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久しぶりの自室は無機質で色がなかった。
廊下よりも外よりも寒く、急いでエアコンのスイッチを押す。
設定温度に温まるまで、ベッドを背凭れにして自分の身体を抱き締めた。
暫くそうやって過ごして、ぐう、とお腹が鳴って我に返った。こんなときにも腹は減る。心と正反対な軽快な音に馬鹿らしくなる。
外に出る元気はないので、小銭を掴んで自販機で温かいお茶を購入した。
屈んでお茶を取り出し、それを両手で掴んだ。
ぽん、と後ろから肩を叩かれ、まさかという期待を燻らせながら後ろを振り返る。だがそこにいたのは焦がれている人物ではなかった。そう上手く物事が進むはずもない。わかっているのに期待した分だけ落胆する。

「よ。帰ってきたん?」

ぱっと周りが華やぐような秀吉の笑顔に多少うんざりする。

「まあ」

「飯は?」

「あー…。適当に食べた」

面倒で嘘をついた。

「…ご機嫌斜め?」

顔を覗き込まれ、何もかも見透かされる気がして視線を逸らした。
秀吉はそうかそうかと言い、自分も自販機でお茶を購入している。
部屋まで淀みなく秀吉が話し、自分は然程聞きもせずに相槌を打った。

「入ってもええ?」

「…いいけど」

秀吉は部屋に入り、適当に荷物とコートを脱いで景吾のベッドに座った。

「…木内先輩機嫌悪かったもんなあ」

ぼそりと呟かれ大袈裟に肩が揺れた。

「な、なんで…」

「なんでって…。雰囲気。どうせ喧嘩でもしたんやろ」

図星すぎて何も言い返せない。何故わかるのだろう。それとも自分が鈍すぎるのか。
経験があれば彼が何に怒り、そしてそれに対する対処法もすらすらと理解できるのか。
自分はどうしようもない人間らしい。人の機微には聡いと思っていたのに、木内先輩相手ではどうにも鈍ってしまう。

「ほれ、言うてみ」

「別に…。ちょっとお互い勘違いして言い争いになっただけ」

「ほーん。勘違いね。取り返しのつくものならええけど」

意地悪そうに言われ、不安を煽られる。
自分たちの擦れ違いはまだ修復できるレベルなのか、既に粉々に壊れたのか判断もできない。
それでも口をきつく結ぶ。秀吉に話したところで解決にならない。先輩と二人の問題なのだから。

「お前は口数が少ないからな」

木内先輩と同じようなことを言われ、どうして皆そうやって責めるのだと苛立つ。
なにも聞きたくない。口数が少ないのは申し訳ないと思ってる。だけどすぐには変われない。

「そういうタイプの人間は一度擦れ違うととことんだめになるぞ。お前もちゃんと話さな」

「…俺も悪いけど、俺だけのせいじゃない…」

俯きながら言うと、なら話してみろと咎められる。溜め息を吐き、渋々断片的に喧嘩の内容を話した。

「…なーんや。そんなこと」

「…そんなこと?」

「そんなことやろ」

「なんで。喧嘩したのにそんなことになるのか?普通の人には大したことじゃないのか?」

「…いや、普通はわからんけど、そんなんお前がちゃんと話して誤解解けばええだけやろ」

「…でも」

自分はひどい言葉をぶつけたし、彼も自分を傷つけた。

「俺は木内先輩の気持ちわかる」

秀吉は味方してくれると思ったのに。子供染みた我儘が胸をいっぱいにした。

「なんだよ。しょうがねえだろ。昔からこの性格なんだよ…」

「わかっとる。でも大事なことだけでもちゃんと言わな。お前は伝える努力したか?」

「…しようとした」

「でも結局諦めてここに戻って来たんやろ」

「だって…。喧嘩なんてしない方がいい。言い争ったって意味ないし」

「そうか?喧嘩は大事なコミュニケーションやと思うけど」

言っている意味がわからない。コミュニケーションなら普通に話せばいい。わざわざ感情を揺さぶってひどい言葉を選んで言い争わなくとも。
関係に軋轢を生む出来事は一から百まですべて潰したい。表面上だけでも平穏に美しくありたい。間違っているとしても。

