運命の鎖





一目惚れ、というものは信じていなかった。
そんな女性に出逢ったことはないし、周りは男ばかりで恋を意識する暇もない。
彼女がほしいと口癖のように言っていたが、行動に移すほど本気ではなくて。

恋というものがいまいちよくわからない。そんな自分でもこれは恋だと確信できる人に出逢った。

「景吾、お前本気か?」

ゆうきと部屋へ戻るやいなや、彼が大きな溜め息を吐きながら言った。
テストが散々で学食で落ち込んでいた。
そこで梶本先輩に出逢った。挨拶をして、握手を求められ、大きな手を握った瞬間に身体に電流が走った。ような気がした。

「本気だよ」

「…この際男でもいい。けどな、人は選んだ方がいい。まだ氷室先輩の方がちゃんとしてると思う」

「だって氷室先輩には何も感じなかったもん」

制服を脱ぎ、部屋着に着替えてベッドの上に寝転んだ。
ゆうきは着替えもせずに自分のベッドに腰掛けてこめかみあたりを押さえている。

「最初にはっきり言うけどな、あいつは恋愛対象としてむいてない。追い駆けてもお前が傷つくだけだぞ」

「やってみないとわからないだろ。俺、好きとかよくわかんないからさ、まあ気軽な感じでさ」

いくら説明をしてもゆうきの顔は険しいままだ。
確かに梶本先輩のことはなにも知らないが、これから知っていけばいいし、きっといい人だと思う。

「お前の判断に任せるけど、お前が傷つくとこは見たくねえんだよ」

困ったように言われ、申し訳ないと思った。
ゆうきの気持ちはわかる。自分もゆうきが悲しんだら悲しい。
だからといって、人間の心は機械のようにスイッチ一つで停止できない。
自分では何一つ制御できない。
それはきっと、ゆうきもわかって言っていると思うのだ。

「心配かけてごめんな」

「…何かあったら絶対言うんだぞ。いいな?」

「うん。ありがと」

ゆうきは何度も何度も溜息を吐き出し、いつも無表情な顔には眉間の皺が寄ったままになっている。
そこまで嫌なのだろうか。よくわからないが、自分が出来の悪い子どものようで、ひたすら申し訳ないと思う。

何も知らない人を好きになるのは、やはりおかしのだろうか。
勝手に勘違いをし、一目惚れなんて確証もないふわふわとした気持ちに踊らされているのだろうか。
だとしても、梶本先輩は三年生であと何ヶ月で卒業だ。
それまでにこの気持ちを確かめたい。

自己紹介をしてくれたときの先輩の笑顔が頭から離れない。
あの笑顔も、声も、記憶は鮮明で、心臓を煩く鳴らす。
たくさん眠りたいのに今日はすんなり眠れそうもない。
今なら、秀吉や蓮、楓の気持ちがわかる。



「景吾!起きねえとまた遅刻だぞ」

ゆうきの怒鳴り声にうっすらと瞳を開けた。
既に制服姿のゆうきが仁王立ちしながら覗き込んでいる。
だって昨日はあまり眠れなかったんだ。
ごもごもと口の中でうったえるが、今度が身体を揺さぶられた。

「朝飯抜きになるぞ?」

「それはやだ。すぐ用意するからちょっと待ってて」

寝癖のついた頭もそのままに、急いで制服を着て食堂へと向かう。
ゆうきと向かい合って朝飯を食べながら、彼をじっと見詰めた。
なんだか最近、ゆうきは表情豊かになったような気がする。
豊か、といっても些細な変化で、周りからは相変わらずの無表情に見えるのだろうが。
もしかしたら木内先輩のおかげかもしれない。
ゆうきは必死に隠そうとしてるが、部屋を抜け出して何処に行ってるかは知っている。
ただ、ゆうきが話そうとしないから聞かない。ゆうきから話してくれるのを待っている。

ぎりぎりの時間に教室に着けば、すでに皆が揃っていた。
いつもは楓が最後なのだけど。

「おはよ」

席に座りながら言えば、それぞれから返事がある。

「ねえねえ。俺気になる人ができたんだ」

隠し事はしない主義だ。
どうせ隠してもすぐにばれるので、それならば最初から公表しようと思った。
けれど、ぽかんとしたまま誰一人動かない。
ゆうきは頬杖をついて窓の外を眺めて、会話に入ろうともしない。

