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文化祭の代休が終わり、また通常通りの学園生活が始まった。
授業を受けるのも勉強も大嫌いだが学校自体は嫌いではない。
友人と馬鹿みたいに騒いだり、広い校庭で遊んだり、美味しい昼食を食べたり。
当たり前の日常がとても好きだった。
「おはよー」
教室に入るなり誰に言うでもなく大声を出す。するとあちらこちらから返事が返ってくる。
「おう」
「おはよう」
クラスメイトは文化祭の疲れもすっかり消えた顔で朗らかに笑ってくれる。
対して後ろにいたゆうきは先ほどから何度も欠伸を繰り返している。
気怠そうなのはいつものことだが、今日は一層疲れているように見える。
そんな姿を見てもう一度決心した。
決戦は昼休み。すでに彼には連絡済みだ。
誰にもなにも悟られないよう笑顔を作るが心の中は大荒れだった。
決着をつけてやる。今すぐ殴りに行きたい衝動を抑えて歯噛みする。
一人メラメラと闘志を燃やす。朝のHRもろくに聞かず、菓子パンを頬張りながら頭の中でシュミレーションを繰り返した。
一限から移動教室なので、だらけている楓たちの腕を引いた。
無理矢理でも動かさないと椅子に座ったまま石になる勢いだ。
移動中三年の教室が並ぶ階段を通らなければいけない。
なんなら、梶本先輩に会えたらいいのに。そしたら授業をサボって話しをつけたい。
焦燥する心で彼を想っていると、背後から楓を呼ぶ声が響いた。
驚いて二人揃ってそちらを振り返ると、変わった先輩に絡まれた。
まるで梶本先輩をさらに軽薄にしたような人だった。
上には上がいたものだ。そんな風に感心する。誉められたことではないのだけれど。
冗談のようにつきあわない?と聞かれ、ぽかんと口を開けたものだ。
楓やゆうきは執拗に気をつけろと言うが、気にする必要はないと思う。
自分に告白など悪い冗談だ。ゆうきならわかる。顔が綺麗だから。けれど自分はない。
顔も至って平凡、背も平均以上あるし、身体の造りもしっかりしている。
気味の悪い冗談だが、本気であるはずがない。むしろゆうきの方がしっかり行動してほしいと言い返したくなる。
昼休み、購買部の当番だったので急いで購買へ行った。
今日も戦争よろしく、慌ただしく売り捌いた。遠慮なしに手を伸ばしてくるものだから、当番が終わった後はどこかしらに打撲のあとができる。
金額が合わないのもいつものことで、委員長と副委員長が頭を抱えている。
それでもこの委員会を選んだのは昼食に困ることは絶対にないからだ。
誰よりも先に目当てのものを確保できる。
終盤になると選ぶ暇もなく、手にとれたもので我慢しなければいけない。
それが嫌なら学食へ。それも、作れる数に限りがあるので売れ筋のものはなくなってしまう。
「相良、もういいぞ」
「やった。お疲れ様でしたー」
「はい、お疲れ」
自分の分のパンを両手に抱えて先輩に指定された場所へ急いだ。
校舎の中庭にあたる、緑の多い場所だ。
今は木々も緑から黄色や赤へ色を変えているが、夏なんかは涼しい絶好の昼寝スポットだ。先生にも見つかり難い。
先輩は目的の場所にすでにいて、退屈そうに地べたに座っていた。
「すいません、お待たせしました」
「ああ、大丈夫だよ」
先輩が胡坐を掻いた膝の上には数個のパンや紙パックの牛乳がある。自分のご飯も食べずに待っていてくれたようだ。
やはり、どんなに冷たくされも本質は優しい人だと思う。
「じゃあ食べようか」
「はい。いただきます」
「いただきます」
パンを頬張り、胃に沈めていく。
他愛ない話をして、少し冷たい風に身体を強張らせた。
