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「…景吾から連絡がないのですが…」

L字型のソファに仰向けて本を開いているハジメに言った。

「へーえ」

「ちゃんと聞けよ」

本を取り上げると彼にしては珍しくむっと顔を顰めながら身体を起こした。
大学が終わり、そのままハジメの家に転がり込んで一時間。それぞれ勝手に過ごしていたが、景吾とのトーク画面を眺めてふっと溜め息を吐いた。

「予定が合ったら待ち合わせしようって言われてもう一週間。部屋にも来てくれない」

「景吾君も忙しいんだろ。学校もあるし、友だちとの予定もあるし、お前だけに構うかよ。恋人でもなんでもないくせに図々しいな」

「そうだけど…」

「待つのも愛情って教わらなかった?」

「毎日葵さんを待って待って待ち疲れてるお前が言うと説得力あるな」

腕を組んで頷くとハジメはにっこり笑顔を作った。どうやら地雷を踏み抜いたらしい。

「…コーヒー淹れる。お前は?」

「いる」

蹴りでも飛んでくるかと思ったが、リビングと繋がっているキッチンへ向かったので胸を撫で下ろした。
ハジメもストレスが溜まっているようだ。
折角同棲を始めたのに擦れ違ってばかりで碌に顔を合わせられないのだとか。
葵さんは大学が多忙で、研究室に泊まり込みも珍しくないらしい。帰宅しても片時も本を離さないほど勉強熱心で、ハジメはハジメで大学にバイトに父親の手伝い。
一つ屋根の下で暮らしても擦れ違うなら、自分と景吾が会えずとも仕方がないのかもしれないと思う。

「ほい」

差し出されたカップを受け取り、湯気に向かって息を吹きかける。ハジメが尽くしてくれるなど珍しいこともあるものだ。にんまりと笑いながらコーヒーを口に含んだ瞬間、テーブルの上にすべて吐き出した。

「お前!何入れた!」

「塩。騙されてやんのー」

「はー、会長様がこんなガキ臭いことするなんて。高杉や葵さんが知ったらさぞ驚くことでしょうね!」

キッチンペーパーでテーブルを拭き、コーヒーはシンクに流してやった。
蹴りの代わりにこんな姑息な手を遣うとは。もうハジメから渡された物は飲食しない。

「いつか今までのお前の悪事を全部葵さんにバラしてやるからな!」

「葵さんが信じると思う?」

「信じさせる」

「いやー、無理だろ」

「本性出て思い切り軽蔑されたらいいのに…」

下らない言い合いをしていると玄関の方からがちゃがちゃと金属音がし、葵さんがひょっこり顔を出した。ああ、帰ってくるなら塩入りコーヒーを捨てなければよかった。証拠品として提出できたのに。

「ただいまー。お、梶本君久しぶり」

「お久しぶりです」

「夕飯食べた?今デリで買ってきたんだ。よかったら梶本君も食べて」

「マジすかー。葵さんは相変わらず優しいなあ。誰かさんと違ってー」

ちらりとハジメを見るとローテーブルの下から脚で蹴られた。ふんと鼻で笑ってやると小声で早く帰れと言われたが無視を決めた。

「待ってね。今お皿に…」

「葵さん、僕がやっておきますから着替えてきたら?」

「ああ、じゃあそうしようかな。すぐ戻るから」

葵さんの気配が消えるとすごい勢いでハジメに睨まれた。
手伝えと顎をしゃくられたので、紙袋に入っている惣菜をレンジで温め直して皿に移す作業にあたる。

「お前帰れ。今すぐ帰れ。貴重な時間を邪魔するな」

「だって梶本君もよかったらーって言われたもん」

「社交辞令に決まってんだろ」

「葵さんは社交辞令なんて言わないね」

「お前に葵さんの何がわかる」

悔しそうに顔を歪めるのが愉快で高笑いした。散々意地悪した罰が当たったのだ。

「なんだか楽しそうだね」

葵さんはラフな部屋着に着替え、カウンターの向こうから微笑んだ。

「ちょっと葵さん聞いて下さいよ。こいつさっきね――」

塩入コーヒー事件を早速チクってやろうと思ったが、思い切り脛を蹴られて言葉を失った。シンクで丁度死角になっているからといって本気で蹴ってきた。この野郎。やり返したいが痛すぎて動けない。

「なに?どうした?」

「なんでもないです。葵さんここら辺並べてくれる?」

「了解」

葵さんがちょこちょことカウンターとダイニングテーブルを往復している間に、余計なことを言ったら殺すと耳打ちされた。
これだよ。この男の顔に張り付けられた仮面は一枚、二枚では足りない。
恐らく葵さんもそれに気付いているだろうが、知らぬふりを続けてくれているのだ。

