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目が覚めて一番に感じたのは悲しみでも苦しみでもなく空腹だった。
こんなときでもお腹は減る。
まいっているのは心と頭だけで、他の臓器は平常運転だ。
ご飯が喉を通らないという繊細な心も持っていないらしい。
学食はもう閉まっている時間なので、コンビニしかない。
学園祭で買い込んだ食糧は先輩の部屋にすべて置いてきてしまった。
着替えるのが面倒だったので、パーカーを羽織り財布だけを持ってコンビニへ向かった。
外はすっかり暗く、ビーズのように小さな星と猫の爪のような月があるだけだった。
時折吹く風はとても冷たく、ゆっくりと冬が近づいているのだとわかる。
考査を受ければすぐ冬休みがくる。
あっという間に日々が巡るので、一つ一つの感情を整理できないままベルトコンベアのように流されていく。
街灯がぽつぽつと間隔を充分にとって灯っている。
暗い夜道ではその光りだけが頼りで。
でも一面暗闇で塗られたこんな世界に、そんなちっぽけな街灯だけじゃ充分とは言えない。
ひっそりと緑の多い景色に似つかわしくない一軒のコンビニ。
その周りだけはやたら明るくて、吸い込まれるようにそこを目指した。
コンビニの扉の方へ視線を移したとき、足がぴたりと止まった。
視力はいい方で、ここからでもその人物の顔はよく見える。

「…先輩」

手に缶コーヒーを持ちながら、女性と一緒に話してる。
スキニ―ジーンズに黒いジャケットを羽織り、髪はふんわりとしたショートカットでおそらく年上だろう。
自分の意思をきちんと持ってるような、そんな印象だ。
先輩はこちらに気付き、にっこり笑いながらひらひらと手を振り、こっちへおいでと手招きをした。
先程出て行けと冷たくあしらったくせに、その笑顔は人懐こいもので、落差に戸惑う。
ゆっくりと先輩の元へ行った。

「買い物?」

「…はい」

「そ。俺の後輩の相良景吾君だよ。一年生だからまだ可愛いでしょ」

「ほんとね。翼とは大違いだわ」

ヒールを履いてるせいか、目線の位置が自分とあまりかわらない。
くすりと笑い、こちらに会釈をされ慌てて自分も頭を下げた。
この女性も梶本先輩の遊び相手なのだろうか。それとも本命に近い彼女なのだろうか。
どちらにせよ、梶本先輩とこの女性は並んでいてもとても自然でお似合いだった。
先輩は男も相手にできるといっても、女性の方がいいに決まっている。
年上ならば多少の我儘も聞いてくれるだろうし、包容力もある。
自分とは正反対で、劣等感を感じた。そしてそんな自分が恥ずかしくなる。
劣等感を感じるもなにも、同じ土俵にすら自分は立てないのに。

「景吾は夕飯買いに来たの?」

「…はい」

「俺の部屋に忘れちゃったもんね。まあ、あれは明日にでも食べるとして、俺たちこれから飯行こうと思ってたんだけど一緒にどう?」

いつもならば喜んで誘いに乗るだろうが、そうもいかない。

「…でも」

ちらりと女性に視線を移すとばっちり目が合い微笑まれた。

「そうよ。人数は多い方がご飯も美味しいし、よかったら来て。もちろん私のおごりだから」

ね?と念を押すように言われ、ぎこちなく頷いた。
NOと言えない自分が情けない。誰が相手でもそうだが、強く断れない。
恋敵かもしれない女性と、張本人と、三人でご飯なんてどんな拷問だろう。
先輩もデリカシーがないと思う。
恨めしくなって梶本先輩を見たが、俺の視線は気にした様子もなく彼は楽しみだと笑った。

「じゃあ早速行こうー」

コンビニの駐車場に止まっていた赤いSUVの後部座席に押し込まれ、今更制服だと気付いた。
けれど一度戻って着替えるのも面倒なので諦める。
彼女が運転をし、梶本先輩は当然のように助手席に座った。
その様子を見ても、もう何度もこの車に乗ったことがあるのだとわかった。
どことなく彼女には無防備に接しているように感じるし、やはり本命なのかもしれない。
自分が彼女に勝てる要素は一つもないので、嫉妬する前に納得してしまう。

「景吾なに食べたい?」

くるりと首だけ振り返り聞かれた。少し悩んで食べられるならなんでもいいと答えた。

「なんでもリクエストしてよ。若い子と夕飯なんてそれだけで嬉しいわー」

「えーっと…。じゃあ、ラーメン」

「いいわね!行きましょう。うちの近くに美味しいラーメン屋さんがあるの」

彼女はうんうんと頷き、カーナビの操作をした。
先程から思っていたが、運転が荒い。速度もかなり出ているような気がするし、事故ったら自分は確実に死ぬと思う。
無事につきますように。嫌な汗をかきながら足元だけを見た。

