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赤点ぎりぎりの教科もあったが、どうにか補習を免れ夏休みに入った。
数日寮で過ごし、大きな旅行鞄に荷物を詰め込み実家へ帰省した。
有馬先輩から訪問の日程はこちらから連絡しますと言われたきり、もう数週間音沙汰がない。
こんなに僕を放っておいて、いいご身分だ。
少しは焦ったり不安になったりしないのだろうか。
自他ともに認める完璧な容姿は恋人にするにはマイナス要素になりうると思う。
逆の立場なら気が気じゃない。
毎日電話をして、今日はなにしてた、どこに?誰と?そんな風に確認しないと安心して眠れなくなりそう。
こういうところがよくないとわかっているし、有馬先輩に対しては詮索するような言葉は控えるようにしている。彼が面倒くさいという顔をするから。
我慢したり、気を遣ったり、相手に合わせて妥協したり。
今まで縁のなかった感情をかき集めないと彼と一緒にいられない。
そうまでして一緒にいたいのか?と顧みたりもするけれど、答えがでないまま、置いてけぼりでつきあいが続いている。
大きく欠伸をしながらリビングのソファに転がった。
スマホゲームをし、テレビから聞こえる最高気温更新の言葉に眉をしかめた。
「潤、あんたちゃんと勉強してんの?」
「してるしてる」
「赤点ぎりぎりの教科もあったでしょ」
「ぎりぎりだけど赤点じゃないし」
「そろそろ進路も考えないといけない時期でしょ」
「考えてる考えてる」
適当に返事をしているとスマホをひょいと取り上げられた。
「今いいとこ!」
「あまりぐーたらしてるとスマホ没収しますからね」
「恐怖政治だ!」
「教育よ!」
母と向かい合っていがみ合うと、父がまあまあと間に入った。
「休みくらい羽根を伸ばしても……」
「潤の場合はいつも伸ばしてるの!」
「そんなことない!学校ではちゃんとしてる!テストの点数だって前よりよくなったじゃん!」
「前がひどかったのよ!漸く人並みの点数とれるようになったくらいで大口叩かない」
「そ、それでも頑張った!」
「そうだよママ。努力はきちんと認めてあげないと潤がかわいそうだ。頭ごなしに怒られたら折角のやる気もしぼんでしまうだろ」
「そうだそうだ!」
「うちの男どもはー!」
スマホをぽいと放り投げ、大股でキッチンに消えた母の背中に向かってべっと舌を出した。
「口煩いから家に帰りたくなくなるのに」
ぼそりと言うと、父がぽんと頭を撫でた。
「なるべく潤に苦労してほしくないんだよ。あとで勉強してればよかったって後悔することも多いからね。入った大学で生涯年収が変わるのも事実だし」
「いいよ。おじさんの会社に入るから」
「なにかなりたい職業はないの?」
「サラリーマン」
「サラリーマンも結構辛いぞ。パパは頭下げすぎて首が痛いよ」
くすりと笑うと他にやりたいことが見つかったらこっそり教えてくれと言われた。
「ママが反対してもパパは応援するよ」
「なんでも?本当になんでも応援する?」
「潤が心からやりたいのなら」
「ホストとか、ストリッパーでも応援する?」
「するよ」
簡単に言ってのけられこちらが虚を突かれた。
「他人様のご迷惑にならない仕事ならなんでも。プライドをもってきちんと務めるならパパは応援するよ」
これが親心というものだろうか。少し違う気がする。
俯くようにすると、気長に考えなさいと言われた。
自分は人生勝ち組で、努力や苦労をしなくとも氷室家に寄生して生きていく。ずっとそう思ってた。
無駄に競争して負けたら悔しいし、人生に意味なんてなくていい。
普通に働いて、そこそこ給料をもらって、なんとなく終わるくらいでちょうどいい。
ほとんどの人はそういう人生を"普通"と言って良しとする。
自分は秀でた部分が容姿しかない。それは歳をとるごとに劣化し、武器にならなくなる。かといって、それを生かそうとも思わない。
母はなにかに興味を持ってほしいと、たくさんの習い事をさせた。
どれも好きにはなれず、一つ辞めるとじゃあ次これは?と提案され、やってみてやっぱり好きじゃないと放り投げる。
それを繰り返し、いつしか習い事には行かなくなった。
きっと、仕事には繋がらなくともこれだというものを見つけてほしかったのだと思う。
努力して、極めようという心意気が昔から自分にはなかった。
だけど夢や希望がなくともご飯を食べれば生きていける。僕はそれで充分なんだ。
「潤、携帯鳴ってるぞ」
「え、ああ……」
慌ててスマホを手にとり、急いで耳に寄せた。
「はい」
『私です』
「……ああ、はい」
驚きすぎて言葉がでなかった。
久しぶりに聞く透明な声と落ち着いた口調。嬉しい、嬉しいと心の端っこがそわそわする。
それが相手に伝わらぬよう、努めて冷静でいようとすると不機嫌な声になってしまう。
『夏バテしてませんか』
「してませんねえ」
『課題は終わりました?』
「まだ。説教はなしね。母さんにうるさく言われてるからもうたくさん」
『わかりました』
先輩が電話の向こうでくすりと笑った。
小馬鹿にしたような笑い方はむかつくのに、懐かしさで怒る気にもならない。
『潤の家に行ってみたいって言ったの、覚えてます?』
忘れるわけがない。まだかな、まだかなと毎日期待して随分待った。
なのに、つっけんどんにうん、と答えるのが精一杯。なんて可愛げのない。
『今週の日曜はどうでしょう』
「いいよ」
『ご家族のかたに聞かないうちに返事していいのですか?』
「別にいいよ」
『では、日曜日。多分午後になります』
「はいはい」
電話を切ったあと、冷蔵庫から缶ビールを取り出す母に向かってあのさ、と声を掛けた。
「なに!」
まだ怒っているらしい。
自分と母はよく似ていると言われるが、傍から見た自分はこんな風なのだろうか。だとしたら態度を改めないといけない。
「日曜日、友達が泊まりに来るけどいいよね」
母は缶ビールを持ったまま目を白黒させ、次にパパ―と騒いでリビングへ向かった。
なんだってんだ。
「潤のお友達が来るんですって!」
「おー、初めてじゃないか?」
「初めてよ!あなたちゃんとお友達いたのねえ…」
目元を拭う真似をされ、居心地が悪くなる。
まるで宝くじに当選したかのような喜びようだ。
「友達くらいいるし!みんな住んでるところばらばらだから家まで来れないだけだし!」
「でも東京に住んでるお友達も来ないじゃない」
「み、みんな忙しいんだよ!」
「ああ、部活とかあるものね」
友人たちで部活をしている者は一人もいないが、面倒なので頷いた。
「日曜日ね。お掃除とデパ地下のお惣菜買いに行かなきゃ」
またデパ地下の惣菜かよ。
かくんと肩が落ちそうになる。
下手な手料理を作られるよりはそのほうが安全だが、努力の方向性はおかしい。
「楽しみねー」
「楽しみだね」
夫婦でにこにこ、手を取り合ってぶんぶんと上下に振っている。
自分は両親にどう思われていたのだろう。
友達が来るだけでこの喜びよう。
いらぬ心配をさせていたのだろうか。
学校の話しを滅多にしないのもいけないのかもしれない。
どうせ言わなくてもおじさんから聞いてるでしょと思ったし、仁がいるのだから心配する材料もないだろうと思っていた。
親は遠くで暮らす息子に対し、必要以上に気を揉むらしい。
笑顔の両親に耐えられず、おやすみと言い自室に避難した。
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