先輩が食べ終わるのを待ち、本題に入るために体勢を正した。
「聞きたいことがあるんですけど」
「なに?」
「…ゆうきになにか言いましたよね」
単刀直入に聞いた。時間には限りがあるし、梶本先輩相手に鎌かけは通用しない。
先輩は一瞬目を丸くし、けれどもすぐにふっと笑った。
「なにって…。なに?」
「モデルの話、ゆうき引き受けるって。よっぽどのこと言わないと絶対ゆうきはやりません。何を言ったんですか?」
「別に。やろうよって強引に押しただけ」
絶対嘘だ。それでゆうきが折れるわけがない。
先輩よりもゆうきとつきあいの長い自分にそんな嘘は通用しないと先輩もわかってるはずなのに。
「本当のこと言って下さい」
しつこく食い下がれば彼は笑みを消し、ひんやりとした視線をこちらに向けた。
そんなものでは怯まない。自分が傷つく分にはいくらでも受けてやろう。しかし友人を弄ぶのは絶対に許さない。
「…聞いてどうするの?」
「本当のことを聞きたいだけです。ゆうきは話そうとしないから」
「ゆうき君が言いたくないのなら、俺が言うことじゃないと思うけど」
「なにかあるのはわかってるんです」
「へえ。君たちは本当に仲がいいね」
小馬鹿にしたように鼻で笑われむっとした。
だからなんだ。仲が良くて悪いのか。言い返したい言葉を呑み込む。
「…じゃあ教えるよ。引き受けてくれたら景吾とのつきあい方も考えるって言っただけ」
瞬間、眉間に皺が寄った。
どうせ、そんなことだろうとある程度は予想していたが、実際に彼の口から聞く衝撃はひどいものだった。
この人はどこまで自分を馬鹿にするのか。
自分を餌にゆうきを釣ったのも許せないし、目先の都合だけで自分の扱いを変えようとする薄情な部分にもショックを受けた。
つい数日前までは恋人になれたかもしれないと浮き足立っていた自分が馬鹿みたいだ。
彼はこんなにも自分に残酷になれる。道に咲いている雑草や小石レベルだ。
そんなものの痛みや心など考えないし、それが壊れようが笑って眺められる。
二重の意味で苛立った。
「…ゆうきの仕事の件、なかったことにして下さい。何がなんでもゆうきにそんなことはさせません」
「それでゆうき君は納得するかな?」
「ゆうきが納得しなくても関係ない。そんなやり方をする先輩が気に入らないから協力もしない。それだけです」
先輩を睥睨するが、彼は薄らと笑い余裕たっぷりの表情を崩さなかった。
怖い。まだ二重、三重に手を回しているのではないだろうか。
自分は頭が悪いので、先を予想してゆうきを守ることができない。なにかあってから慌てて対処するしかできない。それが悔しい。
怒りを露わにしたまま立ち上がった。別れの挨拶もせずにその場を去る。
本当はもっと色々と言いたかった。怒りが大きすぎて上手く言葉がでなかった。
それに、先輩がどんなにひどい人で汚い手を遣ったとしても、必要以上に傷つけたいとは思わない。
お人好しだ。
教室へ戻る間、怒りよりも情けなくなってきた。
悔しくて悔しくて、下唇を噛み締める。
そんな交換条件で優しくされても一つも嬉しくない。そんなものない方がましだ。
でもそうしなければとゆうきに思わせるほど、自分はぼろぼろに見えたのだろうか。
上手く笑えていると思ったし、嘘もすらりと並べたつもりだった。
けれど実際は自分がゆうきに感じるもどかしさや違和感を、彼もまた感じとっていたのかもしれない。
ゆうきに対しても腹が立ったが、そうさせた自分にはもっと腹が立った。
校舎の壁を思い切り右手で殴った。
「…ゆうき」
もう教室へ戻る気力もなく、秀吉に鞄を持って帰ってきてほしいとメールをして寮に逃げた。
自室のベットに制服のまま仰向けになる。
