Episode2:恋を捨てた日



カップを口元に寄せ、ふっと息を吐き出した。
夕食後、膨れた腹を休ませるためソファに座りテレビを眺める。
肘置きに背中を預け、脚をこちらに放り投げる涼をちらりと見た。
この男が好きだった。
過去形にしていいのか、進行形なのかの判断もつかないくらい、彼への気持ちがぐちゃぐちゃだ。
涼の場の空気を考慮せず物をはっきりと言う姿勢はやや強引で、だけどいつもクラスの中心で、なのに誰とも深く関わろうとしない様子に、自分でも驚くほど簡単に堕ちていった。
彼にとって仁と拓海以外はみんな平等。等しく外野。それが香坂涼という男だった。
自分も例にもれず外野の一人で、彼の気紛れで会話をしたり、遊びに出かけたり。
仁と同室という地位があったせいでその他から少し毛が生えた程度の関係にはなれたが、涼の気安さの内側はがっちり施錠され、決して門を開けてくれなかった。
なのに楓君相手にはあっさり開錠し、涼から内側へ招き入れた。
忘れられない人がいると言っていたくせに、彼女のことは一旦整理し楓君と関係を深める道を選んだようだ。
悔しいと思わないと言ったら嘘になる。
だけど涼が楓君に向ける瞳を見ると、恨めしいと思う暇もなく完全敗北を突き付けられた。
告白もできなかった臆病者の末路としては当然の結果。
一人で鬱蒼と悩む自分と違い、楓君は真っ直ぐ涼と向き合った。
涼を雁字搦めにしていた過去ごと抱きしめ、しっかりと手を握ったのだろう。
楓君の明るく活発そうな笑顔と、少し意地の悪そうな目つきは魅力的で、だけど発する言葉は素直で飾らない分胸にずしんとくる。
背丈も大きく、今時の普通の男の子だけど、馬鹿っぽいのがまたかわいい。
涼が夢中になるのもしょうがないなと思った。
自分とは正反対。
陰と陽なら自分が陰で楓君が陽。
自分が冬なら楓君は夏。
とにかく、比較対象にならないほど真逆な人を選んだのだから、最初から自分など眼中になかったのだ。
そうやって傷つく心に絆創膏を貼った気になっているのかもしれない。

「……なんだ」

あまりにも凝視したせいで、涼がタブレットから視線だけこちらに寄越した。

「べっつに」

「なんだよ。俺またなんかした?」

「してませんしてません」

「引っかかる言い方すんなあ」

君の心に引っかかるフックは楓君以外にもあるのかい?
意地の悪い言い方をしそうになり慌てて口を引き結んだ。

「あれか、秀吉か」

「…なんでそこで秀吉君の名前が出てくるんだ」

「悩むことといえばそれくらいかなあと」

「別に、悩んでなんか……」

何度でも確認する。
自分は涼に惹かれたけれど、だからといって同性しか愛せないわけではないと思う。
女性芸能人を見ればかわいいな、きれいだな、愛らしいなと思う。
かといって、秀吉君が告白をしてきたとき、ばっさり切り捨てる気にはならなかった。
幼い頃、見た目のせいで普通じゃないと輪の中に入れてもらえなかった。
だから偏見や、一方的な見解は大嫌いで、性別や国籍、人種で物事を測るのはナンセンスだと思っている。
それに同性を好きになり葛藤する気持ちは痛いほどよくわかる。
それを勘違いだの、気持ち悪いだの、相手の精一杯を軽い一言で引き裂くのは違う。
だからあんな風に中途半端なまま受け入れてしまった。
よく知った上で振ってほしいと彼は言った。
真意がわからないから、それでいいならと答えた。
そうして懐っこい後輩が日常にすんなり馴染み、馴染んだと思ったら突然噛みつかれ距離を置かれた。

「楓が、秀吉神谷先輩のはなしばっかで完全に頭が馬鹿になってるって言ってたぞ」

涼はこの状況を楽しむようにくっくと笑った。

「まあ、それも過去のはなしですよ」

「最近二年の教室に来ないもんな」

「彼もきっと僕の見た目が珍しかっただけなんだよ」

どこかいじけたような口調になってしまった。

「そんな奴じゃねえと思うけど」

「秀吉君とそんなに仲良かったっけ?」

「普通?でも、楓が言うからさ。あいつはいい奴だって」

楓君が言えばすんなり信じるのか。
すっかり頭が楓君中心に廻っている。

「俺もいい奴だと思う。キャラが強烈な四人組をしっかりまとめてるし」

「…まあ、確かに」

「距離置いたってことは告られた?」

「なんですぐそっちに考えるかなあ……」

「だって秀吉好きがだだ漏れだし」

「好きにも種類があるだろ」

のらりくらりとはぐらかしたが、涼はこちらの言い分は聞かず、すっかり決めつけているようだった。
事実だからあまり否定するのもおかしいし、だけど涼にこんなはなしはしたくない。
なにが悲しくて好きな人に恋愛相談なんて。
傷は応急処置の絆創膏しか貼ってないのだから徒にいじくり回さないでほしい。

