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高岡さんと理事長はご機嫌な笑みで祝杯をあげようと日本酒を追加した。
自分たちは話しが纏まったので先に帰宅すると告げ木内家に戻った。
「ゆうき」
部屋へ戻り電気をつけた瞬間、後ろから名を呼ばれ肩を包むように抱き締められた。
その声色には面倒なことに巻き込んだことへの怒気が含まれていたが、自分が撒いた種として受け入れようと思っていた。
しかし意外にも彼が次に口にした言葉は謝罪だった。
「悪かった」
「…なにが」
「アホな親父で」
コートも脱がずにされるがままになった。首に回された彼の腕に手を添える。
「…怒ってない」
「親父のビジネスにお前を巻き込んだ」
「…難しいことはわからないけど、仕事は大変なこと沢山あると思うし、俺も一応理事長には世話になってるし」
「それとこれは話しが違うだろ。俺ならまだしもお前は関係ないし」
「まあ…。そうだけど」
でも大事な息子が道を踏み外したきっかけを作ったのは自分だという負い目がある。
理事長は自分と木内先輩の未来を左右させる材料を持っている。
悔しいが子どもの領分では王に従うしかない。
「…悪かったよ、嫌な思いさせて」
謝ることなどない。
理事長はそれなりに狡猾で、けれども何よりも仕事が好きな人で。
自分がだしに使われたのだと思うとおもしろくはないが、それでも理事長の力になれたと思えば気も楽になる。
「こっち来い」
彼は自分から放れソファへ来いと手招きした。
コートを脱ぎながらそちらへ向かう。隣に腰を下ろすとぎゅっと手を握られた。
「お前、顔が青褪めてた」
「んなことない」
「そんなに嫌なら無理しなくてよかったんだぞ。なんなら今からでも…」
「違う。頼まれたことが嫌だったわけじゃなくて…。学校退学になったらどうしようと思っただけ。前みたいな生活になるのかなって」
「…前みたいなって」
「…寮から追い出されたら親父のところに帰るしかねえし」
「嫌なこと思い出させたか…?」
「…少しだけ」
「……そうか。悪かったな」
彼は飽きることなく謝罪の言葉を口にし、自分はその度首を振った。
誰も悪くない。
理事長はこちらの家庭環境を知らないわけだし、あの人は本気で退学と言ったわけじゃない。
会長と同じで人で遊ぶのが好きなのだ。本気にしたわけじゃない。ただあの地獄を思い出すとたまらなくなった。
あの家には帰りたくない。そして先輩と離れるくらいなら理事長の我儘のいくつかを聞くくらいなんてことはないと判断した。
「前みたいな生活には戻らない。大丈夫。お前には楓たちも俺もいる。大丈夫だから」
「…そうだな」
彼は俺の左手を取り薬指に軽く口付けをした。
「あんなアホな親父だけど、お前のことは可愛がってるから」
「わかってる…。理事長に負い目もあるし、罪滅ぼしと思えば頑張れるかも」
「罪滅ぼし?」
「…木内先輩は大事な跡取りだし、醜聞は許されないし、なのに俺なんかに構ってるし」
「それは俺の勝手だろ」
「そうはいかないと思うけど…」
「だから俺も一緒に罪滅ぼししろってか」
「…先輩と一緒のほうがまだましだと思って」
「まあ、自分の親父の尻拭いくらいに思えば別にいいけどよ。俺は顔映らないようにしてもらうし…」
「俺も映らないようにして欲しい…」
「無理だろ」
「…このこと、皆には黙ってろよ」
「当たり前だろ。俺も出なきゃいけねえのにわざわざ言うかよ」
一拍置いて二人同時に溜め息を吐いた。なんだってこんなことに。考えても仕方のないことをどちらも考えている。
「それより、今日親父帰って来ないって」
耳に息を吹きかけられそれだけで顔に熱が集まるのがわかった。
「わかってるよな…?」
そしてそのまま耳朶を甘噛みされ瞳をぎゅっと閉じた。
手酷く抱かれると、そう思うだけで身体が熱くなるのは変態だろうか。
優しくされるよりも欲望のままに荒々しく抱いてくれた方が、彼をより近く感じるのは何故だろう。
痛いのも苦しいのも大嫌いだ。それなのに。
酷くされればされただけ、こんなに求めてくれていると安心する。
「こ、ここで…?」
「ベットの方がいいか?」
「どこでもいい、けど…」
「じゃあここで」
ソファの上にやんわりと押し倒され、身体を挟むようにして膝立ちになった先輩が勝者の笑みを浮かべる。
片頬を包まれ、少しずつその端整な顔が近付いてくる。あと少し、あと少しで唇が下りてくるのだと思ったその時、ノックもなしに扉が開き、まさか理事長かと瞠目して先輩を跳ね除けてそちらに視線を移した。
「ゆうき君久しぶり」
そこにいたのは理事長ではなく氷室会長だった。
思い切り蹴られた木内先輩はソファの端で腹を抱えて蹲っている。
「…兄貴…。わざとだな…」
木内先輩は苦しそうに言葉を発し、会長は爽やかに笑った。
「まさか。防音なんだから声なんて聞こえないからね」
「くっそ…」
「はは、それよりどうだった?」
会長はラグの上に直接腰を下ろしながら興味津々といった様子で言った。
「知ってたのか?」
「勿論。いざというときのためにって、僕まで呼び出されたんだから」
「…使える手は全部使うってか」
「まあまあ、高岡さんには昔からよくしてもらってるしね。で、どうだった?」
