5
昼休み、今日はパンが食べたいと言い出した涼により購買部へのおつかいじゃんけんが勃発し見事負けた。
全員分のパンを僕一人で買って来いというのかこのド畜生。昼休みの購買部は戦場なのに。
じゃんけんの弱さを呪いながら財布をポケットに突っ込むと、仁が俺も行くと言い出した。
珍しいこともあるものだ。どんな風の吹き回しだろう。
並んで歩く仁の顔を覗き込むようにすると、なに?と斜め上から見下ろされる。
「なにを企んでんだろうと思って。仁が親切なんて怖い」
「俺はいつも親切だし翔に優しいだろ」
「仁の優しさの基準ってすごく甘いんだね」
憎まれ口を叩くとぎゅっと片耳を引っ張られた。
購買前の人だかりを見た瞬間帰りたくなる。これなら学食のほうがましだ。
生徒数に対して購買部の規模が小さすぎる。
食欲旺盛な男子高校生は学食とは別に購買のパンを間食として購入する者も多い。
溜め息を吐きながら仁の胸を拳で叩く。盾の役割頼むぞという意味だが、正しく伝わったらしく雪崩を起こしそうな人混みで背中を守ってくれる。
種類をゆっくり選ぶ時間はないので目一杯手を伸ばしながら触ったものを腕に抱える。
これくらいでいいだろうかと会計を済ませ、パンが詰め込まれたビニール袋を仁に手渡した。
膝に手をつき溜め息を吐くと頭上で仁が笑った気配があった。
「なに」
「一分の隙もない神谷先輩がこんなにぐちゃぐちゃになってるの珍しいなと思って?」
「さてはそれを見るためについてきたな」
睨むと仁は怖い、怖いとおどけたように言った。
ついでに自販機で飲み物を購入すると、仁に肩を叩かれた。
「秀吉だぞ。今日は逃げずに立ち向かえば?」
「本っ当に仁は言い方が悪い!」
購入した牛乳やコーヒーを押し付け、言われなくてもと気合を入れ直して少し離れた場所にいた秀吉くんの元に駆けた。
秀吉くんと一緒にいるのが柳くんじゃなくてよかった。そう思ってから何でそんな風に思うのか、自分の気持ちに釈然としないなにかを感じた。
夏目くんと穏やかに笑う彼の制服を引っ張り、こちらを視認した彼は一瞬眉根を寄せた。
今さっき入れた気合がしおしお萎んでいきそうになる。
「神谷先輩、こんにちは」
「こんにちは」
正しい挨拶を欠かさない夏目くんは礼儀正しさの化身だ。
「僕先に行ってるからごゆっくり」
ぺこりと一礼され、手を挙げてそれに応える。
秀吉くんは首裏に手を当て、まいったなと困惑した様子を隠しもしなかった。
いくら自分が図太い神経をしていても、あからさまな態度や表情は普通に傷つく。
今日一緒に帰ろう。誘い文句は喉を通る前にぱちんと消えた。
「あの……」
一度俯き、再び顔を上げると秀吉くんは背後の仁に視線を移していた。
「木内先輩と飯食いに来たん?」
「購買におつかい。僕じゃんけんで負けたから。仁は付き添い」
「そっか」
会話が途切れそうな気配を察し、切迫感から口を開こうとした瞬間、彼がぽんと背中を叩いた。
それじゃあこれで、という合図と察したが気安く触れてくれたことに安堵し待ってと背中に声を掛ける。
「今日、一緒に帰らない?以前君が美味しいって言ってた紅茶、また買ったんだ。よかったら……」
「翔!」
仁が呼ぶ声が聞こえ、タイムリミットかと肩を落としながら背後を振り返る。
戻らなきゃ。そう言おうとした瞬間、秀吉くんに腕をぎっちり握られた。
「……すまん。授業終わったら迎えにいく」
ぱっと手を放すと、秀吉くんは苦しそうに笑った。
「……うん。ありがとう」
それじゃあと今度こそ仁の元に駆ける。
「ごめん、お待たせ」
「いや」
仁に押し付けていた飲み物を受け取る。
仁はちらりと目だけで背後を見たあとくっくと笑った。
「睨んでる睨んでる」
なにが?と聞く前に肩を抱かれるように引き寄せられ、耳元でお前も大変だなと労われた。
一体なんのはなしをしているのかわからない。首を捻って彼を見上げる。
「……その顔。そのときの仁はろくでもないこと考えてる」
「爽やかな笑顔だろ?」
「王手とる前の嫌な笑顔だよ」
「翔は俺に当たりがきつい。俺も爽やか王子様な神谷先輩がいいなー」
後輩にそんな風に評されるのをおもしろがって、こうしてたまに揶揄される。