すべて並べ終え、それぞれ席について頂きますと手を合わせた。

「梶本君大学慣れた?」

「まあ…。俺の頭じゃついていくのが大変ですけど」

「そっか。氷室君に教えてもらったら?」

「えー、教えてくれないですよこいつ」

「教えてただろ。高校のときから」

「スパルタすぎて引いたわ」

ぼそりと言うとまたテーブル下の足をぎゅっと踏まれた。仁の暴力性はハジメのせいなのではないかと改めて思う。

「葵さん、こいつね好きな子から連絡がないよー、ってめそめそしてんの。なにかいいアドバイスしてやって」

仕返しとばかりにこちらの弱点をつかれ、彼に弱味を見せた自分を呪った。

「ああ、氷室君が前ちらっと言ってたやつ。どれどれ、詳しく聞こうじゃないか」

葵さんはナポリタンを咀嚼しながらにっこり笑った。完全に面白がってる。

「いえ、別にそんなめそめそなんて…」

羞恥でからっと揚げられた鶏にこれでもかというくらいレモンを絞り口ごもった。

「僕は梶本君に好きな子できてよかったなあって思うよ。一生あのままなのかと思うと心配で心配で涙が…」

袖を目尻に寄せて泣く真似をされ、おかんかと突っ込みたくなった。

「面白がってますよね」

「そんなことないよ。氷室君に聞いたとき本当に嬉しかったよ」

葵さんは頬杖をついて微笑んだ。聖母の笑みを見せられると意地を張れない。

「梶本君の分厚い殻を破るなんて、相当すごい子なんだろうね」

「そりゃあもう。全人類に愛されそうな子ですよ」

何故かハジメが自慢げに言う。
それは言い過ぎだと思ったが、確かに景吾を嫌いだという人間は知らない。
自分が知らないだけでクラス内では色々とあるのかもしれないけれど。

「それはすごい」

「あのゆうき君もお腹を見せてごろごろ甘えるくらいの強者で」

「おお、あの孤高の黒猫が。それはすごい」

さすが獣医志望なだけあり例えも動物だが、孤高の黒猫という形容はゆうき君にぴったりだ。
にやにやと笑みを作る二人を見て溜め息を吐いた。
虚勢を張ると余計に揶揄されるし、正直このもやもやを解消してくれるなら藁にも縋る思いだ。

「で、連絡ないの?」

「ぽつぽつとラインくれますけど、デートのお誘いはなしというか…」

「梶本君から誘えばいいじゃん」

葵さんはお行儀悪くフォークでこちらをびしっと指した。

「いやー、鬱陶しいとか思われてもあれですし…」

言い訳をするように呟くと二人は顔を見合わせてくすくす笑った。

「梶本君がこんな弱気なの初めて見たな」

「弱気っていうか最早へたれ」

「いやいや、数年ぶりの恋だからしょうがないよ」

「それにしてもひどすぎません?こいつに景吾君は本当に勿体無いと思う」

自分を置いて勝手に話しが進み、最後の方なんてただの悪口だ。
ささくれ立った心を掴みさらに引きちぎるような奴を友人と呼んでいいのだろうか。

「でもさ、チャンスの女神には前髪しかないらしいよ。後悔が軽くすむように、やるだけやって振られた方がましだと思うな」

「なんで振られる前提なんですか!」

「いやあ、はは」

笑って誤魔化されたが葵さんの言葉がとどめになり、満身創痍だった心からどくどくと血が流れ出した気がした。

「どうだ、景吾君の気持ちがわかったか。景吾君だけじゃない。お前が今まで使い捨ててきた女性もだ」

「はい…。とても身に染みました。僕は世界で一番最低な男で地獄に落ちる準備をしなければいけない人間です」

やけっぱちになって言ったが、二人とも「そんなことないよ」みたいなフォローはしてくれない。

「僕はそろそろ帰ります。ここにいたらアメーバみたいに溶けて床に張り付いて落ち込みそうなので」

ご馳走様でしたと頭を下げ、使用した食器をシンクに置いた。
鞄を持ち上げ、食事を続ける二人に向かって一礼する。玄関で靴を履くととんとんと肩を叩かれ、死んだ魚のような目で振り返った。

「梶本君、がんばれ」

「いいんです。俺なんてどうせ振られるんです…」

「そんな拗ねないで」

葵さんは意地悪しすぎたと思ったのか苦笑した。

「過去を気にしてブレーキかけないで。梶本君は同じ間違いを繰り返すような子じゃないよ」

ね?と微笑まれ、条件反射で頷いた。
高杉兄弟は顔は似ているが性格は正反対だ。なのにどちらに対しても自分は弱い。優しく諭すような葵さんも、冷酷で説教しかしない弟にも素直に頷くしかできない。

「氷室君も本当は応援してるんだよ?」

「それは葵さんの惚れた欲目」

きっぱりと言い切ると葵さんはお腹を押さえて笑った。

「はは、さすが梶本君。騙されてくれないか。まあ、相談相手くらいにはなれるからいつでも来てよ」

「…はい。ありがとう葵さん」

マンションの外で足を止め空を見上げた。星も月も見えず、湿気混じりのどんよりと黒い雲が流れていくのをなんとなく眺める。自分の心と同じ。
せめて満天の星空が広がっていたなら気も晴れたかもしれないのに。
空にまで悪態をついて歩き出した。
最寄駅から自宅へ戻る道すがら、もう一度携帯を見たがやはり彼からの連絡はない。
今日何度目かの溜め息を吐き携帯をポケットへ戻した。
週末だからもしかしたら今日こそは連絡がくるかもしれない。嬉々として大学へ向かい、携帯を見ては落ち込んで、今となっては魂が半分抜けている気がする。
狭いエレベーターを降り、鍵を探すため鞄をごそごそと掻き回す。鍵を掬い顔を上げると、部屋の扉に背中を預け、外廊下から見える景色を眺める景吾がいた。
一瞬、まさか幻覚かと戸惑い、けれど彼の元に小さく走った。



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