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一日眠り、痛みは引いたが面倒なので次の日も休んだ。
三日目の朝、仁が部屋までやってきて、さすがにもう学校行こうなと優しく諭した。仁に言われると逆らえない。
重い脚を引き摺るようにして学校へ行き、自席に座る。
皇矢や三上に階段から転んだって?とけらけら笑われ、むかついたので腕を噛んでやった。
慌てた様子で真琴まで来て、大丈夫かと顔を覗き込まれる。

「大丈夫だよ。打撲だけだし」

「そっか。ならいいけど。顔に傷ができなくてよかったね」

はらりと前髪をかき分けるようにされ苦笑した。

「真琴は僕の顔が好きだねー」

「え、いや、そんなことは…あるけど…」

馬鹿正直なところが真琴らしい。笑いながら背中を叩き、顔に傷ができたら嫁にしてくれよと言った。
朝のHRが始まり、頬杖をついて窓の外を眺める。
有馬先輩から連絡はない。お見舞いにも来なかった。仁は大人になってやれと言ったけれど、自分から折れるのは違うと思う。
悪いのは彼なのに譲歩していたらますますつけあがる。
人のことは言えないが、末っ子気質の甘えが彼にはある。自分が努力をせずとも周りが苦心して先回り。だからあんな人間になってしまったのだ。
泣き喚いていれば誰かが手を差し伸べるのはせいぜい小学生まで。
恐らく彼は、今回も放っておけばその内僕が音を上げて許してくださいと懇願すると踏んでいる。そんなことは絶対にしない。馬鹿にするのもいい加減にしろと唾を吐いてやる。
だって僕はなにも悪くないのだから。

四限が終了し、机上に突っ伏していた身体を起こした。
欠伸をして首をぐるりと回す。

「学食行くか」

皇矢に言われ頷いた。財布を鞄から出し、二人で廊下に出ると見知った顔がこちらに駆け寄ってきた。

「先輩、もう大丈夫なんですか」

疫病神二号。勝手にあだ名をつけた。勿論一号は有馬先輩だ。

「大丈夫」

「でも…」

白石はちらりと皇矢を見てぺこりと頭を下げた。

「俺、昼飯のパシリでもなんでもやりますけど」

「パシリはもう腐る程いるからいらない」

「じゃあなにかお詫びを…」

がっくりと項垂れる姿を見ると可哀想だなあと思う。責任感が強いせいで窮屈にしか生きれないのだ。
同情はするがもうこれ以上彼と関わりたくない。素直な瞳を向けられると自分がとても醜い生き物に思えて居心地が悪い。

「じゃあ、もう僕に関わらないで」

白石の肩をぽんと叩いて通り過ぎた。

「お前の女王様っぷり久しぶりに見た気がする」

皇矢に揶揄するように言われ、尻を蹴った。
痛い、ひどいと喚くのを無視し、一直線に学食へ行く。白石のことは振り返らないし、他人に気を揉む余裕はない。
確かに言い方は悪かった。一応心配してくれる人間に対してあまりにも冷たい。でもどんなに突き放しても追ってくるものだから、ならば徹底的にひどくしようと決めた。
注文を済ませ、トレイを持って空席を探す。

「お、有馬先輩はっけーん」

皇矢が窓際を指差したのでそちらに視線を向けた。
すでに食べ終えたようで、空の器を放り投げ、頬杖をついて窓の外を見ている。
舌打ちをし、そこから一番遠い席に座った。

「なに。また喧嘩してんの」

「うるさい」

「ふーん。不機嫌の原因はそれか」

説教も助言もいらない。もうそれ以上有馬先輩の話しはやめろという意味を込めて脛を蹴った。

「脛はやめろ、脛は…」

皇矢がくっと顔を歪ませたので、愉快愉快と笑いながら箸をとった。
忙しなく口を動かし、最後の唐揚げを放り込むと後ろから肩を叩かれた。振り返ると真っ直ぐな髪をさらりと揺らした真田がいた。

