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幸福な夢を見て、はっと目を覚ました。
梶本先輩と眩しい太陽の下木陰で一緒に昼食を摂り、心底幸福な顔で笑っていた。
ベットサイドの目覚まし時計は夜中の十二時を少し過ぎたところだった。
二度寝をしようと布団に包まったが、彼の顔ばかりが脳裏を過ぎる。右を向いたり左を向いたりごろごろと身体を回転させて、溜め息を吐いきながら降参した。眠れない。

もう彼はいない。わかってる。
何処を歩いても、三年の教室が並ぶ塔へ行っても、偶然でも擦れ違うことは絶対にない。
彼と顔を合わせる口実など何処にも転がっていない。
枕元の携帯を取り電話帳の中から彼の連絡先を開く。ボタン一つで電話が繋がる。声が聞ける。会おうといえば、もしかしたら会ってくれるかもしれない。
そんな勇気はないけれど。追えばその分遠く離れて行くとわかっている。

『もう景吾は用済み』

彼の中での自分の立ち位置などその程度のものだ。
大学には可愛らしい人、綺麗な女性が沢山いて自分が出る幕などない。
連絡先など消してしまおうと何度思っただろう。
けれども結局できずじまい。彼と自分が繋がっている最後の糸だからだ。
女々しく、へたれた自分が鬱陶しい。上半身を起こし、髪をがしがしと乱暴に掻いた。
水でも飲もうとリビングへ続く扉を開けた。
真っ暗闇だと予想していたが煌々と光りが灯され、学がソファの上で漫画を開いている。
こちらに気付いた彼は起こしてしまったかと苦笑した。

「いや、ちょっと嫌な夢見て起きちゃっただけ」

「そっか。こっちおいでよ」

学は手招きし、特別にホットミルクを作ってやろうと笑った。
それに素直に甘えることにしてソファに着く。
程無くして、学はカップに入った甘いホットミルクを手渡した。

「ありがと」

「どういたしまして」

「…学も夜更かし?」

「まあ、明日休みだしね」

「あ、そっか」

学園はすっかり通常授業となり、クラスメイトと騒いで遊んでを繰り返している。
蓮と秀吉と離れてしまったのは寂しいが、今でもなんとなく五人揃って飯を食べたり、部屋で集まったりしている。

「どんな夢見たの?」

自分はブラックのコーヒーを飲みながら学が微笑んだ。
そして思い出す。日差しの中で、眩しいくらいに微笑んだ先輩の顔を。

「恥ずかしながらこの前振られた人の夢」

正直に言ったのは何故だろう。
誤魔化すことなどいくらでもできるくせに、学に慰めてもらおうという魂胆が透けてみえて、ますます自己嫌悪に陥る。

「そっか」

「…忘れようって頑張ってんだけど、上手くいかないもんだね」

「しょうがないよ。それだけ好きだったんだろ?」

「うん。でも、できれば早く忘れたいな」

ぽつりぽつりと話すと学は真摯な瞳をこちらへ向け、慰めるようにぽんぽんと肩を叩いた。

「でもさ、無理に忘れようって頑張ると余計にそっちに思考が流れない?」

「うーん、確かに」

「だから、自然と薄れるのを待つのも手だと思うよ」

「そっかー。学もそういう経験ある?」

興味本位で聞いてみたが、彼は苦笑するだけで何も答えなかった。踏み込んではいけない領域だったらしい。人との距離感が近いと叱られることがあるが、自分のこういうデリカシーのなさが問題なのだろう。ごめん、と謝ろうとすると学に思い切り背中を叩かれた。

