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入学式も無事に終わり晴れて全員二年へ進級した。
自分が一番危ぶまれていたが、そこは鶴の一声でなんとでもなると木内先輩が約束してくれた。
公平ではないと思いつつ、皆と離れ、また一年同じ授業を繰り返すよりはましだと大いに甘えさせてもらったのだ。
景吾と楓とは同じクラスになれたが、蓮と秀吉は残念ながら離れてしまった。進学クラスへと進んだ二人は、成績からいっても離れてしまうのは予想内だったがやはり少し寂しい。

二年に進級しても勉学はおざなりで、先輩としての意識をと言われてもそんなものはぴんとこない。
校内では真新しい制服を着た一年が楽しそうにはしゃいでいて、去年は自分たちもあんな風だっただろうかと眺めた。兎に角、二年になっても生活スタイルは一切変わっていない。同室者が変わったことと、蓮と秀吉が同じ教室にいない。ただそれだけだ。

昼食、景吾と学食に向かった。楓は香坂先輩から呼び出しを喰らい、そちらへ向かっている頃だろう。
適当なランチを食べ、予め購入していたペットボトルのお茶を飲み込んだ。
そのとき、後ろからぽんと肩を叩かれ振り向けば秀吉の姿があった。

「あー!秀吉久しぶりじゃん!」

景吾は言うが、今朝も話したばかりだ。以前は学園にいる間中一緒に行動していたものだから、少し離れただけでも郷愁に駆られてしまうのは皆同じらしい。
秀吉の隣では景吾と同室の麻生が微笑んでいる。

「二人で飯か?」

「そうだよー。楓は香坂先輩のとこ。秀吉は?」

「俺は麻生と。クラス一緒やねん」

「知ってる。俺同室だし」

「俺も知ってる」

「ああ、せやったな」

「学と秀吉クラス一緒なんだー」

景吾が麻生に対して言えば、彼は笑顔のまま頷いた。

「仲良くなったんだね」

「あー、まあ、席も近いし…」

「そっか。学、秀吉のお世話頼むな」

「はは、甲斐田を世話する必要なんてないだろ」

「あるよ。秀吉へたれだから」

「なんやと景吾」

じゃれ付く秀吉と景吾を横目で眺めながら、ペットボトルの蓋をきゅっと回転させた。
その時賑やかな学食にまで響き渡る校内放送が流れ、自分の名が確かに呼ばれたのだ。

『二年B組真田ゆうき、至急理事長室まで来るように』

「…ゆうき、なにしたの?」

「今日は珍しく理事長さんおるんやねー」

「早く行った方がいいかもね。理事長からのお誘いだし」

三人はそんな風に言うが驚きすぎて呆気にとられた。
放心すること数十秒。なにはともあれ行かなければと、お茶を片手に席を立った。

「無事に帰って来いよ!」

大袈裟に手を振る景吾にわかってると一言残し、理事長室を目指した。
理事長室は職員室と同じフロアにある。
学食からならゆっくり歩いても十分もかからずに到着するが妙な胸騒ぎに自然と足も速まる。
何故自分が呼ばれたのだろう。
確かに理事長とはプライベートでも付き合いはある。木内先輩の家にお邪魔すれば、三回に一度くらいは顔を合わせているし、色々と世話にもなっている。
しかし学園でこんな風に呼び出されたのは初めてだ。
理事長自に呼び出されるほどの校則違反や罪を犯しただろうかと考えてみたが、思い当たるふしはない。
どれもこれも、担任である浅倉に叱られて済まされるような軽罪である。
首を捻りながら一応制服を整え、理事長室をノックした。他の部屋とは明らかに違う重厚な落ち着いた木製の扉を。

「どうぞ」

すぐに中から返答があり、そしてその声は紛れもなく氷室誠一、木内先輩の父親のものだ。

「…失礼します…」

恐る恐る扉を開けると、来客中だったらしく、細いストライプが入ったダークグレーの細身のスーツを華麗に着こなすインテリがいた。
ローテーブルの上に書類が整然と並んでいたが、インテリはこちらを確認するとそれを理事長の机上に置き、頭を下げて下がってしまった。

「お邪魔しました…?」

呼ばれたのはこちらなのだから理不尽な責めを受ける筋合いはないとしても、仕事を邪魔するつもりはなかったのだ。

「ああ、いいんだよ。丁度帰るところでね。うちの弁護士先生だ」

「…そうですか…」

黒い革張りのスプリングの利いた椅子に座る理事長は、腹の前で両手を組みにっこりと微笑みながらこちらを見詰めた。

「ささ、座って」

ソファを指差され素直に従った。

「ごめんね。お食事中だっただろ?」

「いえ…」

わかっているのなら貴重な昼休みに呼び出すのはやめて欲しい。

「今日は珍しく暇ができてね。ちょっと学園にいようかなーって」

「はあ…」

そしてその暇つぶしに自分が選ばれたというのか。特に用事がないなら帰してほしい。いくら理事長が相手でもご機嫌取りは御免だ。

「CM、素敵だったね」

「あー。どうも…」

その話題には触れて欲しくなかった。
ほとぼりが冷めるまでにかなりの時間がかかったし、数日学校を休んだ。
教室にいれば他のクラス、他の学年から自分を見学するため廊下がごった返すし、友人たちからもどうしてこうなったのだとしつこく詰め寄られた。
だから嫌だったの。理事長が脅したせいでこんなことに。

「高岡さんも随分気に入ってくれたらしいし、車の売り上げもかなりいいらしい。君のおかげだと言ってたよ」

「いえ、そんなことはないですけど」

自分が映ったのは最後の数秒で、どちらかと言えば木内先輩が主役だし、そもそも商品の性能が素晴らしかったから売れているのだ。自分たちは企業努力にほんの僅か力添えをしたに過ぎない。

「それでね、君を是非芸能事務所にと知り合いに言われてね?」

興奮気味な言葉にフリーズし、長い溜め息を吐いた。

「…理事長、言ったんですか?」

「ああ、あの子は私の可愛い生徒だよって皆に自慢しちゃった」

いい親父が可愛らしい笑みを作ったところで許される問題とそうではない問題がある。
今回は後者であり、今後一切、あのような仕事はしないと自分で決めている。
表に目立って出るようなタイプではないし、華やかな芸能界など自分とは正反対で住む世界が違う。何より面倒だ。

「知り合いのプロダクションの社長さん数名が是非って…」

「お断りします」

きっぱりと意志の篭った声で言う。理事長は苦笑しながらふう、と溜め息を吐いた。

「…そう言うと思ったよ。ああいった仕事は嫌いかい?君の容姿は一般人にしておくのは勿体無いと思うのだが」

「俺は地味に生活したいんで…」

「そうか…。それは非常に残念だ。目の前のダイヤを溝に捨てる気分だ」

「話がそれだけなら…」

「いやいや、ちょっと待ちなさい」

これ以上何を話すことがあるというのだ。
もう二度と理事長の手には乗らない。絶対に、何があっても、だ。
理事長は椅子をくるりと回し自分に背を向けた。大きな窓からはこれから緑豊かになる中庭が見えるだろう。

「……仁のことなのだが…」

木内先輩の名が出てびくりと肩を揺らした。急な話題の転換に動揺したが、彼になにかあったのかもしれないとごくりと喉を鳴らした。
背を向けたまま理事長は静かに話し続ける。

「…何故あの子が氷室ではないか、聞いたことはあるい?」

「…前に会長に…」

「ああ、一が言ったのか。離婚したのは仁と一がとても小さい頃で。親権で揉めに揉めたけど、仁は元奥さんが引き取ってね」

木内先輩の知られざる過去を夢中になって聞いた。
彼は自らのことを話したがらないし、会長が教えてくれなければ苗字が違う理由も知らなかっただろう。

「それで、五歳くらいまでかな。元奥さんの実家で暮らしていたんだが、ある日会社に仁が一人でやってきてね。私のところで生活したいと泣いたんだ。その時言われた言葉は今でも覚えてるよ。パパは僕のこと嫌いで、お兄ちゃんのことは好きなの、だから捨てたのって」

今現在の木内先輩しか知らないので簡単には想像できないが、その言葉にぎゅっと胸が潰れそうに痛くなる。

「私は仁を抱き締めて絶対どこにもやらないと約束したよ。元奥さんのご両親に必死に頭を下げた。しかし、戸籍だけでもいい、木内家においてもらうと言われて。それでも、仁が嫌悪を示した家にはもう二度と戻さないつもりだ。名前だって、いつか氷室に変えてみせる。それくらいの力を私はこの数十年で築いた」

