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先輩は口を薄く開けては閉じを繰り返し、一生懸命言葉を探した。
無理に聞き出す行為は彼の傷口を無理に引き伸ばすようなものだ。わかっている。
友人なら聞き出そうとしない。でも深い関係を望む以上、彼をそうさせた原因を知らないと上手につきあえない。理由がわからないから擦れ違い、混乱して、終わりを早くさせてしまう。弱い部分もひっくるめて受け止めなければならないと思う。
覚悟も持たず、中途半端に手を差し伸べたら一緒に転がり落ちてしまうだろう。

「……前、氷室会長に言われたんです」

なかなか話そうとしないので、空気を軽くするように明るく言った。

「昔色々あって、だからって俺にしてることを許せとは言えないけど、友人としては愛想を尽かすまでは傍にいてやってほしいって」

梶本先輩は弾かれたように顔を上げ苦笑した。

「俺には景吾を早く解放しろ、中途半端しやがって、うざいって散々言ってたのになあ」

ハジメのそういうところが嫌い、と言う顔は幼い子どものようだった。

「……俺の家さ」

静かな声色に、繋いでいた指で優しく彼の手を擦った。

「親父がすごい亭主関白なんだよね」

いきなりの言葉に目を大きくさせ、うん、と相槌を打った。

「母親を家の中に縛り付けて。でも母親も気が強い人だから、親父の弱さを理解した上で反発してはよく喧嘩してた」

うん、うん。何度も相槌を打つ。ちゃんと聞くよ。そんな気持ちを込めて。

「たまに軽い暴力とかもあって、俺は親父が大嫌いだった。俺は絶対あんな人間にならないようにしよう。好きな人には自由でいてほしいし、優しくして、いつも仲良しでいられる関係を作ろうと思ってた」

話している最中、段々と彼の表情が消えていった。虚ろに天井を眺める目に熱が篭っていない。この目を何度も見てきた。背中がぞわりとする感覚に握っていた手に力を込めた。

「…高校出た姉貴が家を出るって言うから、俺も中学から東城行ったんだ。んで、中三のとき初めて彼女ができた。年上だったんだけど、すごく好きで、幸せで、自分もこの人を幸せにしてあげようと思ったんだ。親父みたいにならないよう、大事に大事にしようって」

話しが嫌な方に流れる感覚に胸がざわついた。

「最初は仲良くやってたと思う。でも段々メールの返事が遅くなったり、電話しても出なかったり、会おうって言ってもはぐらかされたり。そんなとき、彼女が男と歩いてるのを見て、彼女を怒鳴りつけた。浮気っていうか、二股だったんだけど、彼女、俺の愛情は重い、別れ話をするのが怖かったって言って、かっとなって彼女の頬叩いたんだ。我に返ったときには彼女が足元で蹲って泣いてた…」

もう聞きたくなくて、だけど自分が逃げるわけにもいかず、途方に暮れたような気持ちになった。

「…親父みたいになりたくないって思ってたのに、人の愛し方が親父そっくりで、蛙の子は蛙なんだって思った。好きになると自分の支配下に置きたくなって、言う通りにしてくれないと暴力振るって、俺はそういう人間で、傷つけるしかできないんだって。だから誰も好きになっちゃいけないと思ったし、軽薄な関係が一番いいって決めつけた」

彼はそこで一旦言葉を区切ると、回顧するように瞼を閉じて笑った。

「なのに景吾の破壊力ときたら。遠慮なしにがんがん土足で入られる感じ。なのに不思議と嫌じゃないんだよね」

「…それ誉めてませんよね」

「誉めてるよ。底抜けに明るい笑顔にすごく救われた。だけど水戸にとられるかもしれないと思ったら心が暗くなって…結局景吾にもひどいことした」

彼はしっかりと視線を合わせ、ごめん、と呟いた。

「二回目の失敗をして、やっぱりだめだって思った。なにも成長できてない自分にがっかりしたし、景吾を解放しなきゃって。だけどやっぱり景吾のこと好きで……ごめん。ごめんね」

「…先輩」

なにか言わなきゃと思うのに言葉がでない。
泣きそうに顔を歪めるものだから、咄嗟に頭を抱え込むように抱き締めた。
先輩は胸に顔を擦り付けるようにして、景吾はいつもお日様の匂いがすると呟いた。

