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それから程無くしてモデルを務めた香水の広告は街や雑誌を飾った。

「ゆうきー、雑誌と香水買ったぞ」

自分の写真が載った雑誌を机上に広げながら楓に言われ、興味ないとそっぽを向いた。何が楽しくて自分の写真をまじまじと眺めなくてはいけない。顔なら毎日鏡の前に立つ度に見ているし、これ以上見たくない。

「俺も香水買った!すごいよー。街もゆうきだらけー」

遊びに行ったときに撮影したのだろうか、パネルで大きく飾られた広告を写した写真を景吾に差し出された。

「…やめろ。違うんだ。こんなにでかい仕事とは思わなかったんだ…」

一人ごちでみるが誰も聞いてくれず、景吾と楓は写真を眺めては女子高生のように騒いでいる。

「ゆうきも芸能人かー…」

「CMの次はこんなすごいモデルだもんねー」

「いや、もうねえから。マジでこれが最後」

理事長さえ変な取引を囁かなければCMにも出ていないし、勿論こんなモデルもしていない。人生、何処でどう道が逸れるかわからない。

「にしても今日もすごいギャラリーの数。元々ゆうきは有名人だったけど…」

CMが流れた後もこうだった。廊下から一目見ようと他クラスや他学年の生徒が賑わっている。
何がおもしろい。態々見に来る労力など使わずとも、至って普通の男子高校生だし、楓や景吾と変わったところなど一つもない。
頬杖をつき溜め息を零した。
軽々しく木内先輩の写真と引き換えにするには、とても代償がでかい仕事だった。気付くには遅すぎた。
けれども、その時は気付いていなかった。顔が売れることの一番のリスクというものに。
ギャラリーが増えるのも別に構わない。景吾や楓がはしゃぐのもいつものことだ。
そんなことは、取るに足らない出来事だ。本当の嵐が来たのは、それから一週間後のことだった。



金曜の夜、ゆったりとリビングのソファで寛いでいた。
最近は結城のオタク活動にもだいぶ慣れ、テレビから聞こえる黄色い声も、美少女フィギアも気にならなくなった。
結城はゲームやアニメに夢中で煩く騒がないし、自分の趣味がある分こちらに干渉もしない。程よい距離感というものも弁えてくれる。
仲良くお喋りを楽しむような仲ではないが、同じ空間にいても苦にならない。
人見知りの自分がここまでに至るには非常に困難な道のりだったが、結城のさっぱりとした性格や、空気が読むのが苦手にも関わらず気遣いな一面を見て悪い奴ではないと思えるようになった。
結城はぶつぶつよ独り言を呟きながらゲーム機のコントローラーを握りながらラグの上に着き、テレビに噛り付いていた。
自分はソファに着きながらラグの上に落ちていた雑誌を拾って開き、そしてそこにも自分の広告が載っていることに落胆した。

木内先輩は明日家の事情で実家へ戻るらしい。景吾も友人と遊ぶと言っていたし、相変わらず休日の予定は何も入っていない。
明日もいつも通り部屋で自堕落な時間を過ごし終わっていくのだろうと漠然と考えた。

「…真田君ご飯食べた?」

「ああ」

「そか。俺も学食行かなきゃなー…」

そうは言ったがゲームに区切りをつけられないようで、結局学食が閉まる時間になっても結城は動けずにいた。
結城は、部活のせいでいくら食べてもお腹がすくと景吾のようなことを言いながら、たんまりと即席麺やお菓子を室内に備蓄している。
しかし、それこそ運動部ならきちんと栄養を考えて作られている学食で食べた方がいい。
彼の心の中心にある二次元の前ではそれも塵芥だが。

風呂へ入り、結城におやすみの挨拶を交わし寝室の扉を開けた。
置き忘れたようにぞんざいな扱いを受けている携帯が光っているのを確認しそれを開く。
新着メール有の文字を確認すると景吾からで、なんてことはない日常の報告だ。
未だにメールは慣れずに、絵文字の使い方もいまいち把握できない。それでも一生懸命短い返信をし、再び携帯を机上へ放り投げた。
ドライヤーで髪を乾かし、そろそろ髪を楓に切ってもらおうとぼんやり考える。机上の携帯を手にし、ベットへ移ろうとしたとき手の中で携帯が震えた。
少ない友人の誰かか木内先輩だろうと予測して開いたが、そこには知らない十一桁の番号が並んでいた。
知らない人から電話が来るなど有り得ない。手が届く範囲の人間にしか番号は教えていないし、友人が勝手に他人に教えるとも思えない。
きっと間違い電話だろうとそれを無視し、電気を消しベットへ潜った。
それでも電話は鳴り止まない上、切れてはまた鳴りを繰り返す。
いい加減枕横に置いたそれの煩さにベットから上半身を起こす。着信履歴を見ればすべて同じ番号から。
心の中で舌打ちをし、間違い電話にしても程度があると悪態をついた。するとまた携帯が光り、着信を告げる機械音が響いた。
流石にこれは間違ってますよと相手に伝えた方がいい。そうでなければ一晩中鳴りそうなくらいしつこい。
マナーモードにし音を消せばそれでいいかもしれないが、今後も同じような目にあったらたまったものではない。
最高潮に不機嫌になりながら通話ボタンを押し、耳元へ近づけた。

「…はい」

思い切り不機嫌な声色になった。これだけ煩くされてもにこにこ笑えるほどできた人間ではない。
電話口の相手は何も言葉を発しない。間違いだと漸く気付いたかと、無言の相手にまた苛立ち、通話を終わらせてしまおうと思ったそのとき。

