たとえば




待ちに待った学園祭が始まった。
お祭りや学園の行事は好きだ。勉強をしなくて済むし、皆で一つになる感覚が心地よくて。
ただ着物は予想以上に苦しくて大変だった。
けれどお客さんや香坂先輩が何でも食べろとご馳走してくれたので、自分にとっては役得だった。
今日も沢山食べられると幸せだ、そんなことを考えながら、学園祭二日目。苦しい着物もなんのその。
苦しくとも不思議と食べ物は入る。クラスメイトは呆れていたし、自分でも新たな発見だった。自分の胃袋はまだまだ可能性を秘めているらしい。

梶本先輩が来てくれたらなによりも嬉しい。
思ったが、忙しいのか彼は一度も姿を見せなかった。

二日目も、仕事がようやく終わり、途中退席した楓を心配しながら着替えを済ませた。
ゆうきと何処を回ろうかと相談していたが、木内先輩がゆうきを持って行ってしまった。
寂しくとも二人の仲は邪魔しない。
折角時間ができたので、一人で先輩のクラスに行こうと決めた。
パンフレットを開いて3-Eを探す。グラウンドの方だ。
先輩はいるだろうか。いたら少しでもいい、話がしたい。

浮き足立つ気持ちを押さえながら、軽い足取りでグラウンドへ向かった。
すぐにE組の出店発見したけど、先輩の姿はなかった。
落胆したが折角ここまで来たので屋台へ近付いた。

「林檎飴ひとつください」

「はーい、三百円だよ」

財布から百円玉三枚を取り出し、係の先輩へ手渡す。

「特別大きいのにしたから」

「ありがとうございます!」

キラキラと光る宝石のような林檎飴を一舐めした。
甘ったるさが口内を支配し、それがとても幸せだ。
林檎飴は大好きだ。年に一度食べられるか、食べられないか、貴重な存在だと思うし、水飴の甘さと小さな林檎の酸味が刺激的で美味しい。
先輩に会えずに一気に萎んだ心を林檎飴が溶かしてくれる。
一緒に回る約束もしていないし、先輩には先輩の都合があるだろう。
真っ赤で、透明で、小さな気泡が海の中のようだ。それをばりばりと齧る。
これからの予定を立てたが、さすがに疲れてしまったし、友人とは別行動だ。
他の友だちと回る手もあるが、少し休憩をしたかった。
半分ほど飴を齧り終え、保健室に向かった。

扉には天野先生不在のプレートがかかっている。
これは幸運だ。心置きなく横になれる。
保健室の扉を開けると同時にベットを区切っているカーテンが開いて、梶本先輩が出てきた。

「先輩?」

「景吾…」

こんなところで会えるとは思っておらず、嬉しくで顔が緩む。

「具合でも悪いんですか?」

駆け寄りながら聞いた。

「いや、大丈夫だよ。景吾こそ、何で保健室に?」

「少し疲れたんで休憩しようかと」

「そっか。じゃあ俺の部屋で休んだら?」

「部屋、ですか…?」

一瞬、この前先輩の部屋での行為を思い出して身体が縮んだ。
快感よりも苦痛の方が鮮明に覚えているし、身体もそうらしい。

「そう。よかったらおいでよ」

「じゃあ、お邪魔します」

二つの答えで迷ったが、折角誘ってくれたのだし、無碍にしたら今後一切誘われない。そんな気がした。

「じゃあ行こうか」

ぽんと背中を叩いて促され、回れ右をした。
扉を開けようとすると、再びカーテンが開く音がして、咄嗟に音のする方を見た。
見たことがない人が、さきほど梶本先輩が出てきた場所から顔を出す。
ネクタイの色で二年だと判断できるが、何故同じ場所から出てくるのだろうか。
呆然と眺めていると、気怠そうに髪の毛を梳いているその人と目があった。

「梶本先輩…」

先輩の制服を軽く引っ張り、懇願するように顔を見た。
同じベットから出てくるなんておかしい。
恋愛経験がなく、馬鹿で単純で鈍感な自分でもわかる。
彼が纏っている空気は自分にも身に覚えがある。

「何してたの…?」

答えは聞かなくともわかっているが、勘違いかもしれない。小さな希望に縋った。
先輩はすっと自分から瞳を逸らした。

「何って…。セックス」

なにも答えない梶本先輩に代わり、二年の先輩が悪びれもなく言った。
自然すぎて、こちらもさらりと流してしまいそうになる。
単語が何度も何度も頭の中でリフレインしている。
全身の血がさっと引いたのがわかった。
容赦なく囁かれた現実に向き合えない。

「え…。でも、梶本先輩は…」

理解しているのに、頭が理解することを拒んでいる。
梶本先輩が長く息を吐いた。

「景吾、とりあえず俺の部屋行こうか」

「部屋って…。だって、あの先輩は?」

「いいから、こっちおいで」

先輩に腕を引かれ、混乱しながら先輩の部屋へ押し込まれた。
自分たちが恋人になったものだと思っていた。
はっきりとした言葉はなかったし、約束をしたわけでもない。
それでも、男同士ならそんな風にお付き合いが始まることもあるのだろうと思っていたし、未来に期待をして眠れない日もあった。
それはすべてこちらの勘違いだったのだろうか。
呆然としていると、梶本先輩はソファに座ってこちらに首だけ振り返った。

「こっちおいでよ」

先輩の表情はいつもと変わらない。動揺もしていない。
まるでなにもやましいことはなかったかのようだ。
あまりにも自然体なので、あの先輩の言葉が嘘に思える。
ぐにゃりと思考が捻じれて絡まり、歪な色に混ざっていく。

「あの…。どういうことですか?」

本人の口から真実を聞きたいが、聞いたら一生立ち直れない。

「どういうことって?」

「何で、あの人と…」

「暇潰し。あいつも俺に本気なわけじゃないから」

否定してくれと願ったが、あっさり肯定された。
心臓がうるさいし、耳に薄膜が張ったように世界の音を濁らせた。

「…で、でも。俺がいるのに…」

「もちろん景吾も好きだけど誰か一人に絞るつもりはないよ」

苦しい告白だが、頭の隅でああ、やっぱりと思った。
そういう可能性も感じていたのだろう。認めなかっただけで。

「…俺は。俺は梶本先輩が一番好きです」

「嬉しいよ」

言葉ではそう言うが、彼の瞳は徐々に熱を失っていく。
こんな自分をひどく面倒に思っている。表情でわかる。後腐れなしの遊び上手。それが彼が望んでいる関係だ。
最後に一つだけ聞きたくて口を開いた。

「俺たちの関係って…。何なんですか…」

「なんだろ。あえて言えばセフレ?」

それを聞いてゆっくりと瞳を閉じた。
じっくり考えたい。自分が考えたところで意味はないが、置いてけぼりにされて、心も頭も混乱する。

「嫌いになった?」

瞳を開けると、先輩が顔を覗き込んでいた。
そしてまたあの表情だ。捨てられる寸前の犬みたいに、助けを求めるような顔をする。
助けてほしいのはこっちだよ。
傷ついているのもこっちだし、なにがなんだかわからなくて頭もぐちゃぐちゃ。
まともな思考ができない。

「俺とはもう会ってくれない?」

右も左もわからない状況で答えられない。
口を開けては閉じを繰り返す。
先輩は混乱しているのをいいことに無理矢理答えを引き出そうとしているように見えた。

「俺は景吾のこと好きだよ。恋人…にはなれないけど、俺はこれからも景吾と会ったり話したりしたいよ」

その目を見てはだめだ。引き寄せられてしまう。
間違っているとわかっているのに、一人にさせたくないと思ってしまう。
自分がいなくとも、彼の周りにはたくさんの人がいる。
自分一人が傍を離れても不都合はないだろう。
なのに迷いが生じる。
周りの人間を傷つけることでしか自分の存在価値を見いだせない。先輩はそんな人に思える。
わざとひどい態度をとって、相手の気持ちを試している。傷ついているのは相手よりも梶本先輩だと思う。

「ねえ、何か言って」

「…俺は…」

瞳を閉じて諦めた。

「俺も先輩と会えなくなるのは嫌です」

馬鹿な選択だと思う。自分で自分の首を限界まで絞めて、しんどくなったら少し手を緩める。肺が空気で満たされたらまた締め上げる。それ位馬鹿な選択だ。

「よかった」

ふわりと微笑んだ先輩につられて自分も笑った。
捨てないでと懇願するくせに、自分から捨てられるように仕向ける。
相手がどこまでついてこられるのか見定めているようだ。
ひどくして、それでも好きだと言われなければ安心できない。
彼はどうしようもない矛盾の中にいる。
とても不安定で、不器用で、少し風が傾いたら呆気なくバランスを崩して潰れてしまいそうだ。
見ているこちらがはらはらと気を揉むくらい、彼は曖昧な存在だ。
膝の上でぎゅっと握っていた手をとられる。
力を解すように指を絡められ、彼は困ったような顔をした。

「…景吾はなんで俺が好きなんだろうね。こんなにいい子なのに。可哀想」

「そう思うならばっさりと捨てて下さいよ」

「それは嫌。俺からは捨てないよ。いつか景吾の愛想がつきるまで、俺の傍にいてもらうんだ」

まるで幼い子どものような願いごとに呆れたような、悲しいような、様々な感情が浮かぶ。
どうしようもない人だ。手のつけようがない。
梶本先輩は隙間なくぴったりと隣に座ると、細くない俺の髪を撫でた。
とても幸福そうで、ほしかったお菓子をもらった子どものようだった。
彼がなにを望んでいるのかわからない。なにを考えているのか、どういう人間なのか。なにもわからない。
それでもいい。単純に傍にいたいし、彼もそれを望んでいる。
恐らく自分はこれから蛇腹のような道をたった一人で誰にも寄り添ってもらえずに歩くのだろう。
先輩が言うように、早く愛想など尽きてしまえばいい。

「景吾、キスして?」

乞われるままに彼の綺麗な唇に、自分の唇を重ねた。
優しく触れるだけの口付け。こんなにひどい人なのに、身体は温かかった。

「ん?甘い味がする」

「ああ。先輩のクラス言って林檎飴買ったんです。美味しかったですよ」

「そっか。じゃあ景吾、俺と一緒に出店周る?」

「はい」

笑って先輩の腕をとって立ち上がった。

本当は気付いていた。先輩が自分を好きではないと。
でも知らないふりしてた。その方が楽だったから。現実に向き合うには覚悟も勇気もなかったから。
だけどこれからはそんな曖昧なこと言ってられない。
自分で選んだ。馬鹿で、呆れるような、意地になった子どものような答えだった。それでも自分は望んだ。彼と一緒にいたいと。


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