Episode7:手をつなごう





一月一日の早朝、木内先輩とリビングへ行くと、昨日から眠っていないのか、理事長が会長相手に酒を飲んでいた。

「あけましておめでとう、ゆうき君」

「…おめでとうございます…」

「はい、これお年玉だよ」

理事長はこちらを見ると嬉しそうに破顔し、懐から分厚いぽち袋を差し出した。

「いえ、俺は…」

「いいからもらっとけ、親父はあげたくてしょうがねえの」

「…ありがとうございます」

ナチュラルに親戚でもない他人の親父にお年玉をもらい、ナチュラルに年越しを人様の家で迎えている。
常識的にこれってどうなの。普通の家で生活をしたことがないからわからないが、多分間違っていると察する。

冬休みが始まり寮でゆっくりする暇もなく、夏期休暇と同じように木内先輩に拉致された。
あの時とは先輩との関係性が違うので、全力で拒否したくなるほど嫌ではない。だけど他人に気を遣って生活するのに慣れず息苦しさを感じる。

理事長は自分を親戚の子どものように丁寧に扱ってくれるものだから、彼の頼みを断ることもできず着せ替え人形の役目も熟している。
いたたまれない気分になり、お年玉をどうしていいのかもわからず、両手で持ったままソファに腰を下ろした。お年玉を貰ったのは何年ぶりだろう。もう思い出せないほど遠い昔だ。
大人から金銭を受け取る行為は、この歳なら当然だろう。しかし自分は毎月母から寄越される僅かな小遣いで生活している。他人から金銭を渡されると罪悪感で一杯になる。
できればこのお年玉も返上したいが、それでは理事長に失礼だろう。

「ゆうき君、明けましておめでとう」

「…明けましておめでとうございます」

「ゆうき君もすっかり我が家の一員だね。いて当たり前に感じるもんね」

氷室会長は邪気なく言ってくれたが、図々しいと言われているようで小さく俯いた。

「…すいません」

「謝る必要はないんだよ。いっそ本当に私の子どもになるかい?」

理事長の口癖にはいはい、と適当に返事をする。つれないと言われ、無言で緑茶を啜った。
正月まで居座って申し訳ないが、行く場所はここか、寮のどちらかしかない。
実家には絶対に帰らない。そもそもまだあそこに住んでいるのか、両親はまだ婚姻関係にあるのか、血の繋がった家族のことは何も知らない。

「初詣は行かないの?」

「ゆうきが寒いから嫌だってよ」

「はは、ゆうき君らしい」

「ゆうき君、正月なのに着物は着ないのかい?」

理事長が身を乗り出したので嫌な予感に顔を顰めた。

「…正月に着物なんて着たことないですけど…」

そもそもこの家にいる全員が洋服ではないか。

「じゃあ着てみる?確か元奥さんが置いていった着物があるような…」

「いえ。遠慮します」

何故ナチュラルに女性物を着させる気でいるのだ。
男性ならば袴だろう。どうせ自分が来ても七五三にしかならないだろうが。
理事長は心底落ち込んだ様子で残念と呟いた。
彼は娘が欲しかった、娘が欲しかったと口癖のように言うが、それなら若い女性とお付き合いでもしたらいい。奥さんとは別れているし、不貞行為にはならない。
自分は男で、娘の代わりはごめんなのに、理事長はなにがいいのか、この顔をひどくお気に入りのようだ。

「そういえば、今年は拓海や涼は来ないのかな」

「たぶん今年は来ない」

「なんだ。毎年恒例の挨拶周りという名のたかりも終わりか。なんか寂しいね」

香坂先輩と楓は冬休み中に元の鞘に収まったらしい。
連絡を受けたときは不覚にも泣きそうなくらい嬉しかった。
離れていた時間を埋めるように香坂先輩は楓を一分、一秒でも離さないだろう。
人騒がせな二人を思い浮かべて笑みが零れた。
終わりよければすべて良し。二人にはその言葉がお似合いだ。
些細な気持ちの擦れ違いも、巡り巡って大きな別れとなる。恋や愛はそんな擦れ違いの積み重ねで呆気無く崩れていく。
楓たちを見て勉強になった。気持ちは言葉にしないと伝わらない。
蓮も景吾も秀吉も、今回の件でそれぞれ感じる部分があっただろうし、自分たちの友情もまた少し形を変えた。

「――てお前聞いてる?」

「…は?」

「聞いてなかったのかよ」

「全然」

「早くも正月ボケか?」

しっかりしろよと髪をぐしゃぐしゃに掻き回された。

「御節作ってもらってたから食えってよ」

鳥の巣のようになった頭を撫でつけながら頷いた。
外はまだ初日の出が昇る気配もないほど静まり返っている。
それでも正月特有の浮かれた雰囲気を感じるのは、もしかしたら自分が浮かれているからなのかもしれない。
五段重のおせち料理が目の前に並べられた。
こんな御節料理の基本とでもいうような品を見たのは始めてだ。大きな伊勢海老が重箱からはみ出ている。
自分の家では正月も平常時と変わりなかった。
母は正月だから少し奮発したと笑いながら、いつもの質素な料理に黒豆を甘く煮たものを出してくれたが、それだけだった。

「ゆうき君は何が好き?」

「…黒豆」

それしか食べたことがない。

「黒豆ってお前…。ちっさ」

「ちっさってなんだよ」

「もっとあんだろ。海老とか魚とか」

何がツボに入ったか知らないが、木内先輩は腹を抱えてお前らしいと笑い転げた。
馬鹿にされて気分はよくないが、氷室先輩がお皿いっぱいに黒豆を盛ってくれたので無視をした。
よそられた黒豆を口に放り込み黙々とそれだけを食べた。
他の物も好きに食べろと言われたが、懐かしい黒豆の味に夢中になった。
黒豆をすべて平らげ、テーブルの上の重箱をちらりと見ると一つだけ空の箱があった。何が入っていたのだろう。

