5
木内先輩は俺の両手を優しく握りながら口を開いた。
「俺はこんな風に人とつきあったことないから、大事にしたいと思っても方法がわかんねえんだ。それでも自分なりに努力したつもりだった。だけど、お前が翔たちを見ていいな、って言ったとき、俺のやり方が間違ってるって言われた気がしたんだよ」
違う。そんな意味で言ったのではない。ゆっくりと首を振ると木内先輩は苦笑した。
「お前は本音言わないし、我儘も言わないし、俺の前から消える準備をしてるみたいだとずっと思ってた。お前の気持ちを疑ってるわけじゃない。でも俺はその程度の人間なのかよって頭にきた。なんつーか、ガキの我儘だよな。もっとこっち向いてほしいとか、同じくらい好きになってほしいとか。情けねえけど」
彼は眉根を寄せながら無理に笑おうとする。その姿を見て胸が苦しくなった。
大事にしたかったのはこちらも同じなのに、いつの間にこんなに不安にさせていたのだろう。自分を守ることに必死で気付かなかった。
彼は数々のハードルも軽々乗り越えているのだと思っていた。平気な顔してなんでも簡単こなすのだろうと。気持ちが揺れたり焦ったり、右往左往しているのは自分だけだと勝手に思い込んでいた。
「…情けなくなんかない。俺が悪い。俺が…」
なるべく一人で立ちたかった。いつか別れがきてもいいように。
彼を求めながら一歩引いた場所で、疑いながら暗い瞳で見ていた。それがなんとなく彼にも伝わっていた。
失うことに慣れ過ぎた性格が疎ましい。
「…無理に話せとは言わねえけど、たまにでいい。なにか言ってほしい。そしたら俺は迷わないでお前を好きでいられると思う。俺の気持ち、理解できるか?」
問われ、何度も何度も頷いた。
彼の言葉を反芻するたびじんわりと目頭が熱くなった。下腹に力を入れてそれを引っ込めようとした。
感情の波が去るのをじっと待ち、小さく口を開いた。
「…俺、話すの下手だし、あんまり顔にも出てないけど、俺もあんたを大事にしたかった。やっと欲しいものが手に入ったから、簡単に壊れないようにしたかった」
ぼそぼそと話すと掴んでいた手に力を込められた。
大丈夫、ちゃんと聞くと言われているようで、幼い子どものように下手でもいいから伝えようと思った。
「でも、なんか怖い。嬉しいとか、幸せとか感じると急に現実じゃない気がする。自分がそんな気持ちになっちゃいけない気がする」
身に染みた不幸体質にうんざりする。
「色んなものをたくさん持ってる人は恋人と別れるくらい平気かもしれない。でも俺は少ししか持ってないから、関係が壊れたらすごく落ち込むと思う…」
だから。言葉を続けようとしたが小さく丸めた身体をぎゅっと抱きしめられた。
「…それで?」
「…俺もちゃんと好きだ。いつも幸せだと思ってる。本当にこれ以上望むものなんてない。秀吉たちにいいなって言ったのはあんな風に自然に笑えればいいのにと思って…。俺はそういうのが苦手だから…」
「うん」
「本当にそれだけで、あんたに秀吉みたくしろなんて思ったことない。今のままでいい。我儘なんてない。今のままでいいから、だから――」
だから勝手かもしれないが俺を諦めないでほしい。
もっといい恋人になれるように努力する。苦手なことから目を逸らさない。
お願い。そんな意味を込めて背中に両手を回して服をぎゅうっと握った。
「…俺が焦ってただけかも」
「…焦る?」
「そう。お前にとっては我儘言うなんて発想自体なかっただろうし、本音だって口にするのが怖いだろ。お前の過去も事情をわかってるつもりだったのに全然わかってなかった」
「それは…。あんな過去わかれって言う方が難しいし」
過去を知ってもなお好きだと言ってくれただけで奇跡だと思う。
