Episode3:トラブルメーカー

「お前、明日からどうすんの?」

木内先輩の部屋ので着替えをしていた。今日も今日とて呼び出されしつこく何度も求められた。
シャワーを借りて、そろそろ部屋へ帰ろうと思っていた矢先の問いだった。
先輩の言う明日からというのは、夏休みの予定だ。

「ここにいるけど」

「夏休み中ずっと?」

「そうだよ」

「夏休みの間は食堂もやってねえだろ?どうすんだよ」

「コンビニがあんだろ。中学の頃からずっとそうだし」

「何で家に帰らねえの?」

「…別に理由なんてない」

「随分長い反抗期だな」

ほっとけと心で悪態をつく。何を言われても一生あの家には帰らないと決めている。
帰ったところで誰も喜んで出迎える人はいないし、両親も会いたいと思っていないだろう。
父や母がどんな生活をしているのかは知らないし、まだあの家に住んでいるのかもわからない。
中学から東城へ入ったきり、三年以上一度も連絡はとっていない。

「じゃあお前も来るか?」

「何処にだよ」

「俺の家。三食付きだし、ここよりは快適だと思うけど」

「冗談。夏休みくらいあんたと離れたい」

夏休みの間は木内先輩にいいように扱われなくてすむと安堵していたし、久しぶりに一人の時間が持てると楽しみにしていた。

「お前は断れないだろ?」

そうだったと思いだし頭痛が響く。
弱味を握られているにしてもこんな願いまで聞かなければいけないというのか。
操り人形もいいところだ。

「明日の昼頃出るから準備しとけ。準備って言っても何もいらねえけど」

木内先輩は悪魔だ。こちらに休息は与えてくれないらしい。
玩具になる代わりはいくらでもいるだろうに、何故自分ばかりがこんな損な役回りなのだろう。

「おい、聞いてんのか?明日の一時くらいに寮の入り口に来い。いいな?」

「……わかったよ…」

言いながらわざとらしく溜息を吐いた。

「溜息かよ…」

落胆する先輩には見向きもせず、別れの言葉も口にせず部屋を出た。
肩を下ろし明日からの地獄の日々に耐えられるのか自問自答しながら自分の部屋へ戻る。
憂鬱すぎて今すぐにでも眠りたい。

「ゆうきお帰り」

「…お前何してんだ?」

ただいまの返事もなしに眉を寄せた。
衣服が扉までいっぱいに広げられていて足の踏み場もない。

「何って見ればわかるでしょ!荷物まとめてるんだよ」

わからないから聞いたし、散かしてるようにしか見えない。相変わらずだと苦笑する。
景吾は片付けや掃除といった類が大の苦手だ。出したら出しっぱなし、脱いだら脱ぎっぱなし。
自分も特別綺麗好きではないが、それにしても目に余るものがある。
たまに小言を言うのだがまったく聞き入れてくれない。困ったものだ。

「手伝うか?」

「マジ!ありがたい」

クローゼットに収まりきらない程の洋服や小物やらを、綺麗に畳んで旅行鞄に詰めてやる。景吾の服好きは楓といい勝負だ。自分はお洒落に疎いのでよくわからないけれど。ブランドなんて興味がないし、普通に身に着けられる程度ならばなんだってかまわない。
最後に洋服を買ったのは一年前くらいだ。ついに穴が開いてしまったので代わりになるものを激安店で購入した。
小遣いは雀の涙ほどしか送られてこない。日々の食費であっという間に消えていく。
けれども元々の物欲のなさでそれを嘆いたりもしない。

「ゆうきは今年も寮にいるの?」

「…あー、今年は帰るかも」

「マジか。ずっと帰ってないみたいだから、お父さんやお母さんも喜ぶね」

「そうだな…」

曖昧に返事をする。
景吾の家族には数回会ったことがある。長期休みや連休に連れていかれたのだ。
両親もとても朗らかで明るく、お姉さんも景吾をそのまま女にしたような活発で優しい人だった。
あんな温かい家庭で育ったから、景吾は純粋で明るくて人を元気にさせる力があるのだと思う。自分がもし景吾の家に生まれたならば今とが違う性格だっただろうか。意味もないことを考えてまた少し憂鬱になる。

「景吾、明日何時にここ出るんだ?」

「寝坊しなければ十時くらいかな」

自分より早く出てくれなければ困る。木内先輩と共にいるところを見られるわけにはいかない。

「楓と蓮は?夏休みどうするって?」

「今日学校で話してたじゃんー。蓮も楓も先輩達の家に何日か泊まって、その後実家に帰るってさ。秀吉は帰るの面倒だから寮って言ってた」

「そっか…」

皆それぞれ地元の友人と遊んだり、家族に会ったり楽しい予定が詰まっているのだろう。

「ゆうきも暇があったら俺の家来てよ!姉ちゃんがゆうきに会いたいって!」

「ああ、そうだな…」

曖昧な返事しかできない。木内先輩が飽きてくれればそれも可能だろうが、どのくらいの期間拘束されるかは彼次第だ。
できるなら景吾について行きたい。木内先輩の家など絶対に行きたくない。
他人と同じ空間にいたくない。一人きりにしてほしい。
願望はいくらでもあるけれど、些末な願いすら自分には手が届かない。


