Episode2:永遠の瞬間



夕飯を食べ、風呂を済ませるとゆうきはすぐさまベッドに倒れ込むようにした。
眠い、眠いとうわ言のよう呟き、そのまま寝ていいと言うと眠るまで隣にいてほしいとかわいらしい我儘を添えた。
ベッドヘッドに背中を預け、胎児のように丸くなる背中を撫でる。
すうっと安定した呼吸を始めたのを確認しても撫でる手が止まらない。
上から彼の横顔を眺め、どうしたらいいのだろうと途方に暮れたようになった。
たくさんの選択肢の中から最善を判断できる力と経験が自分にはない。
恐らく、親父の提示したやり方が一番合法的で合理的で、後ろめたさを感じず、正義の名のもとに解決できる。
だけどそれでいいのだろうか。
未成年者は保護者の力を借りる。それは当然だ。自分だけの力で生きてるなんて驕らない。
しかし今父に頼るのが最善とは思えない。
もやもやと胸にわだかまりが残りふんぎりがつかない。
青白い顔、目の下のくまは濃く、精神的にも体力的にもゆうきが蝕まれているのだと一目でわかる。
一人で対処しなければと震える脚で踏ん張って、虚勢を張って頑なになるゆうきを怖いと思った。以前の彼に戻る気がして。
トラウマから身を守るため心に頑丈に鍵をかけ、考えても無駄だからとか、感情なんていらないとか、積み上げてきたものを綺麗さっぱり手離しそうで。
頼ることと弱いはイコールではない。
辛いとき、苦しいとき、倒れそうになる背中を支えるために自分たちは恋人になったんだろう。
自分だってゆうきにたくさん支えられているし、甘えてもいる。
小さな身体で一人きり、強くならなければ生きていけなかった彼の人生を思うといつも胸が痛くなる。
ゆうきが安心して暮らせるなら彼の父親を殺したってかまわない。
合法だろうが非合法だろうが関係ない。
誰かの正義をなぞるだけの外野に糾弾される筋合いはない。
だけどそれじゃあなにも解決しない。
小さく吐息をつき、枕元の携帯に手を伸ばした。
起こさぬよう、ゆっくりベッドから降り、廊下に出てスマホを耳に寄せた。
数コールで繋がった電話の向こうの声は柔らかく、さぞ今の暮らしが幸福なんでしょうねと嫌味っぽく思った。

『仁、電話くれるなんて珍しい』

「久しぶりにお兄ちゃんの声が聴きたくなって」

『あはは、いつもそうならかわいいのに。ゆうき君のことだろ。聞いたよ』

「もう伝わったか。早いな」

『親父じゃないよ。涼から聞いた。楓君と景吾君が停学くらったって?』

「そう。あっちもこっちも問題ばっかり起こしやがる」

『お前らよりは随分かわいいけど。それで?』

ちぐはぐな言葉で今の気持ちと状況を説明した。
兄はうん、うんと相槌を入れ、けれどその声色は段々と沈んでいった。

「兄貴だったらどうする」

『まず、親父には絶対頼らない』

「やっぱそうか…」

『葵さんとの関係に干渉されるなんて一番の不幸だよ。親父が葵さんになにかしたら親子喧嘩じゃ済まなくなるし』

「まあ、そうだよな……。一時的な誤魔化しにしかならないけど、あっちは金がほしいらしいし、渡そうと思う」

『一度やったら二度目もあるぞ』

「そこはうまくやるしかねえな」

『それが悪手ということはわかっているね』

「勿論」

『ならなにも言わない。仁の言う通り、とりあえず落ち着かせるにはそれしかないんだろう。大局を成す前にゆうき君が壊れるのが一番怖いし、一旦引いてもらって、それから解決策を練るのも手だと思う』

「ああ…」

『で?金が必要?』

「どこにしまったっけ。俺のカード」

『お前なあ、自分の貴重品はちゃんと管理しろよ。と言いたいところだけど、実は僕が預かってます』

「あ?」

『仁が言ったんだよ。持ってるとろくなことないから兄貴が管理しろって』

「言ったっけ?」

『言った。実家の、僕の部屋にあるけど、鍵がかかってるから今からそっち行く』

「悪いな」

『今日は随分しおらしいな。いつもそうでいてくれよ』

「あー、はいはい。じゃあな」

ぶちっと切ったスマホの画面をなんとなしに眺め、項垂れるようにしながら息を吐いた。
頭が混乱して痛い。
自分がもっと大人ならゆうきにこんな想いをさせずに済んだのに。
すぐにその手を握り、どこにでも逃げようと言えたかもしれないのに。
こういうのは嫌いだった。たらればを考え、理想を想像し叶わないと知る。
自分がひどく無力でちっぽけで、宇宙で漂うゴミの欠片になった気になる。
考えても仕方がない、どうにもならない現実に歯噛みする。
そっと部屋の扉を開け、ベッドに近付くとゆうきは眠ったときと同じ格好だった。
いつも呼吸すら聞こえないほど静かに眠るものだから、生きてるよな?と口元に手を当て、つい確認してしまう。
同じ身体、同じ構造の人間なのに、ある日突然ガラスのようにぱりんと音を立てながら壊れそうだと思う。
どうしようもなく恐ろしく、お願いだからどこにも行かないでくれと縋りたくなる。
頬に落ちる髪を耳にかけても身じろぐ様子もない。随分深く眠っているらしい。
最後に頭を撫で、一階のリビングへ向かった。
カヨさんが作り置きしてくれる水出しコーヒーをコップに注ぎ、ソファに着いて兄の到着を待った。
一時間ほどで車の扉が閉まる音が聞こえ、玄関に向かう。
ゆっくり静かに玄関の扉を閉め、こちらを振り返った兄はひらっと手を振った。

