろう。
なんで、なんで。
早く身体を良くしろと言われたが、問題を先送りにしている内に身体が治るとは思えない。
なのにしくしくと胃が縮みだし、意志に反して身体は重く、心にもずっしりと鉛をつけられたようだった。
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