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誘導された先はホテル一階のティーラウンジだ。
臙脂の上質な絨毯が敷かれ、擦れ違う人たちも皆、一目で上質とわかる衣服を纏っている。
方々に胡蝶蘭や季節の花が生けられ、それが華やかにホールを彩り、けれども控えめに存在していた。
迎えに来た男性は、二人の女性と、一人の四十代半ばほどの男性が座る席の前でぴたりと歩みを止めた。
こちらに気付いた三人はにこやかに微笑み立ち上がった。その中の一人の女性に手を差し出される。
「初めまして、久保と申します」
いかにも仕事ができそうな女性は、グレイのパンツスーツに、髪はきっちりアップにしている。
テーブルの上には、大きめの手帳が広げられており、細かく文字がずらりと並んでいた。この久保という女性は、高岡の部下らしい。
「…真田ゆうき、です…」
「よろしくお願いします」
握手をし、深々と頭を下げられた。
「こちらは私の部下の上野と、監督の青木です」
それぞれと握手をし、挨拶も程々にさっそく打ち合わせに入った。
「これが今回のCMの絵コンテです。ざっと目を通して下さい」
久保さんから、数枚の紙を手渡される。
コマになった中には、絵でCMの流れや説明などが書かれていた。
「木内さんは顔をお出しになりたくない、とのことでしたが、こちらの希望で多少映ることになると思います」
「…マジかよ」
「折角の男前ですから」
茶目っ気がある瞳で微笑んだ久保さんは、今度は俺に視線を向けた。
「部長直々に交渉したこともあり、今回のメインは真田さんですので」
「はあ…」
「ご覧の通り、出番は一番最後ですが重要な役ですし、数秒とはいえピンで映ることになります」
久保さんの説明を聞きながら、絵コンテと呼ばれたものを目で追った。
果てしなく走れる燃費のよさと、時間を忘れる上質な空間を押し出すらしい。
新しく発表するステーションワゴンが京都の街を爽快に走る。
ドライバーが夢中で車を運転していると、いつの間にか竹林へ迷いこんでしまう。そこに和装の俺が登場し、時代錯誤を起こしたかと車を降りて俺と向き合う。
木内先輩が車を走らせているうちに、タイムスリップしそこで俺と出会うらしいのだ。
そして最後に俺の顔が映り、奇妙な感覚に襲われながらも俺に手を伸ばした木内先輩に俺もその手をとるように伸ばす、すると真っ白な眩しい光りが辺りを照らし元の場所に戻り終了、という流れらしい。
どうやら、自分は現代人を演じるのではなく、平安時代の貴族役らしい。
衣装は童直衣で、鞠を手に持って木内先輩を見詰めるだけでセリフなどは一切ない。
素人の自分を気遣ってのことかもしれないが、木内先輩にもセリフはない。
ナレーションが入るのみでシンプルな作りになっているが、その分映像の美しさで勝負したい、とのことだった。
「実際に車が街を走っている絵はもう撮影済みです。木内さんは、止まっている車に乗って横顔を撮影させて頂ければ結構です。CGを使いますので。あと最後、車から降りて真田さんと向き合う場面の撮影。ここでは真田さんの全身が映るように一度バックで引いて撮ります。その後、真田さんのアップに移ります。だいたいの流れは掴んでいただけましたか?」
「まあ…。けど、マジでなるべく顔は映らないように…」
「あら、部長と氷室さんのお話ではどんどん出していいとのことでしたが…」
「…くそ親父…」
「明日一日ですべての撮影を終えます。スケジュールも押しておりますから、その後我々が編集に入り、放送されるのは来月の半ばか、再来月の頭あたりかと…」
