君がいない



卒業式を終え、在校生は短い春休みで部屋替えに勤しむ。
卒業式の後一日だけ思い切り落ち込んだ。回転扉のようにがらりと気持ちを切り替えられるわけではないので、思い出しては胸が痛むがいつまでもいじけていられない。
部屋替えに伴い、強制的に環境が変われば、忙しさで痛みを感じる隙も減るのはありがたかった。

「おーい、学ー!」

両手に抱えた荷物を落とさぬよう、部屋の扉を開けようとしている学へ一直線で駆けだした。

「景吾…」

学は一年間よろしくとふんわり微笑みながら言った。

「学と同室って知った瞬間からすげー楽しみにしてたんだ!」

僅かな身長差を埋めるように前のめりになりながら言えば、俺もだよと、彼も笑う。
彼とは友人を通して知り合い、学園で会えば立ち話をしたり、たまに友人数人で遊ぶこともあった。
学が纏う穏やかな空気が大好きで、落ち着きのない子供の自分とは正反対なそれに憧憬すら抱く。一緒にいるととても落ち着くし、常に春の陽だまりのような人なのだ。
彼と同室になれたのは運がいい。逆に学からすればこんなに騒がしい奴が一緒で落胆したかもしれない。

「部屋の片付け頑張ろうな」

「うん!俺片付けめちゃくちゃ苦手だけど!」

「俺も得意じゃないけど手伝うよ」

「サンキュー」

鍵を開けて室内に足を踏み込む。
二年の寮は共有のリビングの他に、狭いけれどそれぞれ寝室が用意されている。中学からつい最近までの窮屈な部屋を思えば、まるで天国だ。
ゆうきと同室だったからストレスを感じず過ごしてきたが、馬が合わない人間とあの部屋で同室になったら寮に帰らず友人の部屋で寝泊まりしていたかもしれない。

適当にお互いの寝室の位置を決め、部屋に荷物を放り投げた。
自分のことだから片付けに数日かかるのだろうし、すぐに必要なものだけしまっておけばいい。大事な衣服だけでも今日中に終わらせてしまおう。そうすれば荷物のほぼ半分以上は片付いたと言ってもいい。それぞれの部屋へこもり作業を開始した。
一つ一つ、服を丁寧にハンガーにかけたり、Tシャツ類は畳んだり、小物は小物でケースに入れて、それだけでも幸せだった。やはり自分は服が大好きなのだと実感する。嫌いな片付けも対象が洋服ならば苦にならない。
それが終われば今度は勉強道具を段ボールに一纏めにして備え付けの机上に放り投げた。勉強など滅多にしないし、こちらは気が向いたときでいいだろう。
漫画本や雑誌も適当に積み重ねる。
リビングは共有スペースなので学の許可を得たら、テレビ台の引き出しにゲーム機等を置こう。
リビングのソファやテーブルも備え付けで、模様替えも好きにできる。古い実家よりも余程綺麗で広い部屋に、一人で大興奮だ。
自分は東城に来て五年目。やっと最高学年まであと一年となったのだと、この贅沢な部屋に入ると漸く実感した。
三年になると更に待遇は良くなり、来年には一人部屋だ。三年の部屋は梶本先輩を通してよく入っていたので、今更珍しくはないけれど。
ふと思考が空白になると梶本先輩を思い出してしまい、漫画本を積み上げながら苦笑した。
無事に志望校に受かったらしいと風の噂で聞いた。
春からは一人暮らしか、もしかしたらお姉さんと一緒に住むのかもしれない。
どちらにせよ、重く、長い鎖で繋がれているような東城とは違う。大いに羽を伸ばし、新しい環境を柔軟に受け入れながら楽しむことだろう。きっと自分を思い出す隙は一瞬もない。
つい口から重々しい溜め息が零れた。
梶本先輩は薬のような人だ。
幼い頃は苺味でコーティングされた甘い薬を飲むけれど、大人になるにつれ苦味が残るものに変わる。
いつまでも喉に張り付くような苦味を一生懸命水で流し込むけれど、それはいつまで経っても消えなくて。消えてくれたと思えば病気が治るまでそれを味わう羽目になって。
彼と過ごした初期の頃は甘美でとても楽しかった。でも時を重ねる毎に苦味が増し、最後にはいくら水を飲み込んでも苦味が消えないから困る。

「…元気かなー」

大学には女性も沢山いるだろうし、その中で仲良くなる子もできて、気紛れにセックスフレンドになる子もいるかもしれない。もしかしたら、恋人という座を掴める人もできるかもしれない。
柔和に笑う姿と、あの容姿、話術があれば、口説かれれば女性も悪い気はしないだろう。
そうやってお気に入りを次々と作っていった。自分はその中の一人にすぎなかった。
振り向いてほしくて、自分なりに努力はしたと思う。方法がわからず、経験豊富な彼からすればおかしくて笑ってしまうことばかりだったかもしれないけど。だけど足りなかった。放したくないと強く願うほどの魅力が自分にはなかったのだ。
しょうがない、しょうがない。恋は片方の矢印だけでは成立しない。人の心を無理に動かすことはできない。
わかっていても考えてしまう。どうすればよかったのかなあと。
地面にめり込むほど落ち込みそうで、軽く頭を振って思考を散らした。

