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今度の休み出かけない?と誘ってくれたのは神谷先輩からだった。
二つ返事で了承したあとどこに?と聞くと、普通そっちを聞いてから返事をするだろと呆れられた。
先輩と一緒ならなんだって、何処だって構わないから気にしなかった。
彼はこちらに越して来たのに観光に行けてない、中学の修学旅行の思い出しかないと言っていたのを覚えていたようで、改めて観光しようよと提案してくれた。
神谷先輩がツアーをしてくれるなら地獄の果てでも喜んで。そう伝えると口が達者だと再び呆れられてしまったけれど。
よく晴れた土曜日、寮のエントランスで待ち合わせをし、電車とバスを乗り継き辿り着いたのは神社だった。

「浅草寺連れて行かれると思ってた」

「それは中学のとき行ったんでしょ?ここの神社は縁結びで有名らしいよ」

「神谷先輩以外の誰かと縁ができたらどうするん」

「神様の思し召しと思うしかないな」

「ほなちゃんと神谷先輩との縁をお願いせんとな」

招き猫の置物が印象的な境内を見渡す。人気なのだろう、若い女性から老人まで幅広い年齢層の参拝者。
みんな神谷先輩をちらっと見てはにっこり微笑む。
きっと日本を観光中の外国人だと思われているのだろう。楽しんで帰ってくださいね、そんな温かい気持ちを感じられるが、残念ながら観光しているのは隣の自分だ。

「秀吉くん、これ写真とると恋が成就するらしいよ!」

先輩は案内を見ながら興奮気味だ。

「撮っとく?」

「撮っとく」

二人で撮影し、こういうのが観光の醍醐味だよねとしみじみとした口調で先輩が言う。
賽銭を入れ、二礼二拍一礼。
神谷先輩が好きになってくれますように。
しっかりお願いをし、瞼を開けた。

「ちゃんとお願いした?」

「したよ。神谷先輩の名前つきで」

正直に白状すると、彼ははは、と声を出して笑った。
今日はいつもより感情も表情も豊かで、彼も楽しんでると思うと嬉しかった。

「さあ次いってみよー」

「どこに行くんか楽しみ」

「一日じゃ色々回りきれないから、エリアを区切って案内するよ」

こっちこっちと手招きされ、スマホを見ながら歩き出す彼の半歩後ろをついて行った。
どうやらルートや乗り換えまで細かく練ってくれたらしい。
手間をかけさせた気はするが、自分のために時間を割いてくれたことが単純に嬉しい。
科学館、博物館と渡り歩き、美術館の前に来たときは彼を止めた。

「俺そっち方面ほんまにわからん」

「僕も。秀吉くんは美術にも詳しいかと思ったけど」

「芸術系は全然だめ。音楽とかもようわからん」

「じゃあここはパス!次行こう」

腕を引かれ待ったをかけた。

「その前に昼飯食わん?」

腕時計で時間を確認すると十五時手前。昼食には遅い時間だが、あちこち見て歩くのに夢中ですっかり忘れていた。
部屋を出る前に摂った栄養補助ゼリーではこれ以上歩き続ける体力が底をついてしまった。

「ご飯のことすっかり忘れてた。ごめんね」

ちっとも悪いと思っていなさそうな軽やかな謝罪。ふっと笑い彼を促すように背中に当てた手に力を込めた。
今日の先輩は学校の中とは少し違う。というか、今までと違う。
当たり障りない笑顔とか、受け答えとか、場の空気を読む繊細さとか、緊張感の中で生まれるそういうものをすべて放り投げた無防備さを感じる。きっとこれが彼の言う素なのだろう。手持ちのカードをすべて晒し、丸腰ですよと示されている感覚。
行動的で、少し自分勝手で、かわいらしい我満や子どもっぽさ。自分が勝手に作りあげた神谷翔のイメージとは違うけど、どれもこれも愛おしい。
駅前にある商業施設の中にカフェや飲食店が入ってたよな、と考えていると、先輩はとんかつが食べたいと言い出し、一軒のとんかつ屋さんを指さした。