二月半ばはまずい。三月の頭ならば卒業式も終え、皆春休みを利用して実家へ帰っている頃だろう。
それならば学園内の混乱もないだろうし、皆に煩く聞かれることもないだろう。できれば編集に戸惑ってほしい。
「明日は早朝六時から準備に入って頂きます」
「…そんなに早くから?」
「ええ、朝はスタッフが起こしにまいりますから」
「…さようでございますか」
大きな溜め息を先輩が零すと、ローテーブルの上に置かれていた久保さんの携帯が小刻みに揺れた。
「申し訳ありませんが、少し失礼します」
久保さんは、慣れた様子でこちらに頭を下げると、声が届かない程度の場所へ離れ電話を耳元に寄せた。
自分も嘆息を零しながら手元の絵コンテを眺める。
「…緊張してる?」
今まで黙っていた監督が口を開いた。
瞳を向ければ小動物のようにつぶらな瞳と視線が交わる。四十代半ばくらいだろうか。口の周りを大量の髭が囲んでいて熊のようだ。
「…いえ」
「自然体でいてくれればいいからね。真田君も、木内君も」
「はあ…」
はっきりしない受け答えに、監督は苦笑しながら目尻を柔らかく下げた。
「君達二人は不思議な雰囲気だね」
感受性が豊かなのだろうか、それとも監督という仕事を選ぶ人は天才か変態なのだろうか。
初対面の人間にそんな風に言われるとは思ってもみなかった。
「真田君の容姿は今回の企画にぴったりだ。部長が懇願してお願いしただけはあると思う。僕も、君達二人が撮れるなら大満足だよ」
「…素人ですけど」
「いや、その雰囲気だけで問題ない。きっと、皆が魅了されると思うよ」
「勘弁して下さいよ…」
木内先輩がうんざりと肩を竦めた。
「こういう大きな企業のCMは、大抵有名なモデルや役者を出すようにと指示があるし、今回も本当なら若手の役者を用意していたらしいんだけど、君が大抜擢されたらしいよ」
「…マジすか…」
「ああ、素人にやらせていいのかって不安に思ってる人もいると思うけど、久保さんなんて大喜びしてたよ」
「…どうしてですか?」
人気急上昇の芸能人を使った方がその社の宣伝にはもってこいだ。
CMの反響が悪ければ次はない。ならば手堅くいった方が好ましいと思うのだが。しかし、監督は続けてこう言葉を漏らした。
「素人を使うってことは、一からのスタートだ。そうなれば、クリエイターの力量も試される。著名な人を使えば楽かもしれないが、それではつまらないんだよ。自分たちの力を見せたいのが本音だからさ」
「なるほど」
監督の言葉も最早胸には響かないし、頭にも然程入っていない。自分も先輩も、兎に角うな垂れた。
自分は想像以上に出番がないことに安堵したが、木内先輩の場合は顔を出さない条件だったにも関わらず、しっかりとその横顔が映るというのだから憮然として当然だ。
素人二人が社の顔、この車の顔となるCMに出ていいものかと首を捻るが、難しいことはすべて大人が引き受けるのだろう。
損をしても得をしても自分たち出演者には関係ない。責任なんてとらないし、責めるなら無能な高岡さんを解雇すればいい。
「最初は素人って聞いて大丈夫かなって思ってたけど、今は早く君達を撮りたいよ」
嬉々として監督は言い、満足気に頷いた。
「ごめんなさい、トラブルが起きたみたいでそっちに行かなきゃ。打ち合わせはこの辺で大丈夫ですか?」
「はい」
「よかった。それでは、明日の六時に起こしに参りますから。今日はゆっくり過ごして下さい。あ、夕食や何か購入したときは、領収書を忘れずにもらって下さいね」
「わかりました」
「では一旦解散しましょう。お疲れ様でした。ゆっくりとお休みになってください」
「お疲れ様です」
立ち上がった先輩に倣い、自分も席から立ち上がり三人に頭を下げた。