普通の人間は重すぎて引くだろう。そんな荷物は抱えきれないし、抱えようともしてくれない。
「上手く話せなかったり、欲しいものをほしいって言えなかったり…。お前のそういうところを好きだと思ったはずなのにな。欲張りになるもんだ」
欲しいと思うものならなんでも差し出す。自分が持っているものなら。
だからそんな風に思わないでほしい。
こんな自分と真正面から向き合おうとしてくれるだけで十分だ。投げ出さないだけ辛抱強いと思う。
「…お前も欲張りになれるといいな」
彼は耳元で囁いた。
欲張りなんてならない方がいいのに。いつまでも今のままで満足できるのに。変なことを言うものだ。
ああ、でも一つだけしてほしいことがあった。
木内先輩はトラウマを危惧してか、絶対に最後まで身体を繋げようとしない。
お互い射精はするがそれだけ。彼がそれでいいと言うなら構わない。でも無理をさせている気がする。身体がもっと深く繋がれば心もぎゅっと結びついてくれるかもしれない。
浅はかだが自分が差し出せるものといえば身体しかない。誰かを繋ぎとめる方法がそれしかわからない。
「…じゃあ、一つ我儘言ってもいいか?」
「なんでも」
「…しよう」
はっきりと言葉にすると滑稽だが言わないと伝わらないらしいので迷わなかった。
木内先輩は身体を離し、きょとんとした顔でこちらを見た。
「なんて?」
「ちゃんと、最後までしよう」
「…セックス?」
「そう」
こちらから誘ったのに、彼は動揺したように瞳を揺らした。こんな姿は初めてみる。
自分の言葉や態度で彼が右往左往するのは悪くないかも。意地悪な想いが芽生える。
「でもお前…」
「大丈夫だ。辛いなんて思わない。好きな人とするなら幸せになれるってあんたが教えてくれた」
言い終えると共に腕を引かれて立ち上がった。大股で扉まで進むので、待てと背中に声を掛けた。
「ちょっと、どこに…」
「俺の部屋」
「なんで。別にここでも」
「道具あんの?」
「…ないけど…」
「だろ?」
だとしてもこんな性急にならずとも。俺はどこにも逃げないし、もう少し情緒的ななにかがあってもいいのでは。一瞬思ったが、お互いそんな柄じゃない。
木内先輩の部屋も不在が続いたのでとても寒かった。エアコンで暖まるまで絶対に服など脱ぎたくない。
なのに彼は早速と上半身裸になって乱暴にベッドに押し倒した。
「ちょっと待てよ。風呂にも入ってない」
「そんなの構うかよ」
「構う」
「今更…」
「だめだ。絶対入る」
「じゃあ早くしろ。長いことは待てない」
どいてくれたのでさっさと起き上がる。もたもたしていると気が変わったとか言われそうだ。
早くしろと言われたが時間をかけて心の準備をしよう。それこそ今更だが、なるべく平常心を保ってあまり乱れないように…。
いくら頭で考えてもその通りにならないと知っている。悪足掻きだ。
熱いシャワーを頭からかぶったまま延々とシミュレーションを繰り返した。大丈夫、今まで他の人とできてたことだ。彼ともできる。
他の人と――。
過去が蘇って、何故自分は綺麗な身体で繋がれないのかと落胆した。途端に怖くなる。汚いとか、中古は嫌だとか、そんな風に思われないだろうか。
差し出せるのは身体だけ。なのにその身体はぴかぴかと綺麗な宝石じゃない。その辺の道端に転がってる石ころだ
「おい」
ぐっと肩を引かれ現実へ戻った。
木内先輩は先ほどと同じ、上半身だけ裸で困惑した様子を見せた。
「なかなか戻らないから倒れてんのかと思った」
「…いや、大丈夫」
雫がぽたぽたと髪の先からこぼれる。それで顔を隠すようにした。
「…やっぱり怖いか?嫌なら別に」
「ち、違う。大丈夫」
「ゆうき」
遮られびくりと肩を揺らした。
「本音、話そうな?大事なことだから」