「…俺もな、神谷先輩の本音わからんし、そういうの結構しんどいで」

「お前でもわからないのか?」

「さっぱり。あの人にこにこしとるけど心の中でどう思っとるか謎やろ?嫌だとか、何がしたいとか、したくないとか、ちゃんと言ってほしい」

「お前は言ってんの?」

聞くと秀吉は困ったように笑った。

「まあ、全部じゃなくてもいいから口に出して伝えろってこと。木内先輩はお前が好きで、大事にしたいからこそ迷ったり、勘違いしたりするんやで。お前が一つ一つに反応して、嬉しいとか、嫌だとか、自分の気持ちを言えば先輩も悩まないと思う」

「でもそんなの…」

「少しでええから。逆の立場で考えると辛ない?自分が一生懸命接しとるのに相手は無反応って」

言われて、いつも冷めた目で見てるだけだと非難した彼の言葉が耳の奥で響いた。
そんなつもりはなかった。嬉しいとか、愛おしいとか、できる範囲で表していたつもりだった。だけどそれはあまりにも些細すぎて、彼には上手に伝わってなかった。
表情に変化がないし、あったとしても僅かなもので、それを汲み取ってほしいなんて傲慢だった。
もっと、きちんと下手でもいいから直接的な表現をするべきだった。
彼からすると、与えても与えても自分はそれに無関心で、こんなものじゃ足りないし、心を揺さぶられないと高飛車に振る舞っているように見えたのかもしれない。
木内先輩はらしくないほど優しく包んでいれていたのに。たまには労いの言葉や感謝の言葉があってもよかった。そうじゃないと何のために一生懸命になっているのだろう、と滑稽に思えてどっと疲れるだろう。

「…そうか」

ぽつりと呟くと秀吉が笑った気配があった。

「木内先輩も完璧やない。俺らと同じようにわからんこと沢山あって、迷って疑ってイライラして、どうにかしたいと思いながらお前と一緒におるんやで」

わかった?と優しく聞かれ、素直に頷いた。
そうやって説明してくれればきちんと理解できるのに。それはお互い様だから彼だけを責められない。彼も自分に言葉にして言ってほしかったのだろう。
今なら悪かったと思える。喧嘩してる最中はふざけんな、顔も見たくないと思っていたのに。

「…冷静になると、なんであんなことで喧嘩したんだろって思うな」

「そんなもんや。でも、喧嘩したから木内先輩の気持ちも知れたやろ?だから、たまになら悪くないと思う」

「…そうかな。俺はやっぱりあんま喧嘩したくない」

「お前らは一回一回の喧嘩が拗れそうやしな」

からからと笑われ、笑いごとじゃないと言い返した。

「楓がようやく丸く収まったのに今度はお前とか俺も嫌やし」

「…そうだな」

彼らの一件で素直になろう、たくさん話そうと決めたのに。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことだ。

「まあ、擦れ違いとか誤解なんて誰にでもあることや。努力次第で解消できるんやからお前も伝える前からどうせわからないとか決めんと、必死に木内先輩に縋ってみ」

「…そんなのみっともない」

「あほ。格好つけても意味ないやろ。プライドと木内先輩とどっちが大事だ」

そんなの考えるまでもない。自分のちっぽけな埃程度のプライドなんていくらでも捨ててやる。
なのに彼を前にすると単純なことができない。内心怯えながら、お前などいなくとも自分は平気なのだと虚勢を張りたくなる。
人は簡単に変われない。今までそうやって酸っぱい葡萄に似た気持ちで日々を過ごしていた。
でも諦めてはいけない。彼と一緒にいたいなら。