「久しぶり。顔を見るのは一ヵ月ぶりくらい?」

「さあ」

「おや、かわいくないお返事」

「いいから早くしろ」

「なんだよその態度ー。わざわざ来たのに」

ぶつぶつ文句を言いながら階段を上る背中を見送る。
リビングに戻ると、とんとんと肩を叩かれ数種類のカードを差し出された。

「これで全部だよ」

「どれにいくら入ってる?」

「一番入ってるのはこれ。その次がこれ。一度に引き落としすることを考えると生体確認つきのカードがあるこの銀行がいいと思う。確か五百万までおろせるはず」

「じゃあそれにする」

カードを指で挟むようにすると兄は向かいのソファに着き、くすりと笑った。

「なんだよ」

「いや、仁に頼られるの悪くないなと思って」

「は」

「昔はお兄ちゃんお兄ちゃんって後ついてきたのを忙しいんだよって振り払ってたのに、こっちに余裕ができたときには全然構ってくれなくなって、どんどん人相悪くなるし、性格も悪くなるし、あのときの僕のかわいい弟はどこにいったんだろうと思ってたけど、やっぱり今でもかわいいままだよ」

「気持ち悪い」

思い切り顔を顰めると、兄はけたけた笑ったあと表情を正した。

「仁、僕はお前の味方だよ。親父には悪いけど」

"味方"の中に、たくさんの事情や理由や顛末が込められているとを知ってる。
自分たちは兄弟で、立場は違えどやるべき義務は同じで、同じ親の庇護の元、抱える問題も似たようなものだ。
長男で出来のいい兄のほうがたくさんの重荷を背負い、足枷をつけられ、随分窮屈な想いをしているだろう。
自分は父とやりあえないが、兄なら渡り合えるかもしれない。
ふっと笑い、俺もだよと言うと、兄は一瞬目を見張り、くしゃっと表情を崩した。

「嬉しいなあ。仁が味方してくれるならがんばらないと」

兄は、さて、と言いながら膝に手をつき立ち上がった。

「泊まらないのか?」

「葵さんが待ってる」

「へえ。葵さん放ってこっちまで来たんだ」

「当たり前だろ。弟の一大事だぞ」

さらりと言われ口を引き結んだ。
どこまでいっても兄弟。むかついたり、憎んだり、喧嘩したりを繰り返しても最後には見捨てられない。
腰を下ろして靴を履く兄の背中を眺めた。随分大きく感じる。

「……ありがとな」

ぽつりと言うと兄は慌てた様子で振り返り、明日は嵐だなと言った。

「そういうこと言うから兄貴に懐かなくなんだよ」

「それは失敬」

扉をくぐる間際、またなにかあったらすぐに連絡しろと言い残し、兄は扉の向こうに去って行った。
なにも解決していないけど、肩からふっと力が抜けた。
カードを部屋に放り投げ、風呂を済ませてゆうきの隣に滑り込んだ。
瞳を閉じる間際もう一度髪を撫で、こめかみに口付け、絶対誰にも壊させはしないと固く誓う。

「……せんぱい?」

半分しか開かない、とろんと重そうな瞼を押し上げながらゆうきが上半身を起こした。

「まだ朝じゃないから寝てろ」

ゆうきは数秒考え込み、じゃあ寝る、ともう一度枕にぽすんと頭を預けた。
子ども染みた仕草がかわいらしい。
アンドロイドのほうがよっぽど表情豊かだぞというくらいいつも真顔で、つきあう前もつきあってからも何考えてんだろうと不思議に思うことが多い。
喜怒哀楽、微妙な変化を一瞬でも見過ごすと将棋倒しのようにわからなくなってしまうので、扱いは簡単ではない。
口数も少なく、持て余した感情を上手に表せない。
ずっと心を氷に漬け、冷凍保存して生きてきたのだろう。
今まさに、少しずつ解凍作業の途中で、思考と感情が噛み合わず戸惑うことも多いようだ。
大丈夫だからと安心させられる男ならよかったのに、自分の短気な性格のせいで衝突することもままある。
面倒な相手かもしれない。もっと楽につきあえる人間はたくさんいる。
だけど性格や顔の良し悪しで判断する以上のものに惹かれてしまった。
どんなに煌びやかな代わりを用意されてもだめだ。ゆうきじゃないとだめなんだ。

「……せんぱい?」

「…なんだ」

「……すごく、疲れて。きょうは、できなくて、ごめんな」

「なに言ってんの。毎日せがんだのはお前のほうだろ」

「…そうだった」

ゆうきは寝惚けながらくすりと笑い、むにゃむにゃと口を動かした。

「そんなことしなくても、一緒にいるだけでいいんだ」

細い身体を抱きしめながら言った。
ゆうきは小さく首を傾げるようにし、変なの、と呟いた。

「しないなら、価値なんてない…」

ゆうきの存在意義はそこに集約されていて、自分が提供できるのはそれしかないと思い込んでいる。
そうじゃないと何度でも何度でも言って聞かせてやりたいが、本人が納得できないなら意味がないのだろうとも思う。

「そんなことない。そんなこと、ないんだよ」

「……やっぱり変だ」

「いいよ、変で。きっとわかる日がくる」

「なにを?」

「色々」

「適当だな」

ゆうきは瞼を落としたまま口を尖らせた。
綺麗な鼻をきゅっと抓み、早く寝ろと言うと、小さく頷き胸に額をぐりぐり摺り寄せた。
いつも、正気のときもこれくらい素直でわかりやすかったらいいのになあ。
そんな風に願ってしまうが、あの不器用で無表情のゆうきもどうしようもなく愛おしいのだ。

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