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陽が傾いた頃、要望に応え近所を歩いた。
折角なので氷室家でも見てく?と家の前に連れて行くと、これはまた、と有馬先輩が感心したように呟く。

「多分仁いると思うけどチャイム鳴らす?」

「結構です。休みまで顔見たくありません」

「相変わらず仲いいのか悪いのかわかんないね」

「良くも悪くもありません」

木内に見つかる前に退散しましょうと腕を引かれ、公園に寄り、目的もなくぶらぶらと歩く。

「これ楽しい?」

「とても楽しいです。潤はこういう場所で育ったんだなあと思えて。小さい頃のあなたはとてもかわいかった」

「なんで知ってんの」

僅かに口角を上げた横顔を眺め、ろくでもない方法で写真を入手したに違いないと決めつけた。今更驚きもしないけど。
近所を一周し家に戻ると丁度夕飯の準備が整っていた。
母が購入したデパ地下惣菜が所狭しと並び、今日は誰かの誕生日かと呆れた。

「好きだけ食べてねー」

「はい。いただきます」

完璧な箸使いと所作で有馬先輩は美味しいですと笑顔を見せた。
嘘臭い顔にぞわりと鳥肌が立つ。

「美味しいのは当然。惣菜なんだから」

「潤、余計なこと言わない」

「僕はおふくろの味といえばデパ地下惣菜。昔から料理できないんだよ母さんは」

「人には向き不向きがあるのよ」

「なんだったら向いてんの?家事全般苦手じゃん」

「お手伝いもしない潤に言われたくありません!」

「僕は寮で洗濯したり掃除したりするもんね!」

「ママだってそれくらいするわよ」

すすす、と目線を逸らしたところを見ると絶対父さんに押し付けてる。
共働きだし、家事を分担するのは当然として、我が家は比率がおかしいと思う。
八割父さん、二割母さん。そんな感じだろう。

「有馬君の前で喧嘩はやめようね。ご飯は楽しく食べよう」

「そうだそうだ!」

「潤ー!」

賑やかな食卓に、有馬先輩はぽかんとしながらも楽しそうに笑った。
こんな笑顔久しぶりに見た。
食後のあとのデザートとケーキを出され、お風呂上りにはアイスもあると母は胸を張った。
いくら代謝がいいとはいえ、高カロリーすぎるだろ。
はりきりすぎて恥ずかしいが、甘党の有馬先輩は美味しい美味しいと嬉しそうに食べた。
お風呂はお客様が一番と母に背中を押され、落ち着く暇もなく有馬先輩が風呂に送られる。
ゲームをしながら適当に時間を潰すと、父と母に両脇を固められた。

「有馬君ってとても礼儀正しいわね」

「所作が綺麗で品がある」

「頭もよさそう」

「あれか、仁と仲がいいとかか?」

質問を矢継ぎ早に浴びせられ、こめかみがぴくぴくと反応する。

「もしかして潤の勉強もみてくれてる?」

「だから成績あがったのかー」

「成績上がったのは僕の努力!確かに教えてもらったけど、僕の力!」

「先生がよかったのね」

「潤に勉強教えるなんて根気が必要だろうな」

おい。
どんなに先生がよくても生徒にやる気がなければ意味はない。だから成績が上がったのは僕の手柄だ。
それに、先輩は決していい先生じゃない。
彼の授業はスパルタで、椅子に縛り付けた挙句人参を目の前に垂らしながら鞭を振るう。
散々厳しい言葉を投げられ勉強しすぎで判断能力が低下した頃、飴として甘い言葉を掛けられなんて優しいんだと錯覚させる。
あとで思い返すとまったく優しくないんだけど。
ストックホルム症候群に近いものがある。彼はそうやって精神的に追い詰めるのが大の得意だ。
だからみんなに関わりたくないと言われるのに、本人に気にした様子はない。

「お風呂ありがとうございました」

リビングに顔を出した先輩を見て逃げるようにそちらに向かった。

「じゃあ僕もお風呂入ってきます!先輩は部屋へどうぞ」

「アイスはー?」

「あとで!」

部屋に戻り、適当に寛いでてと言葉を残しゆっくり湯船に浸かった。
精神的にどっと疲れた。
まさか両親があそこまで先輩に興味を持つとは思わなかった。
普通の友人なら別に構わない。蓮とか、真琴とか。
でも有馬先輩は普通の友人じゃないし、あれこれ詮索されたくない。
嘘をつく羽目になるし、少しだけ後ろめたさも感じる。
その後ろめたさも今だけかもと思うと寂しくなる。
ずっとこの関係が続くわけじゃない。最初からわかってた。
つきあう前先輩にそう言われたし、男女であっても高校からのおつきあいが一生続く人は一握り。
自分たちの場合、最終地点が最初から明確だった。
高校を卒業するまで。残り約半年。
あと半年で気持ちを整理し、後腐れなくさようならを告げなければいけない。
半年は充分すぎる時間なのか、まったく足りないのかよくわからない。
少なくとも今の自分には足りなすぎる。
僕を縛るように腕にはまった彼からのプレゼントを眺め、長い溜め息を吐いた。
風呂から上がり部屋に戻ると、先輩は膝の上に置いたアルバムをめくっていた。

