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「最近は物騒な事件も多いから、親と名乗っても簡単には敷地に入れないようにしているんだ。顔と名前が一致する身分証明書を持参してもらうのは勿論、学園や寮での面会には事前の申請も必要なんだ。保護者向けの案内にも書いているし、学園のサイトにも記載しているんだけど、先ほどの方はそれのどれも満たしていないからお引き取り願ったよ」

「…はい」

「彼はゆうき君の父親で間違いない?」

「…はい」

「そう…」

理事長は顎に手を持っていき、少し悩むようにしてから口を開いた。

「…以前、仁が言っていたね。ゆうき君には身寄りがないも同然だって。長期休暇もうちや寮に留まることが多いよね。ご両親とはずっと会っていないのかな」

こくりと頷く。

「そうか…。私たち大人は君たちよりも多少世知に長けている。わからないこと、辛いこと、困ったことがあるなら一緒に考えられるし、力にもなれると思うけど、どうだろう」

息を呑んで俯いた。
話さなければいけないのだろうか。誰にも知られたくない汚い部分をよりにもよって恋人の親に。
見ないでほしい。軽蔑しないでほしい。消えてなくなりたい。
だけど騒ぎを起こした原因は自分にあって、学校側も対策を練る必要がある。他の保護者にうちの息子は平気なんですかと聞かれ、信用が地に堕ちたら学園経営は成り立たない。最近はSNSでちょっとした噂話が一瞬で全国に広がり、メディアは面白おかしくその一部分を抜粋してあることないこと囃し立てる。
氷室グループの名前に傷がついたらどうしよう。
先輩が言う通りすぐに親父と決着をつけるべきだった。目を逸らした結果もっとひどい事態になった。これ以上周りの人間に迷惑をかけるのは死ぬより辛い。
いっその事学校を辞めてしまいたい。誰にも行先を告げず逃げ出して、父親からも母親からも遠く離れ、絶対に手の届かい場所でひっそりと暮らす。それが一番最善だが辞めるには親の許可が必要だ。
諦めたように口を開いた。ここで逃げたら更に酷い結果になりそうで。それなら今すべてをぶちまけて冷酷な視線に耐えた方が幾分か楽だ。

「…虐待を、受けてました」

理事長は答えがわかっていたのだろう。動揺は見せずに頷いた。

「東城に入ってから一度も両親には会ってません。でも最近CMが流れたり、広告の仕事をしたので、随分稼いでいるのだろうと金の無心をされました。それを無視した結果が今日の出来事です」

本当にすみませんでしたと頭を下げると顔を上げてと言われる。

「親は子どものために下げる頭は惜しまないけどね、子どもは親のために頭を下げるものじゃないよ」

「でも…」

「大人の事情まで君が背負う必要はない。工藤君」

「はい」

扉の傍で控えていた弁護士先生が理事長の隣に立った。

「こういうケース、どう?」

「私は専門ではないのではっきりとは申し上げられませんが、児童虐待防止のため、裁判所が接近禁止命令を出したり、親権を停止し未成年後見人を認めるケースがあります。ただ、今現在虐待を受けているわけではありませんし、そこをどう判断するかはわかりません。よろしければそちらに詳しい者がご相談に当たりますが」

「ああ、そうだね、その方がいいかな」

二人の間で勝手に進んでいく会話に待ってくれと言った。

「そ、そこまでしてもらわなくても…」

「でもね、学園が提示している方法で君に会いに来たらこちらは拒む権利がないんだよ。工藤君、事務所に戻ったら事情を話して私に連絡をくれるかな」

「はい。では私はこれで失礼します」

工藤と呼ばれた弁護士は律儀にこちらにも深く頭を下げ辞去した。

「じゃあ仁も少し席を外してくれる?」

「は、なんで」

「なんでも」

ちらりと視線を投げられたので浅く頷いた。
室内に二人きりになると、理事長はデスクの引き出しから小さな箱を取り出し、よかったら食べてと言った。パッケージを見て菓子の類らしいと知り、小さく頭を下げた。

「…なんでここまでするのかって思ってる?」

戸惑うように視線を揺らして頷いた。

「私は学園の生徒みんな息子のように思ってるよ。できれば無駄な苦労はしてほしくないし、きらきら笑ってほしいと思う。勿論君にも。贔屓はよくないと思うけど、これが他の生徒なら私個人で弁護士を雇ったりはしないだろうなあ」