「…まんまと乗せられたよ。ゆうきが可哀想だ」
「あはは」
「笑い事じゃねえよ。な?」
同意を求められ大きく頷いた。
しかるべき職業の人がしかるべき方法で選ばれ、活躍の場に変えるべきで、素人で一介の高校生には荷が重い。
自分をそこまで気に入る理由がさっぱりわからない。同じような顔なら腐る程いるだろう。
やると言ってしまった以上、思いあぐねても仕方がないことだ。
理事長の力になれるのならば、それでいいと納得させようと思った。
けれども快い気持ちになれない。いまいち腹を括れない。逃げ道があるなら逃げたい。
「頑張ってよ。放送されるのが楽しみだな」
「兄貴、このことは黙ってろよ」
「なんで?」
「ゆうきが嫌だって言うから」
「そんな、絶対いいものになると思うし、とても自慢になるよ?」
「言わないで下さい」
絶対にダメだと両腕でバツマークを作ると渋々納得してくれた。
言わないようにするけれど、口が滑ったらごめんねと付け足されたけど。これは言う。絶対に言う。言う気満々だ。
「忘れ物は?」
「ない。携帯と服だけだから」
高岡さん自から携帯に連絡が来たのはつい一週間ほど前だ。
社の顔となるCMに素人を使うのはいかがなものかと、至極真っ当な反対意見がでたらしく、散々会議を重ねたせいで数キロ痩せたとぼやいていた。是非その反対意見を押し通してもらいたかったが、高岡さんの口八丁に皆乗せられ、円満に話しはまとまったらしい。心の中で舌打ちをし、ちゃんと反対しろよなと顔も知らない社員を罵った。
そして撮影の日取りと場所を伝えられ、何から何まで不自由ないように用意すると、人のいい声で言われた。
学校は休んでしまうことになるが、そこは理事長がどうにかしてくれるのだとか。
楓たちには適当に木内先輩の気まぐれに付き合わさることになった、とだけ言っておいた。
東京駅から新幹線に二人で乗り込む。行先は京都だ。
撮影に携わるスタッフは前もって向かっているのだとか。
時間が取れたら撮影を覗きに行くと理事長は言ったが、来なければいいと思っている。
指定された席を確認しながらゆったりとした座席に座った。
もっと固い椅子を想像していたが、ふんわりと尻を包まれ驚いた。
「…新幹線乗るの、初めてだ」
好奇心に負け、行儀が悪いと承知だがきょろきょろと周りを見渡した。
「修学旅行は?」
「…行ってない。積立金払ってないから」
「グリーン車だと結構快適だろ?」
問われて頷いた。座席は広いし人も少ない。何より初めての経験にわくわくした。
「嫌なことばっかりじゃなかったな」
「うん」
「明日からはハードになると思うけど」
「…うん」
「ま、素人のお前にそんな難しい要求はしないだろうけど、一応引き受けたからにはちゃんとやろうな」
「…わかってる」
「給料分だけでも」
「…うん」
急ぎ足で流れていく景色を目の端に映しながらしっかりと頷いた。
木内先輩はナイーヴになる自分へいつも以上の気遣いを見せた。父親のせいだからと、負い目を感じているのかもしれない。
気にする必要はないと言ったはずだが、言葉が足りなかったらしい。
朝が早かったせいで、景色を堪能する暇もなく眠気に負け、二人とも眠っていた。慌てて起こされたときには京都に着いていた。
数時間でいくつもの県を超えて関東から関西へ。知識として知っていたが、実際に経験すると軽く感動した。
「…すごい。京都だ」
小さく誰の耳にも届かない声で呟いた。東京以外に来たのも初めてだ。
先輩は荷物を抱えながらさっさと改札へ歩いて行く。感慨深くなる暇も与えてくれないので、急いでその後姿を追った。
こんなところで迷子になったら一大事だ。携帯があるし、国内なのだからどうにかなる。だが、知らない土地で一人きりというのは冒険にも等しい経験だ。
改札を抜けぼんやりと建物を眺めていると先輩に腕を引かれた。
「もたもたすんな」
少しは楽しむ暇を与えてくれてもいいのに。心の中で悪態をつきながら、されるがままになる。
予め用意されていたハイヤーに乗り込み、今度はホテルへ移動するのだとか。
大まかな日程は木内先輩がすべて把握している。
「疲れた?」
「寝てただけだから大丈夫」
「ホテルに行ったら打ち合わせで、明日から撮影らしいから」
「…先輩と同じ部屋?」
「そうだ」
「そっか…」
それなら心配なさそうだ。やはり先輩を巻き込んで正解だった。
一人ではまずここまでたどり着けない。新幹線に乗れるかも怪しい。
急ぎ足でホテルにチェックインし、部屋のカードキーを受け取った。
ホテルの豪奢な内装を見渡していると再び腕を引かれた。
部屋へ入り荷物を置くと、一気に疲れが押し寄せた。
たっぷりと眠ったはずなのに、すぐさまベットに横たえたい衝動に駆られる。
しかしノックの音でそれは叶わなかった。
先輩が対応してくれたので、ベットに腰を下ろしたまま窓から見える景色を眺めた。
「ゆうき、打ち合わせだって。行くぞ」
「…うん」
手招きされて木内先輩について行く。
部屋を訪ねてきた人物はまだ若く、いかにも頼りなさげな男性だった。
呼びに行ってこいと、こき使われたに違いない。
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