翌朝ばたばたと派手な音を立てて準備する景吾のせいで、いつも通りの時間に目が覚めた。
夏休みくらい寝坊をしたかったのだが。

「ゆうき、ゆうき、俺財布何処にしまったっけ!?」

「…机の上」

「あっ、ほんとだ。じゃあ携帯どこだっけ」

「ベッドの上」

「何で自分だと見付からないのかな…」

それからも、あれがないこれがないと慌ただしく騒いだ挙句、ぎりぎりの時間に漸くすべて身支度が整った。

「じゃあね!電話してよ!母ちゃんも会いたがってたからさ!」

「わかったよ。みんなに宜しく伝えといてくれよ」

「おう!じゃあね!」

嵐が去った。比喩ではなく景吾は本物の嵐だ。去った瞬間に部屋の熱が急激に冷め、がらんと物悲しい空気が漂う。同じ場所だと思えないほど一転した。
ベッドで上半身だけ起こして部屋中をぼうっと見渡した。
景吾がいないこの部屋にはなんの価値もない。

自分も用意をしなくては。
よっこいしょと言いながら漸くベッドから出た。
洗顔と歯磨きを済ませ、携帯と財布、それからいくつかの衣服を鞄につめた。
まだ待ち合わせの時間には早いので鞄を脇に抱えながらベッドに腰掛ける。
木内先輩の家族構成は知らない。急にお邪魔して平気なのだろうか。家の場所はどこなのか。予備知識がないことに今更気付く。
ただただ行きたくない。
心の中でどんなに駄々をこねてみても時計は止まらず約束の時間が近付く。
腹を括って寮の入り口へと向かった。
こんなに心の底から何かをしたくないと思ったのは初めてかもしれない。
大概は面倒くさいとごちながらも、しょうがないと諦められるがこれは相当嫌らしい。
他人と同じ空間を共有するのは大の苦手だ。それが快く思わない相手なら尚更。
寮の入り口に着き外に出る。激しい夏の日差しに顔を顰めた。
寮の門の方を見ればすでに木内先輩が壁に背中を預けてそこにいた。
太陽の光りに直接当たらないよう真下を見ながら近付いた。

「よお、ちゃんと来たな」

蝉の鳴き声に交じって悪魔の声が響く。

「…逃げられねえんだろ」

「お前は頭が良くて助かる。もうすぐ来ると思うから、少し待ってろ」

「来るって何が?」

「迎え」

行きたくない。行きたくない。
もう一人自分がいてくれたらよかったのに。非科学的な想像をして現実逃避するくらいには行きたくない。

「行きたくないって顔に書いてる」

鼻で笑われじろりと横目で睨んだ。

「当たり前だろ。行きたくないし」

「俺も随分嫌われたものだな」

「すげー嫌い」

冷たく言い放つのに、なにがおもしろいのかくっくと笑われた。

「お前は正直者だな」

今度は乱暴に頭を撫でられる。
その手を振り払えば面白い、面白いと何度も同じようにされた。
どこが面白いものか。人の嫌がる顔が快楽とでも言うのか。本物の悪魔だ。だから嫌いだと言っているのに。

「…来たな」

その言葉にいよいよかと嫌な汗が出る。
過保護にも息子のために両親が迎えに来たのだと予想したが、顔を上げれば夏にも関わらずきっちりとスーツを身に纏った中年男性がこちらに頭を下げた。
ぴかぴかに洗車された黒いセダンのドアを先輩のために開けてやっている。

「迎えって…」

「乗れ」

ドラマや映画の中で見たことがある。
こんな風に要人や女優が車に乗り込むのだ。
ちらりと中年男性を上目で覗き見れば、柔らかく微笑んで再び頭を下げられた。慌てて自分も頭を下げる。

「何してんだよ、早くしろ」

車に乗った経験も数回しかない。自分の家は車が買えるような経済状態ではなかったし、そもそも都内ではあまり必要ではない。
おそるおそる車内に乗り込む。
シートは革張りだけれどふかふかで尻をすっぽりと包んでくれる。
長時間の乗車にも疲労は最小限で済むようになっているようだ。
出しますという男性の言葉と共に車が走り出す。ゆっくりと加速し、ブレーキもこちらに振動が伝わらないよう細心の注意を払っているのがわかる。

「…先輩って金持ち?」

呆気にとられている場合ではない。これはますます面倒な場所へ向かっているのではないか。

「普通だ」

普通と言われる家庭がよくわからないが、きっとこれは普通ではないと思う。
自分はかなり貧乏な環境で育ったので金持ちと呼ばれる人たちは苦手だ。気後れしてしまう。
マナーも常識もないし、着ているものも一枚千円のTシャツだ。
どうしよう。こんなことならばもう少しまともな服を選べばよかった。
とはいえ、すべてが同じような値段の、同じようなものだけれど。

「一時間半くらいで着くから」

たった一時間半。
戻りたい。せめて着替えたい。
途中で服を購入しようかと思ったが、財布の中には三千円しか入っていない。
表情には出ていないだろうか心の中で右往左往する。
慌てても仕方がないし、今更どうにもならないけれど。
行きたくない。その想いが何百倍にも膨れ上がった。

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