じゃあなんで、と聞くと理事長は目を細めた。

「仁が君を大事にしてるからだよ」

直接的なようで、核心に触れない遠回しな言い方に顔が引きつった。
理事長は大きな会社を纏め、世知に長け、如才無く、頭が切れる。子どものお飯事などお見通しでこちらが隠したつもりのモノなど最初から彼の手の上だ。
嫌な汗が滲み崖っぷちに追い立てられた気分になる。
学校に迷惑をかけへこんでいるところに、更には息子と別れろとか言われるのだろうか。
そりゃそうだ。こんなみすぼらしい子どもでしかも男で、将来がある木内先輩とは不釣り合いもいいとこだ。どこかで諦念を抱く一方で、今彼を奪われたら生きていけないなあと冷静に考える。

「ああ、勘違いしないでほしいんだけど、私は反対していないよ」

「え…」

「君たちはまだ若いから」

「…でも…」

「私はそんなに頭が固そうに見えるかな?」

「…そうじゃ、ないです。でも、男とつきあうなんて普通じゃないし、今すぐやめろって言うものだと思います」

「ああ、やっぱりつきあってるんだ」

しまったと呆然としたが遅い。この狸親父と睨みたいのを堪えがっくりと肩を落とした。

「仁は誰に似たのか面食いだからなあ。でも今まで仁の相手をしたどの子よりゆうき君が一番美人だよ。私の元奥さんにどことなく似ているのがまたね。血は争えないなあ」

はは、と笑う笑顔が怖かった。どうしよう、どうしようと胃がねじ切れそうになる。

「そんな身構えないで。私は人生に無駄はないと思ってるよ。色んな経験をするべきだ」

一瞬目を丸くし、なるほどと納得した。理事長にとっては若い一時の気の迷い程度の感覚。
大人は自分の人生から答えを導き出す。学生のうちの恋が永遠に続くはずがないこともわかっているのだ。

「なんだか意地悪な言い方になったかな。私は君にも息子にも幸せになってほしいと思う。子どもだけではどうしようもない壁にぶつかったら手を差し伸べる。父として、教育者として」

「…はい」

「君を疎ましいなんて思ったことは一度もないよ。仁が楽しそうに笑うし、私も君が好きだ。それと、少し責任も感じているんだ」

「責任?」

「私が仕事を頼んだせいもあるだろう?」

「そんな、ことは…親父は昔からどうしようもない人間だし…」

「君を守るよ」

厳しい声色にはっと顔を上げた。やっぱり木内先輩は理事長によく似ている。

「暫くの間学校や寮の警備を厚くしようと思う。それで、君は私の家に一時保護しようかな」

「…はい?」

「寮に侵入されても困るだろ?」

「困り、ますけど…」

「同室者も暫くは他の部屋で寝泊まりしてもらうよ。いいね」

「でも、そんな迷惑をかけるわけには…」

「私が君を目の届く場所に置いておきたいんだ。勿論、家にも警備員を配置する。そうだ、仁も一緒に連れていけばいいよ。家政婦さんがいるから美味しいご飯を食べて、ゆっくり過ごして」

理事長は立ち上がり小さく震える肩をぽんと叩いた。
扉を開け、木内先輩を呼びよせ、話しは終わったから寮に戻っていいよと柔らかな声で言う。
理事長にそこはかとない恐怖を感じた。これ以上ない条件を与えられたと思う。なのに素直にありがとうと微笑めない。
ただの生徒である自分に堅実な方法で父から守ろうとしてくれる。弁護士費用ってどれくらいかかるのだろう。警備を増やした分の費用は。中断した授業の振り替えは。
なのに一つの文句も言わず、息子に付き纏う嫌な虫を受け入れるような発言をする。
彼の心の内が読めずに怖い。

「おい、大丈夫か。帰れるか」

「あ…うん」

「ゆうき君にも言ったけど、暫くうちに行ってもらうからね。仁は好きにしな」

「一緒に帰る」

「そう。迎えを呼んでおくから。ゆうき君、余計なことは考えずただ休むことに専念するんだよ。万が一階段で倒れたりしたら大変だからね」

「……はい」

すみませんでしたとありがとうございましたを言いながら頭を下げ理事長室を出た。
行くぞと腕を引かれるままにぼんやり歩く。気付いたときには木内先輩の部屋で、ソファに座らせられ自分の掌を眺めた。