お店についたときには車に乗って二時間ほど経っており、空腹も限界だった。
彼女の綺麗な見た目に反して、そのラーメン屋は庶民的で古いせいか汚くも感じられた。
けれど味は絶品だった。
昼間あれだけ食べたのにまだそんなに食べられるのか。梶本先輩は目を丸くしたが、気にせずにチャーシューメンに餃子二枚に大盛り炒飯をぺろりと食べた。
食べていれば幸せ。自分の唯一完璧な癒しだ。
彼女も相当驚いていたが、その内豪快に笑った。

「いいわね。美味しそうにたくさん食べてくれると驕り甲斐があるってもんよ!」

少しずつ彼女のことがわかってきた。
肝っ玉母ちゃんのような豪快さがあって、自分の母親を連想させた。
容姿は似ても似つかないけれど。
だから親しみやすさもあるし、恋敵だとしても嫌いにはなれないと思う。
夕飯を食べ終えると、すっかり夜中だったので今日は彼女の家に泊まろうと言われた。
往復で運転させるのも申し訳ないし、自分は制服だし、財布の中のお金もわずかしかないし、言う通りにするしかない。

「狭いし汚いけどどうぞ」

マンションの扉を開け、おずおずと中に入った。
深い色合いの木目調の廊下を歩き、リビングのソファに座った。
車は派手な色だったが、室内はグレーや白が多い落ち着いた部屋だった。

「今コーヒーでも淹れるから待っててね」

キッチンから声がする。

「景吾はコーヒーより炭酸が好きなんだ。なんかある?」

「炭酸か。あったかなあ」

シルバーの冷蔵庫を開けごそごそと引っ掻き回して数分後、あった!と声が響いた。
ジンジャーエールを渡され恐縮して頭を下げた。
彼女はビール缶のプルトップを開けながら向かいに座った。

「そうだ。これあげる」

ジャケットのポケットから出されたのは名刺だ。
受け取り、名前を読んだ。

「梶本…遥、さん…」

苗字が同じで驚いた。
ということは先輩のお姉さんとか、親戚なのだろうか。
二人を交互に見たが、似ているような、似ていないような。
姉弟だと言われればどことなく納得できるが、一見してはわからない。

「翼の姉よ」

「お姉さん…」

恋敵は大きな勘違いだったらしい。
姉弟と聞けば、慣れ親しんだ空気や気負わない態度も頷ける。
自分も姉がいるからわかる。母親ほどではないが、姉にも甘えてしまうものだ。
もっと幼い頃はよく殴り合いの喧嘩をしたけれど。

「お、お姉さんはなんのお仕事をされているんですか?」

「モデル事務所で働いてるの。小さな事務所だけど」

「ああ。なるほど」

だから自分も華やかなのかもしれない。

「そうだ。翼から聞いたんだけど、景吾君のお友達にとても綺麗な男の子がいるんですってね」

「…はあ」

一番に浮かんだのはゆうきだが、ゆうきで合っているのだろうか。
梶本先輩を見るとゆうき君のことだよ、と教えてくれた。

「さっき写真を翼に見せてもらったんだけど、是非うちにほしいわ」

「うちに?」

「うちの事務所に。最近メンズでもレディースの服を着れるような子も増えてるし、背は低いようだけど、それをカバーできるくらい顔の造りが素晴らしいわ」

「まあ、綺麗ですけど」

「どうかな。その子モデルは興味ないかな?」

言われて考えてみたが、たぶんないと思う。
ゆうきに聞かなければわからないが、外出すら面倒くさいと言う彼が煌びやかな世界に憧れているようにも思えない。

「わからないけど、たぶんないと思います」

「そうなの…。残念だなあ。捨ておくにはかなり勿体無い。どこかに引っ張られるより先にうちがほしかったんだけどなあ」

彼女は一気に缶ビールを飲み干し、空の缶をローテーブルに放り投げた。
大きく息を吐いて、心底がっかりした様子だ。

「景吾でも説得できない?」

隣の先輩に言われ唸った。

「聞いてみることはできるけど、ゆうきは頑固だし別に俺の言うこと聞くわけじゃないし…。たぶん無理ですよ」

「そこをなんとか。聞いてみてよ」

拝み手をされ、首を傾げられた。
自分が先輩には弱いと知っていて頼んでいるのだ。
実際、そこまで言われれば聞いてみるくらいいいかと思ってしまうのだが。

「んー。じゃあ、聞くだけ聞いてみますけど、期待はしないで下さい」

「ありがとう景吾」

「ありがとう!希望が見えたわ!」

お姉さんに両手をぎゅっと握られ、ぶんぶんと上下に揺すられた。
それはちっぽけな細い糸のような希望だが、ないよりはましなのだと思う。
粘るのは得意だし、スカウトは粘り勝負だとお姉さんは笑った。
もしかしてゆうきにとって大きな迷惑になるのではないかと、こちらは冷や汗をかいた。

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