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ずらりと並ぶ車に視線を移すと、理事長の車に背を預けるようにしながら会長が携帯を操作していた。
慌ててそちらへ駆け寄り、待たせてしまった無礼を詫びる。

「お疲れ様、ゆうき君」

「お疲れ様です」

「あれ、その手に持ってるのって…」

最後に今日撮影したポラロイド写真を数枚もらったのだが、目ざとく見つかった。
見せて欲しいと言われおずおずと差し出した。

「すごいね。いつも綺麗だけど、もっと綺麗だよ」

誉められているのか、貶されているのかわからないが曖昧に頷いてみせた。
車の扉を開けると後部座席で理事長が微笑んでいた。
理事長の隣に誘導され、氷室会長は助手席へ。運転手さんへの合図と共に車が発進された。

「何が食べたい?和食?イタリアン?フレンチ?」

「なんでもいいです」

「一は?」

「うーん、あまり重くないの」

理事長はわかったと頷き、運転手さんに店名を告げる。それだけで車の進行を決めるのだから運転手さんはすごい。都内すべての地図が頭に入っているのだ。
理事長は終始ご機嫌で、会長から渡されたポラを眺めてご満悦だ。

「今回もゆうき君のおかげで借りを作ることができたなー」

そんな言葉を漏らしながら。


着いた先は赤坂の料亭だった。
豪奢な造りで自分など場違いも甚だしいと思い、理事長の後ろに隠れるようについて歩いた。
個室に通され、理事長に任せた料理の数々を胃袋に収める。
いつもは小食だがこの日は余程疲労を感じていたのか箸が止まらない。
繊細な味に舌鼓を打ち、お茶を啜る。
自分は喋る間もなく黙々と食べ、会長と理事長が交わす会話を流しながら聞いた。
午後九時を回ったところでそろそろ帰ろうと席を立つ。
料亭の前には二台の車が用意されていた。
一台はここまでの道のりで乗ってきたもの。そしてもう一台は、木内先輩をよく送迎してくれる運転手さんが乗ったものだ。

「ゆうき君、寮まで送ってもらって」

理事長に言われ小さく俯いた。

「すみません、色々…」

「いいんだよ。今日はゆっくり眠って疲れを癒して。広告が掲載されるのを楽しみにしているよ」

「…はい」

「それじゃあ、またね」

車に乗り込んだ理事長と会長に頭を下げ、自分も運転手さんに開けてもらった後部座席へ乗り込んだ。
氷室家に雇われているのに関係ない自分の私用に使わせてしまい申し訳なさを感じるが、運転手さんは労わるようにお疲れ様ですと気さくに声を掛けてくれた。

寮付近に近づけば、暗がりの中で一人の男が門扉に寄りかかっているのが見えた。ライトで照らし出された人物は木内先輩で、どうやら帰りを待っていたらしい。
先輩の横にぴたりと止まった車に、彼は運転手さんに悪いなと声を掛ける。そして運転手さんはまた、気さくな様子でいいえと笑顔で応えるのだ。
そんなやり取りを二人がしている間に自分で扉を開け、窓越しに運転手さんに頭を下げた。

「ありがとうございました」

言えば、彼はわざわざ運転席から降り、自分たちが見えなくなるまで頭を下げていた。プロだなあ。すごいなあ。ぼんやりと考えていると頭上から声が降ってきた。

「どうだった?」

「普通」

「普通って。もっとなんかあんだろ。こんなことあったとか、こんなこと言われたとか」

そりゃ、色々あったし、色々言われた。
言葉にするのが苦手なので普通の一言で片づけたのだ。

「…理事長が来た」

「え、マジ?」

「うん。会長もいた。帰りにご飯食べてきた」

「えー。スタジオ入れるなら俺も行けばよかった」

「来なくていい」

「いつ発表?」

「知らない」

「ポラは?」

「理事長が欲しいって言ったからあげた」

「はあ?それを楽しみに待ってたのに。後で盗むわ」

「そんなことしなくても本物がここにいるしいいじゃん」

「馬鹿野郎、それはそれ、これはこれだろ」

ばしっと背中を叩かれ理解できないと吐き捨てた。
自室へ戻るか木内先輩の部屋へ行くか迷い、後者を選んだ。
同室者はアニメ観賞の真っ最中だろうし、疲れた身体に甲高く可愛らしい声は少しきつい。
三年になった木内先輩は一人部屋で、それは前からわかっていたはずなのに、部屋に神谷先輩がいないことに落胆した。
室内は物が少ないせいでがらんとしており、ますます部屋が広く感じられた。
先輩の自宅の部屋と同じようにモノトーンで揃えられたここは、カラフルな自分のリビングより落ち着く。
ソファに深く座るとお茶が入ったペットボトルを投げられ、それを一口飲んで深く息を吐き出した