「…顔が真っ青だぞ」

「…あ、いや、大丈夫」

色んな出来事が自分の中に流れ込んで上手に処理できない。
一つ一つ潰しながら解決しなければいけないのだけど、どれから手をつけたらいいのかもわからない状態だ。

「…親父になんか言われたな」

「…いや、俺が悪い。失言した」

太腿に肘をつき頭を抱えるようにした。

「…想像はつくけどな」

ふっと短く溜め息を吐いた木内先輩を振り返る。

「ゆうきに恩を売りたいんだよあの人は」

「恩…?」

「自分に良くしてくれた人は裏切れないだろ。だからお前に好意を示す。万が一この関係が続いたときの切り札だ。親父に別れろって言われたら悩むだろ?」

素直に頷いた。

「そうなるように仕向けてんだよ」

吐き捨てるような言い方は理事長を慕う木内先輩らしくない。
とても良好な親子関係だと思っていたが、そんな言葉では片付けられないのかもしれない。

「親父は怖い。残酷な判断を一瞬も悩まずにできる。使えないものは切り捨てる。打算的で人心に聡く辛抱強い。親父の言葉は一切信じるな。いいことも、悪いことも。わかったな」

力なく頷いた。大人って汚い。簡単な言葉で包括するには自分は子どもすぎる。
途方もない暗澹とした道の前に動けずにいるようだ。

「でも、息子を大事にする気持ちは本当だと思う…」

「まあな。だから嫌いにはなれねえな」

「いいお父さんだよ」

理事長はある人にとっては怖ろしい人だろうし、ある人にとっては命の恩人かもしれない。
その理由が打算だとしても残るのは結果だけ。完璧な悪人はいないし、完璧な善人もいない。多角的に見なければいけないと思う。少なくとも今の自分にとっては救いだ。
将来の切り札だとか、別れさせるための手段だとか、善意で構成されていなくとも理事長は盾を貸してくれると言うのだ。それがなければ降ってくる矢で心臓をつかれるかもしれない。

「そんな心配した顔すんな」

くしゃりと頭を撫でられ恨めしい視線を向けた。人を怖がらせた挙句の言葉とは思えない。

「まあ、学生のうちはとやかく言われることはねえだろうよ。先のことはそのとき考える。どうせ今の俺じゃ親父に太刀打ちできねえしな」

「…うん」

この関係だっていつまで続くかわからない。今悩んでも徒労で終わる確率の方が高いのだ。自分にできることは木内先輩に寄りかかりすぎないこと。後始末くらい己でできるくらい強くなること。
簡単なことなのに掴めず掌から零れ落ちていくように感じる。どうしてこんなに弱いのだろう。どこで間違ったのだろう。考えても無駄なことに延々と悩んでしまう。

「…お前が安心できる方法で解決するのが一番だ。でも俺としてはなるべく親父の助けは借りたくない。後々お前を苦しめるだろうから」

言っている意味がわからず首を捻った。

「…自分で解決した方がいいのはわかってるけど…」

「反抗したわけじゃねえし、多分親父の提示した方法が一番確実だと思う。けど、関係が続く限りあの人に逆らえなくなるぞ」

「…うん」

「…まあ、お前が辛い想いしないのが一番だ。後でゆっくり考えよう。学校のことは心配すんなよ。面倒なことは大人に任せとけ。お前は暫く噂のネタにされるかもしれねえけど…」

「そんなのはどうでもいい。今までだって散々文句言われてる」

「そうだったな」

どうせ自分の評価は最低だ。
お高く留まりやがって、にこりともしない。ちょっと顔がいいからって調子に乗って、木内仁まで操り人形にしたクソビッチ。
耳触りの悪い言葉ほどよく聞えてくる。否定もしないし肯定もしない。グレーでいた方が誰も寄りつかないから。勝手に真田ゆうきの人物像を作り出し、勝手に憤って、勝手に納得して、馬鹿みたいだと思う。なぜそんなに他人を気にするのか理解できない。

