5




机に頬杖をつきぼけーっと窓の外を眺めた。
特になにを見るでもなく、ただただぼんやり。
神谷先輩と喧嘩別れをしてから数週間、目の前には文化祭が迫っている。
あれから一度も連絡せず、一度も顔を合わせていない。
寮に戻ってからさっさと謝ってしまおうと思った。
だけど一瞬の躊躇に脚を絡めとられ、明日でいいやが続いた結果、完全に謝罪のタイミングを逃してしまった。
何度も思い出し、何度も頭を抱えた。
全部自分が悪い。あんな風に失恋で傷心中の彼を責めるべきじゃなかった。
余裕がないからといって、当の本人に当たり散らして最悪。
責任転換にもほどがある詰りは、第三者だったら自分勝手すぎん?と吐き捨てたくなる暴挙だ。
やってしまったなあと悔やんでも時間は戻らないし、それはもう仕方がない。
だからといってすっぱり忘れるはずもなく、ふとした瞬間に思い出しては自分を責め続けている。

「うわ」

頭上で響いた声にゆっくりそちらに顔を向けた。

「なにやってんのお前。くらー」

心底うんざりした様子で楓が言い、机の中から携帯を取り出した。
次に鞄から小袋のビスケットを取り出しぽんと机上に放り投げた。

「あげる」

「…サンキュ」

ぱりっと袋を破いて懐かしいビスケットをつまんだ。
子どもの頃よく食べていた記憶がある。様々な動物の形を模して、英語で名前が書いてあるのだ。
バター味は素朴で洒落てないのにとてもおいしい。シンプルイズベストとはこのことだ。
楓は目の前の席に横向きで座り、窓に背中を預けるようにした。

「ちょうだい」

差し出された手に一つ乗せてやる。

「……ラ、ラ、ラッコン?」

ビスケットを眺めながら首を捻る姿を見て噴き出した。

「ラクーン」

「ラクーン?」

「あらいぐま」

「おお、さすが学年主席」

こんなことで褒められても嬉しくないのだが、ばりばりとビスケットを噛み砕く楓を見ると自然と笑みが浮かんだ。

「うまい」

「うまいな」

楓はなにを言うでもなく、ひたすらお菓子に手を伸ばし廊下をぼんやり眺めている。

「……香坂先輩のとこ行かんの?」

「行かない」

「喧嘩?」

「してない」

「そうか?お前ら年中喧嘩しとらん?」

「してない!」

むきになるなんてますます怪しい。
小さなことで衝突して、そのたび本気でぶつかり合うなんてコスパが悪いと思うのだが、楓らしいといえばらしい。
胸中は複雑だ。
香坂先輩は恋敵で、でも友人の大事な人で、二人で仲良くしてほしいけど神谷先輩が報われてもいいのにとも思う。
矢印があちらこちらに引っ張られ、自分の気持ちを置き去りに勝手にこんがらがる。
友人の幸せと、好きな人の幸せ。二つ同時に満たされる方法があったらいいのに。
一夫多妻制か。それしかないのか。香坂先輩ならどうにかなりそうだ。
あの人は不遜な態度で玉座に着き、周りに美女を侍らせるような、どこの王族だよと呆れる場面も似合う。

「…一夫多妻制かあ…」

唐突な呟きに楓が身を乗り出した。

「お、いいね。夢があるはなしだ」

「ないわ」

「あるよ。でも俺はそんな上手にできるタイプじゃないしなあ」

「……香坂先輩は?」

「香坂ぁ?うーん……できそうにみえるけど多分できない」

楓の言葉に目を丸くした。
自分の勝手なイメージでは十人くらいならなんなく相手できそうだから。

「あいつ意外と一途なんだよ」

「ほんまに意外やな」

「特定の人がいなければ好き勝手するだろうけど、大事な人をつくったらその人で手一杯になるタイプ、かな」

「その相手が楓ってことか」

「俺のはなしじゃなくて。小さい頃から好きだった子が忘れられないって最近まで言ってたくらいだし」

神谷先輩も同じようなことを言っていたのを思い出した。
忘れられない子がいると聞き、告白すらできなかったと。
忘れられないということはどういう形にせよ失恋したというわけで。香坂涼も恋に破れるのかと思うと少し救われる。

