4




四六時中秀吉くんのことを考えてしまう自分に愕然とし、胸の奥にもやがたまっていく。
それは次第に重油のように沈殿し、どんなにブラシで擦っても消えてくれなくなった。
なんで僕がこんな風に悩まなければいけないのだろう。
悲しみを怒りにすり変え、すぐに自分勝手さに呆れ、どうしたいのかわからず途方に暮れる。
それを何十回、何百回と繰り返し、最近では沈んでいるのが普通になってしまった。
ただ僕は普通に話したり、ご飯を食べたりしたいだけなのに。
あんな事故みたいなキス、なかったことにするのは簡単だろう。
家族以外とキスをしたのは初めてだったけど、だからって今更責任とれとか、節操なしと詰ったりしない。
自分は男だし、初めてに拘るほど重要視もしていない。
秀吉くんだってファーストキスでもあるまいし、一瞬理性と欲望の天秤が不具合を起こしてあんなことになってしまったと結論付ければいい。
言い方は悪いが被害者の自分がなかったことにしようと言ったのだから、秀吉くんはそうするよう努めるべきではないか。
学祭のときは割と普通に話してくれたのに。
椅子に深く腰かけながら机上をぼんやり眺めた。
たらればを考えたり、ありもしない未来を想像したり、そういうのは意味がない。
もし秀吉くんが罪悪感から僕を遠ざけているのなら、こちらから歩み寄る努力をすればいいのではないか。
なにも気にしてないよ。だって僕たちはなにも変わっていないのだから。
上辺だけでもそうやって振る舞えば、彼も安心して両手を広げてくれるかもしれない。
鞄を掴み一年の教室が並ぶ階へ向かった。
あちらこちらから騒がしい声が響き、廊下でじゃれ合ったり、わき目も振らず走ったり、随分と賑やかだ。
自分たちの学年も相当うるさいと思っていたが、上には上がいたらしい。
秀吉くんのクラスをひょっこり覗く。
いつもの五人で楽しそうに談笑しているのを見つけ、変わらぬ笑顔にほっとする。
お話し中に割って入るのもなあ、と逡巡すると楓くんに呼ばれた。

「せんぱーい。誰に用事ー?」

よく通る声で窓際から叫ぶものだから、室内全員の視線がこちらに刺さる。

「もしかして秀吉ー?」

問われ、こくりと頷く。
どんな反応をされるか怖かったが、秀吉くんは首を傾げながらこちらに近付いた。
ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、何か用事?と笑顔を浮かべる。
人当たりの良い柔和な笑顔は秀吉くんの特徴だけど、僕の前で見せていたそれとは少し違う。
やっぱりだめかあと気を落としそうになって、めげるなと喝を入れる。

「……一緒に帰れないかなと思って」

「俺と?」

心底驚いた顔をされ、なにかおかしなことを言っただろうかと不安になる。

「……君と。でも楓くんたちと約束があるならまた別の機会に……」

「約束はないけど……」

けど、の先を濁され鞄の持ちてをぎゅっと握った。
約束はないけど僕とは一緒に帰りたくない。そういうことだろうか。
なぜ、どうしてそんな毛嫌いされるようになってしまったのだろう。
なにか傷つけるようなことを言ったなら謝るし、直してほしいところがあるなら善処する。
理由も言わずにさよならなんてひどいではないか。
また責めるようなことを考え、慌てて思考を振り払った。

「……まあ、ええか。ちょっと待ってて」

一度席に戻り鞄を肩にひっかけた秀吉くんと並んで歩く。
相変わらず彼から話題を提供してくれないとなにを話していいのかわからず、重苦しい沈黙が二人の間を支配する。
こんなんで一緒に帰る意味はあるのだろうか。
自分はつまらない人間だと常々思ってきたが、これほど上手くできないとは。
思えば友人たちは賑やかな性格が多い。
こちらが気を揉まずとも勝手に喋って勝手に笑って、そういうところに甘えた結果、自発的に誰かと関係を結ぶのが下手くそな人間になってしまった。
高校二年でこれってやばい。
靴を履き替え、校門を抜けてからも楽しい話題は思い浮かばず寮は目前だ。
どうしよう。
俯いてばかりいると、秀吉くんにぽんと背中を叩かれた。

「なんか言いたいこととかあった?わざわざ一緒に帰ろうなんて」

言いたいことなら山ほどある。
でもどれもこれも自己中心的な我儘だ。言えるわけない。
精一杯の努力で口端を持ち上げた。

「なにもないよ」

「……そうか?」

「うん。ただ一緒に帰りたいと思ったから……」

「なら、ええけど」

決して棘のある声色じゃない。
表情だって穏やかだ。
なのに怒っているような気がする。
どうして僕が怒られなければいけないのか。迷惑ならそう言ってくれればいいのに。

