Episode1:新しい自分



甲斐田君は常にニュートラルで、誰に対しても公平で平等に接します。
中学生の頃の三者面談で担任に言われた言葉を思い出す。
そしてそれに続く言葉を先生が呑み込んだのも理解している。きっとこう言いたかったのだ。その分情熱というものが欠けていて、世の中を斜め上から見るような捻くれた部分があります。



「転校したいんやけど」

簡潔な一言で両親はそう望むのならと頷いた。理由とか、背景とか、そういうものを一切聞かれなかったことに少し安堵し、少し落ち込んだ。
どうせならば日本の首都に行くのも悪くない。誰も自分を知らない場所で、家族のこと、友人のこと、すべてを捨てて人生リセット。投げやりな気持ちのまま、寮でなければだめだと言った両親の希望に当てはまる学校を選び、編入試験もパスをした。
中等部からのエスカレーター式で途中編入は難しいと聞いていたが、呆気なくて拍子抜けした。
新しい制服を身に纏い、標準語の勉強をしようと思いながら転入したのが七月上旬。
初めての男子校に不安もあったが、女性の視線を気にしない開放的な雰囲気が好ましかったし、校舎も寮も新しく綺麗だ。
たまたま席が近くなった生徒も気さくで明るく、異物である自分をすんなり仲間に入れてくれた。
一生懸命勉強した標準語はすっぽり頭から抜け、イントネーションの訛りを隠しきれず、それでも他県から来る生徒も多いため方言くらいでひそひそされることはなかった。
急激にクラスメイトと距離を縮め、外面が良くて得をした。
明るく、さっぱりと、深入りはしない。それをモットーとして生きてきた。
真田には笑顔が嘘くさいだの、存在が胡散臭いだのと散々言われたが、お前にだけは言われたくないと内心反抗しつつも張り付けた笑顔を意地でも剥がさなかった。
一週間、二週間と過ごす内、男子校の楽しさは薄れ、女がいない日々の潤い不足を嘆くようになった。
ツラが綺麗な奴は稀にいる。真田や柳。それでも骨格は男のそれだし、どんなに綺麗でも柔らかい笑顔や思わず抱きしめたくなる可愛げはゼロだ。
夏休みは実家に帰り、地元の友人と遊びながら女漁りでもしようかと思ったが、なんのために家を出たのだと自分を戒め寮に残ることを決めた。
長期休み中のお盆期間は学食が閉まるので、その間は自力で生きる必要があるが、少し歩けばコンビニもあるし、電車に乗って外食という手段もある。
誰にも干渉されず、いつ起きようがいつ寝ようが何を食べようが自由。
素晴らしい。静かな生活はこんなに素晴らしいものだったのかとしみじみ感じた。兄や姉の過保護気味な騒がしい声が懐かしいなんて一ミリも思わなかった。
けれど夏休み後半に差し掛かると流石に暇になってきた。皆当然帰省するし、ここ数日は誰とも話してない。
ちゃんと声が出るだろうかと無意味にあー、と独り言を言ったときは死にたくなった。
ベッドに転がりながら操作していたタブレットを放り投げた。

「コンビニでも行くか…」

独り言にも慣れたもので、のっそりと身体を起こして身形を整える。
寮のエントランスを抜け、外に出ると容赦ない太陽光に手を翳した。年々最高気温を更新している日本では、今年も例外なく暑い。
温暖化を実感し、まとわりつく湿度に嫌気がさす。それでも夏は嫌いではない。海に行けば可愛らしい女の子がたくさんいて、水着姿も拝める。今年は行けそうにないけれど。
数歩歩いただけで額にじんわりと汗が滲む。クーラーを背負って生活がしたいと馬鹿みたいなことを考えながらコンビニに入る。
外は猛暑、コンビニは冷えすぎで、丁度いいがないのかこの国はと視野の大きい悪態をついた。
適当に食糧を購入し、袋から炭酸飲料を取り出して飲みながら歩く。
地元の暑さも相当だが、こちらも同じようなものだ。東京は気候が穏やかかもしれないと思っていたのにがっかりだ。
ぶつぶつと文句を垂れ、冷房の効いた室内にほっと安堵する。
買い物袋を放り投げ、ズボンのポケットに入れていたスマホと財布を取り出そうと思ったのだが財布がない。