「…そういえば香坂が最近秀吉が教室に来ないって寂しがってたぞ」

「あー……」

以前は神谷先輩に会いたいがために彼らの教室に頻繁に顔を出していた。
そうすると木内先輩や香坂先輩と顔を合わせる機会もあるわけで。
軽口で遊ばれ、いじられ、かわいがられ、正しい後輩の在り方を叩きこまれた。
鬱陶しいと思わないわけではなかったが、こういう上下関係は今までなかったので新鮮だった。

「喧嘩したのはお前のほうなんじゃねえの」

吊り気味の瞳で視線だけこちらに寄越され言葉を詰まらせた。

「まあ、秀吉のことだからうまく解決できるだろうし、余計な口は挟まないけどさ。神谷先輩も寂しいんじゃねえの。周りをうろちょろしていた犬がいなくなって」

「犬言うな」

「いやー、あれは完全に犬だったわ。ご主人様、ご主人様って尻尾ぶんぶん振るやつ。あれかわいいよな」

「俺も?」

「お前はかわいくない」

すぱっと切り捨てられ、そんなはっきり言わなくてもいいではないかと口を尖らせた。

「いたずらされてもさ、しょんぼりした顔見ると叱れないし許しちゃうよな」

「せやなあ」

「だから神谷先輩も許してくれるよ。あの人さっぱりしてるし」

「……うん」

さっぱり許せる程度のやらかしではないので楓の言葉は当てはまらないけど。

「元気だせ!」

ばんばんと肩を叩かれ、痛い、痛いと文句を言うとさらに叩かれた。
やめろと言いながらヘッドロックをきめると今度は腕を捻られ、お互い息切れした頃なにやってんだろうと正気に戻る。
馬鹿馬鹿しい時間を過ごしてしまった。
だけど今は馬鹿になれる瞬間がありがたかった。
楓が姦計したとは思えないが、ありがとうと心の中で礼を告げた。


文化祭前から準備に目まぐるしい日々だったが、始まってからも変わらず目まぐるしかった。
着物を着、朗笑しながらの接客は想像以上に顔の筋肉が疲れた。
前半が終わり、あとは後半担当のクラスメイトにバトンタッチ。
やっと終わったと溜め息を吐きながら肩の凝りをほぐしていると、クラスメイトに両側からがっちり腕を掴まれた。

「な、なに!?早く着替えたいんやけど」

「秀吉がいなくなったら売り上げ落ちるじゃん!」

「落ちんよ」

「落ちる!悔しいよ、悔しいけどお前女子担当じゃん!」

「そんなん他の奴でええやん」

「馬鹿野郎!焼肉がかかってんだぞ!」

ぎらぎらした瞳で言われ、焼肉にそこまでの価値があるのだろうかと疑問に思う。

「わ、わかったからちょっと離して…」

「離したらどっか行くだろ。知ってんだ。昼飯買ってきてやるからあと少しだけがんばって。な?」

「えー!ほんまにまだ働くん?木内先輩から金巻きあげればええやんー」

「そんな怖いことできるかよ!」

「ならゆうきに指示して」

「真田に声かけたら目で殺される。めちゃくちゃ機嫌悪いんだぞ!」

そりゃあそうだ。自分が提案したことではあるが、重苦しい着物を着せられ、化粧を施され、キレるなというほうが無理なはなしだ。
不機嫌丸出しでも一度引き受けた仕事だからと我慢しているだけ偉い。

