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約束の日曜日、母は午前中からよく働いた。
掃除機をかけ、拭き掃除をし、父とデパートに買い物へ行った。
一時よく見せようとメッキ処理をしてもすぐボロがでるのに。
無駄な努力と呆れながら駅へ向かう。
ここら辺は坂道が多いので少し歩くだけで汗だくだ。
駅から近いとはいえない家は不便極まりないが、相続された土地なので文句はいえない。
誰かに売って駅ちかのマンションを買えばよかったのにと思うが、氷室家の離婚騒動やうちの共働きを考慮し、近所同士でいたほうが安心と判断したらしい。
時間を確認し、復元駅舎の陰で息をついた。
電車はすべて地下なので、復元駅舎はなんの機能もしていない。
なぜわざわざ復元した?といつも疑問だ。
首から下げたタオルで汗を拭うとぽんと肩を叩かれた。
真夏だというのに青白い、涼しい顔をした有馬先輩が立っており、にこりともせず久しぶりですねと言った。

「……久しぶり」

それが数週間ぶりに会う恋人に対する態度か!
文句が喉までせり上がったが、折角会えたのに喧嘩するのも馬鹿らしい。
有馬先輩はあたりをきょろきょろ見やり、興味深そうに顎に手を添えた。

「ここ来るの初めて?」

「いえ、昔何度か親と一緒に……といっても幼稚園の頃なので初めてみたいなものですね」

「なーにもないけど」

「きちんと整備されて緑も多くて住むにはいい環境じゃないですか」

「駅に近ければな」

またあの距離を歩くのかと思うとうんざりする。
送迎しようか?と言った父の言葉を蹴ったのを後悔した。
だって久しぶりに顔を合わせてテンションが上がった姿なんて親に見られたくない。
なにを口走るかわからなかったし、大失態をし関係がバレたらと思うと怖かった。

「タクシー捕まえようかな…」

「折角だし歩きましょう。観光したいです」

「観光するような場所ないって」

「歩いているだけで楽しいですよ」

「クソ暑いのに?」

「あなた、休みに入ってずっと家の中でゲームばかりしているんでしょう。少しは運動しなさい」

「……有馬先輩に運動しろとか言われる日が来るとは…」

ぶうぶう文句を言いながら、途中コーヒーショップで冷たいカフェラテをテイクアウトし、再びじりじり痛い太陽を背に歩いた。

「あー、辛い。坂道辛い」

「高級住宅街というものは大抵高台にありますからね」

「うちは普通の庶民なのにこんな場所に住んでさー…分不相応にもほどがある……あー……」

「氷室家の近くに住みたかったとかですか?」

「そうそう。うちも仁のところも親が忙しくて子どもだけになること多かったから、お手伝いさんがいる氷室家に預けられるように」

「なるほど」

綺麗に舗装された道をゆっくり歩き、意味もない呻きを漏らす。

「あなた、首にタオルなんて巻いて、おじさんじゃないんですから」

「おじさんで結構。なんで家の近所歩くのに気取らなきゃならん」

「まあ、そうですよね。あなたにとっては部屋着で出歩ける場所ですもんね」

「有馬先輩は近所でも着替えそうだね」

「勿論です」

うげ、と顔を顰める。
これが家柄の差か。
自分が有馬家に生まれていたら息苦しくて窒息しそう。
物心つく頃からそういう環境にいればそれが普通なのだろうか。
へろへろ肩を落としながら歩き、漸く自宅に着いた。

「ここです。どうぞ…」

口の中が乾燥しきって声も張れない。
家の前のガレージに車が止まっていたので、両親は帰宅しているらしい。

「ただいまー」

ぼそぼそ言うと、すぐさま両親揃って駆けてきた。
その満面の笑みをやめてくれ。

「いらっしゃーい」

有馬先輩はしっかりと腰を折り、お手本のような挨拶のあと手土産を差し出した。

「あらあ、気を遣ってくれてありがとう」

にこにこ、にこにこ、念願の子犬が来た勢いで両親は有馬先輩をもてなした。
リビングのソファに誘導され、なぜ、と思う。
普通部屋に引っ込む場面では。
母が暑かったでしょうと言いながら麦茶を置いた。有馬先輩にパックで五百円のお茶を出すとは勇気がある。
素性を知らないからできることで、あとで告げたらもっと早く言いなさいよと怒られるのだろう。
とりあえず麦茶を一気に飲み、さっさと退散する算段を整えた。