「…俺、馬鹿だからなんて言えばいいのかわからない」

正直に言うと、背中に回っていた手に力が込められた。

「…なにも言わないで。情けないし、最低な人間だってわかってる」

「…そうじゃない。そうじゃないよ」

深いパラドックスに陥りそうになり、頭が混乱した。一つ一つ紐解いて答えになる言葉を見つけたいのに見つからない。

「景吾は優しいからそう言ってくれると思った。クソみたいな俺を何度も許してきたから。だから景吾には話したくなかった」

彼は背負った荷物を下ろしたくないらしい。許されたくないのだろう。
かと言って他人が断罪する問題じゃない。彼は自分を傷つけ続け、だからといって彼女への仕打ちに対する罪は軽くならない。
半分背負ってあげたいが、彼はそんなこと望んでいない。
自分自身で決着をつけたり、そのまま抱えて生きるかを判断すべきで、無遠慮に首を突っ込んじゃいけない。
なら自分はなにができるだろうと考え、あ、と声を出した。

「俺、格闘技でも習おうかな」

「…へ?」

彼は間抜けな声を出しながら顔を上げた。

「先輩よりすごくすごく強くなるよ」

「…なんで?」

「そしたら怖くないでしょ。先輩がいくら俺にひどいことしようとしたって絶対負けないし、なんなら返り討ちにするよ」

言うと、彼はぽかんとした後吹き出して、けたけたと笑い始めた。
なにかおかしいことを言っただろうか。幼稚だっただろうか。不安になったが、それ以外に方法が見付からなかった。

「あー、おかしい。景吾のそういうところすげー好きなんだよね」

「ちょっと馬鹿にしてますよね」

「してない。すごく好き」

先輩はもう一度すりっと胸に頬擦りをした。その表情には安堵を含んだ穏やかさが広がっていた。

「…もう失敗したくない」

瞼を閉じて呟いた彼の髪を何度も撫でた。
可哀想な人。自分で自分の首を絞め続け、傷つけて、自棄になったように愛情を手放して。
優しくて、繊細で、寂しがり屋で甘えん坊。
彼の性格を裏付ける事情の前に自分はなにもできず、自失するばかりだ。
難しいことはよくわからない。多分、誰も悪くないと思う。少しの不具合が手に負えないほど影響して、どこから直せばいいのかわからなくなる悪循環。
だけどもうやめようよ。
自分を虐め続けると感情はどんどん錆び、最後には元いた場所すらわからなくなる。そんなのは悲しい。
美味しい物を食べて笑うとか、好きな人と手を繋ぐ幸せとか、ちっぽけな幸福はそこらじゅうに転がっている。
一つ一つは小さくとも、たくさん集めれば大きな支えになるかもしれない。
自分は誰かを支えられるほど余裕がある人間じゃない。きっと、梶本先輩の気持ちも一生理解できない。
でもこの手を離したくない。理性と感情が戦って、結局最後は感情が勝ってしまう。
大丈夫。先輩の髪を梳きながら息だけで言った。大丈夫。もう一度上から下に流れるように手を動かす。大丈夫。何度も繰り返すと、本当に大した問題じゃないかも、と思うから自分は単純だ、馬鹿だと言われる。
決心するように息を吐き出した。
考えても物事は好転しない。まずはやってみよう。一緒に転ぶか、一人で転ぶかはわからないが、彼が少しでも愛情に対して前向きになってくれるなら自分一人が大怪我をしても構わない。自分には友人や家族、恋人以外にも愛をくれる人がいるから。
寝息を立て始めた彼の髪に鼻先を埋めた。
自分たちはまだ子どもで、感情のコントロールが上手にできない。
梶本先輩も大人になるにつれ、きっと上手に人を愛するようになる。
その日まで彼の手を握るのが自分ならそれでいい。
あげた分だけ返せなんて二度と思わない。


目を開けると梶本先輩の顔が至近距離にあった。一気に眠気が吹っ飛び、飛び起きるようにした。

「お、おはようございます」

「おはよ」

「起こしてくださいよ…」

気恥ずかしさで首の裏を掻く。

「…うん」

しょげたような返事に後ろを振り返る。

「…怒ったわけじゃないですよ」

「うん。わかってるよ」

彼はあっさりと返事をし、朝ご飯食べようとリビングへ向かった。
薄めのコーヒーとコンビニのパンをテーブルに並べ、隣り合って食べた。
テレビをつけると天気予報が流れ、週末にも関わらず生憎の雨模様とアナウンサーが伝えた。

