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「一途だと思いません?」
「え?」
はっと顔を上げると、彼は僕の腕にはまった装飾品を撫でた。
「十年以上前から言ってることは同じ。僕とつきあって、僕と結婚して。かわいらしいでしょう」
「全然かわいくないけど」
ふんと顔を背けると、指の背で頬を撫でられる。
「今でも同じ気持ちです。あなたと結婚したいです」
「馬鹿言うな」
「本当に大馬鹿です。でもそう思うんです」
返す言葉が見つからない。
あと半年。
気持ちを整理し、別れを告げる。
なのに先輩はこうやって僕の脚を絡めとるようにする。
やめてくれ、もうこれ以上縛らないでくれと思うのに容赦しない。
一生忘れられない傷を作るつもりなのか、別れたあとも僕を縛るつもりなのか。
泣いたりしないし、縋ったりもしない。
そのために傾きすぎないよう過ごしてきたつもりだ。
だけど実際、そうできているとは思えない。
こんな子ども騙しな言葉一つでことりと心が揺れてしまう。
悔しい、むかつく、最悪。
膝の上に置いていた拳に力を込めると、先輩はぱたんとアルバムを閉じ、拳を上から包むようにした。
「先の話しをしましょう」
俯き、首を左右に振る。
そんな話し聞きたくない。
別れる準備なんてしたくない。
心配しなくても一人で決着くらいつける。
僕を誰だと思ってる。不遜で傲慢、我儘が過ぎる柳潤だ。
先輩と別れるくらい擦り傷程度と笑い飛ばしてやる。
だからもう少し時間がほしい。今はまだそんな風には思えない。
「潤」
「聞きたくない」
「いいえ。聞いてもらわないと困ります」
「心配しなくてもちゃんとできる!別れたくないなんて絶対言わない!」
「そうじゃありません。落ち着いて、とりあえず私の話しを聞いてください」
お願いしますとすりっと手の甲を撫でられる。
嫌だ、嫌だと首を振り続け、落ち着くまで髪を撫で、背中を撫で、こめかみにキスをされた。
このまま駄々を捏ね続けたほうが余程子どもっぽい。
いつかは話さなければいけない。それがたまたま今日だっただけ。
だけど、今日一日とても楽しかったのに、そんな日にどん底に落とすなんて無慈悲にもほどがある。有馬先輩らしいといえばらしいけれど。
小さく呼吸を続け、覚悟を決めてわかったと頷いた。
「……卒業したら大学に行きます」
「で、でも、自由にできるのは高校までって…」
「はい。家は継がないとはっきり言ってきました」
「なんで…」
「私は有馬家と心中したくない。今のままでは家業に未来はない。やり方はいくらでもありますが、頭の固い年寄連中の顰蹙を買ってまでどうこうするつもりはありません。伝統とやらを守りたい連中だけで細々と続ければいいと思ってます」
「……でも、有馬先輩は一人息子で、お父さんも継がせたがってたじゃん。簡単に許すとは思えないし…」
「それが、一人息子じゃなかったんですよ」
「はい?」
「母とは別の女性に息子を生ませてたんです」
さらりと言ってのけられた事実に呼吸も忘れた。
「上手に隠しているつもりだったのでしょうが、詰めが甘いというか。すべて調べるのに時間はかかりましたが裏も取れたのでそれを盾にしました。母にばらしてやる。なんならマスコミに売っても構わないと」
それが実の親にすることかと呆れ半分、有馬先輩ならやりかねないと納得半分。
「姉の誰かが婿をとってもいいですし、血筋にこだわるならその子に継がせてもいいと思います。将来廃れたとしてもある程度の財産は残るでしょうし」
頭が痛くなり額に手を添えた。
「大学の学費を出すことを約束させました。生活費は自分で稼ぐ必要がありますが、無事に大学を出たら絶縁に近い形になると思います」
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんな簡単に決めていいことなの?」
「ずっと前から思ってました。どうやって諦めさせようかと。父の弱味を握るのにこんなに時間がかかってしまった。でもまあ、高校在学中にすんでよかったです」
さっき母に向かってそんな風に言うものじゃないと窘めた口から出た言葉とは思えない。
