2





ぐだぐだ、ぐちぐち考え続けている間も秀吉君は姿を現さなかった。
それでも偶然学食や寮で擦れ違ったときは声を掛けてくれる。短い会話を交わし、笑顔を見せ、すぐに友人のもとへ去っていく。
その背中を見て少し寂しいなと思う。
彼は相手の心にするりと入るのが上手で、おまけに軽やかな関西弁は親しみやすさも覚える。
転校して来てまだ数ヵ月なのに交友関係は広いようで、いつも誰かとともにいる。
文化祭が終わればすぐに考査が始まるので、ちょっといいな程度の先輩に構っている暇はないのだろう。
きっとそうだ。だから少し素っ気ないと感じるだけで。
そもそも、もう自分のことは好きではないのかもしれない。
自分を好きという感情も、猛暑と慣れない東京と寮生活でストレスが天井突破した挙句の勘違いだったのかも。
我に返り、しかし告白した手前完全に無視するのも気が引け、適度な距離を保っているのかも。
それなら元の関係に戻りたいなんて言わないほうがいい。
こうして当たり障りないよくある先輩、後輩関係を続け、卒業したらさようなら。
想像し、ずきんと胸が痛んだ。
折角仲良くなれたと思ったのに。
恋愛感情抜きにして、彼はとても好ましい人だった。
人好きがするというのか、余計な壁は最初からいらないだろうと無神経にずかずか上がり込む感じと、けれどよく人を見ており小さな気配りも上手で、無遠慮に心の奥深くには触れようとはしない配慮。
押されたと思ったら引かれ、その塩梅が絶妙で心地良い。
姦計ではなく、自然と人心掌握術に長けているのだと思う。
だから周りに人が集まるのだろうし、一同同じ心地よさを感じていると思う。
そんな彼から懐かれ、嬉しくなかったはずはない。
この見た目を気に入っただけだとしても。
色恋抜きにしたら一生の友人になれたかもしれないのに。
告白なんてするから無駄にこんがらがる。
自分のように、友情を守るため口を噤むのが正解のパターンもたくさんある。
きっと、そんなせこい計算をしない真っ直ぐな部分が彼の長所なのだろうけれど。
溜め息を吐き、ちっとも進まない勉強にも飽き、教科書をぱたんと閉じた。
図書室の個人ブースはいつの間にか無人で、窓の外はすっかり暗くなっていた。
そろそろ帰らなきゃ。
思うのに脚は動かない。
心がずっしり重いと身体もその分重くなるのかな。
馬鹿みたいな思考に捕らわれ、らしくないと苦笑を浮かべた。
いい加減帰り支度をしようと、さほど詰まっていない鞄に教科書や筆箱を放り込む。
静かな図書室を一度振り返り、扉に手をかけると向こう側から開いた。
驚いて目を丸くすると、一番最初に秀吉君と視線が交じり、次に隣の柳君と目があった。

「…先輩も勉強?」

少しの間のあと微笑しながら問われ、ぎこちなく頷いた。
柳君はご機嫌斜めな様子で、特に挨拶もなく乱暴な仕草で椅子に座った。

「秀吉早く」

「ああ、はいはい。じゃあまた」

「……うん」

擦れ違う間際、気安く肩をぽんと叩かれた。
背後では柳君が拗ねたような口調で文句を言い、それを甘く丸め込む秀吉君の声がする。
弾んだ様子が気になり、ちらりと振り返った。
椅子の背もたれに深く背中を預ける柳君を、秀吉君はテーブルに頬杖をつきながら愛らしいものでも見るかのように目を細めていた。
ざわりと砂嵐が襲ったように胸が騒々しくなり、慌てて図書室をあとにした。
――潤が秀吉に惚れたらどうする?
仁の軽口を思い出し、無理に笑みを作った。
別にどうもしないと自分は言った。
だって秀吉君とは友人で、彼が誰かを好きになったり、嫌いになったり、おつきあいをしても干渉できる立場じゃない。
相手が女性でも、男性でも、楽しく、幸福な恋愛ができるならよかったねと諸手を挙げて喜ぶべきだ。
だから胸がざわざわするのはおかしくて、あってはならないことなんだ。
笑顔でいれば薄昏い感情も消し飛んでくれると思ったのにあまり効果はなく、少し項垂れるようになりながら涼の部屋を訪ねた。
涼に会って確認したかった。自分の心は今でも彼に焦がれているのだと。

「部屋に来るなんて珍しい」

少し長めの前髪を編み込まれた涼になんだそれ、と言うと背後の楓君を指さした。

「楓にやられた」

「神谷先輩お疲れ様っす」

ラグに座りながら敬礼するようにした楓君に笑顔で手を上げた。

「ごめん、邪魔した」

「いいよ。勉強にも飽きてきたとこ。入れよ」

「いや、いいんだ」

「遠慮すんな」

強引に腕を引かれソファに誘導された。
テーブルの上には乱雑に開かれた教科書と転がるペン。
珈琲が入ったカップを渡され小さく礼を言う。
改めて隣の涼を眺め、ふっと笑った。