「…雨かー。洗濯乾かないから嫌だな」

「先輩主婦みたい」

「一人暮らしって思ったより楽じゃないよ。母親のありがたみをひしひしと感じてる最中」

「いいことだ」

「景吾も一人暮らししたら同じこと言うから。絶対」

「はいはい」

軽く流し、片付けを済ませて制服に着替えた。

「もう帰るの?」

縋るような表情を見せる彼に困ったように笑った。

「いつまでもいたら帰りたくなくなるから」

「帰らなくていいよ。明日も休みなんだし…」

「先輩」

被せるように呼ぶと、彼は叱られた子どものように肩を強張らせた。

「勉強、しなきゃだめでしょ?俺がいたら邪魔になるよ」

「…はい」

がっかり、と顔に書いてあるのがおかしくて、彼の前にしゃがんでぽんと頭を撫でた。

「先輩の予定が空いてたら来週も来ていい?」

今度はぱっと表情を明るくし、何度も頷く。素直な反応が可愛くて、彼の頬を両手で包んだ。

「…俺も先輩が好きだよ」

彼はぽかんとして、それって…と悩み始めた。

「正直、まだ完全に信じられないけど、まあ、それは今後つきあいながら徐々にでいいかと思って」

「本当?」

「本当だよ」

「……すごいね景吾」

なぜこのタイミングで褒められるのかわからず首を捻った。

「昨日の話し聞いて好きって言えるなんて、我ながら景吾が心配だよ」

「大丈夫。だって先輩悪い男卒業するんだもんね?」

「う、ん…」

自信なさげに俯いたので、思い切り背中を叩いた。

「お互い少しずつ変わろうよ」

「…うん」

よし、と笑い、鞄を持って立ち上がった。
靴紐をぎゅっと絞め直し、廊下の壁に肩を預けるようにしている彼に向き合った。

「俺、ちゃんと強くなるよ。先輩が暴走したって一ひねりにしてあげるから、安心して怒っていいよ」

「マジで格闘技やんの?」

「やるよ」

「えー…でもさ…」

ごにょごにょと言うので、なにか文句があるのかと言ってやった。

「景吾の力が強くなって襲われたら、俺抵抗できないじゃん」

なにを言いだすかと思えば。呆れたように息を吐き、先輩らしいといえばらしいのでおかしくなった。

「そのときは黙って抱かれたらいいんじゃないですか?」

「えー!」

「抱かれる側をやった人間は、痛くないように上手に抱くことができると思います」

だからそのときは優しくしてやると笑った。

「…まあ、景吾がそうしたいって言うなら…ちょっとは…考えるけど…」

死ぬか、生きるかの選択を迫られているような苦悶に満ちた顔をするものだから、大声で笑ってしまった。
そこまでの覚悟を持って自分とつきあおうと思うなら結構なことだ。
一しきり笑い、彼の服を引き寄せ、触れるだけの口付けをした。
顔を離すと、彼はもう一回、ちゃんとしようと言い、今度は頬を包んでキスをした。

「…帰したくないな」

ぎゅっと身体を強く抱き締められる。苦笑して、勉強が一番ですよと言った。

「…うん。そうだね。うん…」

全然納得してなさそうで、だけど身体を離してくれた。

「先輩またね」

ひらりと手を振り、鉄製の扉を閉めた。
今にも雨が降り出しそうなどんよりと暗い空を見上げ、本当は自分だって帰りたくないよとごちる。
でもそれじゃだめだ。適度な距離感を維持しないと、彼は際限なく相手をほしがるようになるかもしれない。
最初から全速力で走ると息切れを起こす。徐々に、ゆっくり、彼が自分の心を整理する時間を間に挟みながらつきあっていけば、急激に感情が爆発することもないだろう。
少しずつ、焦らず、彼と自分の丁度いいつきあい方を見つける。きっと答えはあるはずだ。そこに着くまで何か月かかるか、何年かかるかはわからない。わからないなら何度でもぶつかって向き合う。自分は彼から逃げたりは絶対にしない。

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