7






先輩を諦めると決めたが、本当は少し辛い。
初めての恋がこんなあっけなくも最悪な理由で終焉を迎えるとは想像していなかった。
初恋は実らない。誰かが言った言葉を思い出す。
彼を憎みたくない。恋としてではなくとも、人間として好きでいたい。
それなのに恋しいと同じ位の憎しみが奥からどんどん湧き出てくる。
なにが一番辛いかと言えば、そんな風に誰かを憎んでいる自分が許せないことだ。
一週間ほど自分の中の鬼と戦い、無理矢理追い出すことは困難と判断した。
それも自分の一部として認めてやる。そうすると多少楽になれた。
梶本先輩にさよならを言わなければ。
今まで付き纏ってごめんなさいと。
酷く扱われたこともいっぱいあったが、幸福も数え切れないほどもらった。
初めての感情と初めての経験をした。
最後くらいは笑って感謝の気持ちを残したい。

でもその決意は昼休み、ゆうきの一言で崩れることになる。
ゆうきはモデルの仕事を木内先輩のために引き受けたと言った。木内先輩が喜ぶからと笑った。
確かにゆうきは本気で木内先輩のことが好きだろうし、その気持ちもわかるけど納得できない。
また梶本先輩が余計なことを言ってゆうきを唆したのではないか。疑心で胸がもやもやとした。
でも自分たちは約束をした。
二度と同じ過ちはしないと。なにかあったら隠さず言えと。
あのとき何度も頷いたゆうきの真剣な顔を思い出す。彼が自分を裏切るはずはないし、後ろめたいことを敢えて選ぶ理由もない。
疑ったらいけない。それはゆうきに失礼だ。せめて自分だけは信じてやらなければ。

悩んでいる間に放課後になった。
ゆうきと秀吉と学園の門を抜けようとすれば、そこに梶本先輩が立っていた。

「景吾、待ってた。一緒に帰ろう?」

喧嘩などなかったかのように先輩はにっこりと優しく微笑んだ。
どうするべきか悩んだが、二人を先に帰して梶本先輩の傍に近付いた。

「この前のこと、まだ怒ってる?」

「当たり前です」

「そっか。ゆうき君は大事な友達なんだよね、本当にごめんね」

困ったように眉を下げる表情は作られたものなのだろうか。
最早彼がどんな顔をしてもどんな言葉を発してもどれが本当なのか探るのが癖になった。
嫌な奴。自分自身に言う。
だけどこれだけ信用ならない人間もいないと思う。そんな相手を恋しく想うなんて大馬鹿だ。

「…もういいです」

「景吾はいい子だね」

ぐりぐりと乱暴に頭を撫でられた。
触れられれば自分が干渉していない心の一部がざわざわと、そよ風に吹かれる草のように騒いだ。
嫌だ。もう嫌いになりたい。必死で叫ぶがその部分は意志とは正反対に彼の手の温もりを心地よいと感じる。
ぐらりと傾きそうになる心に踏ん張って、笑顔を向けながら彼の手をやんわりと振り払った。

「終わったことだし、もうこれ以上文句言うつもりはありませんよ」

冗談のように言えば、彼は安堵したように薄く笑った。

「ありがとう。景吾と喧嘩したままは辛いからさ」

すらすらと嘘をつける人だなあと思った。
もしかしたら本心かもしれない。けどそれを信じさせる力は彼にはないだろう。
小さく息を吐いて、真っ黒に曇りそうになる心を律した。カーテンを開けるように気持ちを切り替える。

「そうですね。仲直り、しましょう」

さよならと言うつもりだった。
もう終わりにしよう。それが自分のためになると。なのに嘘だとわかっているのに呑み込んでしまう。

「仁から聞いたよ。ゆうき君一つだけなら仕事してくれるって」

「俺も聞きました。木内先輩のために頑張るらしいです」

苦笑すると、梶本先輩も同じように笑った。

「そこまでする価値が仁にあるのかねえ。景吾のためならまだしも、ね」

ごもっともだと、うんうん、と頷いた。もちろん、茶化すようにして。

本当はまだ多少疑っている。梶本先輩のせいではないのか、と。
でも真実は見えないし、わかる日もこないだろう。だからゆうきの言葉だけを信じなければ。そうでなければ苦しくて目の前が暗くなる。

「さ、帰ろうか。それともコンビニ行く?」

「何か驕ってくれるんですか?」

覗き見るようにすれば梶本先輩はくしゃっと顔を崩して笑った。

「まったく、景吾は世渡り上手だなあ。振り回されてばっかりだ」

その言葉、そっくりそのまま熨斗をつけてお返しします。心の中でべっと舌を出した。
先輩は優しい。誰にでも。
でもその裏には冷たい闇が広がってることも知ってる。平気で人を傷つけて、人を人とも思わないような残酷な面があることも。
それでも、何故か嫌いにはなりきれない。
きっとそれにはわけがあって先輩も辛いんだと思う。好きでそんな風になったわけじゃないと信じたい。
自分が先輩を変えられるとは思わないし、変わる必要もないと思う。
ただ、彼が自分の行動や言動に心から笑ってくれるなら隣にいる意味もあるのかもしれないと思う。お節介のお人好し。秀吉のことは笑えない。

