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転校生が来てやっと落ち着いた頃、目前には夏季休暇が迫っていた。
久しぶりに実家に帰るためか、開放感に満ち溢れた夏という季節のせいか、学園全体が浮き足立っているようにみえた。
自分は勿論家には帰らないし、夏休みなどどうでもいいと思う。
ただいつものように同じ生活を繰りかえすだけだ。腹が減れば何か口にして、眠くなったら眠る。
できれば外には出たくない。暑いのは大の苦手だし、何の変化もない、安心できる鳥籠の中で無意味に日々を過ごしたい。
「ゆうき、今日購買部の当番だからご飯一緒に食べれないんだ。ごめんね」
「ああ、いいよ」
「じゃあ俺行ってくるね」
景吾はこうやってたまに購買部の活動に参加している。
景吾がおらずとも飯くらい一人で食べられる。母親がいないと泣き喚く子供でもあるまいし。
蓮や楓もいないので教室で一人で食べようと思ったが、この男の存在を忘れていた。
「じゃあ今日は俺とゆうき二人で食べよか?」
「…俺は一人でいい。お前は他の奴と食えば?」
俺と秀吉は同じ輪の中にいるが会話らしい会話なんてしたことがない。
景吾や楓がいたからそれでも成立していただけで、この男と仲良く友達をするつもりはない。それなのに仲良く二人で飯なんて冗談だろ?
「俺はゆうきと食いたいんや。ええやろ?」
「…勝手にしろ」
「あ、じゃあ俺も今日はお前らと食うかな!」
決まった人間以外と打ち解けようとしない俺を心配したのか、楓がそんな提案をするが、それをやんわりと断った。後で香坂先輩に文句を言われても面倒だと思ったから。
「じゃあ行こか?」
「購買行くから俺の分も買ってきて」
「アホ。こんなに天気がええのに、陰にばっかいたら身体に悪いやろ。購買で何か買って屋上行こうや」
「……面倒くさ…」
「ほれ!行くで!」
頬杖をついていた腕を強引に引かれる。
秀吉は強引なところがある。突っ撥ねても軽快な関西弁と口八丁で丸め込まれるのがオチだ。
抵抗するのも面倒なので流れに身を任せようと思う。
「やっぱ外の方が気持ちええな」
屋上の扉を開ければ澄んだ風がこちらへ流れる。
柔らかに微笑みながら振り返る秀吉に思い切り顔を顰めた。こんなクソ暑いのに気持ちがいいだなんて、頭がいかれている。じりじりと太陽が照りつけるのに不快感しか感じられない。
視線を彷徨わせ日陰を探し、秀吉を無視して座る。
「また日陰なんかに行きよって。そんなんやから肌青白いんやで?」
「ほっとけ。お前も好きな所で食えばいい」
「一緒に飯食う意味ないやん。そこでええわ」
秀吉と共にいるならば一人でいたい。最悪場所が屋上でも構わないから。
秀吉が悪い人間だとは思わない。性根が腐っている人間はいくらでも間近で見てきた。
人間の綺麗な部分よりも、どす黒い汚物ばかりをぶつけられてきた。
曲がりなりにも人間を見る目というのは多少養われたと思う。
秀吉の笑顔は嘘くさい。おどけた関西弁がそれをますます引き立たせてしまっている。
だからと言って言葉や態度すべてが嘘とは思えない。
しっかりと地に根を張った大木のようにぶれない芯があると思う。
秀吉が転校してきてから観察を続けた結果だ。
それでも何かと否定してしまうのは深く関わりたくないから。
相手が誰でも同じ。人と繋がりたくない。自分の世界は自分と数人の友人で完結するような狭いものでいい。
購買で買ってきた菓子パンと牛乳を口に運びながら、秀吉の他愛のない話しに適当に相槌を打った。
飯を食い終わり、横になった。授業までの僅かの時間を眠りに捧げようと瞳を閉じる。
「…なあ、何でゆうきはこの学校に入ったん?」
眠りを邪魔されて不機嫌になる。勝手に話すのは自由だが、詮索されるのは好きではない。
「…別に。理由なんてない」
「ふーん、じゃあ何でそんなにクールな性格なん?何や、他の人を寄せ付けと常に威嚇しとる感じ。そんなにべっぴんさんなんやからもっと愛想良くしてれば色々便利やろ?」
「…さあな。じゃあ逆に聞くけど、何でお前はそんなに嘘くさい笑い方すんの?」
秀吉の瞳をしっかりと見据えて言えば虚を突かれたのか一瞬驚いた顔をした。
いつもの秀吉なら、そんなことはないと冗談を返すのに。
秀吉は一歩遅れてふっと笑った。
「そんなん言われたの初めてやわ…。なんやろな、いつも笑っとるのが癖なんかな」
秀吉は少し寂しそうに言う。けれども顔は笑っている。言葉と表情のアンバランスに面倒な人間だと思った。
「ふーん」
「一つ秘密喋ったんやから、ゆうきも何か教えてや」
「秘密?何も言ってねえだろ。変な癖を暴露しただけだろが」
「えー、つれんなー。これでも秘密な方やんかー」
「知らねえよ」
「ほなたまに一緒におる黒髪の先輩は?」
木内先輩のことだと悟り、一瞬心臓が大きく打つ。自分が表情豊かじゃなくてよかった。
何処で見たのかと詮索したかったが、それでは逆に何かやましいことがあると打ち明けているようなものだ。
平常心と何度も心の中で繰り返す。
「…ただの先輩」
「あの先輩と付き合おうてるん?」
「気持ち悪いこと言うな。木内先輩のことは皆に話すなよ」
「何で?」
「何でも。いいな」
「はやっぱり何かあるやん。まあ、可愛いゆうきの言うことやからな、約束するわ」
へらりと笑う締まりのない顔はどこまで信用できるかわからない。
人の口に戸は立てられないと言うし、皆に知られるのも時間の問題だろう。
こんな狭い範囲で行動しているのだから、秀吉が言わずとも誰かが目撃し、一気に噂になるかもしれない。噂に敏感な景吾がすぐさま知るだろう。
最悪の状況を想像し、今から言い訳を考えておこうとぼんやりと思った。
「あの先輩に虐められてるんやったらちゃんと言いや?蓮や楓じゃあんま頼りにならんけど、俺やったら喧嘩しても勝てるかもしれんやろ?」
悪戯を思いついた子供のようにころころと軽い口調で言われた。
「それは頼りになるな」
「あっ、本気にしてないやろー。ほんまやで。可愛いゆうきちゃんの頼みとなれば、引き受けるで」
「…ちゃん付けで呼ぶな…」
「何で?綺麗なゆうきにぴったりやん」
「ちゃん付けで呼んだらその度に殴る」
「こわー。気位の高い猫みたいやわー」
「猫扱いしても殴る」
「何しても殴られるやん俺!」
口ではそう言うが花が咲いたように笑う姿をぼうっと見詰めた。
いつもの嘘にまみれた笑顔よりもこの方がいい。いくらか幼さを感じる清潔感が漂う笑顔。
表情や声色を七色に変える秀吉は器用な人間だと思う。
するりと心の隙間にいつの間にかすとんと入り込んでくる。まるで最初から秀吉がそこにいたかのような。図々しいけどそれが嫌ではない。
不思議な人間。自分にないものをすべて持っているような。
「そんな見詰めんなやー。照れるやん!」
「……ああ、そ…」
「あ、溜息とかひどい…」
いや、ただの鬱陶しい人間だ。買い被りすぎたし美化しすぎたと自分に舌打ちした。
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