ああ、そうだった。ついさっき反省したばかりなのにまた自分は…。
「…本当に、怖くないんだ…。ただ、綺麗な身体じゃないし、あんたが嫌じゃないかと…」
重苦しくならないように意識して軽い声色を出した。
「…お前もそんな風に思うんだな」
意外、と言いたげで、そんなにおかしなことを言ったかと焦る。
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
恥ずかしくてますます俯いた。たぶん耳まで赤いと思う。確かに少女のような言葉だったかもしれない。
「そ、それより服濡れるから…。俺もう出るし」
さっさと行けと木内先輩の胸を押し返したが、逆にその腕を取られ彼の胸の中にすっぽりおさまった。
「俺もう無理。ここでしていい?」
「こ、ここで?すぐ出るから」
「だめ。一秒も待てない」
そんなわけあるか。怒りたかったが彼の唇に言葉を奪われた。
余裕がないのだとわかる性急な口付に息ができず頭がぼんやりとする。難しいことは考えられない。なのにずっとこの状態でいたい。
自分が吐く息が甘えたようになり、けれど音はシャワーですぐに掻き消された。
やっと顔を放してくれたときにはすっかり息が上がっていた。
「えろい顔」
きゅっと唇を親指でなぞられ、かっと赤くなりながら睥睨した。
「やめろってその顔。腰にくる」
足を割るように身体を入れられ、ぐっと腰を押し付けられた。
ズボンの上からでも形が変わっていることがわかる。
耳朶に歯を立てられ息をつめた。
「俺が処女に拘る男にみえるか?」
わからないが首を左右に振った。そうしないとひどいことをされそうで。
「過去は過去。これからは俺と気持ちいいことだけ覚えような」
言いながら唇は首へ移動し鎖骨から上へ舐め上げられた。
「返事は?」
「わ、わかった…」
「いい子」
その間に唇は耳に戻り、ゆっくりと形を確かめるように舌が這い、次にこめかみ、頬、睫、肩、指先、あらゆるとことに優しく降ってきた。
今までの人たちとあまりにも違うやり方にどうしていいのかわからない。
乱暴にされたことしかなかった。愛や恋、温かで優しい気持ちが伴う行為は初めてで落ち着かない。
「そ、そういうのはいいから」
「そういうのって?」
「…優しくしなくていい」
一秒も待てないというからこんな場所で始めたのに、彼の愛撫はひどく遠回りだ。
「優しくしたいんだよ。突っ込んで終わりなんてただの強姦と一緒だ」
「そ、んな…」
「本物のセックス教えてやるから」
怖くないから大丈夫。そう言うように口付けられた。
丹念に胸を愛撫され、そんな場所女でもあるまいし、と思うのに口から甘ったるい声が出た。
驚いて自分の手で口を覆う。それを見て愉快そうに笑われ悔しくて絶対に声なんて出さないと決めた。
木内先輩は跪くように膝を折り、待てと言う間もなく口淫を施した。
「ま、待って。待って…」
それは今までも彼としてきた行為なのに今日はやけに熱く感じる。
髪に手を差し込んで前屈みになって快感に抗った。
もうだめだ。熱が弾けそうになる前にぬめりを纏った指が窄まりを撫でた。
「や、だ」
そんなことしなくていい。早急に欲望をぶつけられるよりも辛い。
一本、二本とゆっくり指を増やしながらばらばらに動かされ唇を噛んだ。
気持ちいいと気持ち悪いが半分半分。
定まらない身体の感覚に頭がぐらぐらする。処理しきれずに彼の肩をぎゅっと掴んだ。
「痛い?」
「…たく、ない…。もう、もういいから」
「だめだ。急いだらお前が辛いだけだ」
「でも、わけわかんなくなる」
泣きそうになりながら言う。
木内先輩は困ったように笑い、指を指し込んだまま深く口付けた。
「後ろだけに集中しろ」
それが一番辛いのだ。