「なに」

「…もう大丈夫なのか」

「…あー、うん」

恐らく仁から色々聞いているのだろう。真田は背中を優しくぽんぽんと叩いた。

「これ、見舞い」

真田は小さなペットボトルに入ったお茶をテーブルに置いたので、いちご牛乳がいいと注文をつけた。
彼は一瞬目を丸くし、僅かに口角を上げて買い直してくると頷いた。

「…お前さ、普通あそこで我儘言う?黙ってありがとうって受け取れよ」

「今はお茶の気分じゃないし」

言うと、皇矢は大袈裟に溜め息を吐いた。これだから女王様は、と言いながらやれやれといった様子で首を振る。
だって、飲まない物を受け取ったって別の誰かにあげることになる。その方が失礼ではないか。
無理に飲む選択肢もあるが、渡した方だって善意の押し付けになるくらいなら本音を言ってくれた方が楽だと思う。自分ならその方が嬉しい。
空気を読めとか、同調圧力とか、くだらないもので自分の首を絞めたくない。それが我慢ならないなら僕とつきあわなければいいのだし、無理をしてまで好かれたくない。
頬杖をついていた顔をはっと上げた。
無理をしてまで好かれたくない。それは嘘ではない。なのに有馬先輩相手だと自分は無理をしてしまう。本音に蓋をして、奥歯を噛み締めながら耐えて、自分がぼろぼろになっていく様をただ眺めている。
好きなだけなのに、どうして上手くいかないのだろう。恋愛はきらきら綺麗なだけじゃないらしい。美しさは水面から顔を出す氷山のようで、海の下には面倒で醜く、自分でも答えを出せない気持ちが隠れている。
小さく溜め息を吐くと、視界がいちご牛乳でいっぱいになった。

「ほら」

「…ありがと」

「お茶は柴田にやる」

真田はペットボトルを皇矢に投げて踵を返した。

「真田はなに考えてるかわかんねえけど悪い奴じゃねえよな」

「…うん」

真田が陰で散々に言われているのを知っている。
特に気にした様子もないし、自分もわざわざ訂正はしない。みんなにわかってほしいなんて思っていないだろう。ほんの一握り、自分の大切な人がわかっていればそれでいい。真田はそういう奴だし、仁もそんな性格を理解し、真田を尊重している。
どうして有馬先輩には仁のような包容力がないのかなあ。
また彼のことを考えてしまい、やめようと小さく首を振った。

帰りのHR後に携帯を確認するとおじさんからメールが届いていた。
怪我の状況を聞きたいから理事長室へ来るように、と。口の中でだるいと呟き、迎えに来た真琴は三上に押し付けて理事長室へ向かった。
おじさんが学園に来るのはいつぶりだろう。多忙でくたくたのくせに、少しでも時間ができると都心からこんな僻地までやってくるのだ。
重厚な扉をノックしながら開けた。

「失礼しまーす」

形式上の挨拶をし、応接ソファに座る。おじさんは老眼鏡を外し、元気そうだと微笑んだ。

「あれくらい怪我の内に入らないから大丈夫だって。皆大袈裟だなあ」

「和花子に様子を見るように言われてね」

和花子というのは僕の母で、おじさんにとっては妹だ。
そういえば母から何度か着信があったが眠っていたので出られず、昼間にかけるとさぼっているのかと叱られるので後にしようと思った挙句、忘れていた。

「あー…電話するのすっかり忘れてた」

「そうだろうなとは思ったよ。和花子も仁に様子聞いて一応は安心したみたいだけど、やっぱり離れていると心配なものなんだよ親は」

「階段から落ちたくらいで」

「頭打ったら大変なことになっていたかもしれないよ?これからは気を付けるように」

「はいはい」

「はいは一回」

「はーい」

生意気な態度だが、おじさんはわかればよろしいと頷いてからテーブルの上に箱を数個置いた。

「お菓子、皆で食べなさい」

「いいの」

「余ってしまって」

「…これは贔屓にならないの?」

上目遣いで見上げると、おじさんはしかめっ面をした。

「悩ましい質問だ…」

教育者として、全生徒を実の息子のように扱おうとしているし、仁も僕も過ぎた我儘は認められない。問題を起こせば退学にするし、赤点をとれば追試を受けるし、皆が言うほど理事長の肉親であることに利点はない。

