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信用を得るというのは簡単ではない。
今更、小学生でも知っているようなことを思い知らされた。

おはようからおやすみまで事細かにラインを入れた。
今から講義だよ、今日は学食でうどんを食べたよ、ハジメの家に寄ってからそっちに向かうよ。
一つ一つに返信はないが、お昼休みなんかにまとめて簡素な返事をくれる。それだけでも受け入れられている気がして心が楽になる。

毎日毎日、大学が終わると同時に東城へ向かう。
一年の内は一般教養の授業が多く、専門的な授業はほとんどないが、ここで挫けたら後が大変だと先輩に口酸っぱく言われたので、朝から夕方まできっちり受ける。
その後に電車に乗り込んでも東城に着くまで一時間以上かかるので、会える時間は僅かばかり。
無視をするのはあまりにも不憫と感じたのか、景吾も毎日数分でも顔を出してくれる。
そんな生活が一週間以上続き、今日も公園のベンチに座ってタブレットを開いた。
この空いた時間を利用して勉強すれば一石二鳥。恋しい人にも会えるし大学も疎かにしないでいられる。
腕時計を見ると午後五時を過ぎている。
東城は曜日によって下校時間は様々だが、今日なら授業が終わっていてもいい時間だ。
東城のシステムは理解しているので、景吾の行動もある程度は予想がつくのが幸いだった。ゴールが見えた方が耐えられるものだから。
しかし予想に反して彼は現れない。
もしかしたら体調を崩したのかも。他に予定があるのかも。
元々景吾は自分の都合を最優先させるのが条件だ。
彼の予定は関係なく、自分はただただ誠意を見せるのみとゆうき君にきつく言われたし、それでいいと思っている。
だけど鬼になりきれない景吾は他に予定があるときは決まって来なくていいと連絡をくれる。
それには応じず、わかったよと言いつつも待ってしまったけれど。

「…先輩」

タブレットから視線を上げると、制服にセーター姿の景吾がいた。

「遅くなってすいません。急に補習って言われて…」

「気にしないでよ」

景吾は僅かな隙間を空けてベンチに座り、視線を地面に落とした。
あれから景吾が笑った顔を見ていない。もしかしたら迷惑かも。自分本位で彼の気持ちをまったく考慮しないこんなやり方ではいけないのかも。
毎日不安になるし、ならどうすればいいのか考えてもわからない。

「なにやってたんですか?」

「…勉強だよ。頑張らないとついていけないから」

タブレットを見せてやると彼は顔を顰め、大学生はもっと気楽だと思っていたとごちた。

「学科によると思う。俺の学科は他より少し忙しいみたい…」

「そういえばなんの学科か聞いてませんでした」

「建築学部だよ」

「建築?へえ、意外です。建物が好きとか、聞いたことなかったから」

「…そうだね」

苦笑を浮かべると、景吾も察したように視線を泳がせた。
自分たちは長く時間を共にしたのにお互いのことを何も知らない。
好きなもの、嫌いなもの、趣味や誕生日や血液型も。身体の中の温度まで知っているのにおかしな話しだ。順番を間違えたけど、過去はやり直せないから仕方がない。