「よし、ゆうきの気が変わんうちに仲直りせな」

秀吉はポケットから携帯を取り出して誰かに電話をかけた。

「ほれ」

渡され、耳元にそれを近付けた。

『もしもし』

聞こえた声に心臓がぎゅっと握られたようになる。なんの心の準備もしていない。きちんと自分の中で整理して、文章を完璧に考えてから謝ろうと思っていたのに。
焦って秀吉に視線をむけると喋ろ、と手で訴えられた。

『おい、秀吉。なんだよ』

「……あの。俺だけど…」

『…ゆうき?』

「…えっと、その…」

仲直りの言葉がわからない。でも伝えなきゃ。ここで黙ったら堂々巡りだ。
思うのに次の言葉が出てこない。焦れば焦るほど混乱して意味もない言葉しか出てこない。

『…寮に戻ったのか?』

「…うん」

『そうか。自分の部屋にいろよ。じゃあな』

ぷつん、と通話を終了する機械音が響く。
やはりうまくできなかった。呆然とし、悔しくて情けなくて自然と眉根が寄る。
木内先輩はきっとまだ怒っている。声なんて聴きたくなかったのかもしれない。失敗してしまった。

「なんやて?」

「…なにも。自分の部屋にいろよって。俺、やっぱり上手く話せない」

「…大丈夫やて。そんな落ち込まんと。な?」

「大丈夫じゃない」

三角に折った膝の上に額を乗せた。秀吉は目の前にしゃがみ込み頭を撫でた。

「…もうだめかも」

「なに言うとんの。大丈夫や。すぐ諦めたらあかん」

「嫌われたんだ。俺だったらこんな性格の奴面倒くさいし、うんざりする」

最悪の事態に備え自分に言い聞かせる。もし彼に別れを告げられても傷が浅く済むように。卑劣な思考回路だ。
秀吉は何も言わず、ただ落ち着かせるようにぽんぽんと背中を叩いた。
暫くそうしていると、部屋の扉が開いた音がして二人でそちらに視線を移した。

「お、やっとおでましや」

僅かに呼吸を荒くして、肩で息をする先輩がいた。何故。目を大きく見開いて、すぐに俯いた。

「ほな、俺行くな」

「世話になったな」

「一つ貸しってことで、俺のこといじめるのやめてもらえます?」

「さあな。約束はできねえな」

頭上で二人が笑いながら会話を交わし、秀吉の気配が去った。
二人きりになった瞬間重力が増した。ずっしりと重苦しくて呼吸が上手にできない。
三角に折った膝をぎゅっと抱き、そこに視線を縫い付けた。
木内先輩は秀吉のようにしゃがみ込んで泣いてる?と聞いた。

「泣いてない」

「なんだ。泣き顔見れると思ったのに」

揶揄するような言葉に悩んでいたのは自分だけだと悟った。
世界の終りかのように落ち込んだのに。一人で騒ぎ立てて馬鹿みたいだ。彼との温度差は心を冷やしていく。
終わりにするでもなんでもいい。早く済ませてほしい。心に広がった闇がじわじわと周りを蝕んでいく。
木内先輩は俺の髪を一束すくった。払いのけたかったけど身体は動かない。

「…悪かった」

ぽつりと降って来た言葉に反射的に顔をあげた。何故謝るのか意味がわからない。

「ひどいこと言った」

先輩の瞳があまりにも真摯で逸らせない。

「…あんな風に言いたかったわけじゃないのに俺短気だからよ」

「…あんたが短気なのは知ってる」

俯きながらぼそりと呟く。
木内先輩は俺の両頬を包んで上を向かせると真っ直ぐに視線を合わせた。

「お前はなに考えてた?話してくれよ」

今更話して意味があるのだろうか。まだ自分たちの関係は続けられるのだろうか。
彼の真意がわからず視線を逸らした。
怖い。心の中の風呂敷を広げたら二度と隠せない。
一番知ってほしい人で、一番知られたくない相手でもある。矛盾の中でゆらゆら揺れた。

「…じゃあ俺から話すか。だからお前もちゃんと話してくれよ?」

だからおあいこな。そう言うようにくしゃりと頭を撫でられた。

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