「楓君上手だね」

「俺髪いじるの得意なんですよ。動画見ながらやったら案外簡単で」

「似合ってるよ涼」

「まあ、俺ですから。かわいい髪型も似合いますよ」

「嫌がらせのつもりでやったのに意味ねえじゃん」

「こんなかわいい仕返しならいつでもどうぞ?」

「言ったな。次はくるっくるに巻いてめちゃくちゃかわいくしてやるからな」

「おー、いいね。男が騙されるくらいかわいくしてくれよ」

「むかつく!」

子猫とライオンがじゃれ合うような応酬にくすくす笑った。
なんというか、二人の間には緊張とか、切迫とか、そういった心地悪い空気がない。
いい具合に力が抜け、男友達の延長線上のような気軽さがあり、一見恋人同士には見えないが、そのつきあい方は二人にぴったりだと思う。

「神谷先輩の髪も綺麗ですよね。染めてないからかな?」

「え、そ、そうかな…」

急にお鉢が回ってきたので、しどろもどろになりながら答えた。
楓君に真正面から言われると他意を感じない分、どんな反応をすればいいのかわからない。
楓君はじりじりとこちらに近付き、立ち上がると腰を折ってソファに座る自分を覗き込むようにした。
するりと手がのび細い髪を一束すくわれる。

「いじりたくなるな」

「は、はあ……」

「距離が近い!」

涼の手でべりっと剥がされ、嫉妬をむき出しにする姿に腹を抱えて笑いたくなる。
こんな僕に嫉妬なんておかしい。
涼に一矢報いるには楓君と接するのが一番効果的だ。少しいじめてやろうと心の中でほくそ笑み、楓君に向き合い、いじってくれる?と首を傾げた。

「もちろん!ささ、こちらへどうぞ」

ラグの上に腕を引かれ、胡坐を掻くと背後に回った楓君が両手で髪を撫でた。

「楓ー、あんま翔に懐くなよ」

「なんで」

「翔は線が細いし、そんな見た目だから繊細で美しい壊れ物みたいに思うだろ?中身は獰猛な肉食獣だから」

「面と向かってひどい悪口言うね」

「事実ですし」

「楓君、涼の言うこと信じちゃだめだよ。僕は繊細ですぐ壊れるガラス製だから」

「はは、了解っす」

楓君は動画を見ながらどうしようかなーと声を弾ませ、ワックスとゴムをとりだした。

「もう少し長さほしいなー。神谷先輩髪のばしません?」

「嫌だよ。今でも邪魔なのに」

「綺麗なプラチナブロンドなのに勿体ねえなー」

ワックスをもみ込まれ、指先が器用にあちこちに触れる。
髪に触られるってこんなに気持ちよかったっけ。
子ども時代、両親に頭を撫でられる程度の記憶しかなかったので、久しぶりにゼロ距離の人肌にうっとり瞼を落とした。
からからに枯れて荒んだ心にはとてもありがたい。

「ここをこうして、こっちから毛束を出してー……」

独り言を続けながらも指は淀みなく動き、はい、できたと鏡を見せられたときは素直にすごいと呟いた。
構造はよくわからないが、編み込まれた髪が後ろでまとめられている。

「ツイスト編みのハーフアップです」

「すごい。本当に器用だね。男の自分にやらせるのはもったいないな。彼女にしてあげたら喜ぶだろうね」

「楓は彼女なんてできません!」

すかさず涼に突っ込まれ、おやおやーと意地の悪い笑みを浮かべた。

「楓君は女の子にモテると思うよー?見た目もきりっとしてるし、性格もいいし、おまけにこんなに器用なんだもん」

「マジすか照れるなー」

「照れなくていい!髪なら俺がいじらせてやる!」

「香坂じゃ長さが足りねえんだよなー」

「じゃあ僕がのばしてあげようか」

「ぜひ。肩くらいまで」

「だめだめ。翔は本当にだめ。性格悪いのうつる」

馬鹿な冗談に三人で笑い、心の隅であれ?と首を捻った。
案外普通だ。
涼と楓君と同じ空間にいたらさぞかし苦しい想いをするはずだった。
楓君に敗北感を感じ、そんな風に思う自分を疎み、負のループに陥って、なかなか浮上できずに悪循環の中でもがき苦しむ。
なのに今自分は楓君に素直に好意を寄せているし、楓君に夢中な涼を当然のように受け入れている。
どうしてだろう。
好きな人とその恋人。
そんな空間、修羅場でしかないのに。
軽口を叩いて笑い合っている間も心にずっしり重く圧し掛かるのは、涼への拗らせた恋慕ではなく、柳君を見つめる秀吉君の瞳だった。

[ 7/13 ]

[*prev] [next#]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -