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大きなバス、所謂ロケバスと言われるものに乗り込み撮影場所へ移動した。
竹林が茂るこの場所は観光名所でもあり勿論人も多い。
その中で撮影に向けて準備が行われており、観光客は何の撮影だろうかと遠巻きにそれを眺めている。
もしかしたら、著名人に会えるかも、なんて俄かな期待を抱いているだろうが、ここにいるのは残念ながら一般人で普通の高校生だ。
「真田さん入りましたー。よろしくお願いしまーす」
ロケバスから下り、機材や人がごった返す場所へと覚束無い足取りでよちよちと歩いた。
汚すなと言われれば自然とこんな歩き方になってしまう。
随分高価なものだろうと、自分にもわかるし、こちらとしても綺麗なものは汚したくない。
「真田君、よろしくね」
監督にぽんと肩を叩かれ慌てて頭を下げた。
「よろしく、お願いします…」
「木内君の方の撮影は順調だから、そろそろこちらに来ると思うよ」
「はあ…」
「先に木内君の撮りがあるから、真田君は待ち時間が長いと思うけど…。退屈だったらスタッフに雑誌でも買いに行かせて」
「いえ、大丈夫です…」
王子のように傍若無人に振る舞えない。自分は普通の高校生だ。これが柳なら秒で買いに行かせただろうが。
「じゃあ、木内君が来るまで確認作業と、リハーサルしようか!」
「今ですか?」
「うん、何か他にしたいことある?」
「いえ…。人が多いので」
「ああ、ここは有名な観光地だからね…。まあ、気にせずにどーんと!芸能人なんですって胸でも張って!」
「いや俺一般人ですし…」
「こういうのはびくびくした方が負けだよ!胸張って、ね?」
監督は豪快に笑い、ばしっと背中を叩いた。
監督は豪快に笑いながらスタッフの元へ行ったので、痛いという抗議の言葉は彼に届かない。
観光客は益々こちらに興味深々のようで、人も徐々に増えていく。この中で撮影などたまったものではない。
知り合いが絶対いないのがせめてもの救いだ。
「ねえねえ、あの男の人誰かな?」
「芸能人でしょ?」
「見たことないね」
「モデルとか?カッコイーね!」
「うん、カッコイー。写真撮ってもいいかな」
「怒られるかもよ」
「えー…。握手とかは?」
「写真一緒に撮ってくれないかなあ」
どーんと、ねえ。こんな状態で…?
残念ながら芸能人でもモデルでもないし、今あなたたちが目にしているのは一介の高校生で、一般人ですよ。そう大声で言えたらどんなに気が晴れるだろう。
そうすれば興味もなくなり、人もはけるだろう。
「真田さん、顔色が悪いですよ?」
「…早速疲れてます」
「何か好きな飲み物でも買ってきましょうか」
「いえ、自分で行くんで…」
「その格好で、ですか?」
「あ…」
「ふふ、内田くーん!」
「はーい!」
内田君、と呼ばれた人物は、昨日から使いっぱしりにされているスタッフだ。
どうやら一番下っ端らしい。
「飲み物買ってきてほしいんだけどいいかな?」
「はい、何にしますか?」
「真田さん、何がいいですか?」
「あ…。温かいお茶を…」
「わかりましたー」
「すいません、お願いします…」
ぺこりと頭を下げると、内田君は目を丸くしてこちらを見詰めた。
「あの…」
「あ、すいません…。すぐ行ってきます」
彼はこんな真冬だというのに、走り回っているせいで額に滲んだ汗を拭いながら、颯爽と去って行った。
「真田さんみたいに低姿勢な方は珍しいんですよ」
内田君の驚きの理由を説明するかのように平川さんに微笑まれた。
「いや、俺一般人なんで…」
「CMに出たらもう一般人ではないですよ。木内さんは多少我儘らしいですけど」
「ああ、あの人はお坊ちゃまだから…」
「氷室グループの御曹司さんですもんね。御曹司でその上あの容姿、羨ましいですね」
「はあ…」
ぽっと頬を赤らめたのは気のせいだろうか。
たかが高校生だと見くびってもらっては困る。彼は生まれながらに支配する側の人間で、内側の自信は見る者の目にはっきり映る。"普通"ではないのだと。
女性なら一度は交際してみたい部類に入るのかもしれない。立派なコネクションになるだろうし。
「真田くーん」
監督に大きく手招きをされ、平川さんに助けられながら近づいた。
「絵コンテは見てもらえたから、なんとなくわかると思うんだけど」
「はい」