「今日部屋、来る?」

袋三つ分の食糧や飲み物を腕にぶら下げながら問われた。
大いに怒らせたからと遠慮なく買い物かごに放り込んだのだ。先輩はそれを面白がるように見詰めるだけだった。

「うーん…」

行きたいような、行きたくないような。

「おいでよ。もっと話しをしよう。ね?」

悩む隙も与えないように畳み込まれ、自然と頷いてしまった。その後でしまったと思ったが遅い。

「やったー」

やっぱりやめる、と言わせぬように彼はさっさと自室へと歩き出した。
すべての物事、きちんと頭で考えて空気に流されてはだめだ。自分自身に説教をするが、これももう何度目の確認だろう。
どうぞと部屋に招き入れられる。ここに入るのは文化祭以来だ。

「景吾のために買ってあったジュース、まだたくさんあるよ」

はいとペットボトルに入った炭酸飲料を渡される。
軽く礼を言うと先輩はまた微笑んだ。
にっこりと笑う顔に違和感を覚えた。無理矢理優しくしようと頑張ってる感じがする。
あえて指摘する必要もないし、夕飯前には帰るつもりなので、わざわざ空気を壊さないでおく。
ソファに座って袋からお菓子を取り出した。
袋を開けて頬張ると先輩もコンビニで購入したコーヒーの蓋を開けた。

「そういえばさ、景吾水戸に追いかけられてるんだって?」

言葉を理解するまで少し時間を要した。
水戸、水戸…と頭の中でその人物を探す。

「…ああ、別に追いかけられてるわけじゃないですよ」

付き纏われたり、ストーカーじみたことをされたわけでもない。
ただ購買部の当番のときに来たり、食堂でご飯を食べてるときに声をかけられて話す程度だ。
変わった人だと思っていたが、話してる分には普通だし、むしろ面白い人だ。

「そ?水戸に付き合ってって言われたんでしょ?」

「あー、あれは悪い冗談というか…」

「そうなの?本人がそう言ってた?」

「いや、俺がそう思ってるだけですけど、俺につきあってなんて悪い冗談でしょ。ゆうきならまだわかりますけど」

「そうかな。そりゃ、ゆうき君は稀代の美少年だけど、水戸がもし本気で景吾が好きだって言っても納得できるけど」

「はは。まさか。先輩までやめて下さいよ」

笑い返してくれると思ったが、彼は顔を強張らせたままだ。

「どうかな。とにかく、あんまり水戸に懐かない方がいい。特に景吾は簡単に騙されそうで怖いよ」

「俺が馬鹿だから?」

「そうじゃないけど」

「先輩にも簡単に騙されたから?」

意地悪のつもりで言うと、彼は参ったと言わんばかりに困惑した。
それが面白くてもっと虐めてやりたかったが可哀想なのでやめておく。

「冗談ですよ。大丈夫。俺もふらふらしてそうでしっかりしてます」

胸を張るが先輩はまったく信じてくれない。

「そうかなあ…」

ちらちらと心配そうな視線を向けられるが、何度も大丈夫だと言った。
自分でも自信はないが、皆少し大袈裟だと思うのだ。それに、俺はそんなに馬鹿じゃない。と思う。

「先輩は水戸先輩と仲がいいんですか?」

「名前を知ってる程度。遊んだりする仲ではないかな」

「水戸先輩そんなに悪い人には見えませんけど」

「まあ、表向きはいい奴だけどね。友達も多いし。でも、裏では何してるかわかんないし。景吾が傷つけられたら俺も悲しいし」

どの口がそんなことを言うのやら。今度は俺が呆れる番だ。
なら先輩も悲しませないでよ。一番傷つけられてるの先輩なんだけど。
喉まで出かかった言葉を呑み込む。あまり虐めるといじけて面倒になる。

それから他愛ない話しをした。夕飯の時間が近付き鞄を持って立ち上がる。

「もう帰るの?泊まらないの?」

「帰りますよ。可愛いゆうきが心配するので」

「はは。そっか。景吾の機嫌が直ったみたいで安心したよ」

「さあ。直ってないかもしれませんよ。そのまま先輩のこと嫌いになっちゃうかも」

もんの一匙の本音を加えた嫌味を言った。どう反応するのか楽しみでちらりと後ろを振り返ると予想外に彼は眉を寄せて苦しそうに顔を顰めていた。
すぐにいつものように笑顔を見せたし、一瞬のことなので見間違いと結論付けた。