「いくら彼女いない俺だって振られたことの一度や二度、経験ありますよ」

空気が硬くならぬよう、おどけたように言われ、自分もそれに合わせて笑顔を作った。

「そうだよね!学でもふられるんだもん、俺がふられるのも当たり前か!」

「んなことないだろ。俺より景吾の方がいい男じゃん。俺はほら、なんか垢抜けないし、もっさーとしてるでしょ?」

「してないよ」

「いや、景吾の隣にいると自分はなんてダサい奴なんだ…って思うもん」

「同じ制服じゃん!」

「そうなんだけど、雰囲気とかさー」

ちぇ、と口を尖らせる姿がおもしろくてけらけら笑った。

「景吾の笑顔はいいよね」

「はい?」

言われている意味がわからず首を捻った。誰だって笑顔は素敵だと思う。

「こう、ぱっと空気が明るくなる感じ」

「笑えばみんなそうだよ」

「そんなことないよ。景吾の長所だし、だから友達も多いんだろうな。落ち込んでるときに摂取したらめちゃくちゃ元気になりそう」

「変な薬みたいに言わないで」

「うーん、依存性が高そうなところとも似てるなあ…」

「やめろ!俺はそんなんじゃない!」

学の腕をぎゅっと抓ると抓り返され、馬鹿みたいなことをして笑い合った。ゆうきがいたらお前ら小学生かよと呆れられるだろう。
一通りじゃれ合ってから少し落ち着こうと肩で息をした。
カップの中のミルクはぬるくなっていて、完全に冷たくなる前にすべて飲み込んだ。

「うまかった。今度学が落ち込んだときは俺が作ってやろうじゃないか」

「はいはい。期待しないで待ってるよ」

「してよ!俺こう見えて義理と人情に篤い男だよ!?」

「あー、わかるわかる。意地悪しても謝ったら別にいいよ、とか許しそう」

「学は許さないの?」

「許さないね。一生恨んでやる」

「うわあ。学は敵に回さないようにしなきゃ」

思い切り引いた顔をすると彼もけたけたと笑った。
そんな風に彼は言うが、きっと彼も許すのだろう。真摯な気持ちを無碍にはせず、受け取る優しさを持っていると思う。だから自分は学が好きだ。

「んじゃそろそろ寝ようかな。学も早く寝なよ。お肌に悪いから」

「女子か」

「寝ないと成長ホルモンがうんたらかんたら」

「ちゃんと言えよ。それに俺もう身長伸びなくていいからさ」

勝ち誇ったように言われ、これは身長が伸び悩んでいる自分への嫌味と判断し、部屋に戻る前に髪をぐちゃぐちゃにしてから逃げた。



翌朝、目を覚ますとベッドを背凭れにしているゆうきがいた。寝惚け眼でその姿を眺め、同室だった頃に戻ったような感覚に陥る。

「…ゆうき」

背を向けていた彼の髪をさらりとすくうとゆうきがこちらを向いた。

「…はよ」

「おはよう。何してんの…?」

「ああ、勝手に入って悪かったな。一応、麻生には許可取ったんだけど」

「そんなの全然いいけど…」

「…ちょっと、出かけねえ?」

ゆうきからの誘いはとても珍しく一気に覚醒した。

「…珍しいね」

「木内先輩がお前も誘えって。美味い飯食いに行くぞってさ」

「マジか!それは行くしかない!」

大慌てでベットから降りた。
木内先輩は舌が肥えているだろうから美味しいお店をたくさん知っているし、先輩らしく奢ってくれる。
この機会逃してなるものかと大慌ててで準備をした。
リビングにいた学に出かけてくることを告げ、ゆうきと一緒に寮の廊下を歩いた。

「何食べようかな」

「なんでもいいけど食いすぎて腹壊すなよ」

「大丈夫。壊れるくらい食べたことないし」

自信満々に言ったが、ゆうきは呆れたような視線をよこすだけだった。
ロビーを抜け、寮の門扉に近付くと木内先輩が車に寄りかかるようにして待っていた。そんな姿が絵になるなんて、相変わらずの色男ぶりだ。