ただ普通に不愛想にならぬ程度に接しているだけなのに、どうしてそんな風に言われるのかわからない。
この見た目のせいだろうか。
金色の髪を引っ張って黒くしたい、と呟いた。
「いっそ青とかピンクにしとけよ。色素薄いから綺麗に色入るって楓が言ってたぞ」
「そうだね。仁が赤にでもしたら考えてやるよ」
「俺は別に赤でもいいけど」
「う……」
この男本当に染めそうだ。
そのときは全員で止めにかかろう。
宣言通り秀吉くんが放課後教室に顔を出した。
「久しぶりだな秀吉ー」
さっそく涼に絡まれうんざりした笑みで近付く涼から距離をとっている。
助け船を出そうと涼のカーディガンを背後から引っ張った。
「無駄に絡まない」
「かわいい後輩をかわいがろうとしてるだけなのに」
はいはい、といなしてさっさと廊下に出た。
迎えに来てくれたということは秀吉くんの機嫌は向上したのだろうか。
このまま何事もなく元通りになれるなら余計なことは聞かず、ここ数週間のよそよそしさも水に流してやろう。
だけどやはり彼の態度は変化なしで、今日は特に不機嫌な顔をしている。
わざわざ迎えにまで来てその態度。もう本当にわけがわからない。
嫌いなのか、好きなのか、はっきりしてくれたらいいのに。
前向きにがんばる心は日々摩耗し、今は残りカスをかき集めている状態だ。
苦しさから解放されるため、もう彼に関わるのはやめようとすら思う。
僕の前での彼はどちらかというとわかりやすい人間だった。
好意を存分に出すものだから安心して笑えたし、緩衝材のように優しく受け止めてくれるから飛び出すのもへっちゃらだった。
言葉が喉でつかえるような、ざらりと嫌な舌触りのような、こんな空気で無理に一緒にいたって意味がない。
どうしたって以前のように戻れないのだろうか。
せっかく仲良くなったのに。
小さく溜め息を吐く。
「……木内先輩」
ぽつりと彼が言い、ぱっと顔を上げた。
「ゆうきにちょっかい出しとるの知ってる?」
「……ああ、うん」
「どう思う?」
「仁らしいなあと思うけど」
「どういう意味?」
「仁は昔から和風の綺麗な子が好きだから。黒髪がよく似合うような」
「先輩とは正反対な、ってこと?」
「まあ、そうだね」
「悲しい?」
「なんで僕が悲しむ必要があるの」
おかしな質問にふふ、と笑うと秀吉くんは迷子の子どものように眉を八の字に変えた。
「……木内先輩のこと、どう思う?」
「今日は変な質問ばっかりだね。仁は……うーん。いなくなったら困る程度には好きかな」
「特別ってこと」
「まあ、特別といえば特別」
素の自分を見せられる友人は他にもいるけれど、無遠慮に甘えたり悪態をついたり、家族のように過ごせるのは仁だけかもしれない。
仁とは教室でも寮でも一緒。
一年のうち一番時間を共有している。
そうなると友人と形容するには浅いし、だけどそれ以上となると家族か恋人しかなくて、でもそのどちらでもなくて。
どんな言葉に当てはめればいいのかわからないけど大事な人には違いない。
改めて考えるとくすぐったくて、取り繕うように笑うと秀吉くんに腕をぎっちり握られた。
「ほな俺は。俺は特別?」
なんだよ、その質問。
そんな風に流して笑えばよかった。
彼の瞳がらしくないほど真摯で、少し怒りが滲んでいたから咄嗟の誤魔化しができなかった。
うるさい心臓を理性を総動員して抑え込む。冷静に、いつものよう笑え。
「……君のことも大事に思ってるよ」
にっこり微笑むと秀吉くんは腕を放し、嘲笑するように短く笑った。
「さすが、模範解答」
言葉の意味がわからず眉根を寄せた。
模範解答もなにも、僕は友人全員を大事に思っている。友達なのだから当たり前だ。
好意を寄せてくれる人にはなるべく好意で返そうとと思うし、悪意をぶつけられれば突っぱねたくなる。いたって普通の反応と感情だと思うのだけど。
「先輩最近俺に構うようになったけどなんで?」
射るような瞳に一瞬たじろぎ、後ずさるなんて情けない真似したくないと意地になって視線を合わせ続けた。
「君が僕を避けるみたいにするから。僕は前みたいに普通に仲良くしたくて……」
「好きやって迫られて無理にキスまでされたのに?」
「そのことは忘れようって言っただろ?僕は気にしてない」
