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部屋で景吾から借りた雑誌をぺらぺらと捲りながら暇を持て余していた。理事長との密会から三日が過ぎていた。
同室は今日もご機嫌良好で、その信じられないテンションから逃げるように、個室のベットの上に転がっている。
なんといっても、リビングにいる限り同室が遊ぶ恋愛ゲームのセリフが耳に入り居た堪れない。
それが景吾がプレイするようなアクションゲームならばどんなによかっただろう。
テレビはリビングにしかなく、自分にはよくわからないゲームやDVDBOXが並べられ、機器周辺は鮮やかな髪色とド派手な衣装の美少女が並んでいる。
好きにしろと言ったはいいが、そういう世界を初めて覗いたものだから、慣れるまでは毎日少しずつの接触にしようと思っている。
いつかそれが当然になり、自分も結城と共にアニメを観賞するのだろうか。
また一ページ雑誌を捲るとノック音がし、それに短く答える。
顔を出したのは同室者である結城篤志だ。

「お客様だよ」

結城の後ろから現れたのは木内先輩。
用事がある度無遠慮に呼び出すくせにわざわざこちらに出向くなんて。どんな風の吹き回しだろう。

「よお」

先輩は腹這いになっていたベッドに腰掛け、一枚のメモをこちらに寄越した。

「日時と場所だ」

何のことかさっぱりわからないままメモを眺めた。
一瞬の間の後ああ、理事長かと小さく溜め息を零す。メモには今週の土曜日、朝の八時に迎えの車に乗ること、と書かれていた。

「お前、今度はどんな手を遣われた?」

「なにが?」

「これだよ。広告のモデル」

「…別に。前より楽だって言ってたし、金ほしいし」

「金ならあるだろ。親父からのお年玉も、この前のCM出演料も。あれだけで当分は食っていけるだろ」

「今はいいけど、卒業したら必要だし、貯金できるだけしないと。家借りたり、家具用意したり。今のままじゃ足りねえし…」

仁には秘密だよと言われたので話すわけにはいかない。恋人が相手でもだ。
正直に話せば写真を焼却処分されるに違いない。
それに、金がほしいのも事実だ。親からの援助はないに等しいし、バイトも禁止されているのでこのままでは無一文で社会に放り出されることになる。
金があれば心にも余裕ができる。職業も多少選ぶ権利が与えられる。

「ほんとかよ。なんなら俺から親父にいい加減にしろって言っとくけど」

「いい。写真を一、二枚撮るだけだって言ってたし」

「けどな、お前わかってんのか?広告に使われるってことは、どこの街に行ってもお前の写真が貼られるってことだし、どんな雑誌にも載るってことだ」

「大袈裟なんだよ」

「アホか。広告のモデルって大した仕事なんだぞ」

「そんなすげー会社が俺を使うわけねえだろ。ちょっとネットに載る程度だろ?」

「お前…。これだから困る。ブランド、聞かなかったのか?」

木内先輩は溜め息をわざとらしくつき、腕を組みながらこちらを睥睨した。

「別に。興味ねえよ」

「…そうかよ。後でやらなきゃよかったって後悔すんなよ。泣いても助けてやれねえからな」

彼は大袈裟に脅すけれども、一流ブランドがこんな子ども、しかも一般の高校生にイメージキャラクターとしての依頼をすると思うか。
日本の片隅に自分の写真が飾られるのは一向に構わない。一々そんな写真など誰も気に留めないだろうから。
それくらいお気楽な気持ちで受けた仕事だ。
しかも木内先輩の子ども時代の写真に釣られるという大変お粗末な条件で。

「…俺、ついてくか?」

「いらねえよ。赤ん坊でもあるまいし」

「あ、そ。まあ、楽しみにしてるよ。どんな広告になるのか」

「あんたには見せない」

「馬鹿言え。お前が隠せない規模で載るっつーの」

「載らない」

下らない押し問答を続けていると、彼は観念したようにベットから立ち上がった。

「せいぜい頑張れよ」

最後にこんな皮肉が篭ったセリフを吐き捨てて。


撮影当日、起きたのは迎えが来る八時ぎりぎりだった。折角の休日にゆっくり眠れないのは残念ではあるが、仕事なのだから仕方がない。
簡単に仕度を済ませ寮の校門へ向かった。
門を抜けると黒いBMWの傍に立っていたスーツ姿の男性がこちらに向かって頭を下げた。つられて自分も一礼する。