一度自室に戻り簡単に荷造りを済ませた。他の生徒は緊急全校集会を設けられたのでそちらに参加している時間だ。
先輩と迎えの車に乗り込み氷室家を目指す。
家の扉を開けると家政婦のカヨさんがにこやかに迎えてくれた。

「お久しぶりですねえ」

「…はい。お世話に、なります…」

頭を下げると礼儀正しくて良い子だと誉めてくれる。なんだかこそばゆい。

「食べ盛りの子がいると作り甲斐があって楽しいですね。氷室さんは帰ったり、帰らなかったりですから」

「親父が我儘言ってない?」

「たまに。私にとっては可愛い我儘ですがね」

「カヨさんには親父も頭が上がらないからな」

「私は一生懸命お勤めしているだけですよ。お夕飯のリクエストはございますか」

「あー、じゃあ消化にいいもの頼む。軽めでいいから」

「はい」

もう一度カヨさんに頭を下げ木内先輩の部屋に入る。最後にこの部屋に入ったときは喧嘩したっけなあ。最近のことなのに酷く懐かしい。
たった数ヶ月でお互いの関係にたくさんの色が加わって、濁って汚くなった気がする。
疲れた、と呟きながらソファに座った木内先輩の隣に着く。
先輩は携帯を眺めながらくっと笑った。

「楓と景吾が停学処分だってよ」

「は?」

「教頭の前で取っ組み合いの大喧嘩した挙句窓割ったってよ」

「…なんで?」

「さあな。まあ、お前のことだろうな」

「あの馬鹿…」

楓と景吾はよく小さなことで喧嘩をする。ちょっとした言い争いで、一時間もすればケロっとしてお互い笑い合う程度のいざこざ。
ここまでの騒ぎは起こしたことがない。なんだって自分なんかのことで友人が喧嘩しなければいけないのか。

「愛されてんなお前は」

「どこが」

「友だちのことで熱くなるなんていい奴らじゃん。俺だったら涼や拓海のために喧嘩なんてしないね」

ふん、と鼻で嗤う姿に素直じゃないなと思う。
先輩の肩に凭れるようにして三角に折った脚に腕を回した。

「…後で景吾と楓に電話しなきゃ」

「やめとけやめとけ。どうせお互いの悪口聞かされてひどいと思わねえ!?って言われるだけだぞ。二人のことは二人に任せろ。拗れれば秀吉が上手くやる」

「…ああ、そうか。秀吉がいたんだった…」

昔は楓と景吾が喧嘩をするたび、自分と蓮が仲裁に入っていたが今は秀吉がいる。面倒事を持ち込むなと秀吉は顔を歪めるけれど、本人の意志とは関係なくいつだって調整役を任される損な役回りだ。

「他のことに気を揉んでないで、お前は自分のことを考えろよ」

「…うん」

返事はしたものの、頭が働かない。もうこれ以上の情報はシャットダウンしますと脳が言っている。それくらい目まぐるしかった。
明日、明日になったらきっと考えるから今日眠るまでは休んでもいいだろうか。
色んな人に迷惑をかけたのにそんな甘えは許されない。寝る間も惜しんで最善を見つけなければいけない。わかっているのに身体に力が入らない。

「…少し寝るか。飯できたら起こすから」

「…いい。起きてる。頑張るからもう少しだけ…」

今だけ肩を貸してほしい。ちゃんと自力で歩けるようになるから。これが最後だから。
力の入らない身体はずるずると落ちていき、彼の太腿に頭を預けた。
真っ直ぐな髪が顔にかかると骨ばった長い指が耳にかけてくれる。そのままさらさらと櫛のように折った指で撫でられ気持ちよさにうっとりと瞳を閉じた。

「…ゆうき」

「…なに」

「悪いのはお前の親父でお前じゃない。絶対に忘れるなよ」

「……うん」

すりっと頬を擦り彼の服をぎゅっと掴んだ。
悲しみも、苦しさも、幸福も、過ぎた感情は心を麻痺させる。呆然としている間に水位が上がり勝手に溢れていく。
明日は零してしまった感情の一つ一つを拾う作業から始めなければ。それはとてつもない憂鬱を孕んでいて、考えただけで頭が痛くなった。

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