「よお、来たか」

「デートお邪魔していいんですか?」

「たまにはいいだろ。ゆうきもお前が一緒の方が喜ぶしな」

ちらりとゆうきを見れば木内先輩の言葉に浅く頷いている。
木内先輩が傷つくのではないかと思ったが、彼はゆうきの態度に薄く笑うだけだった。なんだろう、口でなんと言おうとお前は俺が一番的な自信を木内先輩から感じてイラっとする。

「死ぬほど食べますからね先輩」

苛立ちは食欲にぶつけることにして、木内先輩を下から睨んだ。彼は鼻で笑い、上等と言っただけで、余裕綽々の態度に更に腹が立った。
ちきしょう、そのすかした顔を歪ませてやる。変なベクトルに燃えながら車に乗り込んだ。
辿りついたのは、鉄板焼きのお店だった。少し気を遣って服を選んでよかった。

「肉でも魚介類でも好きなだけ食べなさいよ」

「よっしゃー!」

店の前でガッツポーズをして先輩に続くように店内に入った。
横一列に並び、目の前で肉が焼ける音に涎を垂らしながら注文を終えた。
隣の二人をちらりと見たが、ゆうきはぼんやりと鉄板を見るだけだし、木内先輩も携帯をいじって特に会話はない。
この二人いつもこんな調子なのだろうか。そういえば車内でも会話らしい会話をしていなかった。
ここは自分が盛り上げるべきだろうか。でも、これが二人の普通ならあまりうるさくしてもいけないかも。
ぐるぐると考えている内に自分たちが注文した肉が鉄板に置かれ、目がきらきらと輝いた。
自分の両親が経営する小さな洋食屋のご飯も大好きだ。懐かしい味がするし、低価格で腹も満たされ常連も多い。
だけどたまには無理をしないと入れないお店のご飯も食べてみたい。とはいえ、それは木内先輩と一緒だから叶う夢で。
食にも物にも一切の関心を示さないゆうきは勿体無いと思う。木内先輩なら多少の無理も聞いてくれそうなのに。だけど、そんなゆうきだからこそ好きになったとわかっている。
お金を持っている人は金イコール自分と見られるのが嫌だとよく聞く。
自分は木内先輩にジュースとか、コンビニのお菓子とかよく強請るが、それくらいは可愛い域だろう。

「ゆうき、すごいね。美味しそうだね」

「あー、うん」

皿に乗せられた肉を前にしてもこの反応だ。
いただきます、ときちんと手を合わせ、小さく頭を下げてから肉を頬張った。
美味しい、美味しい、としつこいくらいに言うと、ゆうきが自分の分を分けてくれた。

「ゆうきもちゃんと食べないとだめだよ」

「お前が食ってるの見てるだけで腹いっぱいになるわ」

「貧弱者め」

わざと挑発するように言うと、ゆうきは一瞬むっとした表情を見せ、肉や野菜をひょいひょいと口に運んだ。安い挑発に乗ってくれるから助かる。木内先輩も愉快そうに笑い、ゆうきに気付かれぬよう、さすが、と声に出さず口の動きだけで言ってくれた。
その後も食べ続け、換算すると四人前を一人で平らげた。
食べる度に美味しいと呟いてしまい、シェフにも作り甲斐があると笑われた始末だ。

「あー、久しぶりに満足するまで食べた」

お腹をさするとゆうきと木内先輩にうんざりした視線を向けられた。

「見てるだけで吐きそうってこういうことか」

「これが毎日だぞ?そりゃ俺も食わなくなるだろ」

「なるほど。ゆうきがあんま食べないのは景吾にも責任が…」

「ないですよ!」

食は嫌なことも心の底に沈殿する鬱憤もすべてかっさらってエネルギーに変えてくれる力があると思う。少なくとも自分にとっては。

木内先輩にデザートでも食べに行くかと提案され、鉄板焼きのお店を後にした。
まだ食べるのか。そろそろ風船みたいに弾ける。ゆうきにはそんな風に言われたが、主食とデザートは別腹と言うではないか。
コーヒーチェーン店に入り、カウンターで注文を終え、席を確保するため混雑する店の中をきょろきょろと見渡した。
老若男女がひしめく店内で、二度見をするように一人の人物に視線を縫いとめられた。
透けるような金色は落ち着いたダークブラウンに変わり、ハーフアップにしていた少し長めの髪も短くなっている。だけど見間違えるはずはなく、トレイを持ったまま呆然と立ち竦んだ。

