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「かーえーでー」
景吾が楓と蓮の部屋をノックしながら扉を開けた。同時に行ったらノックの意味がないだろうというつっこみはもうやめた。
あの怒涛の撮影から三週間近く経とうとしていた。
学園に戻ってくれば、あれは夢だったかと思うほどに、いつも通りの生活に戻った。東城の制服を着て、退屈な授業を受け、教師に怒られ皆で笑顔を交わす。
高岡さんからは、素人の自分に払うには多すぎる額のギャラを木内先輩経由でもらい、手をつけずにしまっている。
それを見るたび夢じゃないのだと思うと同時に、最終段階で没になり放送されなければいいと悪足掻きをした。
けれども、毎日同じことを繰り返すうち、そんなこともすっかり頭から抜けた。
派手ではないし、平凡な毎日だが、やはりこの場所が一番落ち着く。
「楓蓮ー、ご飯行こう」
「あー、だな」
いつものように二人の部屋を訪れ、四人で秀吉の部屋へ行き共に夕食を食べる。
食事が終われば自販機で飲み物を買って、談話室で他愛ない話しをした後それぞれの部屋へ戻る。お決まりのパターンを今日もこなした。
「あー満腹。幸せ」
「相変わらずの食欲で」
「あー、でもデザート食べ忘れた!」
「部屋に置いてるの食え」
「だな!」
景吾は冷蔵庫からプリンを取り出し、スプーンで掬いながらテレビを眺めている。
その間に風呂にでも入ろうかと、クローゼットからパジャマ代わりのスウェットを引っ張った。
「景吾、俺先風呂入るな」
引き出しの奥から、パジャマを無理矢理取り出しながら言ったが返事がない。
「景吾?」
怪訝に思い後ろを振り返ると、彼はプリンが乗ったスプーンを口元で固定したまま固まっていた。
「おい、具合でも悪いのか?」
顔を覗き込んだが、目が点になったままうんともすんとも言わない。
「おい、大丈夫か!?」
肩を揺さぶればプリンも一緒に揺れている。
「ゆ、ゆうき…」
景吾は壊れたブリキの玩具のように、ぎぎぎぎ、と音がしそうなほど不自然にこちらを振り返った。
「なんだ?」
「…ゆうきが、テレビの中にいる」
「は?」
「今!ゆうきと木内先輩がテレビの中にいた!」
景吾の叫びを聞いて、しまったと顔を強張らせた。こんなに放送が早まるなんて知らなかった。
どうやら今日が放送日らしい。なんと説明していいのかもわからず、曖昧な笑みを景吾に向けた。
「なんで!なんでなんで!」
今度は逆に景吾がこちらの肩を揺さぶった。
「あー…。あれは俺じゃない」
「うそー!木内先輩とゆうきだったよ!」
「似た人だろ」
「違うって!絶対ゆうきだよ!俺が間違えるわけないじゃん!車のCM、なにあれ!」
捲くし立てられ、説明するのも面倒になって必死に笑って誤魔化した。
「そんな顔してもだめ!」
すると今度は部屋の扉が大袈裟に開き、蓮と楓が顔を出した。
「ゆうきがテレビの中にいたー!」
景吾と同じことを言うな。
蓮にいたっては、完全に困惑した様子で口を開いては閉じている。
「木内先輩とゆうきがいた!なにあれ!どうなってんだよ!」
煩いのが増えた。益々面倒くさい。
「ゆうきがテレビの中におったー!」
もういいよそれは。
楓が開けっ放しにしていた扉から転げ落ちるように秀吉が入って来た。
「いたよな!やっぱゆうきだったよな!俺見間違いかと思った!」
「いや、あれは絶対ゆうきや!木内先輩もおったし!」
「ゆうき、いつの間に芸能人になったの?」
「ゆうき説明しろ!」
「わかったからちょっと…」
「ゆうきが芸能人!?ちょ、サインもらってきて!」
誰のだよ。
「えー…。ゆうきが遠くに行っちゃう」
「蓮泣くな!晴れの門出だ!」
「ゆうき説明しい!」
「そうだよ!俺に黙ってひどいー!」
うざい、うるさい。
ベットに座る自分を取り囲むようにして、それぞれが思いのままに口にするからたまったものではない。