「先輩、そろそろこっちまで来るのやめません?」

窺うように言われ、胸がずきんと痛んだ。やはり迷惑だろうか。この習慣もゆうき君が決めたことで、景吾の意志ではない。
傷ついたと悟られぬよう、無理に口角をあげる。

「迷惑?」

「迷惑っていうか、今日先生に言われたんです。梶本は卒業したくせになにふらふらしてるんだって」

「ああ…ここにいると先生にも見られるよね…」

「だから、ここじゃなくてファミレスとか…。毎日はあれなんで、週末だけとか」

「でも…」

それだけで誠意の証明になるのだろうか。はっきりとした基準がないものは量るのが難しい。

「ゆうきが無理難題言ったけど、先輩には先輩の生活があるし、無理してほしくないし」

「無理じゃないよ」

思わず強い口調で遮るように言った。
それに、無理をしてでも相手のために何かをしたいと思う心こそが好きというものではないのか。

「でも俺も気遣っちゃうし、お互いの予定が合った日にしましょう」

「…景吾がそうしたいって言うなら…」

「うん。決まり」

「じゃあ他のやり方教えてよ」

本人に聞くなんて経験が浅いと罵られるだろうが、わからないのだ。十八年生きてきて好かれる努力をしたことがない。

「それ、俺に聞きます?」

「自分で考えることだってわかってるけど、俺の勝手を押し付けたくない。景吾は優しいからありがた迷惑でも受け入れそうだし…」

「じゃあ、先輩が自分で考えたこと教えて下さい。それはいい、それはだめって判断しますから」

言われ、ぽつぽつと自分の内を吐露した。

「連絡は今までみたいにしたい。返事は別にいらないから。ハジメに事情は話したから、怪しいと思うことがあったらハジメに聞いてくれていいし、景吾が今から来てって言ったらいつでも飛んでく」

「そんなこと言いませんよ」

硬い表情ばかりだったのにふっと笑ってくれた。それだけでぽんぽんと花が咲いたように嬉しくなる。

「あとは、これ」

鞄の内ポケットから鈍く光る鍵を差し出した。

「俺の部屋の鍵」

「こんな大事なもの簡単に渡しちゃだめですよ」

「いいんだ。アポなしで来てもいいし、嫌なら来なくてもいい。何もやましいことはないっていう俺なりの誠意、なんだけど…」

自信がなくなり尻すぼみになってしまった。こんな物を渡されても重たいと嫌がられるかもしれないし、受け取ってもらえなかったら合鍵を見る度泣きそうになる。
景吾は差し出されたそれを黙って見て暫く考えた後、恐る恐る受け取ってくれた。

「なくしそうで怖いなあ…」

そう言いながらポケットからキーリングを取り出し、寮の鍵と一緒につけてくれた。

「よかった」

息を吐き出すと切れ長の瞳がこちらを向いた。

「なにがですか?」

「いらないって言われたら泣くかもと思って」

「そんなひどいことしませんよ。俺結構優しいんですよ?」

「うん、知ってる」

笑みを見せると彼は慌てて顔を前に向けた。
恐らく景吾も戸惑っている。そこら辺の紙屑のような扱いばかりしていたから、大事にされることに慣れないのだ。
情けない。ああ、自分が情けない。
何度後悔しても足りない。どうしてもっと大事にしなかったのか。どうして簡単な言葉を言えなかったのか。
まさかこんな風になるとは思わず、自分でも顔を顰めるような行動ばかりだった。

「あ、あと、監視カメラみたいなのつけなくていいですからね」

彼は空気を断ち切るように言いながら立ち上がった。

「俺は全然構わないよ」

「鍵があればそんなものいらないです」

「そっか。うん、そうだね」

「じゃあ、また連絡しますから先輩も不審者情報として載らないようにここには来ないこと。いいですね」

「はい」

宣誓するように小さく手を挙げると、景吾も僅かに笑ってくれた。

「またね先輩」

「うん。また…」

またね。何度も景吾に言われ、軽く流していた別れの挨拶。だけどそう言われるのがどんなにありがたいことか知った。
そういえば、景吾は卒業前に会ったときまたねと言わなかった。
これが最後と決めていたのだろう。実らない恋に終止符を打とうとしていた。
過去を思い出すほど、彼がどんなに強い人間で、自分がどれほど弱かったのか思い知る。
彼はこちらが気付きもしない優しさを、少しずつポケットに詰め込んでくれていた。
それがぱんぱんに膨らむ頃には先輩も誰かを好きになれますよ。
そんな風に自分の身を削って深い沼から引き摺り出そうとしてくれた。
景吾は懐が深い男だから。仁が言った言葉を思い出し、そんなものじゃ足りないと知る。
絶対離せない。景吾みたいな人間、もう二度と自分の前には現れない。
好きだと自覚した瞬間から急激に彼に心が流れていく。
これはちょっとやばい。思い出したくない過去がちらりと頭を過り、少しは自制しなければ同じ罪を繰り返すかもしれないと怖ろしくなった。

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