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真琴と夕食を食べ、談話室で苺牛乳を飲みながら休憩していると、高杉先輩が談話室と廊下を隔てる透明の壁を折った指で叩いた。
談話室に足を踏み入れながら、久しぶりだなと高圧的な態度で言われる。
この人も有馬先輩に負けず劣らず雰囲気が硬い。
「ちょっと話しがあるんだが今いいか」
「構いませんけど」
「じゃあ僕は先に戻るね」
真琴がひらっと手を振り、高杉先輩と二人きりになってしまった。
楽しくお喋りなんて間柄ではないので身構えてしまう。
皇矢が惚気る高杉先輩像と実際の彼は大きく差があり、未だにクソ真面目な堅物という印象しかない。
高杉先輩は自分の分のコーヒーを買って隣に並んだ。
「その…有馬のことなんだが…」
「はあ」
言いにくそうに首裏に手を添え、言葉を探しているようだった。
「ここ最近様子がおかしい」
真琴と同じようなことを言うものだから、余程ひどい有り様なのだろうと思う。
「元気がないとか、落ち込んでるとかですか?」
「いや、その逆でちゃんとしてるんだ」
大真面目に言われ、思わず噴き出してしまった。
「いいことじゃないですか」
「僕も最初はそう思った。有馬が漸く心を入れ替えたのだと。だけど急に壊れた玩具みたいに笑い出したりするんだ」
「はい?」
「あれは相当ストレスがかかっているとみた」
「…そうですか」
「有馬があんな風になるなら、きっと君絡みだと思ったんだが…」
僕は無実ですと両手を挙げ、降参の姿勢をとった。
「残念ながら僕じゃないですよ。恐らく家庭の問題だと思います」
「そうか…それは難儀だな…」
顎に手を添えながら難しい顔をするので、高杉先輩も色々あるのだろうと勝手に察した。
「できれば君に癒してもらおうと思ったんだが…」
「いやあ、ストレス抱えた有馬先輩に近付きたくないんで」
「そう言わず頼む。君しかいないだろ」
「今のままの方が高杉先輩的には楽でいいじゃないですか」
「急に笑う有馬とか怖すぎてまったく集中できん。時限爆弾を抱えている気分だ」
爆弾扱いされる有馬先輩には同情するが、高杉先輩の言い分も理解できる。
だけど僕は癒し系ではないし、彼は気難しい性格なので勝手な真似をするなと怒られるかもしれない。
「ちょっと様子を見てくれるだけでいいんだが…」
頼むと頭を下げられるとこれ以上拒絶するのも可哀想になってくる。
一応自分たちは恋人同士なので、苦しんでいる時に手を貸すのは当然なのだろう。
僕たちに定説は当てはまらないけれど。
「…まあ、様子を見に行くくらいならいいですけど…」
「本当か。君がちょっと可愛いことを言うだけでましになると思うんだ」
「そういうのは僕には無理です」
きっぱり否定しながら立ち上がった。
善は急げというか、嫌なことはさっさと勢いで片付けた方がいい。
有馬先輩の部屋に入る前に、もう一度念を押されるように頼んだぞと高杉先輩に言われ、果たして僕はこの部屋から生きて帰れるのだろうかと不安になる。
ノックするために上げた腕を何度も下ろし、うろうろと躊躇していると反対側から扉が開いた。
視線が交じり、有馬先輩が切れ長の目を一瞬大きくした。
「…なにかご用ですか」
「いや、用ってほどでもないけど…。どこか行くとこだった?」
「ちょっとコンビニまで。甘い物がほしくて」
「…そっか。じゃあ僕も一緒に行くよ」
恐る恐る先輩の後ろをついて歩いたが、今のところいつも通りだ。
笑顔の類は一切ないし隙もない。
聞いてた話しと違うので、精神に異常をきたしたわけではないらしいと安堵した。
本日二度目のコンビニで片っ端からお菓子を放り込む様をぎょっと眺めた。
いくらなんでも買いすぎではないだろうか。
「…胃、もたれるよ?」
「数日分です」
それにしても多いだろう。
大丈夫かよと呆れたが、下手に口を挟むとますます機嫌が悪くなる。
これは確かに時限爆弾だ。キレませんようにと願いながら腕に抱えるのは精神が削られる。