「あそこら辺で撮ろうと思うんだ。太陽の光り次第で変わると思うんだけど」
「はい」
「真田君は小道具を持ってもらって、カメラを見て。木内君が手を伸ばしたら、ゆっくりとその手を握ってね」
「わかりました」
「平安時代の貴族だから、雅な感じでお願いね!」
「雅、ですか…」
「うん。まあ、大丈夫だと思うけど。何もしなくても雰囲気が雅だし」
「…はあ」
「じゃあリハいきまーす!」
監督はもう一度、両肩をぽんぽんと二度叩くと簡易椅子に腰を下ろした。
スタッフに同行され撮影場所へ移動する。
ああ、胃が痛い。
こんな大勢で作られる作品の主役が、自分なんかでいいのかと重圧に押しつぶされそうになる。
小道具の鞠を手渡され、メイクさんが髪を直し、衣装さんが着物の崩れを直す。
よーい、という監督の掛け声と共にカメラが向けられ、竹林の中から少しずつ、ゆっくりと道へ進み、そして木内先輩の代役と見詰め合い、カメラを睨めばOKが出た。
「真田君、上出来上出来!」
わけがわからぬまま、頭を空にして指示された通りにしただけ。演技というほどの演技もない。歩き、カメラを見るだけ。
幼い子でもできる行動なのに監督は必要以上に褒めちぎった。
「瞳に力があるから、それを本番でもお願いね!けど、もっときつく睨んでくれてもいいかな。平安時代の君にとって、木内君は得体の知れない宇宙人みたいなものだからね、警戒してくれていいよ。あと、歩き方だけど…」
監督が隣に立ち、身振り手振りを交えて確認してくる。
「こんな感じで、もう少しゆっくり歩いて。長さとかは気にしないで。編集でどうにでもなるから」
「…わかりました」
「真田君はあんまりリハをやらない方がよさそうだ。変に演技っぽくなっても困るし。あとは木内君が来たら一発勝負にしよう」
「はあ」
「木内君が来るまで少し休んでて!」
こちらは休めても監督は休めないようで、再びスタッフに声をかけられ、そちらへ向かってしまった。
世話をしてくれている平川さんにお疲れ様ですと声をかけられ、ベンチコートをかけられた。
夢中で忘れていたが気が抜けると一気に寒さを感じる。
「お茶買ってきてもらいました」
「あ、すいません」
温かなお茶を両手で包み込み頬にあてた。
「すいません、平川さん」
「なに?」
「あの、あちらの方が真田さんと握手したいと…」
「もう、一々そんなの取り合ってたらきりないでしょ」
「すいません…」
「真田さん、どうします…?」
「いや、どうもこうも、俺一般人なんで…」
「もし嫌なら断って下さって構いませんよ?」
しかし、わくわくと、こちらを気恥ずかしそうに見詰められては。
ここで断ったら滅茶苦茶高飛車で感じが悪い奴で、SNSでふるぼっこにされるだろう。
それはまだいい。自分の悪口ならいくでも好きに書いてほしい。でも、そのせいで会社が悪く言われたら。理事長を困らせたら。
ぐるぐると考え、ここまで来たらなんでもありだと思った。
「…写真以外なら」
「すみません。無理なさらなくて大丈夫ですから。内田君真田さんの傍について、きりがいいところあげてきて。皆が集まって来たらこちらに戻すのよ」
「わかりました。すいません…」
「いえ、俺と握手しても何の徳にもならないと思いますけど…」
内田君に連れて行かれた先には、十名前後の観光客だろうか。中年から、女子大生風の若い女性、幼い子どもまでより取り見取りだ。
最初に内田君に声をかけてきた同い歳くらいの女性のもとへ近づいた。
そちらを見れば、頬が俄かに朱に染まった女の子が、二、三人できゃっきゃと騒いでいる。
こういうのには慣れていない。男子校なのだから、女性に免疫がない。木内先輩ならば上手くかわせるのかもしれないが、なんと言葉をかけていいのかもさっぱりだ。
「握手だけで、写真はNGですので」
内田君が声を掛けると、何度も頷いた女の子たちはこちらにおずおずと手を差し出した。
その手をやんわりと握ると、いきなりの奇声にびくりと肩が揺れた。黄色い声という例えがあるが、なるほど、色に例えれば確かに黄色だ。奇抜で、度肝を抜かれる色。
次々に差し出される手を、同じように優しく握る。
「あの!お名前聞いてもいいですか?」
「真田です…」
「何の撮影ですか?」
「車のCMで…」
「応援してます!ファンになりました!」
次々に声を掛けられ、どれに反応していいのかわからない。
人混みは一層増し、ただでさえ動きずらいのにぎゅうぎゅうと押され目が廻る。バーゲンのワゴンに入れられた気分だ。
頼りの内田君も収拾がつかなくなったことへ狼狽しているのか、おろおろと弱気な声で押さないで、写真はやめてと声にするだけだ。
もみくちゃになりながらも袴をぎゅっと握られた感覚にそちらに目を移した。
小さな子供が、珍しそうにそれを引っ張り慌てた母親に止められている。
「こら!だめでしょ!すいません、本当に…」
「大丈夫です…」
「あの、この子とも握手してもらっていいですか?」
母親に抱きかかえられた男児は、テレビの中のヒーローを見詰めるようにきらきらと瞳を輝かせた。
そんな瞳を向けられても、こちらは本当に、ただの高校生なのだが。なんとなく罪悪感がじわりと広がる。
普段は東城の制服を着て、そこら辺を歩いている、変哲もない一般人だ。
しかし断るわけにもいかず、小さな、紅葉のような手を一層優しく握った。
「よかったねー」
「うんー」
喜んでもらえたならそれでいいけれど。
次は旅行中のOLだろうか。二十代半ばくらいの女性の相手だ。俺はホストか。心の中でごちる。
すると、握手をしていた女性の瞳が自分を通り過ぎ、後ろへ注がれた。
この女性だけでなく、すべての視線が。
怪訝に思い後ろを振り返れば、ベンチコートを着た木内先輩が、スタッフに同行され現場へやって来たようだ。傍には久保さんの姿もある。
「誰、誰あれ!」
「やばいカッコよくない!?」
「あの方もCMに出るんですか!?」
「あ、まあ…」
「えー!絶対見る!あの人とも握手したいー」
「写真!写真撮りたい!」
深まる黄色い声に、耳を塞ぎたくなったがどうにか耐えた。
木内先輩はこちらに気付いたようで、何をしているのだお前はと視線で語る。
どうすることもできずにいると、仕方がないとでも言いたげに助け舟を出すべく、先輩がこちらへ近づいた。
すると必然的に耳元の声も高さを増すわけで。
鼓膜が破れそうだと、悪態をつきながら彼の存在にほっと安堵した。
ゆうき、と先輩が口を開こうとしたのがわかった。
しかしそれよりも早く、女性陣が先輩に押し寄せる。
「あの!握手して下さい!」
「私も!」
「私もお願いします!」
「…握手…?」
ちらりとこちらを見る。言いたいことはわかっている。お前は今までそんなサービスをしていたのか、と。
呆れた様子で笑顔を作ることもなく、先輩は差し出された手を一つ一つ、事務的に握った。
「一緒に写真撮って下さい!」
「あ、写真はだめですよー」
「えー!」
「いいじゃん一枚くらい!」
「けど…」
「俺も写真はあんま好きじゃねえんだ。悪いな」
内田君が言っても聞かなかったくせに、先輩がそういえば、渋々と言った様子で構えていたデジタルカメラを下げた。
「木内さん、真田さん、監督が呼んでます」
見かねた平川さんが助け舟を出してくれた。
黄色い声に包まれながらも、先ほどの男の子に小さく手を振りその場を離れた。
とはいっても、そんなに遠くない距離で、まだあの子たちがこちらを眺めているのがわかる。
先輩と共に最終確認を監督とし、陽が暮れるまでもう少し待機と指示が出た。
バスは車が通れる道にあるのでここから戻るには少し遠い。
用意されていた簡易椅子に先輩と並んで腰を下ろし、すっかり冷めてしまったお茶を飲み込んだ。
「俺も飲みたい」
手を差し出されたのでそれを渡し、ふっと吐息を漏らした。
「撮影、大丈夫だった?」
「ああ、なんとか。別に、ただ車に乗って前見てればいいだけだったし」
「ふーん」
「それより、お前その衣装似合うな。和風の顔立ちだから」
「すげー邪魔だけど」
「勿体ねえから写真撮って親父に送るか」
先輩はベンチコートの中から携帯を取り出すと、嫌がる言葉には耳を貸さず、それを写真に収めた。
「親父も喜ぶ」
「また色んな人に見せなきゃいいけど」
「それは難しい注文なんじゃね?また皆に自慢すんだろ、どうせ」
「…面倒くせえ」
色々なことが。
遠巻きに、傍観していた観客がこちらにカメラを向けるのがわかった。こうしているときの写真はOKなのだろうか。
いや、禁止してもどうせ意味をなさないとスタッフも諦めたに違いない。
「写真やだな…」
「諦めろ。お前が引き受けた仕事はこういうことだ」
「俺には不向きすぎる」
「せめてスタジオの中の撮影ならな」
「こんなに人が多いなんて思わなかった」
「観光地だからな」
「…疲れた」
