百年の孤独
冬期休暇が始まり、自宅のベッドで大の字になりながら携帯を眺めた。
あの日以来梶本先輩から連絡はない。
工夫しなければ学園内でも寮内でも会えない。一年と三年は部屋も教室も離れている。
会わないのが幸か不幸かの判断はつかない。
梶本先輩がどこの大学を受験するのか知らないが、一応受験生でもあるし、煩わしい恋愛に感ける暇もないのだろう。三年は冬期休暇も寮に残り、講習を受ける者も多いと聞く。
相変わらず彼への気持ちはふわふわと落ち着かない。
どんな顔で会ったらいいかわからない。なのに連絡がないと落ち込んでしまう。
日々その繰り返しだ。彼が悪いのではなく、はっきりしない自分が悪い。
きっとこのまま、なんとなく日々が過ぎて卒業式がきて、彼はあっさりと自分の前から姿を消すのだ。
まるで最初からなにもなかったかのように、少しの痕跡も残さずに。心にこんなに傷をつけたくせに。
久しぶりに地元の友人と馬鹿みたいに遊んで、家族と顔を合わせて、幸せなはずなのに一人になるとつい考えてしまう。
はっきりしたくて自分から連絡しようと思ったが、彼を追い込む行為に思えてやめた。
きっと梶本先輩は中間を愛する人なのだ。
好き、嫌い、愛しい、憎い、すべての感情の中道を歩き、煩わしさから離れた場所に身を置いている。
曖昧が普通で、今の状態も特に疑問に思わないのだろう。
彼がそうだというのなら、自分もそれに従うしかない。追い駆け続けたのはこちらで、自分たちは言葉に当てはめられるような関係にない。
続けるもやめるも自分次第で、彼はどちらも望んでいない。
馬鹿だなあ。何度も思う。
三学期が始まり、休み明けのテストも終えた。
机に片頬をつけ窓の外をぼんやりと眺めた。三年のことはよくわからないが、センター試験、国立、私立大学の入試で教師も随分慌ただしい。
「景吾、帰ろうぜ」
「…ういー」
のっそり重い頭を上げ鞄を握る。
「今日は香坂先輩来ないの」
「来ないんじゃねえの」
「ほーん」
休み中によりを戻したと連絡がきたときは嬉しかった。難しいことや経緯はよくわからないが、丸く収まったという結果さえわかれば満足だった。
男同士で恋愛なんて趣味が悪いと侮蔑の視線を向けられるだろう。だけど何故かこの二人は一緒にいる方が自然と思えるのだ。いつか楓が香坂先輩と別れ、可愛らしい女の子の腰に手を回したらひどい違和感を感じそうだ。
変なの。どちらも普通の男なのに微笑み合ってるのが当たり前のように受け入れてしまう。
部屋の前で楓と別れ、一旦鞄を置いて小銭を掴んだ。
飲み物が何もなかったのを思い出し、学食近くの自販機へ向かった。
炭酸飲料を数本腕に抱えると、景吾と背中に声をかけられた。
「久しぶりー」
制服を着崩した水戸先輩がへらりと微笑んだ。
顔は笑っているが疲労が見て取れる。受験生は想像以上に辛いらしい。
「元気だった?」
温かいココアのボタンを押しながら言われた。
「元気ですよ。水戸先輩は疲れてそうですね」
「あ、わかる?これでも受験生だから多少はね。頭使いすぎて糖分とりたくなっちゃって」
先輩はココアの缶を振りながら苦笑した。
「水戸先輩、楓のこと放したんだって?」
「…さすが情報が早いね」
「もういいの?」
「うん。いいんだ」
彼はいっそ清々しく笑ったが少しだけ寂しさが滲んでいた。
何があったのか知らない。彼らの問題だから自分がすべてを知る必要はないと思う。
悪いのは水戸先輩だったかもしれない。どんな理由があったか知らないが徒に二人の仲を引き裂いた。二人は死ぬほど苦しんだし、楓は枯れるほど涙を流しただろう。
だけど彼を責める気になれない。物事は単純じゃないと知った。
誰か一人が絶対悪なんてありえないし、複数の想いが複雑に絡まって、ときに最悪の結果が出来上がるだけだ。
「…楓にちゃんと謝りました?」
「謝ったよ」
「香坂先輩は?」
「殴られたよ」
その言葉にふはっと吹き出した。
「でも一発殴ってチャラにしてくれるんだから器がでかい男だよね。俺なら死ぬまで恨み続けそう」
「それ自分は小さいってことになりますよ」
「そうだよ。俺ちょーみみっちい男だもん。いやー、香坂がモテる理由がわかったね」
腕組みしながらうんうんと納得した様子で頷いている。
なんだか知らないが晴れやかそうなので、水戸先輩の背中をばしっと叩いて笑った。
「景吾は?あれから梶本とはなんかあった?」
唐突に梶本先輩の名前が出て上手く受け身がとれなかった。
一瞬顔が引きつりそうになり、慌てて笑顔を作った。
「なにもないですよ。会ってないですし」
「…そっか。俺が余計なことしたせいで関係拗れてないか心配だったんだ」
「余計なことなんてしてないし、関係もなにも…」
自分たちは最初からいつ糸が切れてもおかしくないような絆しか結べなかった。
