Episode 3:僕を地獄に堕として




週末は実家に戻るので部屋にいませんから。
そう有馬先輩に言われたので部屋で大人しく休日を過ごしていた。
家に戻るなんて珍しいな。何かと理由をつけて帰りたがらないのに。
椅子に座りながら意味もなく回転しながら考える。
目前に迫った考査の勉強をしなければと座ったはいいもののまったくやる気にならない。
見張りがいないと勉強一つできやしない自分の意志の弱さを再確認する。
だって自分は産まれながらに勝ちが決まっているようなもので。
適当に大学へ行き、就活でみんなが満身創痍になっているのを横目に氷室グループの縁者という大きな武器を振りかざす。
面接や試験など受けずとも顔パスで席は確保されているだろう。
おじさんやハジメとそういう話しをしたわけではないが、彼らは自分に滅法甘いのでお願いと強請ればどうとでもなると思っている。
問題は母だ。
そういう甘い考えを見透かし、今からがみがみ説教ばかり。
持てる武器を利用して何が悪い。容姿も、家柄も、すべて放り投げてしなくていい苦労をして得られるものはそんなに大きいのだろうか。
むしろこの容姿のせいで普通の人なら経験しないであろう苦労を味わった。
幼稚園から小学校は女みたいだといじめられたし、変なおっさんに目をつけられたこともある。
誘拐未遂に拉致監禁、果ては有馬先輩なんかに好意を寄せられ…。
考えると十分苦労したような気になる。
ちっとも進まない勉強は放り投げ、ベッドの上に寝転がるとスマホが震えた。
帰ってきた、今すぐ来いという内容を読み、偉そうにと悪態をつく。
会いたければそっちから来れば、と簡素な返事をし、スマホを放り投げた。
意地の張り合いをしてもなにも生み出さないとわかっているが、これはもう癖であり性格なのでしょうがない。
大の字になったまま天井をぼんやり見上げていると、ノックと共に扉が開いた。
顔を出した有馬先輩はちらっと机に目をやり、呆れたように溜め息を吐いた。
部屋に来るなり嫌味ったらしい顔をするなんてそれでも恋人か。

「おかえり」

「ただいま。勉強、進んでませんね」

「有馬先輩と一緒の方がはかどると思って」

ぶりっこしてみたが効果はなく、鋭い視線を寄越される。

「まあ、いいです。後でみっちり教えます」

こんなことなら自力で頑張るべきだった。後悔先に立たず。
彼がベッド端に腰を下ろしたので隣に並び、俯き加減の顔を覗き込んだ。

「どうしたの?」

「別に、どうもしません」

「嫌なことでもあった?」

「まあ…」

それ以上話そうとしないので、あまり踏み込まない方がいいかと自分も口を噤んだ。
有馬先輩は何かを言いかけ、言葉を呑み込むときつく身体を抱き締めた。

「なに、急に」

「なんでもありません」

なんでもないってわけにはいかないだろう。
よくわからないが、なんだか弱っているようなので好きにさせ、彼の真っ直ぐな髪を梳いてやった。

「よしよし」

「…潤に慰められる日が来ようとは…」

「喧嘩売ってんのか」

「いえ。もう少しこのまま…」

肋骨が折れるほどきつく抱き締めるものだから、押し出されたような声が漏れた。

「さすがに苦しい…」

咎めると有馬先輩はおずおずと身体を離し、頬に手を添えた。
至近距離で見詰め合い、だけどそれだけでキスをするでもない。
気恥ずかしくなり顔を背けると、力ずくで元に戻される。本当になんだってんだ。

「…していいですか」

「キス?どうぞ?」

「そうじゃなくて」

「…ああ、明日学校だから手加減するなら」

「手加減します」

「って言ってしたことないよね」

「じゃあ拒んでください」

口ではそう言うくせに、彼の瞳は拒まないでと訴えている。
余程辛いことでもあったらしい。
様子がおかしいとは思うが、無理に聞き出そうとすると貝のように口を閉ざすので、こうなったら好きにさせるしかない。
セックスを気晴らしの道具にするななんて言わない。
高尚な理由なんていらない。
触れ合うことで修復される傷だってあるだろう。
しょうがないなと諦めたように呟き彼の首に腕を回した。


起きたときには有馬先輩の姿はなかった。
代わりにベッド脇に水のペットボトルとお菓子の類が置いてある。
時計を見ると二十四時を回っていて、ぐったりしながらベッドに突っ伏して息を吐く。
手加減しろって言っただろという文句を心の中で呟いてのっそりと身体を起こす。
シャワーを浴び、体力を少しでも戻すためお菓子を摘む。
明日にはいつもの不遜で傲慢な有馬先輩に戻っているといいけれど。
そうでなければここまで身体を張った意味がない。
ついさっき起きたばかりなのに、身体は思った以上に疲れていたのか、そのまま気絶するように眠った。