「おはようございます。私、西田と申します。どうぞ」

後部座席の扉を開けてもらい、ぺこぺこと頭を下げながら乗り込んだ。
車内には自分と西田さんの二人きり。
車内で打ち合わせでもするのかと思っていたので拍子抜けし、車の心地よい揺れに任せて瞳を閉じた。
起こされたときには車は既にスタジオの駐車場に停車しており、眠気眼を一度擦る。

「ああ、いけませんよ。眼を擦られては」

西田さんに制され、仕方がなく瞳にあてた手を下ろした。
彼に先導され撮影に使われるスタジオへ案内される。真っ白な背景の前にはキングサイズのベットが設えられ、カメラや照明などの複雑な機材がずらりと並べられ、皆忙しそうに動き回っていた。こちらに気付く者は誰一人としていない。
西田さんは簡易テーブルで数人と打ち合わせ中だった中年の男性に耳打ちをする。
すると、その男性がこちらを振り返り微笑んだ。

「おはようございます。広告担当の相川です」

握手を求められそれに応じた。一礼すれば、相川という中年の紳士は満足気に頷いた。

「真田さんのCMと雑誌の写真、拝見しましたよ。本当に、普通の高校生とは思えないなあ」

「…はあ」

「良い作品にできるよう頑張りましょうね。西田、真田さんをメイク室へ」

「かしこまりました」

相川さんは手短に西田さんへ伝え、先導されるままメイク室へ入る。
いい加減こんな体験も慣れてきたが、男なのに化粧を施されるのは怯んでしまう。女性は毎日これをしているのだと思うと感心する。

担当してくれたメイクさんはとても会話が上手で、無口で人見知りな自分でも気負わない程度に話せた。柔和な声色とは反対に瞳は真剣で、鏡に映る顔を何度も確認し調整を続ける。
メイクさんの話しで今回の商品となる香水は、ユニセックスらしく、見る人によって性別が変えられる中性的な人間を選んだと知った。
今に見てろ。ごりごりの男顔になってやるからな。誰に言うでもなく悪態をついた。

前回のCM撮影を思い出し、今度は衣装合わせだろうかと想像していたが、化粧と髪をセットされると何の捻りもないただの白いシャツを着させられ再びスタジオに戻ることになった。ズボンなんて自分が穿いてきたもののままだ。
首を傾げながらも、西田さんに同行してもらいスタジオのカメラの前に立つ。
カメラマンは外国人で、西田さんは通訳も務めてくれるらしい。
イメージはカメラマンへ伝わっているようで、流暢な英語で西田さんと短く会話を交わし、そしてそれを西田さんが自分に伝えるという面倒な手順を踏む。

「カメラテストをしますので、シャツを脱いでベットの中へ移動お願いします」

「脱ぐんですか…?」

「はい。といっても、映るのは肩くらいまでですので…」

女性ではないのだから、上半身が映ったところで何の問題もないが、こんな貧相な身体を晒すのは躊躇われる。
広告担当の相川さんとカメラマンは何度も打ち合わせを交えながらテストは終了した。
少し動く度に髪を直され、本番が始まってもいないのに疲労を感じる。
写真の写りにより照明も調節され、そして誰しもが真剣そのもので、空気も緊迫したものだった。
お気楽気分で仕事を請けたが、しっかり期待に応えなければと思える。

終に本番に入るようで、説明された通りベットの上へと寝転んだ。
枕に足を向け、腹這いになり、腕を枕のように組んでカメラを見る。表情の細かい注文やシーツの波打ち具合など、作業は非常に細かいものだった。
一つの作品を作り上げるとは、こういうことなのだと実感する。
それぞれがプロ意識を持ってきっちりと仕事に向き合っている。だからこそ、たかが高校生の自分が何故選ばれるのかは理解できない。
広告は商品の顔だ。それで多少売上も変動するだろう。
売り上げが振るわなくとも、俺を選んだ人間の責任だとわかっているが、ずっしりと重いものが自分の肩に圧し掛かる。
仕事をするというのはこういうことなのだろう。

「もう少し挑発的な表情を、と要求しております」

「…そう言われても…」

そんなものを要求されてもこちらは素人だ。カメラマンにとっては素人だろうがプロだろうが己の持てる技術を駆使し、最高の作品にしなくてはいけない。わかっているが混乱する。

