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"今日、一緒に帰ろうか"
一日で最も苦痛な五限の最中に梶本先輩からそんなメールが届いた。
頬杖をついて眠気と戦っていたが、睡魔が一気に吹き飛び、人目も気にせずに笑ってしまった。
すぐさまOKの返事をし、六限はサボってしまおうかと不真面目なことを考える。
蓮に捕まるのがオチなので、結局は出席するが、大人しく待っていられる自信がない。
落ち着きがないのは平常運転で、誰もおかしいとは思わないだろうが。
先輩と連絡先を交換してから、たまにだが一緒に帰っている。
その度に先輩はコンビニに寄り、食べ物を買ってくれる。
学食だけでは到底足りないだろうと、餌付けをされているのだ。
彼と共にいられるのも嬉しいが、そこに食糧も加わるので更に嬉しい。
六限が終わり、荷物を纏めるゆうきを振り返る。
「今日、先輩と帰る約束してるんだ」
ゆうきは何かを言いたげに口を開いたが、それを塞ぐように秀吉が手を伸ばし、ずるずると引き摺るように去って行く。
秀吉に小さくありがとうと拝み手を作る。
秀吉もそれに応えるように小さく頷く。ゆうきは秀吉の腕の中でじたばたと暴れているが、体躯の差には抗えないようだ。
自分も暫く時間を置き、待ち合わせ場所である昇降口に立った。
「景吾、何してんの?」
「人待ってんの」
「ふーん、じゃあなー」
「おう、またね」
クラスメイトに手を振る。
「景吾まだ帰ってなかったのか?」
「うん、人待ってんの」
「そっか、また明日な」
「うん」
また別のクラスメイトに手を振る。
「あれ?真田は?」
「今日は秀吉と帰ったよ」
「珍しいな。お前も早く帰れよ」
「うん、じゃあね」
今度は隣のクラスの人だ。
声をかけられる度に同じ会話を数回繰り返し、十分が経過した。
そろそろ待つことに飽きた頃、後ろから肩をぽんと叩かれた。
「お待たせ」
猫背になっていた背中を真っ直ぐに伸ばした。
嬉しくてつい笑ってしまう。
「はは」
きょとんとした後、彼は笑い出した。
「景吾君、飼い主が来た犬みたいだね」
犬…。
微妙な例えられ方に喜べばいいのか、怒ればいいのかの判断もつかない。
「怒るとこでしょうか…」
「なんで?素直で明るいってことだよ」
「ほめてます?なんか、微妙に馬鹿にされてる気が…」
「勘違い勘違い!」
ばしっと背中を叩かれたが、上手く誤魔化された気がする。
先輩が楽しんでいるのならそれでもいいが、やはり犬はいかがなものか…。
ぶつぶつと考えている間に、梶本先輩はコンビニに入り、いっぱいになった袋をこちらに差し出した。
「一気に全部食べちゃだめだよ。具合が悪くなるからね」
しっかりと釘を刺すのも忘れない。
けれど、忠告などされずとも、勿体無いのでなかなか食べられないのだ。
「今日、俺の部屋遊びにこない?」
寮のエントランスに入ると共に誘われた。
「いいんですか?」
「うん、もっと景吾君と話したいし」
「行きます!」
先輩の言葉に被せるように勢いよく言った。
「よしよし、じゃあ着替えたら連絡して。迎えに行くよ」
頭を撫でられながら言われた。やっぱり犬みたいという言葉も付け加えられたが。
急いで部屋へ戻り、制服から私服に着替える。
外に出るわけじゃないので、ハーフパンツにTシャツ、その上にパーカーだけのラフな格好だ。
「出かけんのか?」
部屋には秀吉もいて、ゆうきと話してた。
ゆうきは相変わらず、何度か相槌を打つだけだが、秀吉は気にせず話し続けている。
「梶本先輩の部屋に遊びに行くんだ」
「部屋に?お前行くのか?」
「うん、行くよ。楽しみだな」
ゆうきは頭が痛いと言わんばかりにうな垂れた。
「気をつけろよ。何かあったら携帯に電話しろ」
「何かって…。部屋に行くだけだってば。外出はしないし」
わざとらしく溜息を吐かれ、もういいとしっしと手を振られる。