親の弱味を握ろうとする息子なんて怖すぎる。
寝首をかくとはこのことだ。
「父は中途半端に関わるのを許さないでしょうし、継ぐか、縁を切るかの二択しかありません。そうなったら縁を切るしかないです。家族の絆なんてありませんし、まったく問題ありません」
「でも帰る家がないっていうのは色々不安だと思う……」
「そうですか?元々ないようなものですし、清々します。それに、あなたと一緒にいられます」
顔を斜めにするように覗き込まれ言葉を呑み込んだ。
「い、家のことがなくたって、男同士なんて……」
「そう思います?」
「…まあ」
「そうですか。でもまあ、あなたの気持ちは関係ないので構いません」
「は!?一番関係あるじゃん!」
「ありません。私は離さないと決めたら離さないんです。あなたが誰かに心変わりしても、嫌だと言っても」
「うわあ……」
ドン引きだよ。
先輩は僕に我儘だの、高飛車だのと言うけれど、彼に比べればかわいい部類だ。
相手の気持ちを一切考慮せず、だって自分がほしいからと単純な理由で縛るなんて。
「相手の幸せを想って身を引くとかできないタイプだ……」
「そんな無駄なことしません。私と一緒にいるのが幸せだと思わせればいいんです」
「その割には大事にしないね」
「してますよ」
「へえ……」
冷めた目で睨むと、なにか?と首を捻られた。
こいつ、本当になにもわかってない。
なのにそんな彼から離れられない自分は常識や理性をどこかへ置いてきてしまったのだろう。
有馬先輩といるとストレスが溜まる。
悔しい、悔しいと奥歯を噛み締めてばかりで、余裕綽々に笑う顔をぐちゃぐちゃにしてやりたいと何度も思った。
その分夢中ともいえるわけで、負けを認めたほうが楽になれる。なのに無駄にプライドが高いせいで白旗を振れない。
小さく溜め息を吐き、彼の肩に凭れるようにした。
まあ、いいか。
今日くらいは負けてやろう。
「…珍しく最高に気分がいい」
「それはよかったです」
抱き寄せるように肩に回された手が温かい。
未来はないし、別れは決まってるし、有馬先輩はこんな調子だし。
さんざん思ってきた。
その中の一つ、決められた別れの時期は乗り越えた。
苦労や努力をしたのは先輩一人で、自分はなんのサポートもしなかったけれど。
だから寝る間を惜しんでこそこそやっていたんだ。
執念深さが恐ろしいが、彼は有言実行でやるといったら必ずやる。目的が達成されるまでとことん追い詰める。
それが良い方向なら褒められるだろうが、たいていよくない姦計ばかりなので嫌な顔をされる。
でも、まあ、そういう部分も含めて彼なのだ。
「……少しくらいなら手出してもいいよ」
「家ではやめろと言ったのは誰でしたっけ」
「がんばった先輩にご褒美だよ」
「じゃあ、キスだけ」
ゆっくりと顔を近付けた瞬間、ノックの音がし慌てて立ち上がった。
「潤ー、アイス持ってきたわよー」
「あー、もう!」
にこにこと扉の外にいた母を睨み、お盆をひったくった。
「アルバム見た?」
「なんで見せるんだよ!」
「そりゃあ、小さい頃のあんた国宝級にかわいかったから」
「今でもかわいいだろ!」
「今はだめよ。すっかり男になっちゃって」
「そうですか!もう部屋来ないでください!」
「なによ。母さんもまぜてよ」
ばん、と思い切り扉を閉めた。
甘ったるい空気が霧散し、有馬先輩はけたけた笑った。
有馬先輩が声を出して笑うのを初めて見た。ついじっと見つめ、自分も小さく笑った。
まあいいさ。
時間はまだたくさんある。
手をつないだり、キスをしたり、抱きしめ合ったり。
そういう時間はお互いの努力次第でこれからも続くのだ。
あと半年、あと半年と呪いのように唱えてきた。
その呪いは解かれ、これからも一緒にいようと形のない約束が交わせる。
絵空事で構わない。
実現なんてしなくていい。
ただそう言えることが嬉しい。
真夏で最高気温は更新されてベッドは狭苦しいけど今日は一緒に眠ろう。
どういうわけだか、こんなに近くにいるのに離れ難いのだ。
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