「いつの間に…?合コンとか行ったのか?」

我に返った楓は、それならば自分も誘ってくれてもよかったのに、と駄々を捏ね始めた。
もし、本当に合コンに参加したとしても、香坂先輩が怖いので楓なんて誘えない。

「違う。三年生の、梶本先輩って人。イケメンだよ」

「…まさか、景吾まで…」

楓は今度はさめざめと泣くふりを始めた。

「まあまあ、俺らが言うても説得力ないしなあ…」

「そう、だね…。でも自分はさておき、友達がと思うと微妙な心境になるものなんだね」

蓮は苦笑し、俺は認めないと楓は喚いている。
皆、もっと喜んでくれるものと思っていたのだが、この反応は予想外だ。
友達ならば手放しで喜んでくれてもいいのに。俺はいつだってそうしてきた。
難しいことはよくわからないが、本人が幸せならそれでいいと。

「…景吾だけはまともだと思ってたのに…」

「失礼だな。俺は今もこれからもまともだよ」

「ゆうき知ってたのかよ?」

「まあ」

「お前というものがついていながら!」

喧嘩を初めた二人が煩いので、左耳に指を突っ込んで耳栓をした。

「景吾、あとで痛い目見ても知らねえぞ!」

「まあ、ええやん。景吾が好き言うてんやから。何かあっても、そのときはそのときやろ」

秀吉はいい人だ。

「そうだね。景吾が気になる人できただけでもすごいことだしね」

蓮もいい奴。

しかし楓とゆうきは未だに納得できないといった様子だ。
心配してくれているのだとわかってはいるが、こればかりは仕方がないと思う。
思春期の子供を持った親みたいな楓とゆうきはほっといて、俺は自分の気持ちに嘘はつかない。



「購買部の手伝いに行ってまいります」

お昼休み、敬礼の格好をして皆と別れ、一階の売店へと向かった。
今日は自分が当番の日だ。
いつもお昼時間は戦争で、もみくちゃになりながら仕事をする。
引っ掻き傷ができたり、打撲を負ったりとなかなかにハードだ。
それでも続けているのは、購買部員は販売が開始される前に自分の食糧を確保できるからだ。

エプロンをつけて、他の当番の生徒と今日も頑張ろうと声を掛けあう。
皆、始まる前からげっそりと疲れている。

「販売開始しまーす!」

メガホンで部員が言った瞬間、あちらこちらから注文が入る。

「俺焼きそばパン!」

「カツサンド三つー!」

「ちゃんと並んで下さーい!」

今日の当番が一緒になった先輩も大声を出して頑張るが、お行儀のよさなどがこの学校の生徒に備わっているわけもなく。
本当に戦争だ。

やっと人だかりがなくなり、今日はこれで終わりかと思ったとき。

「あれ、もう終わっちゃった?」

背後から響いた声に反応して勢いよく振り返った。

「梶本先輩」

「ああ、昨日の…えーっと…」

「相良景吾です」

「そうそう、相良景吾君。購買部だったんだね。で、今日はもう終わり?」

「あー、はい」

「なんだ。残念。来るのが遅かったなー」

残念そうに顔を顰める姿を見て、自分が確保しておいたパンを差し出した。

「もしよかったら…」

「でも、これ景吾君のでしょ?後輩からご飯巻き上げるなんてできないよ」

「大丈夫です。俺他にもあるし」

「…うーん。じゃあ何かお礼するよ。何がいい?」

その言葉に一気に笑顔になる。お願いといえば一つしかない。

「じゃあ一緒にご飯食べたいです」

「そんなこと?いいよ。じゃあここで待ってるから」

梶本先輩は微笑み、すんなりと了承してくれた。
もっと引かれるかと思っていたので、予想外の反応に嬉しくなる。
やっぱり先輩はいい人だ。
後片付けをいつもより早めに切り上げて、先輩のところへ走った。
こんなことなら寝癖を直せばよかった。
こんな偶然があるなんて思わなかった。
同じ学園なので、梶本先輩が購買を使う可能性は高いが、今まで購買部の当番で先輩の姿を確認したことはなかったと思う。
特別意識していなかったのでわからないが、先輩の容姿は目立つので、記憶にあってもいいようなものだ。

これはきっと、日頃の行いがいいから神様が手を貸してくれたに違いない。
先輩の元へ急ぎながら、呑気にそんなことを考えた。

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