心の座
景吾と部屋が離れ離れになったのは木内先輩の差し金だと聞き、彼にこう言った。一週間口を利かないからなと。
そんな風に裏から手を回せるなら、今年も景吾と同じ部屋にしてくてもよかった。
勿論、木内先輩がそんな風に職権乱用せずとも、景吾と部屋を離れる確立はとても高くて。だから、ただの八つ当たりなのだが苛々はおさまらなかった。
この自分が、景吾や楓たち以外と仲良く同室者として生活できると思っているのか。
この性格を知っているからこそ、景吾と同室にしてくれてもよかったではないか。
それこそ職権乱用になるのかもしれないが、彼には容易い。なのに、なのに。
荷物を新しい部屋に運びながら深々と溜め息を零した。
「んじゃねゆうき!お互い片付けがんばろねー」
「ああ」
心の中は部屋割りが発表されたあの日から曇ったままだ。いったいどんな奴なのか、名前も聞いたこともない相手に思いを馳せ、景吾たち以外の友人なんてもうこれ以上いらないと心に何重も扉を閉める。
どんな奴でもいいけれど。寝室があるのだから、そちらに引き篭もっていれば、然程同室として接することもないだろう。
一応部屋をノックしてからレバーに手を掛けたのだが、向こう側から勢いよく扉が開かれ、同室になるのであろう結城篤志が顔を出した。
「どうも!」
「…どうも」
「一年間よろしく!」
「…こちらこそ」
よろしくするつもりなどこれっぽっちもなかったが、社交辞令を口にした。それくらいの愛想は景吾のおかげで身についた。
段ボールを両手に抱え、室内に入る。
二年の部屋には何度も出入りしているので目新しさはないが、広々した部屋を自分が使えると思うと軽く感動した。
リビングにはソファもテーブルも備え付けられているし、何よりも自分一人の部屋が持てるのが嬉しい。
景吾と一緒ならそんなものは必要ないが、赤の他人となれば話は別だ。
一人なら落ち着いて眠れるだろうし、相手に気を遣うこともない。マイペースと言われる自分の性格には一人部屋がお似合いだ。
ダンボ―ルを寝室へ入れ、洋服を取り出す。
これといって荷物も多くはないが、木内先輩からの贈り物である洋服の数が半端ないことになっていると、荷造りをして改めて気付いた。
捨てるわけにもいかず手元に置いているが、自分には必要ないと何度も何度も忠告したのに。今後一切、貢ぎ行為はやめさせよう。
クローゼットに適当にしまい、他の私物もその辺に放り投げた。
三往復もすればすべてを運び終わり、一息つきながらベッドに背を預けて座った。
なんとなく同室者を思い浮かべる。
結城篤志という人物の正体は知らないが、背も同じくらいで、懐っこく快活な笑顔を見れば社交的な部類だとわかる。少し景吾に似たものを感じ、なんとなく安堵した。
すると、寝室をノックする音と共に結城が顔を出した。まったく、苗字が自分の名前と同じとは紛らわしい。イントネーションの違いで聞き分けるしかない。
「よかったらこれどうぞ」
ペットボトルのお茶を差し出され、短く礼を言った。
そういえば、景吾と初めて一緒の部屋になったときも、こんなことがあったなと思い返す。
あのときは苦手な炭酸を渡され戸惑ったものだ。景吾に対しても敵意むき出しで。
今思えば、そんな自分を馬鹿だと思う。あの景吾に敵意を向けるなど、一生を持ってしてもあの頃だけだ。
「俺、生の真田君をこんな近くで見られてちょっと感動した」
「はあ…」
「部屋割り発表見たときから友達に真田君と同室だぜーって自慢して」
「あ、そう…」
素っ気無い言葉を返すが、結城はめげる素振りも見せずにこやかに微笑んだままだ。
「あの、不躾な質問だけど真田君木内先輩と仲良いよね?」
この学園で木内先輩を知らない人物はいないし、自分が彼のお手つきだという噂も光りの早さで広まった時期があった。
特別学園内でそんな雰囲気を出したわけではないが、あの木内が男に惚れたのだと騒然とした、らしい。
そのお陰で自分は変態に触れられることもなくなり、平和を取り戻せたけれど。
噂はすぐに他のターゲットへ移り、自分と木内先輩は仲が良い先輩、後輩というポジションでおさまったらしい。
あの木内が男に走るわけない。いくら相手が真田でも。すばらしい着地をしてくれたので、こちらも胸を撫で下ろしたものだ。
その時だけは彼に付き纏う女性関係の武勇伝に救われた。
「…まあ」
結城はきらきらと輝く瞳をこちらに向け満面の笑みで言った。
「二人はすごくお似合いだと思う!」
「…はい?」
もしかしたら結城は最初の噂しか聞いておらず、それを信じているのではないか。事実だが未だそう思っている奴を目の当りにすると頭が痛くなる。
「木内先輩、すごくカッコイーし、真田君も綺麗だし――」
結城は聞き取れないほどの音量で何かぶつぶつと話している。木内先輩の顔を褒めた部分しか聞き取れない。
「それにしても本当に綺麗だね。同じ男なのにこの差はなんだろうね?俺なんて部活のせいであちこち痣だらけだし…」
空手部に入っているという情報と共に、腹や背中にある痛々しい痣を見せられた。
「CMもすごかったね。俺録画して何回も見たよ!」
「あれは俺じゃない」
「またまたー。真田君みたいな男がもう一人いたらびっくりだよ」
誉めるつもりだろうがそれは自分には禁句だ。この顔のせいで今まで様々な災難に見舞われてきた。柳のように武器にできればよかったが、生憎得したことなど一度もない。一度本気で焼いてしまおうと思ったこともあった。