高杉先輩が泣きつきたくなるわけだと納得しながらコンビニを出ると、アイスを渡された。
「…どうも」
袋から取り出し食べながら歩く。
寮の門をくぐるとちょっと時間いいかと聞かれ、頷くと東屋のベンチに誘導された。
「…溶けない?」
「アイスはこれしか買ってないので大丈夫です」
すらりとした脚を組み、ぼんやり前を向く横顔はいつも以上に顔色が悪い。
「…あの」
「高杉になにか言われましたか」
「え、あ、まあ…」
何も言うなと制された気がして言葉を呑み込んだ。
有馬先輩はくっくと笑い、高杉先輩が本気で怯えた顔をしていたと話した。
「…あまり高杉先輩に心配かけたらだめだよ。胃潰瘍になるかも」
「わかってますよ」
なにがあったの。
聞きたいような、知らぬふりを続けたいような。
有馬先輩との先は考えないようにしている。
卒業したら簡単に会えないし、こんなつきあいも彼の両親が許すはずがない。
特殊な家柄だし、自分では計り知れない事情があるのだと思う。
そういう、込み入った話しを有馬先輩は一切しない。
自分たちが置かれている立場と、この先の問題を提示してくれたら、安心したり一緒に不安になったりできるのに。
不透明な未来というのは怖ろしい。
「…もうすぐ夏休みですね」
「ですね」
「海でも行きます?」
「有馬先輩と夏の海とか浮きすぎて作り物感半端ないね。どちらかというと冬の日本海の方が似合うよ」
「では冬になったら北陸でも行きますか?美味しい蟹が食べられます」
目を細める様子に不安がせり上がる。
生き急いでいるような、贖罪をするような、最後にいい思い出を作ろうと言っているような。
「……どうしたの。普通の彼氏みたいなこと言って。先輩らしくない」
「大事にしろと散々言うくせに」
「そうだけど…」
怖い。
僕たちはもしかしてカウントダウンを始めたのだろうか。
開始の合図も知らせてくれないので不安を掻き集めそうになる。
幸福や楽しいを集めたらこの関係が終わる気がして、首を横に振った。
「…行きたくありません?」
「い、いつかは行きたい」
俯きがちに言うと有馬先輩が苦笑したのが空気で伝わった。
いつかは僕たちの間には存在しないのだろうか。
だとしても、口先だけでもそうですねと嘘をついてくれたらいいのに。
そうしたら少しだけ不安も軽くなるというものだ。なのに彼は不誠実な未来の約束はしない。
欲しいのは約束そのものではない。それくらい強い気持ちだと確認したくなるだけだ。
女々しさに呆れ、馬鹿馬鹿しいと恐怖を隅っこに追いやった。
「じゃあ、潤の家に行ってみたいです。あなたが生まれ育った場所を見てみたいと思って」
「…なんの面白みもない普通の家だけど」
「それでも行ってみたいです」
「…まあ、いいけど」
「そのためにも補習が必要なふざけた点数はとらないように」
「はいはい」
立ち上がった先輩に倣い自分も立ち上がると、腰を抱かれ一瞬触れるだけのキスをされた。
「外では禁止じゃなかった?」
「そんな約束しましたっけ?」
「僕は構わないけど先輩は困るだろ?」
「困りませんよ。隠さなければいけないような恥じではありませんから」
「あっそ。でも家ではそういうのやめろよ。両親が気絶する」
「わかってますよ」
くすりと笑った顔は幾分明るかった。
目の下のくまを親指でさすり苦笑する。
「何やってんのか知らないけど、あんまり無理しないで。ストレス溜めすぎるとEDとかになるかも」
「それは困ります」
「僕も困るからほどほどに」
頬にキスをし彼から離れた。
高杉先輩ごめんなさい。僕にはこれが精一杯。
赤の他人には思い切りぶりっこして、望む言葉も台本のようにつらつら言えるのに、有馬先輩にはそれができない。
彼の前にいると虚勢と本音を織り交ぜた憎まれ口や可愛げない態度ばかり。
こんな時真琴ならどうするのだろう。素直で明るく、癒し系の彼なら。
真似てみても意味はないが、彼が弱っているときくらい、素直な自分でいたかった。
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