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「突然来てごめんね。景吾君がいてよかった」

水戸先輩の笑顔に、一瞬でまた心が凍ったように固まってしまった。
楓を浚ったのが水戸先輩と決まったわけじゃない。
でも誰もが言葉には出さずとも先輩を疑っていた。近頃しつこいくらいに楓にかまっていて、そのタイミングで消えれば疑いたくなる。
水戸先輩の笑顔は以前と変わらない。
なのにこんなに怖ろしいと思う。
懐っこい笑顔という印象は崩れ、今は張り付けられたように上がる口角がおどろおどろしく見えた。

「中、入ってもいい?」

水戸先輩はちらりと室内に視線を映すと、そこに梶本先輩がいるのを確認した。
彼はへえ、と小さく呟いてずかずかと室内へ入り、梶本先輩と対峙した。
今度はなにが始まるのだろう。学食でのいざこざを思い出して頭痛が響く。

「なんでお前がここに来るんだよ」

「景吾君に会いたかったから」

好戦的な態度と視線にこちらがはらはらする。
面倒はおこさないでほしい。頼むから早く楓のもとへ行かせてくれ。

「何で?」

「だってさ、楓君は手に入ったから次は景吾君かなって。お前がここにいたのは予想外だったよ」

耳に届いた言葉を何度も何度も頭の中で繰り返した。
意味を把握しようと努める。簡単な日本語なのに意識があちらこちらに向かって一つにしてくれない。

「…先輩、それどういう意味ですか…」

水戸先輩を見上げると彼は微笑し、堂に入った冷酷さを見せた。

「楓君は香坂を捨てて俺のとこに来たんだよ」

鼓膜を揺らして頭にしっかり言葉が入ってくる。なのに入ったそばから抜けていく。

「…ちょ、っと…。待って下さい。そんなわけ…」

香坂先輩を捨てるわけない。
楓は香坂先輩がとても好きで、まして男が好きなわけでもない。水戸先輩に靡くなど絶対にない。
あんなに水戸先輩を拒絶していた。香坂先輩だけだと言っていた。
傍から見ても二人はお互いを想い合っていて、少しの障害など容易く乗り越える絆があった。
だからそんなわけないんだ。水戸先輩の勘違いで、楓は何も変わっていないんだ。

「…ふーん。お前汚い手使うね」

「梶本には言われたくないけど」

「で?調子に乗って次は景吾?」

「だって俺景吾君も気に入ってるんだ。お前なんかに捕まっちゃって可哀想で可哀想で…」

「楓君は知らないけど、景吾は簡単じゃないよ」

「ああ、お前ですら手を焼いてるから?」

「…景吾は俺のだよ」

自失している最中も彼らは不穏な会話を続け、その内容に益々頭の中は混乱を極めた。
睨み合う二人を見て、こういう諺あったな。なんだっけ。と、どうでもいいことを考えた。
とにかく今は二人に構っている暇はない。
すぐにでも楓のところへ行って無事を確認して、水戸先輩の勘違いだったと笑いたい。

「…あの、俺を置いて俺の話しするのやめてもらえます?」

埒があかないので口を挟んだ。
そもそも誰が誰のモノとか、そうじゃないとか失礼だ。
俺は誰のモノでもないし、そういうことはいつだって自分の心が決める。
勝手に蚊帳の外で決められる問題ではない。
この二人、お互いをクソだと言いながら考え方もやり口も似ている。だから会う度にこんな調子なのだ。考えが理解できるからお互いを恐れている。

「俺はモノじゃありませんからね。誰のモノにもなりませんよ」

「景吾!」

「ほら、梶本のじゃないってさ」

「水戸先輩のモノにもなりませんからね」

「えー、そんなー」

こいつら人をなんだと思っている。
ああ、人と思っていないからこんな風に言えるのか。
都合のいいときに電源を入れれば動いて、飽きてスイッチを切れば大人しくなる。そんな玩具と同等に思っているのだ。
その内隅っこに追いやられ、埃をかぶり、最後には粗大ごみに出される。
自分は気安くお金を出して買える玩具と変わらない価値らしい。
水戸先輩も梶本先輩も同じくらい最低で、同じくらい救いようがない。
頭が痛い。今は楓のことだけ考えていたいのに。
余計な雑音は入れたくない。ぐしゃぐしゃを頭を掻いて二人の先輩の背中を押した。

「とにかく、俺行きますから出てって下さい」

「景吾が冷たくなった…。さっきまで可愛かったのに…」

「誰のせいですか…」

「俺?俺なにもしてないのに」

理解できないなら一から人間をやり直せ。
説教したいのをぐっと堪えて溜め息に収めた。
がちゃりと部屋に鍵をかけて未だ火花を散らす二人に向き合った。

「じゃあ俺行きますからね」

「邪魔が入ったけど、また今度ゆっくり遊ぼうね、景吾君」

「…はあ」

もう適当に返事してやった。

「はあ?だめに決まってんだろ」

「お前に聞いてない」

「やめろって言ってるだろ!」

我慢できずに怒鳴った。苛々しているのにいい加減にしてほしい。
だがこちらは一刻を争う。下らない喧嘩に巻き込まれている場合ではない。

「ご、ごめんなさい…」

素直に謝った水戸先輩によし、と言い、もう喧嘩はするなと釘を刺して楓の部屋へ向かった。
どうしようもない二人の先輩への怒りにまかせてずんずん歩いたが、扉の前でぴたりと足を止めた。

さっきは考える暇も余裕もなかった。でも今ならわかる。
梶本先輩は本当に自分のことが好きじゃない。
相良景吾として扱ってくれない。
自分が立っている場所にだけ洞穴ができたようにすとん、と急降下しそうになる。
好きとか、嫌いという感情のメーターを振る以前に、興味がないのだ。
好きの反対は無関心。誰かが言った言葉が今はよくわかる。
一時一番気に入っている玩具を横から乱暴に奪われるのを必死に阻止しているだけだ。
次々に明るみに晒される現実に、パンク寸前の頭は警告音と共に破裂しそうだ。
自失しそうになって首を左右に振った。
しっかりしろ。そんなことを考える余裕はない。今は楓に集中するんだ。
ぎゅっと一度瞳を閉じて部屋の扉を開けた。
楓に大丈夫か、心配したぞと言って、笑顔を見せよう。大丈夫。できる。

楓が消えたことで始まった事件はそれぞれに大きな衝撃を与え、それ故、それぞれの歯車も確実に狂い始めているような違和感が残った。

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