ゆうきは言葉が少ないので、頭の悪い自分は彼の言葉の真意をなかなか察することができない。
難しいが、ゆうきにそれ以上を要求しても無理なので、こちらが努力をしなければならない。
「いってきます」
二人に手を振り、エントランスへ向かう途中、先輩へメールを送る。
暫くすると同じようにラフな格好の先輩が迎えに来てくれた。
私服姿も素敵だと思う。
特別な恰好をしておらずとも、スタイルがいいのでそれなりに見えてしまう。
同じ男として羨ましいやら、憎らしいやら。
「ここが俺の部屋だよ。一人部屋だから好きなときに遊びにきてね」
部屋の中は俺たちの部屋とは違い、結構広い。
リビングが一つと、寝室が一つ。
学年が上に上がるにつれ、待遇が良くなる。受験勉強もあるので、一人で落ち着いて勉強できるようにとの願いが込められているのだろうが、真面目に勉強をしている生徒が何人いるかは知れない。
部屋の中はアースカラーが基調の落ち着いた部屋だった。
意外だ。もっと派手な部屋を想像していた。
リビングのソファに座ると、先輩が炭酸のジュースを出してくれた。
以前炭酸が好きだとさらりと言った言葉を覚えていてくれたらしい。
隣に梶本先輩も腰を下ろし、一口コーヒーを飲み込んでいる。
「昨日はゆうきと仲良くできましたか?」
昨日はゆうきと先輩が二人で風紀点検をしていた。
ゆうきは先輩を好ましく思っていないので、仲良くできるか心配だった。
ゆうきは関係のない人間にはとことん冷酷だ。
「ああ、仲良くやったよ。まあ、嫌われてるみたいだけどね」
先輩は笑いながら言うが、嫌われたら悲しい。
無理をしているのではないだろうかと、心配になる。
何故、ゆうきも先輩を嫌がるのだろう。
こんなに優しく、おもしろい人なのに。食わず嫌いのようなものだろうか。
それから色んな話しを先輩から聞いた。
趣味や、どんな音楽聞くのか、休日はなにをしているのか。
話題は尽きず、冗談交じりに話してくれる先輩に、何度もお腹が痛くなるほど笑った。
すると、急に部屋の扉が開き、知らない人が入って来た。
「…紘輝。どうしたの?」
紘輝と呼ばれたその人は首を微かに傾げた。
「今日来いって言ってたじゃん」
「そうだっけ?」
「先客がいるなら帰るけど」
「ごめんね、また今度ね」
気を害した様子もなく、無表情のままこちらにも手を振って去って行った。
「いいんですか?」
「いいのいいの」
「お友達ですか?」
「まあ、友達かな。二年生の櫻井紘輝君」
同学年でさえすべてを把握するのは無理で、上級生ならば尚更だ。
「カッコイー人でしたね」
「そう?景吾君はゆうき君を毎日見てるから目が慣れているのかと思ってたよ」
「ゆうきは別格ですよ。あれは同じ人間だと思ってないですし」
「まあ、そうだね。同じ生き物って感じしないよね。浮世離れしてるし」
「そうなんです。男でも女でもない感じだし、変な奴にちょっかい出されなきゃいいんですけど」
溜め息混じりで言うと、梶本先輩が苦笑した。
「変な奴、ね…」
その後もたくさん話したが、夕食の時間になったのでお暇した。
あまり長居をして鬱陶しいと思われたくないし、図々しくもしたくない。
自室の扉を開ければ、出て行った時と同じ光景が広がっていた。
秀吉は相変わらずで、ゆうきはうんざりした表情だ。
「景吾!よかった。帰ってきて。何もなかったよな?」
ゆうきが焦りながら問いただす。
「何も。ただ話してただけ」
「そうか…」
「それよりお腹減らない?ご飯食べに行こうよ」
「せやな、行こか」
たくさんご飯を食べて、今日は幸せな気分でベッドに入れる。
だって、先輩と一緒に帰って、部屋に遊びに行って…。
一日の中で沢山の時間を先輩と過ごせた。
また、遊びに行けるといいのだけれど。
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