内臓を引っ張り出されるような不快感の波間に、一瞬だけ快感も芽生える。自分の身体なのに制御できなくて怖い。
「ここら辺?どこがいいかちゃんと教えろ」
ゆっくり確かめるように少しずつ指をずらしながら内側を擦られる。
酸素が足りなくて頭が白む。気持ちいいのか悪いのか、輪郭が曖昧になっていく。
もうこのまま気を失ってしまいたい。息を詰めて耐えていると射精感とも違う快感に襲われ背中に爪を立てた。
「そ、こ…。やめっ…」
「気持ちいい?」
気をよくしたようにそこを集中的に緩急つけて攻められる。足が勝手に震えて立つのが辛い。自分の身体なのに言う通りにならない。
こんなのは知らない。いつだって痛くて痛くて苦痛ばかりで、本来の目的とは違う使い方をしているのだからそんなものだと思ってた。
こんな場所で快感を得る自分は頭がおかしいのかもしれない。
「やだやだ。怖い」
「大丈夫だ」
「でも、変だ。俺の身体、変なんだ…」
泣きたくなってしがみ付いた。
「男なら感じるところだから大丈夫。怖がるな。素直に受け入れた方が楽になる。力抜け」
言われなくてもやっている。だけど上手くできない。
快感の波が怖い。これなら慣れている分痛みや苦痛の方がましだ。気持ちいいことへの耐性はまったくない。
「う、く…」
手の甲を噛んで必死に耐える。
「噛むな。声出した方が楽だぞ」
「いや、だ」
「お前は煽るのが上手いな。我慢されると余計に聞きたくなんだよ」
やんわりと手を握られ、そのまま片腕で一纏めにされ頭上の壁に押さえつけられた。
「あ、あ…。ひ、どい」
「声聞きたいんだよ」
耳元で言っていっそう強く刺激された。
「あぁっ!や、だ…。変な、声…」
「可愛いの間違いだろ?」
可愛いものか。男の喘ぎ声など気持ち悪いだけだ。なのに一度口を開いたらひっきりなしに漏れる。我慢したいのにそれどころじゃなくて、次々に襲ってくる快感を持て余す。
「も、もういい。大丈夫だから…。お願い…」
瞳にじんわり涙を浮かべながら懇願した。
「…痛かったらすぐ言えよ」
ずるりと引き抜かれる不快感の後、比べものにならない質量が割って入ってくる。
どんなにほぐしてもやはり辛い。身体が裂かれる感覚に悲鳴のような声が出た。
「もう少し我慢できるか?」
中途半端で先輩だって苦しいくせに、あやすように髪を撫でられる。
何度も首肯して、何度も平気だと伝えた。
「う、あ――」
一番苦しい部分が収まればあとは比較的楽に進めた。逆に処女じゃなくてよかったかもしれない。
形が身体に馴染むまでしばらくそのまま動かずにいてくれたが、それが逆にもどかしい。
耳元で彼が息を詰めているのがわかる。
「もってかれそう…」
深く呼吸をされ、ぞくりと背中が震えた。耳ですら感じてしまう。
「っ、あまり締めるな」
「も、いいから。動いて…」
ゆっくりと腰を引かれ、挿し込まれ、快感で頭の中がどろりとしたもので一杯になる。
「ひ、あ、あ――」
自分の中に木内仁がいる。それだけで身体が疼く。身体に感じる快感だけじゃない。心ごと抱かれているようで、単純に幸福だと思った。
他人が自分の中にいることを嬉しいと思ったのは初めてだ。
「痛いか?」
目元を親指で拭われる。いつの間にか勝手に涙が流れていたらしい。
「大丈夫…。きもちいい」
その手をとって掌に唇を押し当てた。
「もっと動いて…」
我慢なんてしないで。自分だけじゃ嫌だ。彼にもよくなってほしい。
「悪い。余裕、ない…」
がっちりと腰を掴まれ激しい律動に合わせてひっきりなしに声が出た。
頭がくらくらする。気持ちいい、嬉しい、もっと――。
必死にしがみつきながら津波のような情事に溺れた。
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