「俺はええけど……」

大衆向けのこじんまりしたお店は今時とか、洒落っ気というものと反対の場所に位置している。もっと若者が好みそうな、映えそうなお店のほうがいいのかなと思ったけれど。

「ここのとんかつ美味しいらしいよ。楽しみだね」

遠慮なしに店に入ると、女性店員が普段以上ににっこり笑って出迎えてくれた。
二名様ですかと俺を見ながら確認する。そうです、と答えると二人掛けのテーブルに案内してくれた。
すぐにメニューを決め、先輩がすみませんと手を挙げる。店員さんに二人分の注文をし終え、出されたお茶を啜ると彼は小さく溜め息を吐いた。

「お店に入ると店員さんはいつも一緒にいる人に向かって話す」

「あー……」

それはもうどうしようもないというか、決して悪意があってそうしているわけではない。ただスムーズに事を進めるため、コミュニケーションがとれそうなほうを選択するのは間違ってない。
これがじっくり向き合える普段の会話なら話しは別だが、相手も仕事だし、限られた時間の中で自らの仕事を遂行しようと思えばそういう選択になるだろう。

「でもこの見た目で得することもあるんだよ。雪兎なんて面倒なときニホンゴワカラナイって片言で嘘つくからね」

声を出して笑い、それはいいと頷いた。

「嫌だ嫌だって言ってないで長所と短所のバランスを自分でとらなきゃね」

「うん。先輩はその見た目も込みで神谷翔なんやし」

「そうだね。秀吉くんがいつも大袈裟に褒めてくれるから前向きに考えられるようになったよ」

飾り気のない笑顔がかわいくて、手を伸ばして髪を耳にかけてやった。
運ばれてきたとんかつ定食がテーブルに並ぶと、先輩はわあ、と瞳をきらきらさせた。

「あっちにいると外食も限られるから嬉しいな」

先輩は、いただきます、としっかり手を合わせたあとソースをかけ、大きく口をあけて齧り付くと、生きててよかったとまで言った。

「そんなに?」

「本当に美味しいんだって」

疑いながらも一切れ食べると本当に美味しかった。
こんもり盛られたキャベツの千切りも、大盛りの白米と味噌汁も、高校生男子にかかればぺろりだ。
いくら神谷先輩の線が細くとも、こんなの序の口と言わんばかりにご飯が消えていく。すべて平らげてもまた余裕の表情だ。

「あとで甘いものとか食べる?」

「食べる」

即答され、さすがと笑う。これが景吾なら同じメニューをあと三つは食べられただろうけど。
店を出たあとは宣言通りできたての白玉を提供してくれる店で小休憩した。
陽が暮れそうな西の空を眺め、駅へ向かって歩く。

「本当はまだ連れて行きたいところあったんだけどな」

「それはまた今度の楽しみにとっとく」

「そうだね」

今から帰ると寮に着くのは十九時頃だろうか。
夕食を食べる余白はないのでコンビニで適当に買って夜中に食べよう。算段を整えていると駅についた。
脚が棒のようで、ここから長い時間電車に揺られるのかと思うと少ししんどくなる。寮に近付くごとに乗客は減っていくので立ちっぱなしになる可能性は低いけど。
普段まったく運動しないせいで体力も筋力もすさまじい勢いで衰えている気がする。
電車はほどほどに混んでいたので、奥のスペースに先輩を押し込んだ。
人から遮るように隣に立つと、彼がふっと笑った。

「僕女の子じゃないんだけど。そういうの癖になってるんだね」

「そういうのって?」

「相手をかばって自分が盾になろうとするところ」

言われてから気付いた。
か弱い生き物と思ってるわけじゃないし、彼が男であることはちゃんと理解している。ただ、相手への礼儀というか、誠意というか、なるべく快適に過ごしてほしいというお節介というか。
だけど同性同士でこれをやられると馬鹿にされたように感じたり、見下されてるように感じるかもしれない。