天井を見上げ、恋というものの怖ろしさを思った。
自分は先輩が好きだと思った。相思相愛なら幸福だと思った。
そうではないと知っても、好きだから傍にいようと思った。
いつでも自分が嬉しい、楽しい、必要だと思う道を選んだ。
しかし、それでこんな問題が付随するならルートを変える。
恋はもっと単純なものだと思っていた。実際、複雑ではない場合もあると思う。
今回は相手が悪かった。あれはやめろと言わんばかりだったゆうきの瞳が今ならば理解できる。
「……なんでだろ…」
好きなのに。それだけじゃ駄目みたいだ。ぼんやりと考えた。
遠くで六限の終わりを告げるチャイムが鳴ったのを聞いた。
ゆうきはきっと自分を心配して真っ直ぐ帰って来るだろう。
木内先輩にまた懇願するように言われる。ゆうきを誑かすのはやめてくれ、と。
笑って、早くゆうきの一番になれるといいですね、なんて軽口を叩いていた。また同じことを言われたら同じようにからかってやろう。
どうでもいいことを考えていると部屋の扉が開いた。
「おかえり」
「ただいま…。どうした?風邪か?」
手には二人分の鞄を持っている。
「ううん。大丈夫」
上半身を起こしてゆうきを手招きした。
ゆうきは首を傾げながらも傍に座った。
「今日の昼に先輩に聞いたよ。ゆうきが引き受けた理由」
言った瞬間ゆうきは顔を引きつらせ、視線が泳いだ。
「多少予想はしてたけど、先輩の口から聞いてすげえむかついたよ。先輩にもゆうきにも」
「景吾――」
ゆうきの口の前に待て、と手を翳し言葉を発するのを制した。
「俺は嬉しくない。そんなことされても全然嬉しくない」
きつい口調で言えばしゅんと俯いてしまった。
可哀想だが怒るときはきちんと怒ろう。二度と同じような真似をしないように。
「ゆうきがよかれと思って交換条件のんだのはわかる。でもそれって俺を馬鹿にしてる」
「…そんなつもりじゃ…」
「うん。わかってる。ゆうきは俺を心配してただけだって。でもそのやり方は間違ってる。絶対に間違ってる」
真っ直ぐにゆうきの瞳を見た。ゆうきは泳いでいた視線を一瞬こちらに向けて、すぐに逸らした。まるで母親に叱られる子どものようだ。
長い間沈黙が流れたが、頭の中で考えを整理したゆうきが悪かったと小さく呟いた。
「わかってくれればいいんだ。だからこの話しなかったことに。それからもう二度と同じことはしないように」
ぽんぽんとゆうきの頭を撫でた。
「でも…」
窺うように上目遣いをされ、大丈夫と意味を込めて頷いた。
「…俺、首突っ込みすぎたか…?」
主人に叱られた犬のようで、見ている方が切なくなる。
ゆうきは他人との距離感がきちんと掴めていない。まだ勉強の途中だ。だからたまにこんな失敗もする。そうやって少しずつ、自分で学んでいけばいいと思っていた。
「もういいよ。怒ってない」
両頬を包んでぐっと上を向かせた。視線を合わせて笑ってやる。
「もうこの話しは終わり!」
いつまでも険悪でいたくない。空気を割くような大声を出した。
「あ、鞄持ってきてくれてサンキュー」
わざとらしいほどに笑いながら言えば、ゆうきは心底安心したように身体と表情から力を抜いた。
他愛もない話しをしていれば数分後には元通りだ。
誰も何も悪くない。
先輩も、ゆうきも、自分も、それぞれがそれぞれの目的や感情を抱えていて、自分の気持ちを優先させるのは悪いことではない。ただそれがうまく噛み合わなかった。
だから誰も責めないようにする。
でも先輩を追いかけるのはもうやめよう。そう決めた。
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