「は!?なに見てんの!?」

「お母さまが置いていきましたよ」

「なんで!?」

「お布団敷くついでに。暇でしょ、かわいいから見てって」

「あのばばあ、余計なことを……」

「こら、そんな風に言うもんじゃありませんよ」

無理に引っ手繰ろうとしたがひょいとかわされ、暫く攻防を繰り返した。
諦めたのは僕で、もう好きにしてと投げやりな気持ちで隣に着いた。
テーブルの上に乗っているものを合わせると計五冊。
よくもまあ、こんなに写真を撮ったものだ。

「ご両親はかわいくてしょうがなかったんでしょうね。まあ、わからなくはないです」

幼稚園の制服を着た僕を見ながら、有馬先輩は写真を指先で撫でるようにした。

「あの両親からこの顔が生まれるって奇跡だよね」

「そうですか?」

「お世辞にも美男美女とは言えないし。掛け合わせが完璧だったんだな」

「その容姿に生んでくださったご両親に感謝しないと」

「別にいいことだけじゃなかったし。顔がよくても飯は食えないし」

「我儘で傲慢な振る舞いが許されるのはその顔あってこそですよ」

「はいはい、感謝します」

アルバムの中の記憶はほぼない。
泣いたり、笑ったり、幼稚園のお遊戯会や運動会、遊園地に行ったり、動物園に行ったり。
記憶はないが懐かしさがこみ上げ、先輩と一緒になって写真を眺めた。
そのうち、お習字教室や水泳教室、ピアノだ、サッカーだ、入っては辞めを繰り返した習い事の歴史を並べたゾーンに入った。

「随分多趣味だったんですね」

「母さんが入れただけ。面白くないからすぐ辞めた、し……」

一枚の写真を目にした瞬間、隣の有馬先輩と写真を見比べた。
着物を着て僕と並んでいる幼い子ども。有馬先輩に面影がある。
いやいや、まさか。だけど……。
有馬先輩は小さく笑い、懐かしいですねと呟いた。

「……これ、有馬先輩?」

「はい」

「え、え、なんで…」

「あなた自分で言ってたじゃないですか。茶道を習ったことがあると」

そうだ、確かに習った記憶はある。
だけどそれは習ったという事実だけを記憶していて、具体的にどこでとか、先生とか、そういったものはすっぽり抜けていた。

「……先輩はこの頃の記憶ある?」

「勿論です」

「じゃ、じゃあ最初から僕のことも…」

「わかってましたよ」

「なんで、言ってくれなかったの」

「言ったところでなにか変わるわけでもないでしょう」

「そうだけど……」

沈殿していた記憶の底をかき混ぜるように、朧気だった思い出が気泡のようにふつふつとわき上がった。
楽しくもなんともない習い事で、堅苦しいのがとても苦痛で、だけど稽古の前後歳の近い男の子と少しだけ遊べるのが嬉しくて。
庭の池の鯉に餌を投げたり、たまに敷地に入ってくる野良猫に引っかかれたり、こっそり持参した洋菓子を渡したり。
両親の仕事の都合で送迎が困難になり、いつか辞めてしまったけれど。
潤君と呼ぶ今よりずいぶん高い声が耳の奥で響いた。
ああ、そうだ。僕は彼を玲二君と呼んでいた。
どうして今まで忘れていたのだろう。

「思い出しました?」

「……少しだけ」

「シロツメクサは?」

「シロツメクサ……」

「前に言っていたでしょう。シロツメクサを指に巻いて、僕と結婚しようって言った男の子がいたって」

「あれ有馬先輩?」

「そうです」

ちょっと待ってと手で制した。
頭が混乱する。
言われた言葉は覚えていても、どんな子に、どんな場所で言われたかまでは思い出せない。

「私の家の庭で、稽古のあと言ったんです。女の子と間違えたんだろうとあなたは言いましたけど、間違えてなんかいません。実家に連れていけばなにか思い出すかと期待しましたが、見事に思い出しませんでしたね」

「それは……ごめん…?」

「いいんです。思い出さなくたって。なにも変わるわけじゃありませんから」

少し寂しそうに笑う顔に、それって僕たちの関係が終わるのが変わらないってこと?と喉まで出かかった。
変えようと努力してほしいなんて、そんな我儘言えるわけがない。
こんな未来がない関係、続けるべきじゃないんだ。
いずれどこかで終わるなら早いほうがいいだろうし、彼の経歴に汚点を残す真似はしたくない。
ぎりぎりの場所で踏ん張って、残ったプライドでそう思う。

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