「…あれ?」

ポケットをひっくり返してみたが、財布だけが逃げだした状況は変わらない。
まあ、いいかとベッドに腰掛ける。鞄を持つ習慣がないので、携帯を落としました、財布を落としましたということがしょっちゅうあった。今回もそれと同じ。
どうせ親の金だし、自分の腹は痛くない。現金がなくとも電子マネーで事足りるし不便はない。財布の中に突っ込んでいた学生証やデビットカードは申請が必要だが、面倒は親に任せよう。
また母親に口煩く叱られるのだろうなあと思うと連絡先を開いたままなかなか電話ができない。
髪をくしゃりと指に絡め溜め息を吐くと部屋をノックする音が響いた。

「…はい」

訪問者なんて珍しいなと扉を開けると一番最初に視界に入ったのは透き通る真っ白な肌と宝石のように蒼い瞳、それから白に近い金色の髪。

「…君、甲斐田秀吉君?」

なぜこんな人が日本、さらには寮内に?と呆けた。

「…おーい」

ひらひらと手を振られはっと我に返る。まるで映画か絵画を見ている気分でいたが、実態する人間だ。

「あ、はい。甲斐田秀吉です」

「これ、君のだよね。廊下で拾ったんだ。申し訳ないけど中身を確認させてもらったよ」

財布を差し出され、ぽかんとしたまま受け取った。
こんな生徒東城にいただろうか。生徒数が多いので全員を把握していないのは当然として、こんな派手な見目は一度擦れ違ったら忘れないだろう。
しかしここにいるということは生徒の一人で、流暢な日本語から察するに留学生というわけでもなさそうだ。
恐らくはハーフとか、そういった類の人なのだろう。顔だけでなくすらりとした長身と手足の長さはモデルのよう。おまけに声まで綺麗だ。

「じゃあ、僕はこれで」

「あ、待って!」

思わず背を向けた彼の腕をとってしまった。なにをしているのだ自分は。

「何かな?」

「えっと…せや、お礼させて。夕飯ご馳走する」

「いいよそんなの。拾い物届けただけだから」

ふんわりと微笑まれたが完璧な造形の顔では冷ややかにも感じる。

「…夏休みやし、話し相手もおらんから退屈しとったんや。外で何か食べよ。な、ええやろ?」

畳み掛けるように前のめりになって言うと、目の前の美人は一瞬目を丸くし、少し悩む素振りを見せてから頷いた。

「…じゃあ、お言葉に甘えるよ。僕も退屈してたし」

「よかった。じゃあ今日の六時にロビー待ち合わせでええ?」

「構わないよ。それじゃあ、また」

背を向けた瞬間、細い金色の髪がふわりと揺れ、なんてことのない仕草がスローモーションになったように感じた。
半分口を開けて呆けた挙句、胸にじわじわと歓喜が湧き上がる。
気に入った。滅多にお目に掛かれない上玉で、美しさと品のある立ち居振る舞いに目が離せなかった。
勿論男性だと一目でわかるし、声も男のそれだが、あの美貌は性別関係なく観賞し続けたいと思わせる。
今まで色んなタイプの女性と出逢ったし告白されればつきあった。でも息を呑むほど圧倒される美しさに出逢ったのは初めてだ。
来る者拒まず、去る者追わずの精神で生きてきたが、初めて誰かを引き留めたいと思った。
退屈が過ぎていたのかもしれない。丁度良い刺激に余計に興奮したのかもしれない。
それでも他人に興味を持てたことが嬉しくて、もっと知りたいと思った。

約束の時間が近付き、いつもより少し身形に気を遣ってロビーへ向かうと、さらさらと風に揺れそうな金色が既にそこにいた。

「早かったんやね。待たせた?」

「いや、僕もさっき来たから」

どんな言葉でも言い表せないほど綺麗な生き物だ。感嘆の溜息しか出ない。
猛暑の中でも暑苦しさは感じられず、汗とは無縁のひんやりとした空気を纏っている。肌の白さはゆうきと同じ位だが、透明感は断然こちらが上で不健康にも見えない。

