8


それからぐっすりと眠り、翌朝起きたときには椎名の姿はなかった。
けれど、微かに人の気配がまだそこに残っていて、先ほどまでいてくれたのだと悟った。
帰ってほしいと自分が望んだし、また負担に思わせないようにと、きっと僕が目覚める寸前に部屋に戻ったのだ。
随分と面倒をみさせてしまった。椎名は自分などに構っていられるほど強くないはずなのに。
気にしないでと恐縮されるだろうから、礼は一度だけにしておこう。
そんなことを考えながら制服に着替えた。
真っ直ぐに立つと、やはりまだ胃がしくしくと痛み、椎名に貰った薬を飲んでから登校した。

「椎名」

教室に着き、彼の姿を見つけて後ろから肩を叩いた。

「おはよう。具合どう?」

「ああ。随分と楽だ。薬と、看病ありがとうな」

「ううん。あれくらい。薬も役に立ってよかったよ。たまには病弱でもいいことがあるね」

冗談めかして言われ微笑んだ。
午前中はいつも通りに授業をしたが、薬の効果がきれてきたのか、また昼頃に痛みだした。
とてもじゃないがなにも食べる気になれず、飲み物だけで昼食を済ませる。
携帯を開いたが柴田からの連絡は相変わらずないし、昼食の誘いもない。
保健室へ行って横になりたい衝動に駆られたが、授業は休みたくない。
ただでさえ最近集中できていない。自主勉強をする時間も十分にとれないので、せめて授業はしっかりと出たい。
顔色が悪いと椎名に言われたが、心配させぬように大丈夫だと繰り返した。
授業が終われば生徒会だ。
またあの場所に行かなければならない。
昨日藤崎先生と剣呑な雰囲気になってしまったが、今日は大丈夫だろうか。
何事もなくいられるといいが、同じ空間にいるだけで息が詰まる。
暫く生徒会室には来ないでくれないだろうか。
そんな願いを込めながら扉を開けた。
藤崎先生はまだいなかったが、代わりにもう一人の悩みの種がいた。

「…有馬?」

「はい?」

「何故お前がここにいる?」

「生徒会長ですから?」

そんなことはわかっている。藤崎先生が窮屈だからしばらく来ないと宣言したのはこいつだ。

「しばらく来ないんじゃなかったのか」

溜め息と共に椅子に腰を下ろした。

「はい。もう行きますよ。資料を見に来たんです」

「また授業中いたのか」

「まあ。授業中に仕事した方が効率いいじゃないですか」

「いいわけあるか」

「私は授業なんて出なくとも平気ですので。わざわざわかっていることを習ってもねえ」

まったく嫌味な男だ。
須藤に勝てずに万年二位で、この男が本気を出した途端に三位に落ちた。
こちらは生徒会も授業も必死に頑張っているのに、どうして努力した者が報われないのだろう。世の中不公平だ。

「僕もお前みたいな頭がほしかったよ…」

「おや。高杉が泣き言なんて珍しい。そういえば、顔色も悪いですね」

「そう見えるなら是非きちんとしてもらいたいものだ」

「今でも十分、私にしては頑張ってると思うのですが…」

氷室会長の足元にも及ばないがな。可愛くない言葉は呑み込んだ。
有馬なりに努力している部分もあるだろう。それを前会長と比べて劣っているというのは間違っている。
氷室会長が偉大すぎただけだ。

「冗談はさて置き、本当に顔色が悪いですよ。今日は帰った方がいいのでは」

「…お前こそ、僕の心配なんて珍しいじゃないか。そのうち季節外れの雪が降る」

「高杉は私を悪魔かなにかだと思ってるようですね」

ふうっと溜息を吐かれ、そうだ、とは言えなかった。

「高杉に倒れられたら困ります」

「倒れない。こう見えても身体は丈夫だ」

「そんな細い腰して言われてもね…」

それはお互い様だし、有馬の方が無茶をする。
僕たちは似ていないようでも似た者同士だ。
自分の限界を知りながらもそれに目を瞑って走り続ける。
有馬の場合は自分がサボったつけでそうなっているのだけれど。

「本当に平気ですか?しばらくは私と、二年の優秀な生徒引っ張ってきてやらせますから休んだらどうです?」

「いや。大丈夫だ。薬もあるし」

椎名にもらった薬がまだ何錠か残っていた。
それも限りがあるものなので、ドラッグストアに行って市販薬を買いにいかなければ。

「そうですか。そこまで言うなら。では私は帰りますね」

「ああ」

鞄に資料を詰め、有馬は退席した。
そろそろ藤崎先生が来るだろう。有馬もそう予想したに違いない。
けれど、予想に反して先生はなかなか来なかった。
その方がありがたいが、珍しいこともあるものだ。
教師は教師で会議や、生徒の指導と色々多忙なのだろう。僕や、有馬よりもずっと。
今までマメに来ていたが、無理をしていたのかもしれない。

「ごめんなさい、遅くなっちゃった」

もうそろそろ帰ろうかと思っていた頃藤崎先生が慌てた様子で入ってきた。

「先生…。お忙しいのではないですか?こちらなら平気ですけど…」

「ううん。大丈夫よ。遅くなってごめんね。手伝うことはあるかな?」

「…いえ。今日の分は大方終わりましたので大丈夫です」

「そうなの。なんだか何も手伝わなくてごめんね」

先生は心底申し訳なさそうに言った。
教師に手伝ってもらうという感覚がないので、逆にこちらが恐縮してしまう。

「今日は…」

「はい?」

「…今日は妹さん来ないのね」

先生は窓の外に視線を移しながら言った。

「…まあ、学校も遠いですし、しょっちゅうは来れないと思います」

「そっか。中間地点で待ち合わせしてデートかな?」

「かもしれませんね」

また嘘をつくことになり、罪悪感をずきずきと感じながら平静を装う。

「…妹さんは高杉君の一つ下?」

「…そうですけど」

「そう。皇矢君女性の好みも変わったのね。昔は年上といることが多かったけど」

まただ。
また、あの雰囲気だ。柴田のすべてを知っていると言わんばかりの。
やけに藍のことを突っ込んでくるが、先生になんの関係があるのだろう。
体調が悪く、余裕がないせいでやたら苛々する。

「あの、先生は柴田とどのような関係ですか」

怒りと勢いに任せてついに口にしてしまった。
語調が強くなり、先生は一瞬驚いたようにこちらを見て、口を三日月にした。

「昔からの知り合いよ」

柴田と同じことを言われ、けれどもその短い言葉の中に様々なものが含まれている気がする。
突っ込んで詮索するのもおかしいので、それ以上は聞けなかったが知り合いだけで済む関係だったのだろうか。
柴田も、先生も、どこかおかしい。
下手な行進のように、お互いの話しになるとぎくしゃくとした空気が漂う。
輪の中から自分だけひょいと弾きだされたよで、疎外感と苛立ちが同時に湧き上がる。
先生と話すと余計に胃が痛くなる。
どうして柴田を間に挟むと、積み上げてきたものが一気に崩れてしまうのか。

「…お先に、失礼します」

痛みに耐えられなくなり逃げるようにして生徒会室を出た。




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