型に嵌った関係ならば、楓と香坂先輩のように拗れても修復できただろう。
だけど自分たちは一度崩れれば誰も修復しようとしない。お互いばらばらになったそれを眺めて片付けもせずにその場から去る。その程度のものだ。
俯きがちになった頭をぽんと撫でられた。
「…卒業したら景吾ともこうやって会えなくなるね。早く寮から出たいと思ってたけどいざそうなると寂しいね」
「そんなもんですか?じゃあ俺も二年後にはそう思ってるのかな」
「まあその前に進路がきちんと決まらないことにはね…。本当に胃が痛いよ」
「精神的にだいぶやられてますね。水戸先輩がそんな弱音吐くなんて」
「そりゃね。もう教室の中もお通夜みたいな空気だからね?」
「うわあ。やだなあ」
「あっという間だから今のうちにたくさん遊んで、たくさん勉強して、幸せな恋をするんだぞ少年!」
「はい、先輩!」
びしっと敬礼してみせるといいお返事と頭をぐしゃぐしゃにされた。
「じゃ、俺はまた地獄の勉強に戻るね。試験終わったら飯でも行こうねー」
「はい。頑張ってください!」
ぶんぶんと大袈裟に手を振った。
凝った肩を回しながら歩く後ろ姿を眺め、その背中に梶本先輩を重ねてしまった。
未練がましいくて緩やかに首を振る。もう考えないと決めた次にはこれだ。堪え性がない心が嫌になる。
三学期が始まり相変わらずの毎日を送り、あっという間に二月も中旬に差し掛かった。
放課後委員会の招集がかかり、指定された教室へ向かう。
三年は引退しているので一、二年で購買部を回しているが、想像以上に大変だった。
単純に人数が減ったせいで駆り出される日が多くなり、三年に任せきりだった金銭管理に唸りながら電卓を叩いて売り捌いている。
とても機械に頼っては追いつかないので暗算するがこれがまた辛い。
頭の中が数字でいっぱいになり、終わる頃にはがんがんと頭痛がする。
「じゃ、そういうことで解散ー」
副委員長だった二年の先輩が締め、会議は三十分ほどで終了した。
さっさと帰ろうと鞄を持って廊下に出たが先輩に呼び止められた。
「相良!これ山田先生に提出してきて」
数枚の紙を差し出されえー、と不満を表した。
「文句言うな一年!ほら、行って来い」
雑用を押し付けられるのはいつものことだが、他にも一年は沢山いるのに何故か自分が捕まる確率が高い。先輩ともよく話すので頼みやすいという理由だろう。
どうせなら仲良くいた方がいい。そう思っていたがこれからは誰彼構わず親しくするのはやめた方がいいかもしれない。
心の中で散々文句を言って書類を提出した。だいたい、会議に顧問の先生が不在という方がおかしいのではないか。
「失礼しましたー」
間延びした声をだしぺこりと一礼した。
「おーい、景吾君」
今日は色んな場面でお呼びがかかる日らしい。人気者じゃん。自分を揶揄して声の方を振り返った。
「久しぶり」
職員室前の廊下にスリーピースの上質なスーツを着た紳士と氷室会長がいた。
「どうも…」
誰だっけこの人と考え、すぐに理事長だと思い出した。行事くらいでしか姿を見ることがないので失念していた。
「こちら相良景吾君。ゆうき君がよく懐いてるんだ」
「ゆうき君が懐くなんてすごいな」
「そうだよ。僕たちの前では気位が高い猫だけど、彼の前だと愛玩犬みたいなんだから」
ね?と会長に微笑まれ、曖昧に笑った。
自分の前でもゆうきはつんとしていることが多いと思うが、傍から見るとそんな風に感じるらしい。
「私にもそれくらい懐いてくれると嬉しいのだけど」
理事長は目尻の皺を深くしながら微笑んだ。笑うと氷室会長に似ている。親子なのだから当然だが、氷室会長の将来を見ているようで不思議だ。
「そうだ。これ、一緒に食べない?」
会長が手に持っていた小ぶりの紙袋を目の高さまで上げた。
「チョコレートらしいんだ。父に押し付けられてね。僕も甘い物はたくさん食べないし困ったなあと思ってたんだ。景吾君は甘いの好きだったよね?」
「はい!」
「よかった。じゃあ生徒会室で待ってて。僕ももう少ししたら行くから」
「ありがとうございます」
会長と理事長に一礼してスキップしそうになりながら生徒会室を目指した。
委員会の会議、先輩の小間使いと面倒事ばかりだったが、こんな褒美があるならパシリも悪くない。
理事長からの菓子なら高級に違いない。滅多に食べられるものでもないし、口に入れられる物ならなんでも試す喜びは何者にも代えがたい。
疲れた頭と心に甘味は特効薬になる。
生徒会室の前でぴたりと止まり、誰もいないだろうが一応小さくノックをした。
応答はなかったので勝手に扉を開ける。
「おっせーよ、一!」
懐かしい耳障りの良い声が聞こえ、ぎくりと肩を揺らした。
[ 19/36 ]
[*prev] [next#]