「俺な、最近転校してきてん」

駅へ歩きながら話す。

「だから関西弁なんだ」

「そう。で、ここら辺の地理に詳しくないんやけど、美味しいお店とか知っとる?」

誘っておいて目星がないというのは格好悪いがこれは仕方ない。

「それならちょっと歩くけど、ラーメンでも食べに行く?あ、暑いからラーメンはいや?」

「俺はええけど、ラーメンとか食べるんや」

「当たり前だよ」

くすくすと笑われ、そうか、当たり前かと馬鹿みたいに思う。
贅を尽くした和食、イタリアン、フレンチフルコース、そんなイメージを持つけれど意外と庶民的らしい。そのギャップすらいいと思うから美しさは大きな財産だ。
骨ばっている手や喉仏は間違いなく年頃の男で、同性に向かって美しいはちょっと変だと思うが、ゆうきや柳も似たようなものだしと深く考えるのはやめた。

「名前まだ聞いてないんやけど、教えて?」

「あ、自己紹介もしないで失礼しました。僕は神谷翔。二年D組だよ」

二年なら見たことがなくとも納得だ。

「そうなんや。年上か…」

「見えないかな?」

「いや、そんなことは…」

「君も年下には見えないけどね」

微笑され、また見惚れてしまいそうになるのを我慢した。

「敬語遣わんでごめん」

「大丈夫。堅苦しいのは嫌いなんだ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「関西弁って聞き慣れてないから面白いね」

こちらとしては標準語の方が珍しくて面白いのだけれど。方言で興味が湧いてくれるなら安いものだ。
時折吹く生ぬるい風が先輩の髪を優しく撫で、その度に嬉しそうに髪が遊ぶ。さらさらと音が聞こえそうで耳を澄ませた。

「先輩ってダブル?」

「いや、クォーター。祖父がフランス人。でもまあ、祖父の方は色んな人種の血を継いでるからもうなにがなんだか…」

「海外やとそういうもん?」

「そうだね。自分はこんな見た目だけど姉の髪はブルネットだし、瞳も薄い茶色って感じだし、どこの遺伝子を引っ張ってきたのか自分でも…」

「へえ。でもええと思うよ。単純に綺麗やし」

「そうかな。これのせいで幼い頃はよくいじめられて苦労もしたし、あまり好きではないけどね。でも真っ直ぐ褒められると嬉しいものだね」

先輩は手慣れた様子で微笑んだ。
軽くあしらわれたような気がするが、この大人染みた振る舞いにも魅力を感じる。
何をしても、どんな表情でも綺麗なものは綺麗なのだと、変態的な考えに磨きがかかったところで、目的の場所に到着した。
暖簾をくぐると店内からいらっしゃいませと元気な声が飛んで来る。まるで運動部のようだ。
券売機の前でオススメを聞き、食券を二枚買った。
カウンター席に座ると、周りの視線がちらちらと先輩に刺さっている。彼の容姿は場違いというか、壊滅的に似合わないというか。
先輩はそんな不躾な視線も慣れたものなのか、頬杖をつきながら久しぶりに食べるとか、楽しみと笑った。

「いただきます」

しっかりと手を合わせ紅ショウガを大量投入する腕を掴んだ。

「入れ過ぎちゃう?」

「これくらい入れた方が美味しいんだって。ほら、甲斐田君も騙されたと思って」

言うが早いかこちらにも紅ショウガをささっと入れ、豪快に麺を啜り出した。
ワイルドな態度をとっても美しいってどういうことだろうと、若干頭が混乱する。

「ん、うまい」

「でしょ。学校の近くならここが一番オススメ」

高校生は三食では足りないので、学食で夕飯を食べる前にラーメン屋に行く生徒も多いと教えてくれた。
中途半端な時間というのもあるのだろうが、先輩が来る時は八割が東城の生徒なのだとか。
麺が伸びるといけないからと、口数も少なめに食べ終わり、店を出たはいいものの腹はまだ半分も満たされない。
学園に帰る途中、先輩はコンビニを指差した。