以前なら一々食って掛かって吠えていたが、そういう連中相手には反射的に暴言を吐かず、適当に流す術も覚えた。否定すればそれだけ相手もむきになると知ったのだ。
はいはい、そうですねー。そんな反応を続ければあちらが勝手に飽きる。
「あ、あとさ、俺ゲームとかアニメ見るのが趣味なんだけど、リビングで見てもいいかな」
「別に構わないけど」
「マジか。よかった!」
ゲームなら景吾もよくしていた。携帯のアプリゲームや、小型のゲーム機で。
この歳ならほとんどがそれで遊ぶと思うし、許可をとる必要もないと思うのだが、結城がリビングから持ってきたゲームのパッケージを見せられ許可をとった意味がわかった。
美しいイラストで美少女数人がこちらに笑みを浮かべている。
「こういう感じなんだけど」
「…あー、なるほど」
所謂オタクというものらしい。テレビでしか見たことがなかったので、パッケージには驚いたが別に気持ち悪いとは思わない。
こちとら男と付き合っているのだし、二次元でも三次元でも女性に目がいくだけ健全だと思う。
「別に、いいんじゃね?俺はよくわかんねえけど、嫌ではないし」
「わー。真田君て綺麗なだけじゃなくて男前だ」
結城は腕組みしてうんうんとしみじみ頷いた。
別に、他人の趣味に口を挟む方がおかしいと思っただけで。
人に迷惑かけず、犯罪でないならどんな趣味でもいいではないか。むしろ、趣味と呼べるものがあるのは素晴らしい。自分など無趣味の極みだ。
「じゃあ、リビングにフィギュアとポスター飾ってもいい?風呂にも張りたいし、トイレとかも」
部屋中美少女に占領されるのを想像し、首を左右に振った。
「風呂とトイレはなし。なんか落ち着かない」
「じゃあリビングはいいってこと?」
「好きにしろ。俺の部屋に張らなければそれでいい」
「っしゃー!ありがとう真田様!」
拝むポーズをされ、随分元気なオタクだと思った。自分のイメージするオタクは物静かで、控えめで、ゆったりとした空気を纏っている。しかし結城はそれのどれにも当てはまらない。
大きな口を思い切り開けて笑うし、空手部と言うだけあって背は大きくないが腕にはしっかり筋肉が乗っている。
「もし興味湧いたらゲームでもアニメでも漫画でも貸すから」
「…興味湧いたら、な…」
「うっす!じゃあ、さっそく飾り付け作業に移らせて頂きます」
結城は立ち上がり、敬礼をしてみせると嬉々としてリビングへ向かった。
人をとやかく言えた立場ではないがマイペースな奴だ。
色んな生徒がいる中で、何故こうも濃い奴と知り合ってしまうのだ自分は。
深々と溜め息を吐く。
恐らく彼は他人に危害を加えるようなクソな人間ではない。趣味を持ち、自分の世界を確立させている分、他人には無関心でいてくれるかもしれない。
きっと、恐らくはいい奴という部類に入るのだろう。運動部ではつらつとしているし、あのコミュ力なら友人も多いはずだ。
虐めっ子や暴力上等の脳筋と同室にならなかっただけ幸運なのに、これから一年彼と上手く付き合っていけるかと聞かれると曖昧にしか頷けない。
だから景吾と一緒がよかったのに。
もう百回以上ごちた愚痴で、すぐに決まったことだからと思い直す。だけどやっぱり――。
堂々巡りで自分がどれほど景吾に依存してきたのかまざまざと見せつけられた気分だ。
「ゆうき」
僅かに開かれていた扉から景吾が顔を出した。
数時間しか離れていなかったのに酷く懐かしく思うし、心の底から安堵した。
「景吾…」
助けてくれ。口走りそうになって慌てて呑み込んだ。景吾の隣には長身の見知らぬ男が立っている。
「片付け終わった?あ、これ、俺の同室者の麻生学君」
麻生と呼ばれた人物は軽く頭を下げ、こちらも僅かに会釈した。
「景吾、人に向かってこれ、はないだろ」
「あ、あはは!ごめんね、悪気はないんだよ?」
注意すると景吾は誤魔化すように笑い、麻生は気を悪くした素振りもみせずいいんだよと微笑んだ。
何やらとてもできた男に見える。景吾がだめならせめてこの麻生と同室になりたかった。
「さっきさ、ゆうきの同室の結城君?に会ったけど、結構いい人っぽいじゃん」
「…どうだろな」
「ゆうきまた関係を持たないようにとか思ってるでしょ。ダメだよ、ちゃんと仲良ししないと」
景吾は人差し指を立てながら言った。それにはいはいと適当に相槌を打つ。
「あれ、ゆうきがお人形なんて珍しいね」
机の上に置かれた結城のフィギュアを景吾がひょいとつまみ上げた。
「それ同室者の。オタクなんだと」
「そうなんだ。俺も漫画とか好きだし、仲良くなれそう」
景吾は美少女フィギュアにも動じず、すべてをポジティブに解釈して笑った。
こいつくらいの心の広さと深く考えない潔さがほしい。
「んじゃ、まだ片付いてないみたいだしお邪魔しないように戻るよ」
こちらに向かってぶんぶんと手を振られ、小さくそれに応える。
麻生は控えめに頭を下げ、自分もそれに倣う。心の中で景吾をよろしくお願いしますと言いながら。
自分の同室者もなかなかに強烈なキャラだが、景吾もそれに負けないほど強い。
騒がしい、散らかす、色んなことを忘れる。手のかかる五歳児のようだと常々思っていた。それを上手く操らなければストレスが溜まるだろう。
随分柔和な空気を纏っていたし、自分たち以上にしっかりしていそうなのであまり心配はしないが、苦労をかけますと娘を嫁に出す父親の気分になる。
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