彼の罪悪感を軽くしようと必死に言い募ったのに、秀吉くんはますます怒ったように見えた。
どうして。どう言えば正解なのかわからない。
気にしてないよ、もう大丈夫だよ、そうやって心を解すのが最適解ではないのか。
「応えられない好意をぶつけられんのってきついし、もう嫌やって思わん?」
「君と一緒にいたくないとか、嫌だとか思ったことないよ」
素直な気持ちだったのに、彼は長い溜め息を吐いて項垂れるようにした。
「男に好きやって言われんのきついやろうし、キスまでしてもう完全に積んだと思った。叶わないのに追いかけるより普通に女紹介してもらってつきあったほうがええなとか」
秀吉くんの棘が自分の心臓を刺した。
そうか。彼は僕を諦められるしかわいらしい彼女を作れる。
当たり前のことなのに言われるまで思いもよらなかった。どうかしてたのは僕のほうだ。
「これでも結構がんばって忘れようと思ったんやけど。引いてんのに先輩は押してくるし」
「だってあんなことで終わらせたくなかった。折角仲良くなれたのに」
「だから前みたいに僕を好きって言えって?友達以上にはなれんのに。それって結構自分勝手やない?」
「僕はそんなつもりじゃ……」
「先輩は誰かに好かれてる事実がほしいだけとちゃう。打算のない肯定感って気持ちええもんな」
「……え」
「香坂先輩に長いこと片想いして、失恋して、もうへとへとやったやろ。そんなときに俺みたいなのが現れたら気分ええよな。好きやって必死に縋って、言いなりになって。その心地よさがほしいだけで俺やなくともええんとちゃう」
なにを言われているのかわからず、ぼんやりと彼を見上げた。
「愛されてからやないと人を好きになれん人間っておるよな。最終的に相思相愛になるならええけど、片想いで終わる相手は振り回されてしんどくなる」
「……僕がそうだって言いたいの?」
「俺にはそう見えるけど」
拳を握って俯いた。
悔しい。悔しいのに感情を上手に言葉にできない。
「……お迎えやで」
とん、と肩を押され、秀吉くんが指さした先には仁がいた。
こちらに気付いた仁はひらっと手を挙げた。
「木内先輩には随分心許してるみたいやん。俺の代わりがあの人でもええやろ」
冷酷な瞳で一瞥され喉が凍った。
そんな顔は初めて見た。神谷先輩と仔犬のように笑う、かわいらしい顔が彼のすべてと思っていた。
何か言う前に秀吉くんはさっさと歩き出し、寮の門を抜けて行った。
後にも先にも進めず握った拳が白くなった頃、追いついた仁にどうしたと顔を覗き込まれた。
「すげえ形相。泣きそうになりながら怒るとか器用だな」
「……悔しい」
「なにが」
「僕は……僕は……」
僕は、彼をどうしたかったのだろう。
友達以上になれないのに以前の関係を求めるのは自分勝手。秀吉くんはそう言った。
だって秀吉くんから言ったんじゃないか。ただの先輩後輩でも構わない、振るならもっと自分を知ってから振ってほしい。
だから僕は知ろうと思ったし、事故のようなキスはなかったことにして、リセットしてまた彼の色んな表情を知ろうと努力した。
なのにあんな言い方。
「……怒りと悔しいと悲しいが一気に押し寄せて処理できない!」
「あー、よくわかんねえけど部屋戻ろうぜ。昨日のお返しに俺が紅茶淹れてやる」
「いい!仁淹れるの下手だから!」
「じゃあ翔が淹れて。落ち着いたら泣くなり怒るなりしろ。な?」
「……うん」
後頭部の髪をくしゃりとされ、鼻を啜った。
仁の存在に天辺を指した感情の針が少しだけ速度を落とす。
整理して考えなければいけないことはたくさんある。
なのに秀吉くんの辛辣な言葉が何度も何度も繰り返されるばかりだ。
そんな風に見えていたのかと落ち込みそうになり、馬鹿にするなと怒りたくなり、どうしてわかってくれないんだと癇癪を起したくなる。
振り回されるのはしんどいと彼は言った。そっくりそのままお返ししたい。
きっと自分は無自覚で秀吉くんを振り回していた。だけど君だって現在進行形で僕を振り回している。
ならもうやめたとなれないのはどうしてだろう。
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