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三十分程すると看護婦が室内に来て行きましょうかと微笑んだ。その手には車椅子が用意されている。

「ゆうき、乗れ」

「いや、歩けるし…」

「いいから。また倒れたら大変だろ?」

有無を言わさぬ物言いに渋々従った。看護婦は点滴を車椅子に設置し、こちらへどうぞとにこやかに案内してくれる。
木内先輩の顔は強張り、けれども自分と視線が合うと怖いくらい穏やかに微笑む。
彼が笑顔の安売りをするなんて妙だ。むっつりと不機嫌そうな顔はどうした。変な胸騒ぎがする。何を隠しているのだろう。
案内された待合室には、まだ八時を回ったばかりだというのに人がごった返していた。

「拓海の病院はナースも医者も腕がいいから大丈夫だ。先生に聞かれたことにちゃんと答えればいい。嘘はつくなよ?事実だけを話すんだ。そうじゃないと先生もちゃんと診断できないからな?」

幼子に説くような口ぶりに苛立ちながらも頷くと、彼はよしよしと頭を軽く撫で、待合室で別れた。
個室の扉をノックし、こちらに背を向けて書き物をしていた医者の前で車椅子を止めた。

「おはようございます」

椅子を回してこちらを振り返った医者はまだ若く、三十後半くらいのいかにも優男だった。にっこりと微笑まれぎこちなくもそれに応える。
看護師さんは最後に車椅子を固定して部屋から去り、小さな部屋に二人きりだ。

「真田君、初めまして。伊藤といいます」

「…初め、まして…」

「これからいくつか質問するから、嘘はつかずに答えてもらっていいかな?勿論、言いたくないことは言わなくてもいいからね」

「…はい」

終始、この伊藤という医者は笑顔を崩さない。けれどもそれは、塗り固められたものとは少し違っている。こちらが安心できるよう気遣っているのか口調もとても柔らかい。

「まず、家族構成を教えて下さい」

革表紙の本のような物を膝に立てるように広げながら先生が言った。

「……父と、母だけです…」

「兄弟はいないんだね」

「はい…」

答える度にその革表紙にすらすらとボールペンを動かしている。

「じゃあ今は東城学園の二年生で間違いないかな?」

「はい」

診察するというのに先生はそんな質問ばかりしてくる。MRIや脳波の検査をするものとばかり思っていたので拍子抜けした。
こんな些細な会話をすることが診察だというのか。

「昨日倒れた前のことは覚えているかな?」

「…覚えてます…」

「話してくれるかな?」

言いたくないことは言わなくていい。ただ嘘はつかないこと。それが先生や木内先輩との約束だった。
できれば言いたくない。思い出したくないし、いくら医者とはいえ今会ったばかりの人に言うべきことなのだろうか。
言い淀んでいると、簡単にでいいよと先生が助け舟を出した。