「有馬君はお住まいは東京?」

「はい」

「そっかー」

二人揃って前のめりでぐいぐいいくのをやめてくれ。恥ずかしい。

「潤がお友達連れてきたの初めてなの」

「初めて?」

「そう。初めて。潤は友達いるって言ってたけど、本当はいないんじゃないかって心配してたくらい」

ちらっと横目で見られ、恥ずかしさで穴を掘って埋まりたくなる。
こんなことになるなら連れてこなきゃよかった。

「有馬君も二年生?」

「いえ、私は三年で……」

「先輩なの?あらー」

なにがあらー、なのか説明してくれ。
もう嫌だ。透明のガラス越しに観察される動物になった気分だ。

「も、もう部屋行く!」

すくっと立ち上がり、無理に有馬先輩の腕を引いた。

「恥ずかしがってるわよ潤が」

「そりゃあ、目の前で友達連れてきたの初めてなんて言うから」

こそこそ言う声が聞こえ、ますます居た堪れなくなり大袈裟に扉を閉めた。

「楽しいご両親ですね」

部屋に入るなり言われ、勘弁してくれと頭を抱えた。

「いつもはもう少しまし…」

「いいじゃないですか。明るく、温かい感じで。うちにはない空気で楽しいです」

ああ、そうだった。
有馬先輩の家はとても静かで、ひんやりとしている。
ぴんと張ったような空気や、重い圧はお世辞にも楽しいとは形容できない。
うちは一般的な家だけど、先輩にとっては物珍しく、楽しいと思える非現実なものなのだ。
ならまあ、自分の恥じくらい捨ててもいい。
小さなソファに着いた先輩は、物珍しそうに部屋を見渡した。

「意外と綺麗ですね」

「母さんに掃除しろって怒られたから」

「そんな気を遣わなくていいのに」

「なんせ友達来たの初めてだから。初めて」

「友達でしたっけ…?」

指先で顎をすくわれ、久しぶりの接触になんの反応も返せずにいるとくすりと笑われた。
むかつく。
そうだ。有馬先輩はこういう人だった。
こちらの反応を見てくすり。
大童する様を見てにたり。
僕はいつだって彼の掌で踊り続けている。
もがけばもがくほど上手にできないので、無駄な抵抗はやめようと思うのに条件反射で抵抗したくなる。

「有馬くーん、お茶とお菓子持ってきたー」

部屋の外から母の声が響き、慌てて離れた。

「いいってそういうの!」

「あんたがよくでも有馬君はよくないかもしれないでしょ」

「また一袋五百円の麦茶……」

「なによ。麦茶は健康にいいのよ」

お盆をずいと渡され、うんざりしながらテーブルに置く。
母はひらっと有馬先輩に手を振り、もう羞恥が突き抜けそうで慌てて扉を閉めた。

「あの、美味しくなかったら飲まなくていいから」

「美味しいですよ」

「なわけないじゃん。フレンチのシェフにファストフード出してる気分」

「そんなことありません。お茶の味なんてなんでもいいと思ってますし」

「おっと、それは次期家元さん的に失言では?」

揶揄するように顔を覗き込むと、有馬先輩にしては珍しく苦笑した。
やってしまった。
家のことに突っ込むのはなしにしようと思っていたのに。
軽く撫でていい部分ではないのだ。
いつしか家に関することは自分たちの間のタブーになっていた。
有馬先輩は語りたがらないし、自分は聞くのが怖かった。
いつか来る別れを目の前に並べられたような気分になるから。

「こ、このお菓子、母さんのお気に入りなんだけど美味しいんだ」

並んだカヌレをつまみ、有馬先輩の口に無理矢理放り込んだ。
咀嚼し、確かにと頷く様子に安堵する。
機嫌が悪くならなくてよかった。

「夕方になって気温が少し下がったらまた散歩したいです」

「見るとこないって」

「大きな公園があるでしょう」

「えー、虫多いしやだ」

「文句言わない」

おもしろいものなんて一つもないのに。
面倒だなと思わないでもないが、折角来てくれたのだし自分が折れるべきだろう。
それに家にいるとまたいつ母が突撃するかわからない。


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