「迷惑だった?」

ぽろりと言葉が零れ、しまったと顔を顰めた。

「迷惑?」

ここまできたら言ってしまえとやけっぱちな気持ちで口を開いた。

「一緒に帰ろうとか、嫌だったのかなと思って。なんか、怒ってるみたいに感じたから」

「……そんなことないよ」

また微笑みの仮面。
しょんぼり肩を落とす。
気持ちをぶちまけてくれたらこちらも対処のしようがあるのだけど、彼は本音を隠すのが上手だ。
エントランスでまたと手を振られ、こちらも小さく振り返す。
部屋に遊びに行っていい?といつもなら言ってくれたのだけど。
あーあ、と一人ごちる。
嫌いになったならそう言ってくれればいいのに。
そうしたら関係を元に戻す努力なんてしないし、納得して離れる。
距離を置かれる理由がわからないからこんなにむしゃくしゃするのに、秀吉くんは後手にしまい込んでばかりだ。
苛々してきて、そっちがその気ならこっちだって本音を言うまでしつこくしてやるとおかしなベクトルに闘志を燃やす。
もううんざりだとか、嫌いだとか、なんだっていい。
隠してばかりの本音を引き出すまで粘ってやる。
見た目によらず気が強いと言われ続けた僕を舐めるなよ。
ふん、といじけた気持ちで自室の扉を開けた。


お昼一緒に食べない?と誘うと三回に一回了承してくれる。
一緒に帰ろうと誘うと五回に一回頷いてくれる。
相変わらずあまり話そうとしないので、こちらがどうでもいいことを話し、彼はうんうんと相槌を打つ。
穏やかな時間だけれど、秀吉くんの雰囲気に棘が混じるのを見逃さなかった。
昼食を一緒にするたび、放課後一緒に帰るたび、その棘はどんどん質量を増していった。
そろそろだろう。彼がなにもかもぶちまけるのは。
早く来てほしいような、来ないでほしいような。
嫌われているのかもと思いながら誘うのもしんどくなってきた。
自分は図太い性格をしていると思っていたけど、繊細な面は健在らしい。
面倒くさいと自分をいじめて、自己嫌悪するのも飽きてきた。
自室のラグに座り、片頬をテーブルに貼り付けた。

「あー……」

意味のない溜め息を吐くと背後のソファに座る仁がふっと笑った。

「なんだよおっさんみたいな声出して」

「僕だっていつかおっさんになるからね」

「翔がおっさんとか想像つかねえな」

「仁は想像できるよ。今でもセクハラするおっさんっぽいから」

「セクハラなんてしませんー。コンプラ守りますー」

「本当かなあ。氷室グループ御曹司を盾にかわいい社員食べちゃだめだよ」

「んなことしたら親父に殺される」

ふふ、と笑うと気色悪いと失礼な言葉が飛んできた。
どん底を必死に生きている人間にそんな風に言うなんて。仁はいつでも意地悪だ。もうなんだっていいけれど。
もう一度溜め息を吐くと背後から腕を引かれ、仁と対面して跨る格好になった。
もうどこにも力を入れられず、仁にべったり凭れるようにすると、ぽんぽんと背中を叩かれ意味もなく感情が滅茶苦茶になりそうになる。

「なんかしんどいことあったんだろ。最近お前の様子がおかしいって涼に言われたぞ」

「……おかしいってわかってるのに涼は慰めてくれないんだ」

「俺が聞いてもどうせ強がるだろって」

「……そうかも」

「仁には甘えるだろ、ってよ」

「ああ、そっか」

指摘されてから気付いた。
涼の前で格好つけたくなるのは癖だ。好かれたくて格好いい男であろうとした。もう必要ないのに長年の癖は簡単に剥がれない。
対して仁とは同室だしだらしない部分も曝け出している。気を落ち着かせる部屋でくらい素の自分でいたかったから。
それがいつしか弱いところも見せるようになって、甘えたり甘やかしたり、持ちつ持たれつな関係になった。
だらんと身体を弛緩させ、仁の肩に頬を預ける。
規則的に背中を上下に摩られ頭の中がぼうっとする。
もう何も考えたくない。

「……秀吉か?」

突然の問いに肩が強張った。正解、と言っているようなものだ。
今更仁に隠し事なんて無意味だし、と開き直る。

「……なんか急に距離置かれて。理由も言わないから嫌われたのかなと思って」

「理由聞けば?」

「隠すんだよ。だから今言わせようと躍起になってるとこ。でも嫌われてる相手に構うのって結構しんどい」

「嫌われてるねー……」

「なに、その含みを持った言い方」

「別にー?」

「いいんだけどさ。嫌われるのなんて慣れてるし。小さい頃からガイジン、ガイジンっていじめられてきたしさ」

「中等部のときもそんなんだったよな」

「そうそう。涼が助けてくれて……」

幼稚な揶揄を繰り返すクラスメイトにそういうのやめれば?と涼が言ってくれた。
自分の容姿が大嫌いで、真っ直ぐ顔を上げられなかった。
涼に人と違うからいいんじゃんと言われ少しずつ前を向けるようになった。
今でも金色の髪も蒼い瞳も嫌だなあと思うことは多いが、それも徐々に受け入れられるようになってきた。
涼にとっては何気ない一言だったのだろう。
だけど僕は救われたし、憧憬と恋慕を抱くのを止められなかった。
懐かしくなって小さく笑った。