「景吾?」

視線を辿るようにゆうきもそちらを見て息を呑んだのが伝わった。

「おい、突っ立ってると邪魔だぞ」

木内先輩にとん、と背中を押されそちらを振り返る。

「行ってこい」

「…なんで」

「俺が呼んだ」

木内先輩は端的に言い、ゆうきは彼の腕をぐっと掴み余計なお節介だと睨み上げた。

「しょうがねえだろ。頼まれたんだから」

「だからってこんな騙し討ちみたいなこと…」

ぎりっと奥歯を噛むようにするゆうきをぼんやり眺める。
薄い画面の向こう側のような気分で二人の会話を聞き流していると、こちらに気付いた梶本先輩に大きく手を振られた。

「ま、俺はどっちでもいいけど。お前が話したくないってんならこのまま帰るのも手だと思うし」

木内先輩は持ち帰り用の紙製のカップに口をつけた。
足元に視線を移すと、帰ろうとゆうきに告げられる。
帰ったらどうなるのだろう。これっきりなのだろうか。無視するような態度はあまりにもひどい気がするし、顔を合わせたら苦しさが倍になるような気もする。
しかし木内先輩は頼まれたと言っていた。もしかしたら大事な用かもしれない。
それなら直接連絡をくれたらよかったのに。もしかして梶本先輩はすでに自分の連絡先を消したのだろうか。
ぐるぐると考え、ゆうきに腕を引かれて我に返った。

「帰るぞ」

それがいいのだと思う。もう二度と会えないから忘れようと努力した。声を聞いたら一瞬でこの二ヵ月が白紙に戻るだろう。
苦しんでもがいた日々をまた一から。想像するとぞっとした。だけど理屈を無視した場所が彼の元へ行きたがっている。
ああ、馬鹿だな。自分はもしかしてマゾなのかも、と苦笑を零す。

「行くよ。わざわざ来てくれたんだし」

「そんなのあいつの勝手で景吾がつきあう義理はない」

「うん…。でも、目があったのに無視ってすげー嫌な奴じゃね?」

「そんなことない」

「そんなことあるだろ」

聞き分けの悪い子どものように必死なのがおかしくて、笑いながらゆうきの頭をぽんと撫でた。

「俺は大丈夫」

真っ直ぐ目を見て言う。数秒見詰め合い、ゆうきは眉間の皺を深くしてそっぽを向いた。

「わかった」

「ごめん。ゆうきが言いたいことわかってるから」

「別に、それこそお節介だし」

口を尖らせて拗ねたので、後はよろしくという気持ちを込めて木内先輩に小さく頭を下げる。それに応えるようにひらりと手を振り二人は店内を去った。
トレイを落とさぬよう、しっかりと握って梶本先輩が待つテーブルへ進む。
大丈夫、大丈夫。
「景吾の笑顔は元気になる」昨晩学に言われた言葉を思い出し、ぐっと口角を上げた。

「久しぶり」

席に着く直前に言われ、一瞬俯いて笑えと自分に言い聞かせた。

「お久しぶりです」

「急にごめんね。俺が仁に頼んだんだ」

「そう、ですか。でも、おかげでたくさんご馳走してもらったし」

どうして直接連絡をくれないのか。今更何の用があったのか。自分たちの関係はどの位置にあるのか。
すべての疑問を張り付けた笑顔の裏に押し込んだ。



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