絵コンテをぎゅっと握りながら、部屋に戻る木内先輩を追いかける。
部屋に戻り、今度こそベットにダイブした。真っ白で皺一つない、糊の利いたシーツに頬を摺り寄せる。
先輩を探すとソファの上で絵コンテと睨めっこ中だ。
「先輩…?」
またもや大きく溜め息を漏らすと、絵コンテをテーブルの上にぞんざいに投げ捨てた。
「…怒ってる?」
「怒ってるっつーか、嫌でしょうがないっつーか…」
「顔が出るから?」
「そう」
「…俺には色々やれって言ってた」
「自分となるとはなしは別だ」
「モデルのときも、今回も嫌だって言った意味がわかっただろ?」
「ああ、よーくわかった。今後おもしろ半分で勧めません」
今更理解してくれても遅いのだが。
「俺も頑張るから先輩も頑張れ」
「…そうだよな。お前の方が嫌だもんな」
「仕事って先輩が言ったから。仕事ならちゃんとする。給料もらえるのは素直に嬉しいし」
毎月振り込まれるささやかなお小遣いではやりくりが厳しいことも多い。
高額な学費や寮費を払ってもらっているので文句を言うつもりはない。ただ、ジャージが破れたとか、シャツを汚したとか、ふいに出費がかさんだとき、今度からは我慢せず自分の給料から払えるのだと思うと嬉しい。
「俺も頭ではわかってんだけどな…。拓海とか兄貴にネタにされて大笑いされると思うと…」
本気で苛々している様子で、彼はソファの背凭れに体重をかけ深く座った。
何をそんなに気にしているのかと思えば、彼の場合他人の目に自分が触れることではなく、皆に揶揄されることらしい。
さすが自分に自信を持った男は違う。他人に注目されるのも慣れっ子で、それが街中から全国のお茶の間に変わるだけという思考だ。
「あーあ。ここまできたらしょうがねえけど…。折角だからうまい飯でも食って、観光でもするか」
「…いいの?」
「ああ、見たいとこがあれば」
「俺、俺、お寺行きたい…」
「寺?んなもんどこにでもあんだろ」
「清水寺とか…」
「定番すぎんだろ」
「それくらいしか知らない」
「…まあ、俺も京都はよく知らねえけど。じゃあいくか、清水寺。タクシーで移動すればすぐだろ」
「…今から?」
「ああ、明日は一日中撮影だろうし、明後日には帰んなきゃだし」
「先輩疲れてない?」
「大丈夫」
「じゃ、じゃあ行く…」
急いでタクシーで清水寺の入り口まで向かい、そこから徒歩で石畳の坂を上った。
意外と急勾配で運動不足の自分にはかなりきつい。
途中、道の脇に並ぶ店に目を輝かせたし、清水の舞台に立ったときの感動はすごかった。
そこから京都の街を見下ろすと、本当に時代を逆戻りしたような気になる。
京都の街をぶらぶらと歩いてみたり、腹が減ったら飯を食べたり。
さすが観光名所だけあり、平日にも関わらず沢山の人で賑わっていた。
ホテルについた頃にはかなりの疲労を感じていたが、先輩と旅行をしているような気分で、疲労すらも愛おしく感じた。
「つっかれたー。楽しかったか?」
「…楽しかった」
「そりゃーよかった。明日は早えから、風呂入って寝るぞ」
「うん」
もう少し会話を楽しみたい気分だったが、そうこうしているうちにきっと睡魔が押し寄せる。
移動で砂埃を被っているし、汗も掻いた。早々にシャワーを浴びて、明日に備えなくては。
遊びに来ているわけでも、観光に来ているわけでもないのだ。与えられた仕事はきちんとこなさなければ。
我儘なんて言わないし、自分の力でお金を稼ぐのは嫌いではない。仕事内容が気に入らないけど。
「…おやすみ」
お互いシャワーを浴び、別々のベットに潜り込んだ。
「おやすみ」
部屋を真っ暗にし、携帯のアラームをセットする。