「随分お疲れだな」

「めちゃくちゃ疲れた…」

「だろうな。だからやめとけって言ったのに」

あんな賄賂を前にしたら断われるわけがない。今日の疲労に値するものだと勝手に思っている。
今でもたまに部屋でそれを眺めては、胸が優しいもので包まれる。
同一人物だとわかっているが、今では想像もできないほど可愛らしい笑顔とあどけない寝顔、泣き顔、すべてがきらきらと光っている。
写真の向こうの彼にほっこりすると共に、自分が知らなかった過去を思い出すと胸が痛むけど。
一度も先輩の涙を見たことはないが、理事長の前で見せたそれは濁りのない美しさだったのだと思う。
隣に座る彼を見てそんな風に思った。

「…なんだ?」

「別に」

彼にもそれなりに辛い過去があったと、人に聞かなければわからなかった。それくらい彼は自信に満ちていて、怖いものなしで強く見える。
過去は過去として、それを乗り越える努力をしたからだろう。それに比べて自分は過去に囚われ、いつまでもそこから動けずにいる。
弱い証拠であり、自分も木内先輩のように強くなりたいと願うがなかなかうまくいかない。
今でもたまに思い出すのだ。真っ暗闇の、そのまた先にいるとき。父親の怒声と母の悲鳴。力ずくで身体を弄ばれたこと。それを見てしまったときの母の表情。
闇の中にいると幼い頃の記憶が襲い掛かり、仕舞いには夢に出ては苦しめる。
木内先輩と付き合うようになり、精神的に安定してきたと思ったが、心の中でしこりになって存在している。
きっと一生、自分が年老いたときですらそうして思い出してしまうのだと思う。
機械のように消去ボタンがあればどんなによかったか。叶わぬとしても願わずにはいられない。

「風呂は?入るか?」

「…シャワー浴びる」

「そうか。疲れてるだろうから、今日は早く寝るぞ」

「うん」

頭の中を空っぽにしたくてシャワーの最後に水を被った。
リビングに戻れば、彼は開いていた雑誌を放り投げ寝室へ行こうと腕を引いた。
ドライヤーで髪を乾かし、狭いシングルベットの中、抱きかかえられるようにして身体を小さくした。

「あ、そういえば、香水貰ってきた…」

「お前の広告の?」

「うん」

帰り際に相川さんにもらったのだ。いくつでもあげると言われたが、自分と先輩の分の二個だけもらってきた。景吾や楓にもあげようと思ったが、おしゃれな人間は香りにもこだわりそうだし、好みがあるだろうからやめておいた。

「一個あげる」

「おー、サンキュ」

「気に入るかわかんねえけど。鞄の中に入ってるから…」

「気に入らなくてもつける」

彼は髪に鼻を埋めるようにしながら腰をぐっと引いた。

「またお前が有名になっちまう」

頭上で響く声は掠れていて、一度胸が大きく高鳴った。この声に自分は弱いと心底嫌になる。特に小声で囁くようなときの声。

「…ならない」

「なる」

「ならないよ。素人だから検索しても名前は出ないし、事務所に入ってるわけでもないし」

「どっかの馬鹿が写真ネットに上げてる。制服姿だったからうちの生徒だろうな。隠し撮りなんてされやがって」

「えー…。消してくれよ」

「一回ネットにでたら完全に消すのは無理。…あーあ」

「あーあって。なんだよ」

「…なんか俺だけのお前じゃなくなるみてえで嫌じゃん」

拗ねたような口調に思わず顔を上げた。

「…子どもみたいなこと言うんだな」

「子どもだもん」

「そうだった。態度でかいから忘れてた」

嫌味を言うと思いきり背中を抓られた。
痛い、やめろとベッドの中で攻防し、自分たちは何をしているのだと正気に戻る。
上がった息を整え小さく言った。

「有名になってもならなくても、俺は変わらない」

「…そうだな。お前が離れていくような気がして落ち着かなくて」

「…遠くになんていかない。あんたの傍にいる」

「…そうか」

彼は噛み締めるように言い、髪を梳くって口付けをした。
彼の傍以外に行くところなどない。この場所を失ったら自分には何も残らない。息をする意味も失ってしまう。
狂気染みているとわかっている。
それでも、闇の中から引き釣り出してくれた彼の傍以外何処へ行こう。そんな場所があるのなら教えて欲しいくらいだ。

「……広告載るの、楽しみにしてる…」

「片っ端から雑誌買うのだけはやめろよ」

「なんで」

「金の無駄。どうせ理事長がアホみたいに買うし」

「だってどっかのクソ野郎のオカズにされたら嫌じゃん」

「香水の写真オカズにする奴はいねえよ」

「わかってねえなお前は」

「そんな変態あんただけだ」

小さくごちて、彼の胸に耳をぴったりとくっつけるようにした。
心臓の音を聞いて、消えない香水の香りを吸い込む。彼がここにいる。この香りを嗅ぐと強く実感できる。
それは魔法の薬のようにひどく安心する、精神安定剤なのだ。

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