「涼は中等部の頃から変わらないよね。俺様涼様」

「中等部の頃からじゃない。生まれたときから変わってない」

「はは、涼らしいや」

今は涼のことを考えても胸がどきどきうるさく鳴ることはなくなったし、振り向いてほしいと躍起になることもない。
少し寂しいけれど恋を友情に上手くシフト変更できてよかったと思う。

「……俺は秀吉はもっと単純な男だと思うぞ」

仁の真摯な声に目線を上げた。

「翔が秀吉をどんな男に仕立ててんのかわかんねえけど、もっと簡単に考えたほうがいいんじゃねえの」

「簡単に考えると理由はわからないけど嫌われました、で終わるけど」

仁は深い溜め息を吐き、お子ちゃまのお守りも楽じゃないと言った。

「たまにはお守りしてくれてもいいだろ。いつもは僕が保護者してんだから」

「俺はちゃんとしてるもんね」

「してない。涼と仁を宥めるのに僕と拓海がどんなに苦労してるか」

「はいはい」

そのとき、ソファの背後の扉がこんこんとノックされた。
この部屋を訪ねるのは共通の友人くらいなので、だらしない格好を正そうとせず仁に深く凭れたまま、首筋に顔を埋めてやさぐれる心を抱えた。

「鍵あいてる!」

仁が声を張ると、遠慮がちに扉が開く音がした。

「おー、秀吉」

首を捻るようにした仁が言い、ぎょっとして慌てて瞳を閉じた。
寝てます。僕は寝てます。
何故狸寝入りをしているのかわからないが、完全に気が緩んだ状態で秀吉くんと対峙するとわけのわからないことを言い出しそうだ。
こんな情けない姿は仁にしか見せたくない。

「……神谷先輩は…」

「ここ」

顎をしゃくるようにした仁に、小声で寝たふりすると囁いた。

「……あー、寝てる。悪いけど動けねえからこっち来いよ」

呼んでどうすんだ。仁の脇腹をぎゅうっと抓った。

「いっ――……」

秀吉くんの気配が近付く。上から覗かれているような気がする。
寝てます。深い眠りについてます。

「起こすか?」

仁め。見えないところで更に強く抓る。

「……いえ。これ、楓の代わりに返しにきただけなんで」

「おー、言っとくわ」

用が終わったなら早く去ってほしいのに、秀吉くんは無言のまま帰ろうとしない。
目を開けなくともわかる。視線が痛いくらいに刺さっている。

「まだなんかあんのか?」

「あ、いえ。神谷先輩って木内先輩と距離近いんやなと思って……」

「ああ、これな。赤ちゃんコアラみたいでかわいいだろ」

あとで覚えてろよ仁。

「……神谷先輩ってパーソナルスペースはっきりしてる人やと思ってたから意外で」

「翔がこうなるのは俺だけ」

意地の悪い声色。
仁はよくこうやって相手を挑発する。だから敵も多いのだが本人は遊んでいるだけと言う。まったくいい性格をしている。

「気になる?」

「……いえ。ほな、お邪魔しました」

扉が閉まった音を聞いてから勢いよく顔を上げた。仁の両頬を抓る。

「じーんー」

「なんだよ匿ってやっただろ」

「面白がってた!寝たふりすんのも楽じゃないんだよ!」

「じゃあ寝たふりなんてしなきゃいいのに。何で逃げんだよ」

「それは……」

口を引き結ぶと後頭部を撫でられた。

「ま、俺は面白ければそれでいいけど」

「人で遊ぶなって何度も言ってるのに。性格悪い」

「翔には負ける」

ぎりっと奥歯を噛んだ。
仁になにを言っても無駄だ。手ごたえがないし、むきになるだけ馬鹿みたいだ。
呆れた溜め息を吐き、仁の上からどいた。

「珈琲飲む?」

「飲む」

「今日は匿ってくれたから特別に淹れてあげる」

「やっさしー」

微塵も思ってない言い方だがまあいい。
明日か明後日、また秀吉くんを誘ってみよう。
しんどいけどここでやめたら本当に縁が切れてしまう。
お湯を沸かしながらもう少しがんばろうと拳を作った。

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