闇の中で瞳を瞑れば、益々暗く終わりのない闇が広がったが、今はそれを恐れる暇もなくすぐさま夢の中へと身を投じた。
一片の癖もないストレートの髪を一層真っ直ぐにされ、目に前髪がかかる。
不機嫌になりながらも、髪をいじられることにも、メイクをされることにも耐えた。衣装をちらりと眺める。
「歩きにくそう…」
「撮影が終わったらすぐに脱げるから、少し我慢して下さいね」
ラフなジーンズにパーカー姿の女性に微笑まれた。今日一日、自分の世話をしてくれる平川さんだ。
野外での撮影のため、メイクから着付けまでホテルの一室を借りて行った。
傍らでは木内先輩が真っ白のシャツとジーンズに着替えている。
何故先輩は普通の格好で、自分はこんな時代錯誤な衣装を着なければならないのだ。
慎重に、丁寧に、汚さぬようにかけられた衣装を睨みつける。
機嫌が悪くなったのを見かねてか、平川さんが温かいコーヒーや軽食を忙しなく用意してくれる。
「木内さん先に向かいますー」
部屋に入ってきたスタッフの声に先輩が立ち上がった。
「いってらっしゃい…」
「ああ」
「…てかさ、寒くねえ?」
「寒いに決まってんだろ」
清々しい印象を持たせたいのはわかるが、真冬のこの季節にシャツ一枚は相当辛い。
勿論今はその上にベンチコートを羽織っているが、それでもまだ寒さは凌げないだろう。
「じゃあお先」
「うん…」
俺は、着付けが大変な割には撮影時間は短い。
それとは対照的に木内先輩は衣装やメイクは短時間で済むが、スタジオで緑色のバックで静止したまま撮影を行うらしい。
その後自分と合流して二人の撮影シーン。
夕暮れ時を狙って撮影したいらしく、うまく陽が入らなければ、それもCGで処理するらしい。
「じゃあ真田さん着付け入りますねー」
着付け師のおばさんにスタッフの女性がお願いしますと一礼する。
着物を纏った初老のおばさんは、厳しい顔つきでこちらに近付き服を脱げと要求した。
慌てて羽織っていた洋服を脱ぎ下着一枚になる。
古めかしい和装は学園祭で着て以来だ。しかも今回は見慣れた着物ではなく、童直衣だ。
何枚もの布に果てしなさを感じ溜め息が漏れた。
「今回は冠はつけませんので」
「はあ…」
ここまできたら何枚でも着てやると半ば自棄になる。
まずは肌襦袢を羽織り、その上に白衣を着、白帯でしっかりと締める。
その上に藍色の単と真っ白な袴を着る。後ろと前とで、二人掛かりで着付けをしなくてはいけないらしい。
腕を上げろ、閉じろ、後ろを向けと、指示されるまま蝶のようにひらひらと動いた。
着付けをしてくれているおばさんの手つきは慣れたもので、時折限界まで紐を縛られ、奇妙な声が漏れそうになる。
最後に一番重要な直衣袍を着る。
これも純白で、正絹なのだとか。とても触り心地がいい。
白地に、グリーンとシルバーのグラデーションで、竹の絵が描かれている。
素人目でもとても上質な着物だとわかる。
ここまで終えるのに軽く一時間はかかったような気がする。
少しでも気に入らなければ最初からやり直しで、弟子に厳しく注意を交えながら、おばさんが納得した様子でこちらを見詰めた。
「お疲れ様でした。着心地は如何ですか?」
「…最悪です」
平川さんに問われ素直に口にした。
兎に角袖が長い。なんのためにあるのかは知らないが当時の人は毎日大変だ。
「はは、我慢して下さいね。撮影では当時と同じ靴をはいてもらいますが、移動中は普通のサンダルで大丈夫ですので。ただし、裾は引き摺らないようにお願いします」
「…無茶言わないで下さい」
「私たちも協力しますので。じゃあ、撮影場所にまいりましょうか」
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