「恋人の一人や二人はいらっしゃるでしょう?その方を思い浮かべてみてはいかがでしょう」

冗談めいた口調で西田さんに耳打ちをされた。二人もいねえよと心の中で悪態をつく。
こんなことなら、先輩に付き添ってもらった方がよかったかも。彼を見れば自然とそんな表情にでもなるだろう。
だけどここに彼はいない。一度瞳を瞑り、恋人をなるべくリアルに思い出した。
その間も、シャッターは絶え間なく切られ、枕代わりにした腕に顔の輪郭を預けるようにしてレンズを見詰めた。
写された写真は、即PCへと移動するようで、モニターの前でスタッフがそれを見ては常に相談を続けている。
相川さんのOKが得られなければ、そのイメージに合わなければ、延々とこの作業が続けられることとなる。

「右手を髪に添えて」

「頬杖ついて下さい」

西田さんにあらゆるパターンを指示され、その度にポーズを変える。合わせて、表情の指定までつくのだから難儀だ。
一枚、二枚撮れば終わるよと言った理事長の言葉とそれを鵜呑みにした自分を悔いる。

途中休憩も交えて昼食がとられ、またメイクと髪を細かく直しながら撮影は続く。
何パターンもの写真を撮っているし、細かい修正も入る。なかなか相川さんのイメージには合わないようで、やはり自分では役不足だっただろうかと、安易に引き受けてはいけない仕事だったのではないかと後悔するも、時既に遅しというやつだ。

「OK!」

相川さんからその言葉が聞けときは心底ほっとした。
ベッドの上で大きく溜め息を吐くと身体から緊張が解れていった。
一つの仕事を終えた拍手が湧き上がりこちらも頭を下げた。自分が素人だからこんなに時間もかかったし、皆の時間を奪ってしまった。
一人一人に視線を走らせながら頭を下げると、その中に理事長の姿を見つけた。
スーツのポケットに手を突っ込みにこやかに微笑んでいる。
どこぞの紳士然とした雰囲気は相変わらずだが、自然と睨んでしまった。聞いていた話しと違うではないかという恨みを込めて。

「お疲れ、ゆうき君」

理事長はこちらへ近付き労いの言葉を掛けた。

「…どうも。来てたんですか…?」

「うん。と言っても、さっきなんだけどね…。どうだい、今から夕食に行かないか?一も一緒なんだ」

「…でも俺…」

「たまにはおじさんの相手もしてほしいな」

目尻の皺を濃くした表情は木内先輩に重なるものがある。自分はこの人に弱い。思わず頷き、そのあとで後悔する。

「じゃあ、地下の駐車場にいるからね」

理事長はぽんと肩を叩き、相川さんと挨拶を交わしている。
スタッフにシャツを渡されそれに腕を通す。ベッドの端に座り凝った肩を回して解す。
ああ、本当に疲れた。もう絶対にこの手の仕事は受けない。終わる度に思うが、今後も理事長の掌で転がされる気もする。

「真田君、お疲れ。いいものができたよ」

相川さんの声にはっと顔を上げた。

「すいません、俺が素人だから時間かかっちゃって」

「そんなことないよ。プロのモデルだってこれくらいの時間はかけるさ。広告なのだから、よりいいものを追及するのは当然で、君が素人とかそういう問題ではないよ」

「そう、ですか…」

「うん。とてもいい作品ができたよ。君にして正解だった。イメージにぴったりはまった!」

「…だと、いいんですけど…」

「広告が掲載されるのを楽しみにしてて。また一緒に仕事しようね」

最後に握手を交わし、相川さんはスタッフの元へと去った。
西田さんに誘導され、メイク室へ移動しメイクを落としてもらう。服も着替え、まだ作業を続けるスタッフさんや相川さんのスタジオへ戻った。
西田さんは二度、こちらへ注目するようにと手を叩いた。全員の視線がこちらに注がれ思わず後ずさる。

「真田さん帰られます」

西田さんが言えば、あちらこちらからお疲れ様でしたと頭を下げられ、こちらこそと、自分も深く一礼した。

「カメラマンが、また真田君を撮りたいとおっしゃってましたよ」

「いや、俺は…」

そんな日は二度とこない。

「海外でも日本でもとても有名なカメラマンです。厳しい人で誰かを気に入るのは珍しいんです」

「…それは喜んだ方がいいんですか?」

「はは、プロのモデルが聞いたら飛んで喜ぶところですよ」

西田さんはぽんぽんと背中を叩きながら口に手を当て笑った。駐車場まで送ってもらう道すがら、欲が前に出ないからこそいい写真が撮れたのかもしれないと何度も励ましてくれた。
運転手に通訳に高校生のガキのお守り。今日一番世話になったのは西田さんだ。
まだ仕事があるという西田さんに向かい、お世話になりましたと頭を下げる。
こちらこそ、と柔和に笑われ、仕事ができる男は最後まで完璧だなあとぼんやり考えた。

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