「…じゃあこれは甘い物が好きな先生にあげよう」

ひょいと取り上げられ、慌てて引っ張り返した。

「今更それはない!友だちと分けるから!」

言うと、おじさんは動きを止め、そうかそうかと笑いながら頷いた。

「好物を分けたいと思える友だちができたんだね」

「…まあ」

数は多くないけれど、喜びや幸福を共有したい人はいる。真琴や蓮や有馬先輩。
有馬先輩は甘い物が好きだから、分けてあげたらきっと喜ぶ。
紙袋にしまいながら思って、なにナチュラルに彼を許しているのだと我に返る。
有馬先輩にはあげない。蓮と真琴と三人ですべて食べる。紙袋の持ち手をぎゅっと握って立ち上がった。

「帰っていい?」

「ああ。顔見て安心したから。たまには実家にも帰るんだよ。ハジメも会いたがってたし」

「ハジメには会いたいけど、母さんはなー…」

「そう言わないでやってよ。同じ親として心が痛む…」

胸の辺りを掴んだおじさんに笑い、じゃあねと手を振り部屋を出た。紙袋を覗き込み、二人の喜ぶ顔が早く見たいと思った。
職員室前に差し掛かったとき、そちらから有馬先輩が出てきて、ばったりと対峙した。立ち止まったはいいものの、心の準備をしていなかったので声が出ない。会ったら散々文句を言ってやろうと決めていたのに。
有馬先輩は数秒目を合わせたあと不自然に逸らし、無言のまま通り過ぎようとした。咄嗟に手を伸ばし、擦れ違う間際彼のブレザーのラベル部分を掴んだ。

「…なんか言うことないの」

素直に謝るならこちらも多少譲歩してやる。そのきっかけをこちらから用意するのはむかつくけれど。

「…ありません」

「は?ふざけてんの」

握ったラベルに力を込め、こちらに向き合わせるようにした。睥睨すると、彼は掴んでいた手を振り払うようにし、場所を変えようと言った。
適当な空き教室に入り、窓に背中を預けた彼の前に対峙した。
怒りのメーターがじりじりと上がっているのがわかる。言い訳や謝罪が聞けないならあのときのお返しとして一発殴る。

「…怪我は治りましたか」

「…まあ」

「そうですか」

そう言うと、有馬先輩はむっつりと口を引き結んだ。

「で?」

時間を無駄にしたくなく、急かして促した。さっさと謝れ。そうしたらこのイライラも、もやもやもすべて捨ててやる。

「で、とは」

「僕に言うこと、あるだろ」

「あなたこそあるんじゃないですか」

「はあ?」

眉間に皺寄せると呆れたような溜め息を吐かれた。余裕ぶってる態度がむかつく。

「真っ先に謝れば許してやろうと思ったのに!」

吐き捨てると有馬先輩がこちらに足早に近付いた。

「謝ってほしいのはこっちです!」

彼の怒鳴り声にぽかんと口を開けた。驚きすぎて思考が止まる。

「あなたは本当になにもわかってない…」

悔しそうに顰めた顔を見て、空いた口が更に大きくなる。いつもの能面はどこへ行ったのだろう。
有馬先輩は瞳を閉じ、脱力したように溜め息を吐いた。

「…あなたといると疲れます」

ぼそりと呟いた言葉に息が止まった。それってどういう意味。聞きたいのに喉が凍って言葉が出ない。
呆然としている間に彼は教室から去り、室内がオレンジから紺に変わるときまでその場を動けなかった。

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