「…夜、眠ろうと思ってベットに入ったら父親から電話がかかってきて…。それから倒れて…」

「そっか。お父さんと話すのはよくあることなのかな?」

「いえ。五年ぶりとか」

「そうなんだね」

すらすらと何か書いている表紙をぼんやり見詰めた。
何故医者がこんな質問をするのかわからず、何処か身体を検査しないのかと不審に思い、あの、と先生へ切り出した。

「ん?」

「…あの。何処か、検査とかしないんですか…?心療内科って何をするとこなんですか…?」

真っ直ぐに言えば、先生は一瞬悩んだ様子で口を開いた。

「…心療内科は他の科とは少し違うんだよ。そうだな、風邪をひいたら内科に行くし、怪我をしたら外科に行くよね?」

問われこくりと頷いた。

「じゃあ、心が怪我をしたときには何処に行く?」

「何処って…。どこにも行きません」

「心が怪我をするのも、とても大変なことなんだよ。傷を治したいけど一人では上手にできないとき、心療内科に来てもらうんだよ」

「…それって」

精神科のようなものだろうか。先生は微笑んだが、何故自分が診察を受けなければいけないのか意味がわからない。自分は怪我なんてしていない。

「もしかしたら、真田君は心に怪我をしているかもしれないから、それを判断するための診察なんだよ」

「…俺、別に怪我なんてしてません」

「そっか。じゃあ簡単な質問をするから、それに答えてもらったら終わりにしようね。じゃあまず、学園生活はどうかな?」

「…普通、です」

「友達とは何のトラブルもない?」

「何も…。仲良くしてます」

「そっかそっか。じゃあ学校でストレスを感じたりはしてないんだね」

些細なストレスはあれども心を壊すほどのものは一つもない。

「じゃあ家族はどうかな?寮生活だけど、お正月とかは実家に戻るのかな?」

その質問に一瞬息を呑んだ。家族の質問になるとどう答えていいのかわからない。

「…戻りません」

「じゃあ、最後に会ったのはいつ?お母さんでもお父さんでもどちらでもいいよ」

「…東城に入学するために家を出た日」

「ずっと会っていないのは、何か理由があるのかな?」

理由は山のようにあるけれど、それを今会ったばかりの先生に曝け出すのは抵抗がある。
診察するには素直に話さなければ医者も困るだろう。でも言いたくないことは言わなくていいという約束だった。

「…話したくないかな?」

問われ、すみませんと謝った。

「いいんだよ。言いたくないことは言わなくていい。じゃあ、両親のことはどう思ってる?」

ぐっと拳を作って口を引き結んだ。家族に関すること何もかも話したくない。

「難しく考えなくていいよ」

「…あまり、いい感情は持ってません」

「そっか。昨日突然電話がきてびっくりしたんだね」

「…はい」

「どんな話しをしたかは言える?」

申し訳ないが首を振った。
これでは医者も困るだろうが、自分は医者に診てもらうような患者ではない。もっと困窮しているであろう患者が待合室にいたし、そちらを診てあげるべきだ。

「話せなくていいんだよ。じゃあこれで終わりにしようね。真田君、心が痛いなって思ったらもう一度ここに来てほしいな。倒れたとか、眠れないとか、何か身体に不調を感じたときは」

「…はい」

先生は最後に約束だよと微笑み、診察は終了した。車椅子を看護師に引かれ、待合室で待機していた木内先輩にバトンタッチだ。
病室に戻りもぞもぞとベッドに入った。

「なんで心療内科なんて連れてったんだ。俺が行くとこじゃない」

「一応だよ。ぶっ倒れた原因が貧血以外にあるかもしれねえだろ」

「…ふうん」

なんとなく気が塞いだ。
自分はそんな病になどかかっていないと信じたい反面、父親のことを思うとどうしようもなくなる。
手足が冷え、痺れていくような感覚と激しい動機で呼吸が浅くなる。電話という機械に追い詰められているような気持ちになる。

「俺ちょっと外出るから大人しくしておけよ」

再び先輩は部屋を出て、入れ違いで須藤先輩と蓮が顔を出した。

「ゆうき…」

蓮がこちらに駆け寄りながら心配したと呟いた。

「顔色が良くないね…。具合はどう?」

大丈夫だよと蓮の柔らかな髪をぽんと撫でた。

「須藤先輩、すいません。色々してもらったみたいで…」

須藤先輩に向き直って軽く頭を下げた。気にしないでと微笑まれ、ますます申し訳なくなる。

「それよりも昨日の仁は傑作だったよー」

面白い悪戯を思いついた子供のような笑みを見せて須藤先輩が言った。

「血相変えて僕の部屋に飛び込んできてね、ゆうきがーって大騒ぎ。普段の仁からは想像もできない動揺ぶりで。動画とっておけばよかったな」

「そんなこと言ってる場合じゃないですよ」

「あまりにも面白かったから」

須藤先輩はいい加減にして下さいと蓮に叱られたが、笑い話しにしてくれた方がこちらも気が楽になる。

「なにか寮から持ってきてほしいものはある?」

「いや、ただの貧血みたいだしすぐ退院できると思うし」

「…そっか。寮に戻ったら三食ちゃんとご飯食べないとだめだよ」

「えー…」

「えーじゃない!めちゃくちゃ心配したんだよ。楓や景吾も」

「…はい」

蓮はたまに口煩いが、叱りつけてくれる存在がどれほどありがたいかを知っている。
笑顔でなあなあにするよりも余程大事に思われている証拠だ。
でも咄嗟にうんざりした表情になってしまう。それを察して蓮の背後で須藤先輩が蓮を一度指差し、頭に角を作るようなポーズをしながら苦笑している。それを見て自分もふっと笑ってしまった。

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