「景吾ー」

開けっ放しにしていた扉の向こうから学に呼ばれ、現実へ引き戻された。

「なんか手伝うか?」

「学はもう終わった?」

「全部じゃないけど、後はまあ、適当にそのうちやるわ」

「はは、俺もそんな感じ。あ、そうだ。友達の部屋行かない?紹介したいし」

「ああ、真田?」

「そうそう。ゆうきと話したことある?」

「ないねー。クラスも遠いし、話しかけんなオーラ半端ないからな真田は」

「言えてる。でも、悪い奴じゃないんだよ。ちょっと愛想が足りないだけで。たぶん…」

自分的には最高の友人だと思うが、彼に対する評価は好き嫌いが極端に分かれる。
無表情で無愛想だが本当はとても優しく、愛情深いと知ると一気に惹かれるが、その前につんけんして嫌な奴とか、話しかけてるのに無視をして愛想がないとか、そうやって陰口を叩かれてるのもよく耳にする。
人によって好き嫌いが別れるのは仕方がないが、誤解されやすいだけで嫌な奴ではないのだ。どう説明すべきかわからずもごもごと俯くと、学はわかってる、大丈夫だと言いながら微笑んだ。それが嬉しくて、早速行こうと学の腕を引いてゆうきの部屋を訪ねた。
ゆうきは新しい同室者に悄然としていたが、人付き合いの勉強もしなければいけないと小さく説教をした。
自分たちもいつかは離れて暮らす。学校や会社で新しい人間関係を構築しなければならない。
そうなったときに後悔しても遅い。人嫌いを多少直してくれたらと願うが現実はなかなか厳しそうだ。
同室者へ歩み寄って頑張るようにと念を押し、再び自室へ戻った。

「景吾、ちょっと休憩しないか?」

学はインスタントコーヒーの粉末が入った瓶を軽く揺すった。

「俺カフェラテがいいー」

「了解」

小さな我儘も快く聞いてくれる彼は本当にいい奴だ。十人いれば、十人がそう答えるだろう。
同い年だというのにおんぶに抱っこ状態で、頼れるお兄さんのような存在だ。
砂糖と牛乳入りの温かいカフェラテを手渡され、ソファに並んで座る。

「学は優しいなあ」

カップに息を吹きかけながら呟いた。

「んなことないよ。俺意外に短気だし」

「そんな風には見えないけど」

まだ自分が知らない学が存在するらしい。短気な彼もまたおもしろそうだ。これからは短所も長所も知れるのだと思うとわくわくする。欠点があってこそ、人間は面白い。それぞれの性格の違いを楽しめるので、自分は人付き合いが大好きだ。

「俺は落ち着きないって通信簿とかによく書かれてるけど、学そんなことないし、優しくて紳士的で女の子にモテそうだ」

いいなあと間延びした声を出すと、学が苦笑したのが伝わった。

「んなこと全然ないけどね。彼女いたことないし」

「うわ意外」

「男子校にいる限り女の子と接点ないしね。俺部活もしてないし、練習試合で行った先の高校で、とかもないし」

「まあねえ。でも豊たちと仲良いし、紹介なんていくらでも…」

追及を逃れるように学はカップに口をつけて微笑むだけだ。

「景吾は?彼女いないの?」

「あー…。うん、ちょっと、失恋したばかりというか…」

首の後ろを掻きながら乾いた笑いを零した。

「…そっか。辛いな」

「んー。まあ、いつまでも悩むのは性に合わないし、次好きになった子とは両想いになれるといいなあなんてね」

「そうだな。景吾ならきっと大丈夫」

「だといいんだけどねー…」

ふっと嘆息を零したが、学に言われると社交辞令でも安心できる。
すべての恋を諦めてしまおうと投げやりになったが、それでは梶本先輩と同じになってしまう。
一度の失恋くらいで立ち止まるなんて勿体無い。高校生でいられるのはたった三年間しかない。大人になって振り返ったとき、思い切り甘酸っぱい恋をしていたと笑えるように梶本先輩意外の人に恋をしたい。
友人と遊んで、たまに勉強して、それでいいと思っていた。別に彼女なんていなくても毎日は楽しいし、欠けた部分もなかった。
なのに梶本先輩を知り、彼が去った跡はぽっかり空白になってしまった。いつまでも満たされないその部分は、見て見ぬ振りをすれば時間が解決してくれるのか、それとも同じ恋慕でなければ満たされないのか。
厄介な感情を知ってしまった。一度知れば無垢な頃には戻れない。傷つきたくないと思うのに人肌が恋しいと嘆いてしまう。

「大丈夫。その内豊が合コン行こうぜってうるさくなるよ」

「はは、言えてる。その時は学も一緒だね」

「えー。俺いつも店員さんへの伝言係だしもう合コンはやだなあ」

あれそれと気を回して幹事役をする学を想像してぷっと吹き出した。
笑い事じゃない、とくしゃくしゃと頭を乱暴に掻き回されますます笑った。
なんとなく大丈夫かもしれないと思った。なんの確証もないけれど、どんなに傷ついてもこの部屋にいれば自然と心が回復できる。
学と同室にしてくれてありがとう神様。実際手を回したのは木内様だけれど。

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