「あと少しだけでいいから!頼む!」

「……俺たこ焼き食べたい」

「お!さすが関西!まかせろすぐ買ってくる!」

言うが早いか走りだしたクラスメイトの背中を眺める。
あー、と全身から力を抜き、しゃきっと背筋を伸ばし口角を上げた。
きりのいいところで今度こそ捕まらないようすっと消えよう。
客と給仕係の間を縫うように完璧に仕事をし、一旦客が切れたのを見計らって奥に引っ込んだ。

「俺のたこ焼きはー?」

「そこ」

指さしてからお盆を手に去っていった友人にすまんなと心の中で謝る。
俺はこれ以上働きたくないです。消えます。
たこ焼きが入ったビニール袋をひょいと手にかけ、誰の目もないことを確認してからそそくさと教室から出た。
着替える暇もなかったが、まあいいだろう。文化祭なのだ。あちらこちらでおかしな格好の生徒がうろうろしている。
どこに行けば誰にも見つからないかを考え、本校舎から一番遠い東屋へ向かった。
ビニール袋がこすれる音と、雪駄のぺたぺたという足音がミスマッチでふと笑みが浮かぶ。
晴天の空を見上げ、外で食べるたこ焼きは世界一うまいはずと頷いた。
東屋にひょいと脚をかけると、外側からでは見えない低姿勢で蹲る人がいた。
うなだれるようにした背中しか見えないが、具合でも悪いのかと焦って肩を引いた。
その瞬間こちらを振り返ったのは神谷先輩で、やってしまったと後悔した。

「あ……」

お互いぽかんとアホ面を晒し数秒。
最初に笑みを作ったのは先輩のほうだった。

「……久しぶり」

「…久しぶり」

落ち着け、落ち着けと言い聞かせ、視線を彼から逸らすとクリーム色のたっぷりとしたドレープが視界いっぱいに映る。
慌ててもう一度視線を戻すと、華奢な装飾が施されたAラインドレスに制服のブレザーを羽織った姿だった。
自分のことは棚に上げ、なんて格好をしているんだと思う。

「…す、すごい格好やね」

「ああ、これね。逃げてきたんだ」

「逃げた?」

「拝んで頼まれたから着たけど、せっかくだから撮影会しようぜって言われて…」

似たような境遇にお互い苦労しますねと親近感がわく。

「ごめん、見苦しいもの見せて。ここなら誰にも見つからないと思ったんだけど」

「似合ってるっていうのもおかしいけど、変、ではない…」

ような気がする。
ブレザーを羽織っているおかげで肩幅が隠れているおかげだろう。
男性の象徴である喉仏やがっちりした骨格をすこーし加工すれば完璧だ。
そうでなくとも、男子校で潤いに飢えた生徒はスカート履いてくれてるだけでもういいからと脚に縋る者もいるだろう。極々薄目で見れば女に見える可能性もある。

「いっそのこと変だって笑ってくれたほうが気が楽なのに…」

神谷先輩は溜め息を吐き、東屋のベンチに腰を下ろした。
ぱっかり脚を開く座り方と格好が不一致で脳が混乱する。
隣に腰をおろし、食べる?とたこ焼きの入ったパックを差し出した。

「助かる。この格好で買い物行くわけにもいかないし、もうどうしようかと…」

うんざりした表情にふっと笑った。
顔を合わせたら気まずいんだろうなとか、声を掛けるのも咎められるのかなとか、散々嫌な想像をしたが、以前と同じような距離感と空気でいてくれる。
努めてそうしてくれているのか、それとも神谷先輩にとっては取るに足らない出来事で、自分のことなどすっぱり忘れていたのか。
後者なら彼にとっては幸いで、だけど自分にとっては少し寂しい。
楊枝をたこ焼きにぶっさす様を見て、慌てて止めた。

「なにか敷いたほうええんちゃう。汚したら大変やし…」

「いいよ。むしろ汚したい」

「明日もあるんやから」

「でもハンカチなんて持ってないし」

「俺もないなあ…」

苦肉の策でブレザーを逆に着せた。

「…食べにくいなあ…」

もごつくブレザーを上手によけながら食べるのは辛いようで、パックを奪って少し不格好なたこ焼きを口にもっていった。
先輩は素直に食べ、冷めてるけど美味しいと笑ってくれた。
自分も一つ食べ、うん、うまいと頷く。