「すまん、別に他意はないんやけど……」

「秀吉くんが今まで女性をどんな風に扱ってたかわかったよ」

「いや、そんな、普通です……」

もにょもにょと口の中で言い訳をすると、彼はますます愉快そうに笑った。
少しは妬いてくれてもいいのに、と思うのは欲張りだろうか。
恋愛対象として見るとは言われたものの、急激に心の距離が縮まるわけはない。なのに焦れて乱暴にで振り向かせたくなるときがある。
友人の枠からはみ出ない会話や触れ合い、だけどたまに、ほんの少しだけ互いの間の空気が熱っぽくなる瞬間がある。
どうにかそれを引き出したくて大童な様は傍からみるとみっともないだろう。
過去、関係を持った女性にこんな自分を見られたらドン引きした、とか言われそうだ。
なりふり構っていられないと必死になるけど、夜眠る前などぽかんと思考が空いた瞬間、自分の行動を振り返って意味もない言葉を吐きながら頭を抱えたりする。
思春期か、と自分に突っ込み、思春期だったと思い直してその日の神谷先輩の姿を反芻しながら眠りに落ちるのがルーティンだ。
思い返すと我ながら気持ち悪い。恋の深度が増せば増すほど人間は馬鹿になるらしい。

「秀吉くん」

服の裾を引っ張られ、はっと顔を上げた。

「席空いたよ」

既に座っていた先輩の隣に腰を下ろす。ふかっとお尻を包むシートと規則的な電車の揺れ。揺り籠のように感じられ、二人揃って眠ってしまった。


寮の最寄り駅についてからコンビニに寄り、お互い食糧を調達した。
ペーパーカップに入った温かいコーヒーを飲みながら歩くと、もう少し話してもいいだろうかと言われ、公園のベンチに並んだ。夜になるとぐっと気温も下がるので、自室に招いてもよかったが感情が暴走しそうで怖かった。
この場所に来ると勝手にキスをした強制猥褻事件を思い出すがしょうがない。

「今日楽しかった。色々調べてくれてありがとう」

「僕も楽しかった。住んでるからこそ行かない場所って結構あるし」

「確かに」

「いつか僕が関西を旅行することがあったら案内してね」

「勿論」

一端途切れた会話の隙間を埋めるように、先輩はカップに口を添えた。

「……秀吉くんのこと知りたいって言ったの覚えてる?」

「覚えてるよ」

「どこまでなら答えてくれる?」

「どこまででも。気遣わんでええよ。だっさい過去とかは隠したいけどそれ以外ならなんでも言うし」

「じゃあ、どうしてこっちに引っ越してきたの?」

真ん中ド直球ストレートボールという感じで一瞬たじろぐ。
回りくどい言い方をしても終点が同じなら最短ルートのほうがいっそ楽だけど。
あまり楽しい話しじゃないし、どう伝えようか逡巡すると、無理ならいいんだと言われた。

「全然。ただ楽しい話しでもないしデートの最後にこれはどうかなあと思っただけ」

「デート……」

「デートやろ?」

「デートならもっと色気のある場所にするよ」

「ほな今度は色気のある場所に連れてって」

わざとおどけた調子で言うと、彼は調べとくよと頷いた。
小さく息を吐き出し真っ黒な空を見上げる。先輩相手に格好つけたがる癖は一旦押し込め、言葉を探した。

「……うち、俺だけ母親違うんよ」

想像していた答えと違ったのだろう。先輩が息を呑んだのが伝わった。

「母親はもう死んでるし、義理のおかんも兄姉もみんなめっちゃよくしてくれる。変に気遣ったり遠慮もせんし、ほんまの家族にみえると思う。でも俺今思春期やろ?なーんかそういうのから逃げたくなって。どうしても自分が異物みたいに感じて、それが毎日大きくなって……」