「まあ、いくら秀吉の面がよくてもこればっかりはしょうがねえよな」

「自分は楓君とおつきあいしてるのに?」

「俺は俺、お前はお前」

あっさり言われ、こういうところが好きだったなあと思った。
自分や周りだけの物差しで判断しない。
いつでも決めるのは本人だと反対意見もすんなり受け入れる。
きっと器が大きいのだと思う。自分の器が小さいから、なおさら涼の度量の大きさを感じる。

「でも、かわいい犬っころがいなくなって寂しいんじゃねえの」

「そりゃあ、折角仲良くなれたのにとは思うけど」

「じゃあお友達に戻りましょうって言えば?」

「簡単に言うなよ。相手の気持ちも考えなきゃ」

「でもお前にも気持ちはあるじゃん。言った上で秀吉がどう判断するかは知らないけど、我慢する必要はないだろ」

「だから涼は俺様って言われるんだよ」

あきれたように言うと、なんだとー、と冗談めかして髪をぐしゃぐしゃにされた。
細い髪は一度からまると直すのが大変だ。わかっていて涼もこんな風にする。

「つーか仁遅えな」

涼は扉のほうに目をやり、携帯を拾い上げた。

「ゆうき君と一緒なんじゃない?邪魔すると悪いよ」

「知らん。待ち始めて一時間は経ったぞ」

携帯を耳に寄せ、電話口に出たであろう仁と口汚く喧嘩をしながら通話を終了させ、ふたたびテーブルに携帯を放り投げる。
この二人のつきあいは長いというが、それは友人というより家族に近い感覚らしい。
下手したら兄弟よりも長い時間を共にしている。
自分も従兄弟が同じ学校にいるのでその感覚は理解できるが、こんな風に悪態はつかない。
なのに離れないから不思議だ。
そのうち不機嫌丸出しな仁が部屋に戻り、遅いだの、うるさいだのとまた喧嘩が始まった。
大した用でもなかったらしく、一言二言話したあと、仁は涼をソファから無理にどかせ、自分がその場に座った。

「翔ー、俺にも珈琲ちょうだい」

「甘えんな」

「美人に淹れてもらったほうが美味いじゃん」

「はいはい、僕は美人ですよ」

いちいち反論するのも面倒で、やけくそのように頷いた。
二人がけらけら笑うものだから、居心地が悪くなり逃げるようにキッチンへ行った。
仁の分の珈琲をカップに淹れ、差し出すとにんまり笑われた。

「なにその顔」

「いやー、俺も秀吉はいい男だと思うよ?」

「またそのはなしか!涼も余計なこと言うな!二人して面白がって…!」

「秀吉最近潤のおもりもしてるらしいし。あれを器用に扱うんだからすげえ人間もいたもんだと思ったよ」

柳潤。
仁の従兄弟で仁を兄のように慕っているらしい。
仁以外への性格に難ありと評され、じゃじゃ馬なうえに小悪魔だが、見た目だけですべてをカバーしているとか。
何度か見かけたことがあるけれど、ああ、これはそう言われるのも納得だなと思うほど顔面偏差値が高かった。

「どうする?潤が秀吉に惚れたら」

「別に、どうもしないけど」

「潤は性格に問題あるけど顔だけは一級品だからなー」

「顔だけでいったらゆうき君だっているじゃん。仁より頼りがいがあって優しい秀吉君にいくかもよ」

「あ、そういうこと言う?」

完全におもしろがってる仁へのちょっとした嫌味のつもりだったが、仁はソファに突っ伏してあー、だのうー、だの意味のない言葉を発した。

「そ、そんなに落ち込まなくても。冗談だよ」

そっと背中をさすると、上げた顔はさらに意地悪く歪んだ笑みの形になっていた。

「俺から秀吉にいくわけないじゃん」

「心配して損した!」

仁の背中を叩き、カップをテーブルに置いた。

「飲み終わったカップ、ちゃんと洗えよ」

ふん、と顔を背け寝室の扉を閉める。
ベッドの端に座りながら、涼の言葉を反芻した。
――お友達に戻ろうって言えばいいじゃん。
いいのだろうか。自分勝手に意思を伝えても。
文化祭で偶然会って少し話したとき、心が凪いだように穏やかになった。
軽いテンポで交わされる益体もない会話が楽しくて、優しい声色と微笑みが懐かしくて、以前のように戻りたいと強く思った。
別にちょっとキスされたくらい気にしてない。
事故というのは失礼かもしれないが、家族間でもキスなんて当たり前で、特別な意味は持たせてなかった。
好きだと言われたけれど、どこまで本気かわからないままあんな風にキスをされ、ますます混乱した。
彼の心の内がまったく読めず、困惑した挙句、どうかしてたなんて言われて無性に腹が立った。
彼の告白が一気に薄っぺらく思え、ああ、その程度だったんだと失望したのだ。
気持ちには応えらえないと言っておきながら、勝手に落ち込んで怒りに変えるなんて最低だ。
恐らく、彼も自分を責めたのだろう。だから自分の前から姿を消した。
ならこちらから譲歩して、もう気にしてないよ、大丈夫だよと表面を取り繕ってやればいい。
結局それもできず、偶然会えたのをいいことに必死にただの先輩を演じたのだけれど。
ベッドに背中を預け、ぼんやりと天井を見る。
参ったな。
秀吉君には初めて会った日から振り回されっ放しだ。

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