こうなるだろうと思ったから嫌だったんだ。
無を決め込もうとした瞬間、ドラマがコマーシャルに移り、皆はテレビに視線を移した。
「あ!CMに移った!また流れるかも!」
「ビ、ビデオ!ビデオセットしなきゃ!」
「今時ビデオはない」
「ちょ、どうしよう!俺てんぱってる!」
「わかったからCM見いや!」
四人は床に揃って正座しテレビに噛り付いた。どうか流れませんように。願ったが、あの手のCMは番組中何度も流れる。
半ば諦めの気持ちでちらりとテレビに視線を映す。
自分も完成したものはまだ見ていない。木内先輩の家に送られてきたらしいが、興味がないと見なかった。
「こい!こいCM!」
「楓声大きいよ?」
「これが黙ってられるかあ!」
いや、黙ってろよ。
眉間に寄った皺を指で摘むと、ナレーションと共に爽快な音楽がテレビから聞こえた。
「きたあ!」
まさかと思い、そちらに視線を向けると、木内先輩が海辺を走っている横顔が流れている。
じっと前を見詰め、ふいに窓の外に視線を移すとニヒルに微笑んでいる。
「木内先輩ー!」
「男前やー!」
「カッコイー先輩ー!」
「十七歳が運転って大丈夫なの…?」
最早四人の叫びに深い意味はない。
「ゆうき!そろそろゆうきくる!」
海辺を走っていた先輩は京都の街を抜け、竹林が茂る傍までやって来る。
その景色に足を絡めとられたように出来心で車内から降り立つと、直衣姿の俺が竹林の中から姿を現す。
鞠を持ち、木内先輩に気付いたかのように顔を上げる姿が、先輩の後ろ姿と共に画面一杯に広がっている。
そして木内先輩を睨むような表情が映し出され、先輩が手を差し伸べる。
ゆっくりと、鞠が地面に落ちる瞬間がスローモーションで流れ、次の瞬間には自分と先輩の指が触れそうなところで光りが包み、社のロゴが流れて数十秒のCMが終わった。
「やっぱゆうきだ!」
「ゆうきだよな」
「せやな、ゆうきや…」
「木内先輩もいた…」
「真田!」
今度は誰だ。それよりも、扉を閉めろ秀吉。
「真田と仁が今テレビに…」
大慌てで部屋へ来たのは柳だ。四人同様、興奮した面持ちで息を切らしている。
CMを見てそのまま部屋まで走ってきたらしい。
「真田、なにあれ!ってかあれ、真田と仁だよね…?」
「絶対ゆうきだ!」
「ゆうき説明してよー!」
「せや!俺ら感動中なんやから!」
「すごいねゆうき。CM録画しなきゃ」
「それより説明!」
「あー!うるせえ!」
「ゆうきがキレた…」
いくら自分でもキレる。
さっきから耳元でぎゃーぎゃーと。説明しようにも、話す暇がないほどに捲くし立てる。
「あれは俺でも木内先輩でもない。ってことで俺は風呂に入る」
スウェットをぎゅっと握り五人を残してバスルームへ逃げた。
「ゆうきが逃げた!」
「ゆうきー!」
「説明しいやー!俺眠られへんやろ!」
鍵をしっかりとかけ、扉に寄りかかるようにずるずるとその場にしゃがみこんだ。
明日からこんな毎日か?
色んな人にあれはなんだと言われなければいけないのか?
自分はともかく、先輩の顔は全校生徒が知っていると思うし、大変なのは彼の方かもしれない。
今頃香坂先輩や須藤先輩に同じように捲くし立てられ、同じようにキレているに違いない。
ああ、平穏な日々が音を立てて崩れていく。自分は芸能人ではないし、一介の高校生だ。
皆と何も変わらないただの高校生。
理事長の我儘に少しだけつきあっただけなのだ。
それなのに、それなのに。
暫くは学校を休もう。それくらいの我儘を言う権利はある。
「ゆうきー!」
「ゆうき出てこいー!」
「完全に包囲されているぞー!」
「あ!またCM流れるかも!」
「せやな!テレビの前でスタンバイせな!」
「皆、テレビ見るぞ!」
「おー!」
扉の向こうの声に、ただ溜め息を零した。
兎に角、今は目先の厄介事を追い払う術を考えなければ。
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