「どうしたの?」

「…あ、いえ。この箱には何が入ってたのかなって思っただけで」

「ああ、これはね、一番下の段の箱には何も詰めない習慣があるからだよ」

「…へえ」

一応返事はしたものの、何故そんな習慣があるのか理解できない。

「富が増えて繁栄する余地がありますよって意味らしいよ。来年はもっと頑張ろうっていう願掛け的な感じ」

「なるほど」

説明されても理由と重箱を一つ空けることが結びつかない。理解できない自分は日本人失格なのだろうか。

「ゆうき君、屠蘇もあるぞー」

うーん、と悩んでいると理事長がひょっこりと視界に入ってきた。

「親父、酒はだめだ」

「でも屠蘇は薬酒だし…」

「仮にも理事長がそんなんでどうすんだよ」

「正月から仁に叱られたー」

「いいから兄貴と飲んどけよ」

既にかなりの量を飲んでいるのだろう。いつもより気分が良さそうな姿は酔っ払いのそれだ。
だけど不思議と自分の父親や、淀んだ空気が目に見えるようだった実家のような鬱々とした空気はない。からりと晴れた日のような清々しさすらある。
普通の人は酒を飲んだくらいじゃあんな風にはならないのだ。理事長は悪酔いもせず、楽しくお酒が飲める人なのだろう。

ソファに座って談笑する三人をぼんやりと眺めた。慣れない。こんな絵に描いたような幸福な正月は。
男だらけというのが寂しいが。正月は佳代さんもいない。
ここに木内先輩の母親がいたらまた違ったのだろうか。
どんな人だったのだろう。先輩を産んでくれたその人は。
あまりいい思い出はないからと先輩がちらりと言ったのを思い出す。それでも自分は感謝をしてる。
理事長は明るい人だし、困る趣味や掴めない性格ではあるけれど、息子二人は自分のように捻くれたクソガキではないし、きっと素敵な母親だったと思うのだ。
母親がいないからといって、この家に欠けた部分はないし、今の状態が一番最適なのかもしれないので口を挟まないけど。

「ゆうき君、雑煮もあるぞ!」

お椀を差し出され苦笑しながら受け取った。



「じゃ、行ってくる」

「はーい。迷子にならないようにね」

小学生か。笑顔で手を振る氷室先輩に心の中で突っ込みをいれつつ、木内先輩に無理矢理手を引かれ、近所にあるという神社を目指した。
嫌だとあんなに言ったのに毎年恒例だからと、雪ダルマのように丸々とした風貌になりながら家を出た。着込んでいるおかげで予想より寒くは無いが、やはり冬は得意ではない。

「お前暑いの苦手って言ってたけど、寒いのもだめか?」

「暑すぎても寒すぎても嫌だ」

「へえ。お前雪山とかに住んでそうだけどな」

「どういう意味だよ」

「雪操れそうじゃね?」

「妖怪か」

「いや、雪だるまつくろみたいな」

「古い」

マフラーで口を隠しながら、童話の中のトナカイのように赤くなった鼻を擦った。
早朝と言えど、正月なだけありこれから初詣に行くであろう人達とすれ違う。
息を白くしながら寒そうに肩を竦める人達を見て、家にいればいいのに何故わざわざ人混みに出かけるのか、酔狂なものだ。皮肉を込めながら思ったが、自分もその部類に当てはまってしまった。

「もう少しでつくぞ」

「もう?」

「ああ、小さな神社だし、そんなに人もいねえと思うから」

「ふーん」

「あそこだ。いつもは涼と拓海と来てたんだ」

先輩が指差した先には、背丈よりも高い塀に囲まれたこじんまりとした神社があった。
鳥居を潜り、賽銭箱に近付いた。

「こういうのっていくら入れればいいんだ?」

「いくらでも。どうせ神社の金になんだし」

「そう思うなら初詣なんで来なきゃいいのに…」

ぼそっと呟いた言葉はしっかり彼の耳に届いていて、耳をぎゅっと引っ張られた。
ズボンに手を突っ込み、入っていた小銭のありったけを賽銭箱に投げた。
それでもたいした金額ではないだろうが。
数百円で神頼みってわけにもいかないだろう。実際に、神様が願いを聞いてくれるなんて信じちゃいない。これで願いが叶ったら苦労している奴なんていない。
卑屈に物事を捉えてしまうのは癖のようなものだ。
心の中で悪態をつくが、作法通りに手を合わせ、瞳を閉じ、神様への願いというよりも、自分自身への戒めのように願いを唱えた。
叶わぬ夢でいい。
だけど、普通の正月らしいことをしてみたかった。

「何てお願いした?」

「…別に、皆が健康でいられますようにって」

「嘘くさー」

「うるせえな。先輩は?」

「秘密」

「教えてくれないなら人に聞くな」

結局、お互い願った内容を口にしなかった。
気にならないと言ったら嘘になるが、口にした瞬間に願いが消えてしまいそうで怖い。
ただ一人だけ、自分の心の中で大切に守りたい願いだった。
臆病者だと神様に笑われるかもしれないがそれでよかった。
今が幸せすぎて明日を迎えたくないと言ったら呆れて笑われてしまうだろうか。
一歩前を歩く彼の背中を見てそんな風に思った。

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