いつも適当でふざけたような笑みしか見せない理事長から語られる息子への愛は意外なほど重かった。
父子家庭で自分も忙しい身だ。二人の子供を育てるのは容易でなかっただろう。
それでも覚悟を決めて、会長のことも、木内先輩のこともここまで立派に育て上げた。立派な人だと思う。

「仁がね、久しぶりに三人で夕食を家族で摂ってるときに言ったんだ。お兄ちゃんとお父さんと暮らせるのが嬉しいと。あの仁が」

不覚にもうるっときた。幼かった木内先輩は小さな身体でどれほどの感情を我慢しながら暮らしたのだろう。自分も幸福な家庭ではなかったので、重苦しい辛さはよくわかる。

「暫くは一と私にべったりでね。会社まで着いて来ては秘書に遊んでもらったりしたものだよ」

「…そんなことが…」

「その頃の写真があるんだけど、見るかい?」

「見たいです」

即答で答えた。あの木内先輩の幼い頃の写真となれば興味がそそられるのは当然だ。そんな可愛らしい発言もすらすら言える二度と戻らない純粋な時代。
理事長はこちらに向き合うと、デスクの引き出しの中から一冊のアルバムを差し出した。
アルバムを開くと生まれた直後から、丁度幼稚園に入る頃までの彼の姿がある。
動物園のライオンの檻の前で半分泣いている姿。広大な向日葵畑で向日葵に負けないくらい眩しい笑顔。自宅の庭の簡易プールで会長とはしゃぐ姿。雪だるまを作りながら鼻を赤くしているあどけなさ。
今のように短髪ではないし、目つきだって悪くはない。笑みを見せ、時には涙し、幼い木内先輩の思い出がぎっしりと詰まっていた。

「…可愛いですね…」

「そうだろ?今はあんな風になってしまったが、それでも心は変わらず優しい子だと思っている」

確かに木内先輩は父親として理事長のことをとても尊敬している。それほど理事長が愛情をかけて育ててきたという証しだ。

「写真、ほしくない?」

「…いいんですか…?」

「勿論。仁には内緒だよ?それと…お願いしたいことが…」

「…まさか」

「今度は香水の撮影。モデルの仕事だから、前回のような大変な想いはしなくて済むし、一日で終わるよ」

温和な笑みを浮かべながら交換条件を差し出された。なるほど、この写真と思い出話は自分を釣る手段か。
急に彼の過去を教えてくれるなんて変だと思ったのだ。語られた内容に嘘はないだろうし、聞いてよかったと思うけれど。
お断りします。きっぱり言えたらどんなに溜飲が下がるだろう。
口を開けたがアルバムの中の幼い木内先輩が心を離さず、すぐにきゅっと口を引き結んだ。

「…本当に楽ですか?」

何を口走っているのだ自分は。もう一人の自分が冷静になれ、口車に乗るなと警告している。だけど目の前の欲に抗えない。

「写真をちょーっと撮るだけだよ。スタジオだから一般人のギャラリーもない。どうかな?」

どうしよう、どうしよう、どうしよう。
表には出たくない。憎んでいるこの顔を他人の目に触れさせたくない。決心する度あどけない木内先輩の笑顔に心がぐらりと揺れる。

「…なんなら、もう一枚つけよう」

理事長に手渡されたのは七五三の写真だろうか、千歳飴を手に持った袴姿の先輩だ。
きちんとしたスタジオで撮られたもので、はっきりと整った精悍な顔立ちには面影があった。

「やります」

思わず口走った。これには参った。流石の自分も敵わない。
理事長は本当に自分の一番脆い部分を心得ている。
今回も汚い手段と言っても過言ではないが、こんな宝物をもらえるなら写真くらい撮らせてやる。

「ゆうき君は本当にいい子だね。嬉しいよ。詳細は追って仁から連絡させる。ああ、それから、このこと、仁には内緒だよ?」

理事長は人差し指を口元に立てながら笑った。

「用件はそれだけ。貴重な休み時間を割いてもらって悪かったね」

「いえ。失礼します…。あの、これ、ありがとうございます…」

写真を両手でしっかりと掴みながら一礼した。
写真を見ると笑みが零れてしまう。表情が乏しい自分だが、幼い彼を見ていると自然と口元が優しく緩む。
大事な宝元として部屋に隠し、落ち込んだときは幼い彼に慰めてもらおう。
仕事を半ば強引に押し付けられたというのに、頭の中を占めるのは先の仕事への不安よりも、幼い木内先輩のあどけなさだった。

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