有馬先輩はマメに連絡する人じゃない。
付き合った頃からそうだった。何度もやきもきして、この僕を恋人にできているのにその態度はなんなんだと苛々した。
僕が追い駆けてばかりで全然進歩しない。
机に頬をつけながら今日も連絡なしですかとスマホを眺める。

「潤ー」

真琴に顔を覗き込まれ上体を起こした。

「一緒に帰ろう」

「ああ、うん」

「コンビニ寄っていい?」

「いいよ」

代謝が一番活発な時期なので食べても食べても腹が減るものだから、大量のお菓子や菓子パンを定期的に買い込むのはどの生徒も同じだ。
このコンビニは商売相手がほぼ東城の生徒しかいないだろうが結構な儲けがあるだろう。
ビニール袋いっぱいになったそれを振り回しながら真琴の部屋に向かった。

「…蓮は?」

「お勉強会」

「ああ、真田たちに?」

「そう。まったく手がかかるったらないよ!って怒ってた」

「こわー。蓮見てると自分の母親思い出す」

「潤のお母さんもあんな感じ?うちの母親はぼんやりしてる」

「真琴はお母さん似か…」

「僕はそこまでぼんやりしてないよ!」

力一杯否定するが、全体的にぼんやり、ぽやぽやしている。
意地悪されても、あ、今の意地悪なんだー、とへらへら笑いそうで。
ある意味幸せな性格をしていると思うし、だからこそ自分なんかと仲良くできるのだろうとも思う。
テーブルの上にお菓子を並べ、テレビを眺めながら他愛のない話しで時間を潰す。

「今日は三上の部屋いかないの」

「うん。今日は行かない」

「珍しい」

「三上にも休養日がないとね」

その理屈でいくと、真琴と共にいるのが労働ということになるがいいのだろうか。
真琴はいつまでもつきあって"もらってる"感覚だろうが、三上が別れると言わないのだから相当入れ込んでいるのだと思う。
そもそもあの三上にお付き合いをしようと思わせただけで真琴はすごい。
放っておけない雰囲気もあるし、すべてを包んでくれそうな包容力も感じるので三上の気持ちもわかる。
真琴が女の子なら恋人にしたいと思ったかもしれないし、男同士なら一生の友達でいようと思う。

「…真琴が男でよかったよ」

「なに急に」

「真琴が女の子だったら三上ととりあいになったかなと思って」

「なんだそれ。誰もとりあわないでしょ」

くすくす笑う顔を眺め、結婚するならこういう子にしようと勝手に決める。
小さなことで嬉しそうに笑い、日々幸福そうに過ごすような子。
捻くれ者のこの性格は、真っ直ぐな人と人生を共にしないと矯正されない。

「…あ、そういえば有馬先輩風邪でもひいてる?」

「さあ。全然会ってないし連絡もきませんし」

「そっか。今日学食で見かけたけど元気なさそうだったから」

真琴の言葉に首を捻る。
逆にあの人が元気一杯な方が怖いけれど。
無表情でぴりっとした空気を纏い、そしていつも顔色が悪い。
太陽の下が壊滅的に似合わないし、声を出して笑っているところなんて一度も見たことがない。

「…まあ、いつものことじゃね?」

「うーん、そうなのかな。僕はあまり有馬先輩を知らないけど、いつもバリア張ってんのかってくらい隙がないじゃん?だけど今日は隙だらけな感じがした」

「じゃあ風邪ひいたのかもね」

「そんな他人事のように…」

「だって放っとかれてるし」

「もー」

潤は素直じゃない、とちくりと小言を刺されたが、聞こえないふりをした。
何かあればあちらから頼ってくるはず。
先回りして顔色を窺うような真似を彼はよしとしないし、自分もそういう性分ではない。
思い当たるふしはあるが、家のことは僕が干渉できる事情ではないし、薄情だけど先輩自身で苦しむしかない。
悩みがあると打ち明けられれば聞くし、励ますこともできるが、そうしないということは僕には関係のないことで、僕の助言も必要としていないのだろう。
有馬先輩の図太さは筋金入りで、多少へこんでもすぐに自分で立ち上がる。
余計なことに手を焼きたくないから自分を遠ざけるのだろうし、そういうときは放っておくに限る。
このタイミングで我儘でも言ってみろ。怖ろしい形相でとても恋人に吐くような言葉じゃない侮蔑のオンパレードだ。
ストレスを抱えた有馬先輩には半径十メートル以上近付くな。
今までの付き合いでそれだけは学んだ。

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