「ラーメンおごってもらったから、僕はアイスをおごってあげよう」

「ほんまー。嬉しい」

「やっすいなとか思わなかった?」

「思わん思わん」

「よしよし、素直な後輩には特別にちょっと高めのアイスにしてあげよう」

ちょっと待っててと言われ戻ってきたときには両手にカップが握られていた。
歩きながら食べられないし、寮につくまでに溶けるのでは。

「今溶ける、と思ったでしょ」

「思った」

「甘いなあ。これがっちがちに硬いから寮に着く頃に食べごろだから」

「はあ…」

説明をされ、バニラアイスを差し出された。
普段甘い物はあまり口にしないが、たまには糖分も必要だろう。
もう少しこの先輩の人となりを知りたいので、寮までの道をゆっくり歩きたかったが、アイスが気になってそれどころではない。

「先輩は夏休み家帰らんの?」

「一週間くらいは帰ったよ。家族がフランスに里帰りしたから僕はこっちに戻ってきた」

「一緒に行かんの?」

「行くと課題が終わらないし、若干飛行機が苦手でですね…」

「あー、わからんでもない。耳が痛くなるし。ほなこれから二学期までずっと寮?」

「そうだね」

折角顔見知り程度になれたのに、これでさようならでは寂しいので、付け入る隙を見つけて嬉しくなった。

「じゃあ、また今日みたいにご飯一緒に食べよ。一人で食ってもつまらんし、他にも色んなとこ教えて」

「僕でよかったら」

微笑を浮かべた彼につられて自分の口元も緩む。
寮のロビーで番号とラインを交換し、軽く手を振り別れた。
なんの変哲もない一日だと思っていたが、思わぬプレゼントに充実感が半端ない。
新しい人と出会いその人柄を探るだけでも面白いのに、それが人形のように美しい人なら尚更高揚感を得る。
一日でその人のすべてを知るのは到底無理な話で、これから時間をかけて知っていける楽しさに震える。
誰かをもっと知りたいと思う気持ちに多少驚きつつ、らしくないけど悪くないとも思う。
人と深く関わらない方がいいと経験上知っているのに、そんな建前は通用しない。
人は美しい物に魅せられる生き物だ。自分も例外ではないらしい。
遠くで見ているだけでも幸せなんて理解できないと思っていたが、彼ならそれも当て嵌まるかもしれない。
欲張りな自分は、話したい、もっと知りたいと願ってしまうけれど。
この出会いに感謝しながら明日を迎えられることに小さな幸せを覚えた。


腹が減ると神谷先輩を思い出す。
また誘ってみようかなと携帯を取りだし、あまりしつこくするのもどうだろうと首を捻る。相手の都合を考えれるようになっただけ成長した気がする。
結局先輩に連絡したのは初めて会った日から三日後だった。夕食を共にし、色んな質問をし、その都度嫌味なく答えてくれた。
自分の話しをしないのに人にばかり聞くのは失礼だと思うが、一度知りたいと思うととことん深追いするタイプなのだ。人間関係以外は。
新しく増えた神谷先輩の情報を頭の中でアップデートする。
文系が得意で運動は並レベル。家族構成は両親と姉が二人。誕生日は十月二日で血液型はA型。
聞けばなんでも答えてくれるが、浅い部分を掬うような回答だった。
どこか、深入りはしてくれるなよという気配を感じたが、察して遠慮などしない。
自分はそこそこ図々しい。京都のぶぶ漬け文化をそのまま受け取るタイプで、厚かましいだの常識がないだのバッシングされる側の人間だ。
関東でこのノリはよくないのだろうかとも思ったが、ずっとこれで生きてきたので今更取り繕ってもしょうがない。
再びロビーで別れ、その後は適当に連絡を取り合い、たまに食事に出かけたり。
ごく稀に彼からも誘ってくれる。そんな日は一層気分がよかった。
彼と知り合って二週間目になると少しだけ距離が近くなり、他愛ない話しで笑い合えるまでになった。自分の気分は相変わらず上々。
ただ、自分のことをどこか子ども扱いするのだけは癪に障る。
たった一歳の違いなんて大したことはないはずなのに、高校生の一年は永遠のように遠い。手を伸ばしても背中を掴めない感じがもやもやする。
そんなところもまた、魅力に感じてしまうけれど。
憧憬というには行き過ぎているのではないかと疑問に思う気持ちも勿論あったが、その答えには蓋をした。


[ 1/13 ]

[*prev] [next#]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -