5


先輩の指が首筋をすっとなぞり、シャツのボタンを優雅な仕草で外していく。
身体の造りは同じで、男同士で羞恥を覚える必要はない。
それなのに自分が女性の身体ではないことがとても恥ずかしく思えた。

「あの、先輩…」

「大丈夫だよ。景吾は何も心配しなくていい」

にっこりと微笑んでくれるが、目が笑っていない。
昏く、底がない沼のように静かだ。
好きな相手へ向ける情熱も、劣情も一かけらも見えない。
急激な不安で胸がもやもやとする。彼は本当に自分が好きなのだろうか。
好きな相手に向ける瞳なのだろうか。

「梶本先輩…」

「大丈夫。何も考えなくていいから」

言われずとも熟考できる状況じゃない。
ここまできて嫌だとは言えないが、流れに逆らわなければいけない気がする。
それでも先輩の指は止まらない。
いけない、だめだと思うのに、流れるようにスムーズな指にタイミングを逸する。

左右に開かれたシャツ。肌に直に触り、俺の反応を窺っている。
胸なんて触られても女の子じゃないんだから気持ちよくなんてない。

「先輩、くすぐったい…」

「うーん、ムードがないなあ。ここは要開発、だね」

先輩は指でいじるのを止め、顔を近付け、強弱をつけながら舌で触れてきた。

「ちょ、と…」

変な声が出てしまい、慌てて唇を噛み締めた。

「舐められると気持ちいいでしょ?男でもここ、気持ちよくなるんだよ」

自分が特殊なのではなく、男性でも快感を覚えていいのだと教えられる。
それでも、自分はとんでもない変態なのではないかと怖くなり、やんわりと首を左右に振った。

「素直に感じてくれた方が俺も楽しいな」

そうは言われても、未知な世界は怖いし、どれが正解でどれが間違いか判断がつかない。
とりあえずわけもなく不安だ。
自分が自分じゃないものに塗り替わっていく。

「先輩、もう逃げないから腕、放して下さい…」

小さく願うと素直に放してくれた。
自由になった腕を先輩の首に巻きつける。
じんわりと感じる体温は無条件に人を安心させると思う。
気を良くしたのか、先輩は微笑みながら頬や額、いたるところに口付けをした。
その間にも可愛い、可愛いと呪文のように囁く。
背もそれなりにあって、身体も華奢ではない。
そんな自分が可愛いわけがないのに、何度も言われている内に素直に言葉を受け止めるようになった。

初めての行為にもたついている間も、彼の指は間違いを犯さずに進んでいく。
自分が触れたことのない場所に指が辿り着いたときにはさすがに身体を押しのけた。
知識としてはわかっている。でも、さすがにそれはいけない。
そんな小さな我儘を聞いてくれるわけもなく、乱暴に慣らされた。
快感など彼方へ吹っ飛ぶくらいの違和感と苦痛に、眉間に皺が寄る。
これをしなければ繋がれないとは、男同士は難儀だ。
早く、早く終わってくれないかと、そればかり考えた。

「痛かったらちゃんと言ってね」

やっと抜かれた指に安心する暇もなく、比べものにならない質量が身体を圧迫する。

「っ、い、たい…」

「一番太いところが入れば大丈夫だよ」

素直に痛いと言ったのに、やはり彼は聞いてくれない。
なら最初から言うなよ。なんて心の中で悪態をついた。
痛かったら手を挙げて下さい、そうやって治療を続ける歯医者のようだ。

「苦しそうな顔」

頬を指ですっと撫でながら言うが、その表情はどこか嬉しそうだった。
人をいたぶって遊ぶ趣味があるのだろうか。
だとしたら、自分は努力してマゾヒストにならなければいけないのか。まともな思考ができない頭で今後の自分を憂う。

「慣れるまで動かないでおこうね」

気遣ってくれたのだろうが、それがとても悔しかった。
経験の差、余裕の差、あらゆるものに差が開いている。
自分ばかりが乱され、苦痛を覚え、快感を得て、そんなの意味がない。

「…大丈夫、です…」

「本当に?大丈夫じゃなさそうだけど」

「っ、大丈夫です。大丈夫だから、早く動いて下さい」

「そう。景吾がそう言うなら」

隙間も余裕もないくらいに喰い込んでいたモノが動き始めた。
その度に内臓を抉られるような苦痛を我慢する。

「う…、ああ」

「本当は苦しいでしょ?」

当たり前だ。繋がるためにできた場所ではない。
自然の流れに逆らうときは、いつだって苦痛が伴う。
でも、負けるもんかと意地になる。
ぶんぶんと左右に首を振る。涙目で意地を見せても意味はないが。
セックスは愛し合うために行うはずなのに、もはや勝負に変わってしまった。

「ならもっと辛くしてあげようか」

言い終わらないうちに、ぎりぎりまで抜いては、奥に一気に押し込められた。

「ああ、痛っ…」

「痛い?初めてだから痛いよね」

痛がれば痛がるほど、もがけばもがくほど、彼の身体も表情も満たされたように変わる。
とんだサディストだ。優しさに隠された本性はとんでもないものだった。

「でも、まだ許してあげない…」

痛みや快感、喜びとか悲しみとか、色んな感情が渦を巻き、この行為の持つ意味を探した。



やっと解放してもらえたのは、挿入されてから三十分経った後だった。
初めてなのに、容赦はない。
日常生活では感じない疲れと、身体の倦怠感と、後遺症のように残る痛みでベットにうつ伏せになりぐったりとした。

先輩はベッドに腰を下ろし、こちらに背中を向けている。
今になって全てが怖くなった。
先輩は、近付けば近付くほど遠くに行く気がする。
自分が知らない先輩の顔はまだ沢山あり、すべてを見せてはくれないだろう。
恐怖心を拭うように、先輩のシャツに手を伸ばしてぎゅっと握った。

「ん?景吾、どうしたの?またしたい?」

見当違いな言葉に頭を横に振る。

「先輩…。キスして下さい…」

先輩は何も言わずに軽いキスを一つくれた。
もう一度と強請る前に、携帯の着信音が鳴った。
洋服を手繰り寄せてポケットから携帯を取り出す。

「出たら?」

相手はゆうきだ。この状況で電話に出るのも後ろめたい。

「…もしもし?」

『景吾?お前何処いんだよ。部屋に帰ってもいねえし、晩飯の時間になっても来ないから心配しただろ』

もうそんな時間らしい。言われてみれば腹も減った。

「ごめんごめん。ゆうきはご飯食べた?」

『いや、まだだけど…』

「じゃあすぐ帰るから一緒に行こう」

『…わかった』

携帯を閉じ、残りの洋服を手繰り寄せる。
指先を動かすだけでも大変で、鉛を背負っているようだ。

「俺、帰りますね」

「うん。ゆうき君に心配かけるしね」

「そうですね。人に散々心配かけるくせに、人には厳しいんですよ」

茶化して言うと、先輩はふっと笑った。

「じゃあゆうき君に俺からも伝言頼んでいい?」

「いいですけど」

お互いで話した方が早いのでは。そんな疑問は置いておく。

「ゆうき君のお願いは聞いてあげられなかった。そう言ってくれる?」

首を捻った。
どっちも訳わかんない伝言を頼むものだ。
内容は、自分が知るべきではないだろうから聞かないけど。

「…わかりました」

身なりを整え、部屋のドアの前で先輩と別れる。

「景吾、これからは連絡したらすぐ、俺のところに来てくれる?」

「…はい」

よくわからないが、自分を必要としてくれている。それが嬉しかった。
やはり、俺たちはこれから恋人になるのだろうか。
そんな言葉はなかったので、きちんと線引きができないが、そういうことだと思っていいのだろうか。
俯いて微かに笑うと、先輩も笑いながら頭を撫でてくれた。

「じゃあ先輩、また」

「またね」

軽く手を振りドアを締めた。
本当はもう少し一緒にいたかった。余韻というものを味わってみたかった。
でも、ゆうきが心配している。ならば行くしかない。

痛む腰を庇うことなく、足早に自分の部屋へと戻った。
先輩とのことは、ゆうきに言うつもりはない。
ゆうきは先輩が嫌いだし、なにより自分のことだけを考えて欲しい。
折角ゆうきが笑顔を見せる人を見つけたんだ。
誰も、何も彼らを邪魔せず、ただただ幸福な膜の中でいてほしい。
自室の扉を開ける前に、もう一度身形を確認し、頬を抓った。
疲れた顔などしてはいけない。

「ゆうき、遅くなってごめんね」

扉を開ければ、ゆうきがつまらなそうな顔で雑誌に目を向けていた。

「遅えよ。どこ行ってたんだ?」

「えっと…。梶本先輩のとこ…」

「…そうか」

意外にもゆうきは怒らない。不貞腐れてはいるけれど。

「あっ、先輩からも伝言頼まれたんだ。ゆうきのお願いは聞いてあげられなかったって。ゆうき、先輩にどんなお願いしたの?」

極力明るく言ったつもりだが、無表情のゆうきが目を丸くして、言葉を失ったようだった。
こんな顔は珍しい。呑気に考えた。

「お前…。梶本となんかあったな?」

突然の問いかけに心臓が一度大きく鳴った。
何故わかる。身形は確認したし、途中でトイレに寄って鏡も見た。
それとも自分が幸福オーラを出しているのだろうか。

「え…。いや、まあ…」

ゆうきは持っていた雑誌をきつく握りしめ、ページがぐちゃぐちゃになった。

「…自分のことばかりでお前まで気がまわらなかった…。くそ…」

「いや、別に大したことはないよ」

何かあったとは言われたが、セックスしたなと聞かれたわけでないので、のらりくらりとはぐらかす。

「…景吾」

ゆうきはそれ以上言葉を発しなかった。
表情が変わらずとも、纏う雰囲気で微妙な変化がわかる。
どんどん不機嫌になっている。とりあえずこれ以上この話題は避けよう。

「とりあえず、早く学食行こう!俺腹減ったし」

「…そう、だな…」

急いで学食へ向かい残ってるメニューを頼み、腹を満たして部屋へ戻った。
明日も学校だ。だらだらとしていられない。
学園祭も近いからなんだかんだと忙しい。
朝早く起きて、放課後残って…。
先輩と会える時間が削られるのは残念だが、イベントも大好きだ。
けれど、彼に呼ばれれば、誰よりも早く先輩の元へ行く。そう約束した。
彼は時々寂しそうな、辛そうな顔をする。
自分では気付いていないのだろうが。
それを慰めてあげられるのが自分ならいいし、俺の他は求めて欲しくない。
辛いときはずっと一緒にいて、ずっと笑顔でいてあげる。
きっと彼が自分を望むのは、底抜けな明るさを必要としているからだ。

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