「美味しい?本当に?」

「なんで?うまいよ」

「本場の人からするとこんなのたこ焼きじゃねえ!とか怒るのかなあと…」

「たこ焼きの本場は大阪。俺は兵庫」

「…大阪と兵庫ってそんなに違うの?」

「全然ちゃうやん。東京と埼玉が違うのと一緒」

「うーん、でもここら辺は住所的には東京都だけど、都内の人に東京って名乗らないでもらえます?って言われるだろうし、埼玉より緑豊かだと思うけど…」

「まあ、俺も東京なのにめっちゃ木あるやんってびっくりした。イメージ的に東京はどこもかしこもコンクリートなのかと…。先輩の実家は東京?」

「東京都渋谷区」

「おー、渋谷かあ。東京の象徴って感じ。てか渋谷って家あるん?」

「たくさんあるよ」

からからと笑われ、いいんだ、田舎者だと笑ってくれと自嘲気味な笑みが浮かんだ。
そういえば引っ越してきたのに寮と学校の往復ばかりでどこにも行ってない。
中学の修学旅行で浅草や原宿に行ったけれど、具体的なことはなにも覚えていない。
ホテルの部屋で騒ぎすぎて先生にしこたま怒られたことくらい。
なんて面白みのない中学時代。今更振り返って泣きたくなる。
高校時代も、いつか思い返したときにそうなるのだろうか。
ならないよう、この人がほしいと思ったのだけど。
美しい横顔を盗み見、秋風に揺れる細い髪に見惚れた。
いかん。同じ過ちは繰り返してはいけない。
折角普通に話してくれたのだから、これからは先輩、後輩の線引きをしっかりして、ここから先は立ち入り禁止と言い聞かせなければ。
改めてあのときの謝罪をしようと思ったけれど、蒸し返したら綺麗に取り繕ってくれたこの瞬間が壊れる気がして言葉を呑み込んだ。
あのとき先輩はなかったことにしようと言った。
この"普通"が先輩が出した答えなのだろう。なら自分ももう忘れましたという顔をしなければ。

「……そろそろ戻ろうか」

立ち上がると、先輩は溜め息を零した。

「戻りたくないなあ…」

スカート部分をぎゅっと掴む姿を見て、大丈夫と笑ってやった。

「俺もおかしな格好しとるやろ?二人一緒なら平気や」

「君はいいよ。普通に格好いいし…」

「ほんま?誰も褒めてくれんかったから嬉しい」

「一般論な」

「く、一般論……」

がっくり肩を落とすと冗談だよと軽く叩かれた。

「じゃあなるべく僕を隠すように歩いてね」

「無理やろー」

「ほらほら、がんばれ」

ぐいぐい背中を押されとりあえず歩き出す。
先輩は身体が重なるように背中にひしっとしがみつきながらスカートが邪魔くさいと半分キレていた。
おかしいなあと笑い、笑えていることに安堵する。
よかった、よかった。普通に戻れたのだ。
でも自分たちの普通ってどんなだっけ。
神谷先輩に想いを寄せ、彼は他の誰かを想い、友達のふりをしてそばにいることを選んだ。それが自分たちの普通。
あまりにも歪な普通に苦笑がこぼれる。
これからもお友達ですという上辺だけの仮面をつけ、彼の周りをうろちょろするのだろうか。
しんどいと思うけど、他に方法が見つからない。
まだ諦めきれないからとゼロに近い可能性を信じるか、こんな不毛な恋はすっぱりやめようと断ち切るか。
どちらにも思いきれず、中間で頭を抱える。それが一番きついとわかっているのに自分はまだ続けるつもりなのか。
首浦に手を当て、彼に気取られぬようこっそりと溜め息を吐いた。

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