「あと少しだから頑張れ。東京に帰ったら、親父にめちゃくちゃ高い肉驕ってもらおうぜ」
「…うん」
なんだか無性に景吾や楓が恋しい。秀吉の関西弁も、蓮の笑顔も。
早く皆のもとに帰りたい。まるで、母親と引き剥がされた幼子のようだ。
いよいよ陽が暮れ始めたのはそれから一時間も後だた。その間、毛布で身体を温めるようにと準備されたり、飲み物のおかわりをもらったりと、至れりつくせりだったが、寒さに耐えながらそのときを待つには、大きな辛抱が必要だった。
まずは車を止めて、木内先輩が車内から降りるシーンから。
一発で終われるように頑張ろうねと監督は笑ったが、仕事となると厳しい瞳に変わるそれを見れば、とても一発で終われるとは思えなかった。
陽が沈むのは早い。時間との戦いでもあるという言葉通り、撮影は急ピッチで行われた。
木内先輩は一発でOKだったようで、今度は先ほどリハーサルをした自分のシーン。
一時的に、通路を封鎖するわけだから、通行人の迷惑にならないようにと思うと、気持ちばかりが焦った。
「真田君落ち着いてー、さっきのリハと同じ感じでいいからねー」
「はい」
すっかり意気消沈してしまった自分を見かね、先輩がぽんと頭を撫でてくれた。
先輩のことも待たせている。これが終わらなければ二人のシーンには移れない。
「緊張してんのか?」
「んなことない、けど…」
「普段のお前で充分って言われたんだから大丈夫だ。カメラの後ろに立っててやるから」
「…うん」
実際に設定では木内先輩を見つけるわけだから、彼がいてくれればその方が楽だ。
いつも通り、別に演技を必要とするわけでもない。歩いて、顔を上げるだけ。いつも通りでいいんだ。
自分に言い聞かせ何度目かの撮影に臨んだ。リハーサルと監督の言葉を思い出す。
雅な感じって、どんな感じだと、つっこみを入れながら、カメラの向こうの木内先輩を見詰めた。
「はいオッケー!真田君リハよりよかったよ。じゃあ今の感じで、そのまま二人のシーンいこうか」
流れを崩さないようにと、休む間もなく目まぐるしくカメラもスタッフも動き回る。
木内先輩はこちらにゆっくりと手を伸ばし、持っていた鞠を落とした俺は、その指先に手を絡める。
なんてことないシーンのように思うが、ここが一番重要なのだという監督は、表情の指定を繰り返しながら数回撮り直した。
OKの言葉を聞いた頃は、陽が暮れる寸前だった。
「お疲れ様ー!」
監督がこちらに呼びかける。
やっと終わったのだと思うと、緊張やら、疲労やらが身体に圧し掛かった。
「おつかれさん」
「…うん。やっと終わった…」
お風呂にも入りたいし、早く眠りたい。何よりこの衣装を早く脱ぎたい。
「二人とも上出来!出来上がるのが楽しみだね!」
「お疲れ様でした…」
「これから、スタッフは片付けと編集作業に移るから、二人は先にホテルに帰ってゆっくり休んでね」
「…はい」
こちら以上にスタッフは疲れているはずだ。撮影が終わったからといって、そこで仕事が終わるわけではない。皆、睡眠も削って頑張っているのだ。そう思うと弱音を吐いた自分が情けなくなる。
「久しぶりにわくわくした仕事だったよー。ありがとう」
「…こちらこそ、ありがとうございました」
最後にもう一度、監督と握手を交わした。
「また一緒に仕事がしたいな。君たちと」
「…いえ、最初で最後だと思いますけど」
「はは、そう言わずに、また仕事しよう!」
熊のように、毛むくじゃらの顔をくしゃっとさせたので、こちらも引きつった笑顔を作った。
「真田さん、木内さん、お疲れ様でした。ホテルに向かいますので、バスへ移動お願いします」
平川さんに誘導され、最後にスタッフ全員に深々と頭を下げた。
「お疲れ様でしたー!」
「お疲れ様でーす!」
あちらこちらから声をかけられ、その度に会釈した。
バスに乗り込んだときには、すでに病に侵されたかのようにげっそりとした顔つきになっていたに違いない。隣の先輩も酷い顔だ。
終わった。やっと終わったのだ。
高岡さんと理事長の我儘はヘビー級で、それに一々つきあっていたらいつか身が滅びるかもしれない。金輪際で終わらせてもらおう。
今は仕事をやり遂げた思いと、重度な疲労に我儘を言ってもいいだろうかと、隣の先輩の肩に寄りかかった。
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