「……そっか」

「みんなほんまにええ人たちなのに、勝手に捻くれて勝手に拗ねて、はるばる東京まで転校して、ほんまにこれでよかったんかなって思うこともある」

「戻ろうとか考えたりする?」

「そんな簡単に戻れるわけでもないしなあ。でも自分のした行動は正しくない気がする」

どちらにしろ後悔はするのだろうと付け加えると、彼はカップを一旦置いて、空いていた手を両手で握った。

「これは僕の勝手な意見だから流してね。僕は正しいとか、間違いとか、そういう結論を出さなきゃいけない問題じゃないと思う。秀吉くんにとってどちらが幸せか、判断基準はそれだけだと思うよ」

真っ直ぐ見つめられると逃げたくなる。なのに先輩は逃げ場を先回りして塞いでいく。

「僕は秀吉くんが転校して来てすごくよかったと思う。関西にいたままだったら出会ってないし、今みたいに並んでお茶啜ることもなかった。遊びに行ったり、喧嘩したり、仲直りしたり、そういうことを秀吉くんとできてすごく嬉しいよ」

手をぎゅ、ぎゅ、と緩急をつけて握られ、自然と口角が上がった。

「秀吉くんの事情を考えると素直に喜んでいいのかわからないけど、楓くんたちだって同じ気持ちだと思う。君がここに来た意味はあって、君の存在で幸福になる人たちがいる。ご家族の方は寂しいだろうけど、僕たちはラッキーだよ」

暗闇の中でも透き通ったアイスブルーが弧を描く。その笑顔を見るとつられて笑ってしまう。

「ありがとう」

「慰めるために言ったんじゃないよ。本音だから」

「わかってる。今日の先輩はがんばって素でいようとしてるから。言葉も性格も飾らないようにしとるよな」

「もう開き直って全部見せようと思って。それでも好きって言ってくれるならそれはもう本物って信じるしかないでしょ」

「今日もっと好きになった」

「……そう」

不自然に顔を背けられ下から覗き込むと、見るなと言いながら赤くなる顔を腕で隠されてしまった。
もしかしたら彼は今までも余裕綽々で微笑む裏で、赤くなったり青くなったりする自分を隠してきたのかも。
年上で、余裕があって、いつも冷静。
今まで見てきた神谷先輩は張りぼてで、だめな部分を上手に隠しながら器用に振る舞っていただけだとしたら、そんなのますます好きになってしまう。

「顔見せてよ」

「嫌だよ」

「赤くなってるから?」

「秀吉くんってたまに意地悪だよね」

「好きな子ほど虐めたくなるってやつ?俺の一言で赤くなったり青くなったりするのたまらん」

「悪趣味だな……」

先輩は限界まで首を捻じり、遂には後頭部しか見えなくなった。
後ろからやんわり抱き締めると、緊張で身体が強張るのがわかった。

「俺、こっちに来てよかったって思うことたくさんあった。でも先輩がつきあってくれたらもっとそう思える」

「それ僕の良心につけこんだ脅迫だよ」

「それくらい強引にいかんとすーぐ逃げるから」

「逃げないよ」

先輩は力強く言いきり、背けていた顔を戻した。

「僕は秀吉くんから逃げないって決めた」

返す言葉を探していると、彼は表情を和らげ買い物袋を持って立ち上がった。

「風邪ひくから帰ろうか」

押すなら今では?と思わないでもないが、急いては事を仕損じるという。自分がへたれてるだけともいう。
急いで囲み込もうとすると警戒心むき出しで逃げられる。彼が自分で納得して気持ちを判断するまで辛抱強く待とう。
言葉や態度やその場の雰囲気で彼を自分のものにする方法はあるかもしれない。
でも雰囲気や空気に流されて決めると、ふとした瞬間これでよかったのかと自問自答してしまう。それは結果的に良い結果をもたらさないだろうし、疑問が残る関係なんて望んでない。
だからどのくらい時間がかかってもいいから、先輩自身で恋にするか、しないか決めてほしい。それが一年後だろうと、二年後だろうと待てるから。できればこちらにとって良い結論を出してくれるとありがたいのだけど。


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