「景吾に嫌われたら寂しいな」

「なら嫌われるようなことしないで下さい」

「そうだね。景吾は怒ると怖いって学んだし」

軽口にこちらも笑って返す。今度こそ帰ろうと扉を僅かに開けたところで後ろから締められた。
どうして邪魔をするのだと抗議したくて振り向くと同時、軽いキスをされた。
不意打ちに呆気にとられると先輩がまたねと微笑む。呆然としたままこちらもさようならと頭を下げて廊下に出た。
するならすると一言ほしい。不意打ちは卑怯だ。拒む前に浚われてしまう。
減るもんじゃないし、嫌悪もしない。けど、なんとなく悔しい。
いつだって振り回されるのはこちらの方だ。
とぼとぼと数歩歩くとぽんと後ろから背中を叩かれた。
振り返ると水戸先輩がいた。

「寮で会うの初めてだね。なんで三年の寮棟に?」

水戸先輩はくしゃりと笑った。それは嘘で固められた梶本先輩のものとは少し違うように見える。

「梶本先輩の部屋で遊んでて…」

「え!梶本と仲いいの?」

「まあ、普通に…」

「そうなんだ。じゃあ今度俺の部屋にも遊びにおいでよ」

「はい…」

にこにこと笑みを崩さない顔につられてこちらも笑ってしまった。
梶本先輩が言うように悪い人ならこんな風に笑えないと思うし、梶本先輩に比べればよほど聖人にも思える。
極悪人と微妙な関係にいるのだ。もはやなにも怖くない。

「これからご飯行く?よかったら一緒に食べない?」

「でも、友達が待ってるんで」

「じゃあその友達も一緒に。学食で待ってるから。じゃあね!」

「あ――」

ちょっと待て。手を伸ばしたが軽やかに去ってしまった。
強引で言い逃げするところは確かに梶本先輩と似ている。
もしかしたら梶本先輩は水戸先輩に同族嫌悪を抱いているのではないだろうか。
どことなく似ている部分があるような気もする。
どうして自分は厄介な人に好かれたり、自分から好意を抱いてしまうのか。困ったものだ。

とりあえず部屋に戻らなくては。
足早に部屋に戻ればゆうきが出迎えてくれた。

「ただいま。ご飯、食べに行く?」

「ああ。腹減った」

「あ、あのさ、さっき帰って来る途中で――」

事情を話せばゆうきは眉間に深い皺を寄せて溜息を吐いた。

「…とりあえず梶本に電話しろ」

「何で…?」

「いいから」

首を捻りながらも言われるままに電話をかけた。
繋がると共にゆうきに携帯を横取りされた。

「梶本か、俺だ。景吾が変態に付き纏われてんのお前も知ってんだろ?」

変態…。随分な言われ方だ。
ゆうきは毒舌なので仕方がないが、水戸先輩を変態と位置付けるなら梶本先輩や秀吉も仲間入りでは。いや、その前に楓に付き纏った香坂先輩や木内先輩だって。
とりあえず皆押しが強くて心も簡単に折れないタイプの人間だ。

「俺ら今から飯食いに行くけどお前も一緒に来い。ってか俺らの部屋に来い。じゃあな」

ぼんやりしている内に話しは済んだようで携帯を返された。

「なんで梶本先輩呼んだの?」

「なんでもだよ」

詳しく説明を求めるが、ゆうきは面倒と言わんばかりになにも話そうとしない。
これくらい察しろと言われている気分だが、察しろと俺に求めるのは無謀だ。
だらだらと制服から私服に着替えて待っていれば、十分もしないうちに先輩がやってきた。

「ゆうき君、あの電話の切り方はひどくない?絶対断れないじゃん」

「だからやってんだよ」

「…仁そっくり」

「あ?」

「いえ、なんでもないです…。で、何があったの?」

一年の部屋は狭いので、自分とゆうきはそれぞれのベットの上に座り、先輩は床にクッションを抱きしめながら胡坐をかいた。

「さっきお前の部屋から帰って来るときに水戸に捕まって学食で待ってるって言われたんだとよ」

「…えー。もしかして俺も一緒に行くの?」

「当たり前だ。目には目を。変態には変態を」

「うわ。すごい言われようだよ。それが人に物を頼む態度かなあ…」

「うるせえな。いいからついて来いよ」

「……はい…」

ゆうきは強い。元々強いが木内先輩と一緒にいるうちにさらにきつくなった気がする。
悪い影響を受けないでくれと内心で困惑する。
そのきつい矛先が自分に向けられることはないだろうけど。

「お前が一緒でも不安だけど、いないよりはましだろ」

「ひどっ!お願い聞いてるのにその言われよう…」

「秀吉の方が役に立ったかな。まあいいや、お前でも」

そんな感じの言い合いがしばらく続き、すっかり梶本先輩は傷ついた様子だ。
先輩は自分といるときと、皆の前と、性格が違う。いつもはへらへらとこんな具合でおちゃらけているが、それは表向きらしい。

「じゃあ行くか」

別に喧嘩しに行くわけじゃないし、学食なら人も多いし、飯を食べるだけでこんな風に結託する必要があるのだろうか。
皆、大袈裟すぎる。ゆうきは心配性だし、自分が大丈夫と言っても聞かないので口は挟まないけど。
当の本人である自分が一番楽天的だ。

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