『…ゆうきか』

微かに名を呼ぶ声に、遠ざけた携帯を再び耳元へ寄せた。

『ゆうき?』

耳元で聞こえるその声が誰か把握した瞬間心臓が凍りついた。嫌でも忘れられない。忘れられるはずのない声だった。
ゆっくりと自分の身体から血の気が引くのを感じた。
――親父。心の中で呟き、その言葉にすら身体は拒否反応を激しく起こした。

『ゆうきだよな?』

「……な、んで…」

蘇る思い出はどれもこれも碌でもないのに全てが鮮明だ。走馬灯のように地獄の日々が一瞬にして土砂崩れのように身体になだれ込んでくる。
酒で焼けたようなしゃがれた声も、追い出されるようにして家を飛び出したあの日以来のものだった。
何故、何故親父が番号を知っているのだろう。何故今更連絡などよこしたのだろう。頭の中は恐慌状態に陥り、呼吸をするのも忘れていた。
しんと静まり返る部屋の中で、電話の向こうの親父の息遣いだけが頭に響く。

『元気でやってたか?今いくつだ?』

名を呼ばれる度に内臓すべてを鷲掴みにされたような気持ち悪さが襲う。吐き気がして急いで口元を手で覆った。
頭が白み、鼓動は早まり、手が微かに震える。
もう二度と会わないと思った。声も聞かないと思った。お互い連絡もしないで一生を終えるのだと思った。それなのに、どうして、どうして――。
折角忘れられたのに。友人に助けられ、木内先輩と出逢って、愛というものを知って、漸くその存在に蓋をしたのに。苦しみも、悲痛な叫びも、地獄以外の何ものでもない日々も、何もかも。
それなのに親父の声を少し聞いただけであの頃に戻ってしまう。自分は無力で、汚くて、誰からも愛されないクソガキだ。

『おい、返事くらいしろよ。久しぶりの会話だってのに』

声を出したくとも出ない。ただこれは現実なのか問うばかりだ。

『お前が家から出てどれくらい経った?すっかり変わっちまったな』

まるで今の自分を知っているかのような口ぶりに混乱を極める。

『見たぞ。CMも、広告も。最初は目を疑ったぜ。まさか自分の息子がこんなに有名人になってるなんてな。ますます母ちゃんに似てきたんじゃねえか?』

きっと今日も酔っているのだろう。親父の呂律は回ってはおらず、上機嫌であることがわかる。
あのときから五年が経とうとしているのに、この父親は何も変わっていない。周りの世界だけが進み、親父の時間は止まったままだ。
一言も言葉を発することができない。それでも親父は構うことなく饒舌に話した。

『…なんだ、俺はよくわかんねえけど、芸能界とかそういうのに入ったのか?お前は昔から顔だけはよかったもんな母ちゃんに似て。写真持ってさ、俺の息子だって皆に自慢したんだ』

息子。父の口から聞いた瞬間全身が粟立った。こんな底辺にいるような人間の息子であることを、心も身体も拒否している。血縁関係があることは確かだがそれを認めたくない。
変わったのだ。自分は変わった。友人に恵まれ、愛する人もできて、昔のような自分ではない。泣いて助けを求め、母親にすら蔑むような瞳で見られた自分は何処か遠いところへ去り、新しく生まれ変わったのだと、そう思っていた。

『それで、なんだ…。その芸能界ってのは稼ぎがいいんだろ?俺にもちっとは分けてくれねえか。お前の学費とか払ってんのはこっちだしよ。お前の学校高いだろ?母ちゃんが間違ってそんな私立に入れたもんだから、俺も大変なんだよ…』

自分はまともに働いてないくせに。一日中酒を飲み、潰れては怒号を上げ、物を壊し、母や自分を痛めつけた。東城の学費だって母が捻出しているはずだ。
何の用かと思えば金の話で、目の前が暗く、闇のまた底に溶けていくような気がした。強張った身体はぴくりとも動かず、喉は凍ったように言葉は出なかった。

『結構稼いでんだろ?少しだけでもいいんだよ。分けてくんねえかなあ。親孝行だと思ってよ』

謙ったように、媚を売るような声色に寒気がした。
自分の父親はこんな最低な男なのだ。息子からも金を貪り酒代にしようとするような。

『おいおい、久しぶりに話してんのに無視はねえだろ?俺は実の父親だぞ?…まあいい。またかけるから電話にはちゃんと出ろよ』

耳元で電話が切れたこと告げる機械音が鳴っている。
それでも耳元から電話を遠ざけることができずに自失した。

「……せん、ぱい…」

口からやっとのことで出た言葉は情人を求めるものだった。
頭の中は混乱を極めている。だからこそ会いたい。
今すぐにその胸に飛び込んで、これは悪夢なのだと宥めて欲しかった。
久方ぶりの会話が金の催促なんて、自分はなんて惨めでちっぽけな存在なのだろう。
力なく携帯を持った腕をだらんと下ろしベットから出た。ふらふらと覚束ない足取りで寝室の扉を開ける。
結城が相変わらずの様子でテレビに齧りついていた。

「あれ、真田君どうしたの?」

その答えに応える間もなく、愕然とした頭の中と身体は壊れた玩具のように動かない。

「…真田君?」

結城は怪訝な様子でこちらを見つめた。
焦点の合わない瞳で、けれども思うのはただ木内先輩に会いたいとそれだけだった。
なのに身体は言うことを聞かず、寝室の扉を開けたところで目の前がゆっくりと白んでいくのを感じた。
遠のく意識の中で結城が俺の名を声を叫ぶ声が聞こえる。
先輩に会いたい。大丈夫、何も心配いらないと言って欲しい。それなのに崩れ落ちるように夢の底へと引きずり込まれてしまった。

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